第五話 寂しがりや①
ここ数年は空梅雨っぽい感じが多かった気がするけど、今年の梅雨は雨がよく降った。
雨が続くと、外系の運動部のやつらって面白いくらいに元気がなくなる。体づくりは大事だってわかってても、やっぱりゲーム形式での練習をしたいのは、野球部もサッカー部もテニス部も皆同じみたいだ。
「わりー、柴本! 今度絶対なんか奢るから!」
「気にしなくていいから、早く行ってこいって」
「うひゃー、男前。チュッ」
「えっ、キモ! よけいなもん飛ばすな馬鹿っ」
手のひらで投げキッスのハートを追い払いながら、俺は野球部のクラスメイトを見送った。そのまま両手を腰に当て、ぐるっと教室を見回して「よし、」と小さくつぶやく。
「まずはカーテン開けてっと」
やたらと長く感じられた梅雨が明けて、七月初め。太陽はもう、本格的な夏を前にギラギラと容赦なく輝いている。
暴力的な日光から生徒の目を守るために引かれていたカーテンを、俺はシャッと音をたてながら勢いよく開けた。放課後の教室の整理整頓と戸締まりは、日直の大事な仕事だ。
本当は、今日俺と一緒に日直だったのは、テニス部の男子だったんだけど。梅雨が明けて一週間、ようやくコートが乾いて使えるようになったから早く部活に行きたいって言って、そいつは別のクラスメイトに放課後の仕事を押しつけてしまった。
だけど仕事を任された相手っていうのが、さっきの野球部の男子で。テニスコートがやっと乾いたってことは、当たり前に野球部も久しぶりの外練だったんだろう。放課後になった瞬間からやたらソワソワしていたから、「俺やっとくからいいよ」って言って、さっさと部活に行ってもらった。
「なに、結局柴本一人でやんの」
声がけに振り返ると、今までずっと荷物を準備していたらしい五十嵐が、後ろのロッカーに寄りかかりながら呆れ顔でこっちを見ていた。
「そうだけど? ってか五十嵐は、なんでまだいんの」
「見てた。結局どうなんのかなーって」
「なんだそれ、趣味悪いな。用がないならさっさと帰れ」
俺まで帰れないだろ、と言いながら窓の鍵を確認していると、五十嵐はおもむろに歩き出した。
そのまま優雅な足取りで教室を縦断し、骨張った手で黒板消しを掴む。
「なに、手伝ってくれんの」
「仕方ねーからな」
「……ふうん」
ちょっと唇を尖らせながら、俺はわざとそっけなく応じる。鍵の確認が終わり、机の端を揃えながら盗み見た先で、五十嵐は黙々と六時間目の板書を消している。
なんだよ、やっぱり優しいじゃん。
そう考えたら、心の中がそわそわしてくる。
ひよりんとも話したけど、一ヶ月前くらいから、五十嵐は少しだけ俺に優しくなった。相変わらず口悪いし、バイト中の鬼教官っぷりは健在だけど。仕事終わりにはフォローしてくれるし、学校ではこうやって、細々としたタイミングでさりげなく声をかけてきたり、助けてくれたりするようになった。
「なに見てんの?」
「うえっ?」
「黒板、終わったけど。他に残ってることは?」
「えっと、あとは日誌書いて、回収した古典の課題と一緒に担任に提出。でもいいよ、時間かかるから。五十嵐は帰りなよ」
俺はわたわたと答えて、自分の席について日誌を開いた。いつもより速くなっている自分の鼓動に気づいて、それをなんだか「嫌だな」って思う。
意地悪な印象だった五十嵐の態度が急に変わったせいで、俺は最近、五十嵐といると、妙に落ち着かない気持ちになる。キョドってるなって、自分でわかるし。
そりゃもちろん、厳しいよりは断然嬉しいけど。どう振る舞ったらいいか少し悩むのも、紛れもない事実だ。
「……シェリー、行かなくていいのか?」
悠々と歩いてきて前の席の椅子を引いた五十嵐に、俺は恐る恐る尋ねてみる。五十嵐はすました顔で腰を下ろしながら、「別にいい」と応じる。
「平日に関しては、無理に来いって言われてるわけじゃねえから。ただ俺が、家に帰りたくなくて行ってるだけ」
俺は日誌に走らせていたシャープペンシルの手を止めて、目の前の五十嵐の顔をまじまじと見返してしまった。
「なんだよ」
「いや、」
「文句ある?」
「文句はない、けど。意外、というか」
尻すぼみに続けた言葉に、五十嵐はふっと笑った。
「『寂しくないのか』って、お前が言ったんだろ。ほら、手止めてないでさっさと書け。日が暮れる」
五十嵐はそう言うと、俺の机に片肘を突いてこちらをじっと見つめてきた。
その圧に耐えきれずに、俺は慌てて日誌に戻る。だけど今放たれたばかりの五十嵐の言葉が気になって、全然集中できない。
今のってもしかして、「寂しいからお前に話しかけてる」って意味?
俺、国語苦手だから、よくわからないけど。もしこの解釈が正しいとすれば、あまりにも爆弾発言すぎる。
「いっ、五十嵐はさ」
「ん?」
「最近、ちょっと優しいよね……?」
勇気を出して聞いてみると、五十嵐は切れ長の目をぱちぱちとしばたたいて俺を見返してきた。
その後少しのけ反って腕を組み、首を傾げて、「だから、柴本が言ったんだ」と口を開く。
「『五十嵐は受け取ったものを大事にできないやつだとは思わない』って、お前が言った。そんなこと言われたの、初めてだったし。そう思ってくれたんなら、まあ柴本のことくらいは、大事にしてみるかって思った」
なんでもないような口調で言いつつ、最後の方は、五十嵐の耳は少しだけ赤くなっていた。
それに気づいて、俺の方まで体が熱くなってくる。
「もちろん『友だちとして』ってことだからな? ……ってか手止まってる。さっさと書いて、ちゃっちゃと終わらせろ」
照れ隠しみたいに急きたてられて、俺は慌てて日誌の記入を再開した。クーラーを切ってしまったせいか、顔の火照りがなかなか冷めない。
じわっと背中に汗がにじむのを感じて、「もう夏なんだ」とふいに思った。




