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永遠亭の兎たち

 永遠亭には、不可解なことが多い。

 まず、なににおいても広い。とにかく広い。

 それは曲がりなりにも、元、月の姫を、半端な屋敷に住まわせるわけにはいかないというのはわかる。

 しかし、四方を塀で囲い、正門に番所を設けているこの建物は、屋敷と呼ぶには、ちとものものしい。

 正門を抜けた先は、敷地内に流れている川を渡るための橋があり、これが一本道。それを渡って、ようやく正面玄関にたどり着ける。

 正門を抜けた先の道を一つに限定し、かつ、屋敷への入り口を二つに分けているのは、外敵の攻撃を防ぎやすくする工夫では無いかと邪推してしまう。

 そして、屋敷の主である輝夜が住まいとしている離れは、正門から最も遠い場所にあり、たどり着くまでには、いくつもの部屋を渡らなければならない。

 輝夜は高貴な身分なのだから、みだりに人目についてはならない。というのはもっともらしい理屈。

 永遠亭の奥の奥に位置している離れは、城の本丸御殿のように見える。

 そして、広大な敷地面積を誇る永遠亭が目立たぬのは、それをとり囲む竹林のおかげ。

 こんなにも広い建物が、すっぽりと覆い隠されてしまうのだから、竹林の広さも推して知るべし、である。

 そんな竹林に囲まれていたのでは、いかに永遠亭の住人たちが、永遠亭を開かれた場所にしようとしたところで難しいというもの。そもそもの立地が悪すぎる。

 なぜ輝夜は、こんな辺鄙へんぴな場所に住まいを構えたのか。

 なぜ、こんな辺鄙な場所に住まいを構えておきながら、永遠亭を開かれた場所にしようと試みているのか……。



「ご苦労さまです」

 阿求が挨拶をすると、彼女は軽く会釈を返してきた。

 背丈の小さな体で洗濯籠を抱え、素足でぺたぺたと廊下を渡っている様子は、幼子が家事を手伝っているみたいでほほえましい。

「あきゅさまも、おつかれさまです」

 人間の言語がおぼつかないところもまた、かわいらしい。

 本当に、人間の子どものようだ。

 思わず頭を撫でたくなってしまうが、実年齢は、彼女のほうが、阿求よりもはるかに上なので自重。

「しつれ、します」

 失礼しますと発声したいようだ。

 彼女たちは、たどたどしく人語を操るものだから、意味を完全にかみ砕くまでに、少々の時間を要する。それは阿求だけで無く、鈴仙も輝夜も、頭の回転が早い永琳ですら同様だった。

 彼女らが伝えたいことを、即座に汲みとることができるのは、永遠亭において、ただ一人。

「てゐさん。お疲れさまです」

「ああ、お疲れ」

 厨房で調理作業に勤しんでいる、てゐだけである。

 阿求は、備え付けの草履を履いて土間に下りた。

 そこでは、数人のイナバ兎がてゐの助手として、調理の手伝いをしている。

 着物の袂から紐を取り出した阿求は、袖が垂れないよう、たすき掛けをした。水場で手を洗い、イナバ兎たちの中に加わる。

「阿求は、ナスの乱切りを頼むよ」

「はいっ!」

 ザルには、数十本のナスが乗せられている。

 包丁を手に取って、一本一本、ヘタを切り落としていく。

 慣れた手つき……、とは言い難い。

 周囲のイナバ兎たちは、手際よく包丁を操っているので、阿求の拙い手つきが目立ってしまう。

 それも仕方の無いことで、阿求がてゐに師事を仰いでから、まだ一か月も経っておらず、しかも、いままで家事は、稗田家の使用人たちに任せっきりだったのだ。

「焦って指を切るんじゃないよー。一日二日で、いきなり上手くなりゃしないんだから」

 阿求に注意を促しながら、てゐは里芋の皮をむいていく。

 椅子に座って作業をしているてゐのところには、ときおり、外で仕事をしているイナバ兎が、なにがしかの判断を求めにやって来る。

 その都度、受け答えをしているてゐは、手元の作業を止めることは無い。ながら作業なのに、包丁は淀み無く動いて、止まることは無い。

 永遠亭では、使用人の代わりに、イナバ兎たちを使役している。

 永遠亭の兎たちは、二足歩行で動き回ることができ、頭の上から耳が生えていなければ、人間の子どもだとしか思えない。

 てゐがそうであるように、みんな、ポンチョのような簡素な服を身にまとって仕事を行っている。

 報酬は無いけれど、その代わりに、永遠亭で寝泊まりすることができる。雨露をしのげるだけで無く、食事も寝床も確保できるし、なにより、永遠亭の住人たちに守ってもらうことができる。

 そんなイナバ兎たちをまとめているのがてゐだった。

 彼女の素行は、あまり褒められたものでは無い。

 てゐは無類のいたずら好きで、よく鈴仙が標的にされる。

 鈴仙の部屋に、大量のダンゴムシやミミズの入った瓶が仕込まれているなど、珍しいことでは無い。

 驚いた鈴仙が悲鳴をあげ、それを見たてゐが笑い転げる。そんな光景は、永遠亭の日常であった。

 ちなみに。

 鈴仙は、月出身の兎なので、てゐたちイナバ兎とは種族が異なる。

「阿求」

「はい」

「姫様との共同生活には慣れたかい?」

 そんなてゐだが、なぜか、イナバ兎たちから、抜群の人望を得ている。

 阿求は一時、包丁を動かす手を止めた。

 ちょうどひと息入れようと思っていたところ、てゐが世間話を振ってくれたのだ。

「慣れません。きっと……、いえ確実に、生涯、慣れることは無いでしょう」

「それがわかっていながら逃げ出さないんだから、おまえさんも、もの好きな人間だよ」

「だって、逃げたら負けになるじゃないですか」

(なにと戦ってるんだよ)

 と思ったが、てゐは、それを口にはしなかった。

 こういうところの機微をわきまえているのも、てゐの人気の秘訣なのだろう。

(どうも、モヤモヤするんですよねぇ……)

 永遠亭に居候することになって以来、次から次から不可解なことが浮かび上がってくる。

 まずこの屋敷、立派すぎる。

 輝夜と永琳が幻想郷にやって来たのは、数百年も昔であるから、永遠亭も、同様の歴史を刻んでいるはずだ。

 稗田家の屋敷がそうであるように、いかに立派な建築物であっても、時間の経過と共に老朽化が進んで破損するものだ。

 ところが永遠亭には、そうした箇所がいっさい見られない。

 老いることの無い輝夜を模倣するように、隙の無い美しさを保っている。

 次に、てゐを始めとしたイナバ兎たち。

 最初、阿求は彼女らを妖兎だと思っていた。

 ところが、屋敷に住まう兎たちは、ただの兎のようなのだ。その辺の野良兎が知恵を持ち、おぼつかないながらも人語を操り、人間のように勤労に勤しみ、しかも弾幕まで使える。

 幻想郷の長い歴史を紐解いても、ただの兎が進化したなんていう話は、永遠亭でしか聞いたことが無い。

「てゐさん」

「うん?」

 てゐは、包丁から目を離すことはしなかった。

「てゐさんたちは、いつから永遠亭に住まわれているのですか?」

「そうだねぇ。もう、数えきれないくらい昔からだねぇ」

「そのころから、てゐさんたちは、永遠亭で働いておられたのですか?」

 てゐの手が止まった。

「なんで、そんなことを聞く?」

 阿求の心中を覗き見るように、じろりと瞳を向けてくる。

 いつも飄々としているてゐが真顔になると、それだけで緊張感がある。

 加えて、異様な迫力があった。

「い、いえ。なんとなく気になったというか……」

 軽率なことを口走ってしまったようだ。反省した阿求は、言葉を濁してごまかした。

「ならいい」

 てゐは、手元に視線を戻した。

 阿求もそれに倣い、作業を再開する。

「阿求」

「は、はいっ」

「好奇心は猫を殺すよ。気をつけな」

「……」

 阿求は、振り返ることができなかった。

 背中に、たらりと一筋の汗が流れるのを感じた。

 この、てゐの貫禄は、どのようにして培われたのだろうか。

 小柄でかわいい、永遠亭のイナバ兎たち。

 しかし、その実態は、謎に包まれている。

 永遠亭には、不可解なことが多い。

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