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『異世界クリーニング「アライグマ」 ~迷宮都市のど真ん中。冒険者の頑固な汚れも、乙女の悩みも、全自動で洗い流します~』

作者: 無音

ダンジョン都市の片隅にある、24時間営業のクリーニング屋。 無口な店主と、ワケありな客たちの人間ドラマです。

【第一章:大通りの洗濯屋さん】

 大陸の中央に位置する、世界最大の冒険者の都。  『大陸中央・迷宮都市グランド・バベル・ハイム』。


 街の中央には、天を衝くほどの巨大な白い塔――『深淵の迷宮アビス・ゲート』がそびえ立っている。  世界中から夢と浪漫を求めて人々が集まるこの街は、今日も活気に満ちていた。  大通りには馬車が行き交い、露店からは肉を焼く香ばしい匂いが漂い、吟遊詩人のリュートの音色が響く。


 そんなメインストリートの一角、冒険者ギルドからほど近い好立地に、その店はあった。


 レンガ造りのお洒落な外観。  通りに面した大きなガラス窓からは、明るい日差しが差し込んでいる。  看板には、愛嬌のあるアライグマのキャラクターと、異世界の文字で『LAUNDRY & CLEANING』。


 ウィィィン……。  自動ドア(人感センサー付き)が開くと、涼やかで清潔な風が吹き抜ける。


「いらっしゃいませー」


 カウンターの中から、落ち着いたバリトンボイスが響く。  店主の**ソウイチ(52歳)**だ。  パリッと糊の効いた白いワイシャツに、清潔な紺色のエプロン。ロマンスグレーの髪を整えた、優しげなオジサマである。


「おや、ガルドさん。おかえりなさい。今回の遠征は長かったですね」


 ソウイチが微笑みかけると、入ってきた巨漢の戦士――ガルドが、破顔一笑した。


「おうよマスター! 今戻ったぜ! いやぁ、今回の『深淵』は手強かった!」


 ガルドはベテランの冒険者だ。  しかし今の彼は、全身ドロドロだった。  スライムの粘液、洞窟の泥、そして魔獣の返り血。自慢のミスリル鎧が、見る影もなく汚れている。


「ギルドへの報告前に、ここに来ねぇと落ち着かなくてよ。……この汚れ、なんとかなるか?」 「ええ、お任せください。当店自慢の『大型全自動』が空いてますよ」


 ソウイチが手際よく案内する。  店内には、最新式のドラム式洗濯機がズラリと並んでいる。  壁は白を基調とした清潔なデザインで、待合スペースにはフカフカのソファと、無料のドリンクサーバー(冷たい麦茶やコーヒー)が完備されている。


「助かるぜ! じゃあ、頼むわ!」


 ガルドは慣れた手付きで鎧を脱ぎ、インナーの服と一緒に専用のネットに入れた。  ここ『アライグマ』は、異世界では珍しい「鎧も洗える」店として、冒険者たちのオアシスになっているのだ。


「お代は先払いで。鎧の洗浄・乾燥コースで銀貨5枚になります」 「はいよ。奮発してオプションの『ワックス仕上げ』も頼むわ」


 ガルドは革袋からジャラリと銀貨を取り出し、カウンターのトレイに置いた。  ソウイチはそれを確認し、レジスターに打ち込む。  チャリーン、という小気味よい音が店内に響いた。


 ピッ。ゴォォォォ……。


 洗濯機が回り始める。  たっぷりの水と、特殊配合の洗剤が泡立ち、汚れを包み込んでいく。


「ふぅ……」


 ガルドはソファに深く腰掛け、ソウイチが出した冷たいおしぼりで顔を拭いた。


「生き返るなぁ……。ダンジョンの中じゃ、泥と汗の臭いばかりだからよ。この店の『石鹸の香り』を嗅ぐと、ああ、生きて帰ってきたんだなって実感するんだ」 「それは何よりです。……ああ、ガルドさん。マントの方は少しお預かりしても?」


 ソウイチがカウンター越しに声をかける。  ガルドが着ていた厚手のマント。その背中に、赤黒いシミがこびりついていた。


「ああ、それか。マンティコアの毒を浴びちまってな。洗っても落ちねぇし、捨てようかと……」 「もったいない。生地はまだ死んでいませんよ。……私が『手仕上げ』で落としましょう。別料金で銀貨2枚いただきますが」 「直るなら安いもんだ。頼むよ」


 ソウイチは眼鏡の位置を直し、職人の顔になった。  機械任せにするだけではない。ここぞという時は、彼の熟練の技が光る。


 ソウイチは作業台にマントを広げた。  取り出したのは、魔法の杖――ではなく、**「超音波シミ抜き機」**と特殊な溶剤だ。


「毒の成分は酸性……ならば、アルカリ性の溶剤で中和しつつ、振動で繊維の奥から叩き出す」


 キュイイイイ……。  微細な振動音が響く。  ソウイチが優しく、撫でるようにノズルを動かすと、頑固な毒のシミがみるみるうちに分解され、下のタオルへと吸い出されていく。


「おおっ!? 消えた!?」


 ソファから覗き込んでいたガルドが声を上げる。  魔法ではない。化学と技術の勝利だ。  ソウイチは仕上げにスチームアイロンを当て、シュワッ! という小気味よい音と共にプレスした。


「はい、どうぞ。新品同様ですよ」


 差し出されたマントは、汚れが落ちただけでなく、ふわりと温かく、フローラルの香りを纏っていた。


「すげぇ……! マスター、あんたやっぱ『洗濯の神様』だよ!」 「よしてください。ただのクリーニング屋ですよ」


 ガルドはピカピカになった鎧とマントを身に着け、晴れやかな笑顔を見せた。


「ありがとよ! これで気持ちよく祝杯をあげに行けるぜ!」 「ええ、いってらっしゃいませ」


 ウィィィン……。  自動ドアが開き、ガルドが街の喧騒へと戻っていく。  その背中は、来た時よりも一回り大きく、誇らしげに見えた。


 ソウイチはカウンターを拭きながら、穏やかに微笑んだ。  この店には、毎日様々な客が訪れる。  英雄、商人、時には人ならざる者たちも。  彼らが持ち込む「汚れ」を落とし、対価をもらって送り出す。それがソウイチのささやかな喜びだった。


 その時。  自動ドアが開き、小さな鈴の音が鳴った。


「あの……。ここ、魔族でも……洗ってもらえますか?」


 入ってきたのは、黒いローブを目深に被った、小柄な少女だった。  フードの隙間から、小さな角と、怯えたような赤い瞳が見えている。


「いらっしゃいませ」


 ソウイチは驚くこともなく、いつものように優しく声をかけた。


「どなたでも歓迎ですよ。商売ですからね」


【第二章:魔族の少女と、聖女の法衣】

 ソウイチの言葉に、少女はホッとしたように息を吐いた。  魔族――人間社会では忌み嫌われる存在だ。店に入っただけで塩を撒かれることも珍しくない。


「あの……このローブ、洗えますか? ずっと旅をしていて、泥と……『瘴気』が染み付いていて……」


 少女が差し出したのは、ボロボロの黒いローブだった。  生地は厚手だが、長年の旅の汚れと、魔族特有の禍々しい気配(瘴気)がこびりつき、異臭を放っている。


「普通の洗濯屋には断られちゃって……。お、お金なら、あります」


 少女はポケットから、くすんだ銅貨と、なけなしの銀貨を数枚取り出し、カウンターに並べた。  その手は震えている。


「これだけで……足りますか?」 「……十分です。お釣りが出ますよ」


 ソウイチは嫌な顔ひとつせず、正規の料金である銀貨1枚だけを受け取り、残りを少女の手に戻した。


「瘴気も汚れの一種だ。ウチの『オゾン洗浄機』なら、臭いも元から分解できる。……そこの椅子で待ってな。サービスで温かいミルクを出すよ」


「あ、ありがとう……ございます……」


 少女は「客」として扱われたことに感動したのか、目を潤ませてソファに座った。  温かいマグカップを両手で包み込み、洗濯機が回る音に耳を傾ける。


 ピッ。ゴウン、ゴウン……。


 黒く濁っていた水が、排水とともに流れ去り、新しい水ですすがれていく。  自分が拒絶され続けてきた「汚れ(出自)」が、ここではただの洗い流すべきものとして扱われている。それが何よりも嬉しかった。


 その時。  ウィィィン……と自動ドアが開き、新たな客が入ってきた。


「ごめんくださいまし……」


 現れたのは、純白の法衣を纏った美しい女性だった。  金色の髪に、慈愛に満ちた碧眼。首からは聖印を下げている。  街の誰もが知る、『大聖女・エレナ』だ。


「ひっ!?」


 魔族の少女が息を呑み、ソファの隅に縮こまった。  聖女と魔族。出会えば浄化バトル必至の天敵同士だ。


 だが、エレナの様子がおかしい。  彼女は周囲をキョロキョロと警戒しながら、小走りでカウンターへ向かった。


「あの、店主様! 急ぎでお願いしたいのです!」 「いらっしゃい、聖女様。……随分と慌てていますね」 「しっ! 声を抑えてくださいまし! お金は弾みますから!」


 エレナは懐から金貨を一枚取り出し、カウンターに置いた。  そして、顔を真っ赤にして法衣のすそを見せた。  そこには、べっとりと赤いシミがついていた。


「これ……ケチャップですか?」 「は、はい……。こっそり屋台の『ホットドッグ』を食べていたら、こぼしてしまって……」


 聖女は清廉潔白を求められる。立ち食いなど以ての外だし、法衣を汚すなど言語道断だ。  バレたら始末書では済まない。


「あと1時間で式典があるのです! 魔法で消そうとしたのですが、油汚れが広がってしまって……! どうか、お釣りはいりませんので助けてください!」


 涙目で訴える聖女。  ソウイチは金貨を手に取り、正規の料金(銀貨2枚)を引いて、残りのお釣りをキッチリとエレナの手に握らせた。


「うちは明朗会計です。……任せてください。ケチャップなら、魔法よりも『酵素』の出番だ」


 ソウイチは手早く作業台に向かった。  魔法で無理やり消そうとして繊維の奥に入り込んだ汚れを、専用の薬剤で浮かせ、蒸気で飛ばす。


 シュウウウッ……!


 白い蒸気が上がるたび、赤いシミが嘘のように消えていく。  その職人技を、エレナは食い入るように見つめ、そして――ふと、ソファにいる少女と目が合った。


「……あ」


 エレナが少女の角に気づく。  少女がビクッと身をすくめる。  緊迫した空気が流れるかと思いきや、エレナはふわりと微笑んだ。


「貴方も、お洗濯待ちですか?」 「え……あ、はい……」 「奇遇ですね。私もなんです。……ふふ、ドジをしてしまいまして」


 エレナは悪戯っぽく舌を出した。  そこには「魔族を狩る聖女」の顔はなく、ただの「失敗をごまかしたい女の子」の顔があった。


 二人は並んでソファに座った。  目の前では、二台の洗濯機が回っている。  一台の中では黒いローブが、もう一台の中では白い法衣(乾燥中)が、ぐるぐると回っている。


「……綺麗ですね」 「え?」 「洗濯機が回るのを見ていると、なんだか心が落ち着くんです。悩み事とか、どうでもよくなっちゃうみたいで」


 エレナが呟く。  少女は少し考えてから、コクンと頷いた。


「……うん。わかる、かも」


 種族も、立場も違う二人。  でも、この店の中では、ただの「対価を払って洗濯を待つ客」だ。  石鹸の香りと、規則的な水音。  その穏やかな空間が、二人の間の壁を溶かしていく。


「お待ちどおさま」


 やがて、ソウイチが仕上がった服を持ってきた。  少女のローブは新品のように黒々とした艶を取り戻し、嫌な臭いは完全に消えている。  エレナの法衣は、シミ一つない純白に輝き、ふっくらとプレスされている。


「わぁ……! 凄い! 新品みたい!」 「私のローブも……いい匂いがする……」


 二人の少女が、それぞれの服に顔を埋める。  太陽の匂い。清潔の匂い。


「ありがとうございます、店主様! これで式典に間に合います!」 「ありがとう、おじさん。……また来ても、いい?」


「ああ。いつでもおいで。ここは24時間、誰でも歓迎だ」


 ソウイチが微笑むと、二人は顔を見合わせて笑った。  店を出る時、エレナが少女にこっそり耳打ちした。


「ねえ、今度あの美味しいホットドッグのお店、教えてあげるわ。……奢るわよ?」 「……うん。楽しみにしてる」


 ウィィィン……。  自動ドアが閉まり、二人の背中が人混みへ消えていく。  ソウイチは満足げに一つ頷くと、レジの中の売上を整理した。


 銅貨も、銀貨も、金貨も。  稼いだ金は、どれも同じ重さだ。


 と、その時。  店の空気が一変した。  入り口に立った人物が放つ、桁違いの威圧感によって。


 カランコロン。


 現れたのは、漆黒のマントを羽織り、二本の巨大な角を生やした男。  その顔には、深い傷跡が刻まれている。


「……ここか。噂の洗濯屋というのは」


 男の声は重く、地の底から響くようだった。  魔王軍の幹部――いや、魔王その人が、一人でふらりと来店したのだ。


【第三章:魔王の古傷】

 店内の空気が凍りついたようだった。  魔王の全身から放たれる覇気が、ガラス窓をビリビリと震わせている。  だが、ソウイチは動じない。  カウンターの中から、静かに声をかけた。


「いらっしゃいませ。……お洗濯ですか?」


 魔王は鋭い眼光でソウイチを見据え、ゆっくりと頷いた。  彼は羽織っていた漆黒のマントを外し、カウンターに置いた。  ズシリ、と重い音がする。  そのマントは、無数の切り傷と、赤黒く変色した古い血の跡で汚れていた。


「この汚れ……落ちるか?」


 魔王が問う。  ソウイチはマントを広げ、汚れを目利きした。  ただの血ではない。高位の魔力と、呪いにも似た執念がこびりついている。


「……これは、勇者の血ですね」 「ほう。分かるか」


 魔王が口角を吊り上げた。


「10年前、余と戦った先代勇者の血だ。奴は余の顔に傷を残し、余は奴の命を奪った。……このマントには、その時の因縁が染み付いている」


 魔王は懐かしむように、しかし何処か疲れたように語った。


「余は明日、新たな勇者と決着をつける。……その前に、この古臭い因縁を洗い流しておきたいのだ。だが、どの魔法使いも『魔王の呪い』だと言って恐れ、手を出そうとしない」


 魔王は懐から、見たこともないような巨大な『黒金貨』を取り出した。  一枚で城が買えるほどの価値がある、魔界の最高通貨だ。


「金なら払う。……どうだ、洗えるか?」


 ソウイチは黒金貨を一瞥し、そして首を横に振った。


「お客さん。うちは『アライグマ』だ。通貨は王国銀貨か金貨でお願いしてる」 「……何?」 「両替してきてくれとは言わん。今回は、正規料金の銀貨10枚でいい。……その代わり」


 ソウイチはニヤリと笑った。


「プロの仕事をさせてもらう」


 魔王は虚を突かれた顔をし、やがて腹の底から笑い出した。


「クックック……! 良いだろう。銀貨10枚か。安いもんだ」


 魔王はジャラジャラと銀貨を出し、支払いを済ませた。  契約成立だ。


 ソウイチはマントを作業台に運んだ。  これは機械では洗えない。全て手作業だ。  彼は棚の奥から、最強の溶剤『竜の涙(配合)』を取り出した。


「勇者の血も、魔王の執念も、所詮はタンパク質と油だ」


 ブラシを握る。  一心不乱に、汚れと向き合う。  10年間の重みを、繊維の一本一本から解きほぐしていく。  トントン、トントン。  静かな店内に、汚れを叩き出す音だけが響く。


 魔王はソファに座り、その様子をじっと眺めていた。  洗濯機が回る音。蒸気の音。  戦いの中に生きてきた彼にとって、この無防備で平和な時間は、何よりも得難いものだったのかもしれない。


「……できたぞ」


 一時間後。  ソウイチが差し出したマントは、闇夜のように深く、美しい漆黒を取り戻していた。  血の臭いも、因縁の重さも、そこにはない。  あるのは、清潔な仕上がりと、これから始まる戦いへの「晴れ着」としての輝きだけだ。


「……見事だ」


 魔王はマントを受け取り、ふわりと羽織った。  その瞬間、彼の纏う空気が変わった。  過去を引きずった亡霊のような気配が消え、王としての威厳に満ちた覇気が戻る。


「軽くなった。……これで、心置きなく決着をつけられる」


 魔王は満足げに頷き、出口へと向かった。  自動ドアが開く。  外は夕暮れ。茜色の空が、魔王の背中を照らす。


「店主。貴様の名は?」 「ソウイチだ」 「ソウイチか。……良い腕だった。生きていたら、また来る」


 魔王はマントを翻し、去っていった。  ソウイチは「まいど」と短く答え、カウンターに戻った。


 カランコロン。  店にいつもの静寂が戻る。  レジの中には、戦士の銀貨、少女の銅貨、聖女の金貨、そして魔王の銀貨が、区別なく混ざり合っている。


「さて、と」


 ソウイチは伸びをして、読みかけの雑誌を開いた。  ここはダンジョン都市のクリーニング屋。  明日はどんな「汚れ」が持ち込まれるのか。    洗濯機は、今日も変わらず回り続ける。


(完)

最後までお読みいただきありがとうございます!


「ほっこりした」 「プロの仕事ってかっこいい」


と少しでも思っていただけましたら、 【ブックマーク】や【評価(★)】をいただけると嬉しいです。 励みになります!

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