不変
季節感ないのぉ…
その日、阿求はいつもより早くに目が覚めた。
夏の間は、あれだけさんざめいていたヒグラシたちの声が、おとなしい。
ヒグラシの鳴き声の中に、りーりーという、別の虫の鳴き声が混じっている。
スズムシの声だ。
わずかな肌寒さを感じる。
寝るときは、いまのところ毛布だけで足りているけれど、そろそろ布団を使ってもいいかもしれない。
阿求は、そう考えながら、障子を開けた。
縁側に立つと、肌で直に涼風を感じることができた。
もともと、永遠亭に流れる風は涼やかだ。特に、朝の空気のさわやかさは格別。
でも、今日の風は、夏のそれとは質が異なっている。
夏の空気の中に、ほのかに秋の香りが混じっている。
黒い髪の中に、一本の白髪が紛れ込むように。
ゆるり、ゆるりと、幻想郷の季節はめぐる。目に見えぬ、かすかな変化を伴いながら。
そして人間は、ゆるり、ゆるりと生を進めて死へと向かう。目に見える、はっきりとした変化を伴いながら。
「うぅーん……」
輝夜が、毛布の中で寝返りをうった。
障子を開けたせいで、涼やかな風が部屋の中に流れ込んでしまったのだろう。
「寒い」
と言いながら寝床から這い出て、押入れから布団をひっ張り出してきたかと思うと、すぐに寝息をたてた。
せっかく早起きをしたのだから、朝の散歩としゃれ込もうとか、そういうことはいっさい頭に無い。起きなくて良いならば、いつまでも寝ていたいと考えるのが、蓬莱山輝夜という女性であった。
(もっと、季節の移り変わりを大事にしたほうが良いと思うのですが……)
安らかに眠る輝夜に、阿求は思う。どうせ言っても無駄なのだろうけど。
輝夜は、日々を無為に浪費しがちだ。永琳あたりは、そこのところを心配して、よく小言を垂れている。
だらだらと、変わり映えの無い毎日を送っていると、日々がすぎていくのがあっという間に感じるという話を耳に挟んだことがある。
だから阿求は、ちょっとした変化に敏感になり、その変化を愛したいと考えるのかもしれない。
「うぅーん……」
また輝夜が苦し気に寝息を漏らして、寝返りをうった。
「暑い」
寝床の中の温度調節が上手いこといかないようだ。今度は暑くなりすぎたらしく、布団をめくり上げて、脚を露出させた。
ふくらはぎから下が、まる見えになった。
自室なのをいいことに、油断しまくっている。
白く、むくみが無く、ちょうど良い肉付きの生脚は、同性の阿求でも見惚れるほど。さぞかし良い触り心地がするに違い無いが、
(仮に私が男でも、この人に欲情することは、まず無いでしょうね)
だから、眺めるだけにとどめる。
阿求は輝夜のことを知りすぎてしまった。こんな、めんどうくさくて、つき合いにくい女と、肉体関係になりたくない。夜伽の最中でも、うるさく文句を言ってきたり、皮肉を飛ばしてくるに違い無い。喧嘩になる未来が見える見える。
「阿求、閉めなさいよ」
「ご自分で、どうぞ」
阿求は、草履を履いて庭に下りた。
障子は開け放ったままだ。
輝夜も、自分で障子を閉めることはしない。
閉めなさいよと命令したからには、もしも凍死したとしても、阿求が障子を閉めるまでは、自分から動くことはしない。
障子の開け閉めという、それっぽちのことでも、自分たちはぶつかり合う。
ひとたび意地を張ったなら、それを曲げることはしない。
阿求も輝夜も、この関係は、そういうものだと自覚している。
だから、阿求と輝夜が甘い関係になることなど、ありはしないのである。
陽が照る時間になると、暑さを感じる。
まばらながら、ミンミンゼミの声も聞こえる。
それでも、見上げる青空は、夏の空よりも澄んでいるように感じた。
太陽のまぶしさが衰えてきたので、空をはっきり望むことができるようになってきたからだ。
「くふふー……」
阿求は、縦長の鏡のまえで一回転をして、全身を映した。
「何回やってんだか」
呆れた口調で、輝夜。
「そんなに喜んでもらえると、届けたほうも嬉しいわね」
にこにこと阿求を見守っているのは、妹紅。
阿求はいつも、着物の上に、袖の長い羽織をまとっている。
しかし本日は、着物の上にまとっている羽織が、いつもと違う。
袖に、紅の楓の葉が刺繍された橙色の羽織は、ついさっき、妹紅が稗田の屋敷からあずかって届けに来たものだ。来たる秋冬に備えて、生地が厚手になっている。
「へぷしっ!」
その妹紅が、くしゃみをした。
「風邪ですか?」
「いや、さっきまでかいてた汗がひっこんじゃったから、体が冷えたんだわ」
妹紅は、ぐずぐずと鼻を鳴らした。
動いているときは暑さを感じるけれど、動くのをやめると、涼風で汗が乾いてしまう。体調管理が難しい季節である。
「だから、最初から動かないのが正解なのよ」
ドヤ顔で語る輝夜は、柱に背中をもたれ、だらだらとすごしている。
夏の間は、ずっとああやって暑さをしのいでいたが、このまま秋冬も、同じようにしてすごす気なのだろうか。
(もったい無い時間の使いかたをしていますねぇ)
阿求は思うが、短命の自分と、永遠の命を持っている輝夜では、時間に対する価値観が違う。輝夜のことは嫌いだけど、自分の価値観を押し付けるのはよろしく無い。
「妹紅さん、いらっしゃい」
「鈴仙さん。これ、見てください」
お茶を運んできた鈴仙に、着物を自慢してやった。
「わっ。素敵です! これ、どうしたんですか?」
「さっき、稗田の家から届いたんです」
「へぇー。さすが、良い生地を使っていますねー」
鈴仙が着物を褒めてくれると、非常に良い気分になる。
阿求は、自慢をする相手を良くわかっていた。
縫いものをすることがある鈴仙だからこそ、この着物の価値をわかってくれるし、興味も抱いてくれる。無気力無感動を絵に描いた輝夜では、こうはいかない。
「着るものが変わったからといって、そんなに嬉しいかしらね」
という感じで、阿求がなにを着ていようが、まったく興味を示さないのだから。
「まぁー、輝夜はねー」
ずずーっと、お茶をすすった妹紅が、意地悪く笑う。
「あんなだった時期があるものね。その後悔なんでしょうね、着るものに興味を持たないのは」
「妹紅っ!」
(おお……。輝夜さんが立ちあがった……)
猛暑を避ける猫のごとく、涼しい場所から身じろぎもしなかった輝夜が、定位置から移動した。これもまた、季節の移り変わりを暗示する現象なのだろうか。
「というか、妹紅さん。あんな時期ってなんですか?」
「輝夜はね、一時期……」
「やめなさいってば!」
「いいじゃないの、昔のことでしょ」
「ここで話されるのが嫌なの」
「なんでよ?」
「それは、その……」
急に輝夜の語勢が落ちた。
ちらりと、阿求を見てくる。
「私も、興味があります」
「絶対にダメ。あんたは特にダメ」
輝夜は妙にかたくなだった。
「そ、そんなに拒否すること、無いじゃないですか」
「あるわよ。私が嫌なの。それで充分」
「だから、なにが嫌なんですか」
「答える義務を感じ無いわ」
徐々に、熱を帯びていく二人の語気。
「お、お二人とも、おちついて……」
やめときゃいいのに、鈴仙が仲裁に入った。しかし、そうせずにはいられないのが、鈴仙の鈴仙たる所以なのだった。
「鈴仙は、ひっ込んでなさい!」
「鈴仙さんは、黙っていてください!」
「は、はいぃ……」
鈴仙には、毛の先ほどの悪気も無かったが、気の毒なことに、これが喧嘩の皮切りになった。
阿求と輝夜が、やいのやいのと騒ぎ始めると、蝉の声が聞こえにくくなる。二人の声量が、蝉たちの声量を上回っているということだ。
「秋だわねぇ……」
妹紅は、しみじみとつぶやいて、お茶をひと口。
阿求と輝夜の怒声を、わずかばかり涼しくなった風が、さらっていった。




