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竹林の静寂、破りしは

 竹と竹の間を流るる風は、清く。

 風に揺れる笹葉の音は、雅なり。

 幻想郷の一角を占めている竹林は、実に風光明媚な場所である。

 ただしここは、非常に広大であるうえに、霧が立ち込め、しかも同じような景色が続いていて、目印になるものも無い。

 一度、足を踏み入れれば、簡単に出ることができないこの竹林は、迷いの竹林と呼ばれていた。

 竹林の中でさまよっているうち、いつしか凶暴化してしまった妖怪も生息しているという噂もある。

 だから、無用に立ち入る者はいない。

 それがために、竹林が有している神秘的な静寂が保たれている。

 いや。

 保たれて、「きた」のである。



「輝夜さん! また私の日記を勝手に読んだでしょう!?」

 日記を片手に、怒号をあげたのは稗田阿求。

 彼女の声は、竹林の外にまで届いたのではないかと思えるくらいに、良く響いた。

 完ぺきな発声である。

 それだけ、阿求の怒りはでかいということでもあった。

「阿求だって、私の金平糖こんぺいとうを黙って食べたでしょ!?」

 阿求に負けぬ大音声で言い返したのは、長身の美人。

 腰まで伸びる艶のある黒髪、ぱっちりした瞳に高い鼻、頬は上品な薄紅色で、唇は常に瑞々しい。

 黙っていりゃあ、絶世の美女。

 でも、せっかく綺麗に整えた眉が、地べたを這うミミズみたいに歪んでしまっては台無しであった。

 両の手のひらにちょうどおさまる竹細工の入れ物を阿求に見せつけながら、きぃきぃと甲高い声でわめいている。

 熟達した奏者の演奏にも勝る優美な声も、荒げてしまっては、素人の演奏にも劣る不協和音のそれになってしまう。

「金平糖は、真ん中の机に置いてありました。でも、日記は私の机の上に置いてあったじゃないですか!」

 阿求が、真ん中の机と言って指をさしたのは、六人くらいで囲めそうな、大きな机。

 私の机と言って指をさしたのは、一人でようやく使えるくらいの、小さな机。

 離れ、あるいは姫の私室、と呼ばれているこの部屋には、両端に小さめの机が二つ、それらの机の中間地点に、大きめの机が一つ設置してある。

 他に、鏡とか化粧台とか、着物をかけるための衣桁いこうとか、いかにも年ごろの女子っぽいものも置いてあるけれど、それはさておき。

「鈴仙さん! 輝夜さんが悪いですよね!?」

 運悪く、二人が喧嘩しているところに居合わせてしまった鈴仙は、

「えっと……。そう……、なんですかねー? えへへ……」

 かわいく笑ってごまかそうとした。

「鈴仙。私は悪くないわよね?」

 だが、輝夜がにらみを利かせてくれば、曖昧な返事をするわけにはいかない。

「あの……」

「悪くないわよね?」

「そ、それは……」

「輝夜さん! 立場の差を利用しないでください! そういうの、外の世界ではパワハラっていうんですよ!?」

 阿求は厳しく輝夜を弾劾する。

 しかし輝夜、へっと阿求を見下し、

「はいはい。稗田乙女は博識でいらっちゃいますねー」

 すごいすごーいと、挑発的におちゃらける。

 それは、阿求の怒りに灯油をぶちまけ、さらに燃え上がらせる行為であった。もちろん輝夜は、そんなことは承知している。承知していて、わざとそういう言動を選択している。

「あ、阿求さん。落ち着いて……」

「止めないでください鈴仙さん! ここで黙っていては、歴代稗田乙女に顔向けができません!」

 阿求とてわかっている。

 日記を読まれたくらいで、ここまで怒ることは無いのだと。

 輝夜のものだとわかっていながら、金平糖に手を伸ばしたのは自分。

 そのことを謝れば、輝夜の怒りも自然消滅する。

 どちらかが折れれば、それで事は収束する。

 だがしかし、阿求も輝夜も、絶対に退くことはしない。

 これは、彼女たちの矜持を賭けた戦いだから。

「輝夜さん。今日という今日は……」

「なによぉ。人間風情が、月の姫に逆らおうっての?」

「元、月の姫でしょう? 都落みやこおちしたくせに、威厳だけはいっちょまえですよね」

「きぃー! 言ってくれたわね!」

 互いに煽り文句を押し売りし、売られた煽り文句を言い値で買い、バチバチと言葉をぶつけ合う。

「二人とも」

 腰を折り曲げて、おでこがくっつき合うくらいにまで顔を近づけ、相手を威嚇していた阿求と輝夜は、そのままの態勢で、声がしたほうに顔を向けた。

「うるさいのよ。医局にまで声が聞こえてくるのよ」

 離れの庭に立っていた女性は、いら立ちをあらわにさせていた。

「うげ……」

「永琳さん……」

 ぴたっと口喧嘩をやめる二人。

「座りなさい」

 指示されると、びっくりするくらい素直に従い、縁側に正座した。

「発情期の猫じゃあるまいし、もうちょっとおとなしくできないの?」

「いえ。私は居候の身ですから。それはもう、みなさんのご厚意に感謝しながら、ご迷惑をおかけしないようにと肝に銘じて、日々を送っている次第でして……」

「阿求」

「はいっ」

「口先だけの言い訳は、聞き飽きたわ」

「す、すみません……」

 簡単に論破された阿求をせせら笑っていた輝夜だったが、

「輝夜」

「な、なによ……」

 すぐに永琳の標的となった。

「貴女の身分は、なに?」

「元、月の姫。いまは永遠亭の主」

「だったら、高貴な身分の者らしくふるまってちょうだい。近ごろ、患者さんが里に噂話を持ち帰っているのよ。最近の竹林はにぎやかだって」

「にぎやかなのは、いいことじゃない」

「狼の遠吠えよりも、貴女たちの怒声のほうが耳に残るっていう噂が広まっているのだけど。それでもいいって言えるの?」

「……」

 永琳の、知的な切れ長の瞳で牽制されて、輝夜は押し黙った。

「わかってくれたかしら? わかってくれたのなら、握手して仲直りなさい」

「はぁぁ? 握手ぅ?」

「永琳さん。子どもじゃないんですから」

 そんなん、やってられるかいと抗議をする阿求と輝夜だったが、

「早くなさい!」

 永琳は、ぶった切った。

 こうも凄まれてしまっては、反抗することままならず。

 阿求と輝夜は、相手に右手をさし出したのだが……。

 ちょん、ちょんと、指先を触れ合わせるだけで、そこから先に手が進んでいかない。指相撲で駆け引きをするように、指の先を擦らせては手を引っ込める。

「輝夜さん。永琳さんの言いつけですから」

「阿求こそ、ちゃんと永琳の言うことを聞きなさいよ」

「私は、おとなしく従おうとしているじゃないですか」

「私だって、そうよ」

「じゃあ、さっさと手を出してくださいよ」

「阿求から出せばいいじゃない」

「どっちが先かなんて、ささいな問題じゃないですか。いつまでもお姫さま気どりでいるから、相手がなにかをしてくれるのがあたりまえと思ってしまうんですよ」

「なによ?」

「なんですか? 本当のことじゃないですか。そもそも、輝夜さんが誠実であれば、他人の日記を読むなんていう、愚かしいことはしないはずです。ということは、この言い争いの原因は、輝夜さんにこそあるわけです」

「阿求だって、私の金平糖を勝手に食べたでしょ。浅ましいと思わないの?」

「浅ましいとは失礼な! 私は、由緒正しき阿礼乙女の九代めです!」

 立ち上がる阿求。

「私なんて、月の姫よ!」

 立ち上がる輝夜。

 決して相手から瞳を逸らすことはしない。

 もはや二人の目の中には、自分たち以外は映っていなかった。

「はぁー……」

 永琳は、額をつまんでうつむいた。

 やがて空を見上げる。

 永遠亭の周囲には、背の高い竹がびっしりと生い茂っており、空を望むのは難しい。だが、竹が生えていない庭内からは、青空を眺めることができた。

「今日も、いい天気ね……」

 永琳は、なにかを明らかにした表情を浮かべ、離れの中庭から去って行く。

「あっ、師匠」

 追いかけて来た鈴仙に、

「馬鹿につける薬は無いっていうけれど、あれは本当なのね」

 と言ったものである。



 幻想郷の一角を占めている、迷いの竹林。

 これまでは、竹林が有する神秘的な静寂が保たれてきた。

 その静寂を破りしは、一人の人間の存在。

 稗田乙女が九代め、人呼んで、稗田阿求。

 彼女はいま、永遠亭に居候中なのである。


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