赦しというけれど
ざく、ざく。土を耕す。本で学んだ通りに鍬で土を起こし、柔らかくなったその場所に種を植える。汗が地面に吸い込まれ、目が痛くなる。つるつるとしていた手は荒れ、爪もボロボロになった。それでも弱音は吐かない。吐いてはいけない。
からから。井戸から水を汲む。桶に入った水は重いのだとここに来て初めて知った。ここの水は汲んですぐ使えるぐらい綺麗な水だと、恵まれた土地だと汲み方を教えてくれた村の翁は笑っていた。
耕したところに水を撒く。芽が出た場所に水を撒く。魔術を使って水やりをすると変質してとんでもないものになるので手作業で行う。何も知らなかったのだと毎日思い知らされる。
「おぉい、リックー!」
「トム殿、何か御用か?」
「相変わらず硬い喋りだな!さっきでっかい鹿が2頭も仕留められてよ、今夜は宴になるからお前も来い!」
くすんだ焦茶の髪に無精髭の男、トムは私の肩をバンバンと叩くとそのまま自分の畑へと戻ってしまう。……自分のような、愚かな人間が行ってもいいのだろうか。
私の名前はリック。ただのリック。かつて王太子として愚かな真似をした男。自分勝手な正義で突き進み、自分の首を絞めた愚か者。それが私だ。
本当なら断種の上に除籍でもおかしくないことをした。父である国王は黙って首を振りそうしようとしたが、王妃であった母がせめて一人で暮らせるようにと手を差し伸べてくれて今ここにいる。どこまでも甘い、守られて生きている。……ここに来てから、生きていていいのだろうかとずっと考えている。外の水桶に水を入れ、少し掬って自分の手についた泥を洗い落とし、洗浄のための呪文を唱える。魔力の大半は封じられているが、生活に関するものは使えるのは父の温情だろう。
家に入り、神に祈る。毎日欠かさずに祈ることでまた自分と向き直る。
「先ほど、トム殿に宴に誘われました。……悩んでおります。守るべき民を自分の都合で歪めようとした己が、楽しんで良いのでしょうか」
宴には、参加してみたい。パーティーのような煌びやかでたくさんの人間が化かし合い、騙し合うようなものではないのだろうと思う。けれども自分の中にある罪の意識がいつもギチギチと首を絞める。
──苦しめた分、自分も苦しまなければいけない。
ああそうだ。そうでなければならない。トム殿には申し訳ないが断りに行こう。そう決めて立ち上がった時。
『いいんじゃないか?反省も後悔もしてんだから酌量の余地がある』
振り向けば、簡易祭壇が淡く光っていた。どこから男の声がした、と辺りを見回してもこの家の中には自分以外誰もいない。祭壇に刻まれた、盾と天秤の紋様が光っていた。
「……さ、裁きの、天秤様で、らっしゃいますか……?」
『おお、声届いてるのか。うんうん、我こそが裁きの天秤の片方、赦である。罰でなくすまないな?』
……軽い。声が圧倒的に軽い。いや、声自体は低く安定感がある。けれども何というべきか、不敬のような気はするが、気楽に友に話しかけるようなそんな軽さで話しかけられている。
『軽くもなるに決まっているだろう。お前はよく自分で考え、自分を罰し、己が罪について四六時中考えている。罰とて「考えすぎ」だというぐらい罪の意識がちゃんとある』
考えが読まれている。嫌な汗が背中を伝って行く。考えろ、考えろ。どうすればいい?
『だから、考えすぎだと言ってるだろう』
「いっ!」
パン、と衝撃が私の額を襲った。痛い、すごく痛い。初めて鍬を握った時よりも痛い。思わずしゃがみ込んで紋様を見上げる。光の点滅しかないのに、なんとなく呆れられているような気がした。
『あのなー、我が話しかけるとか貴重な人材だぞ。そうそうないぞ。これもお前がちゃんと罪の意識を持って懺悔し、日々の行いを持って赦されてるから話しかけられてるんだぞ?分かってるか?』
「……は、はい。わかりました、が……それでも、自分が許されていいなどとは思いません」
彼女は前向きに今も暮らしているはず。だったら自分はそれを害したものとして罪を償い続けなくてはいけない。それがどんなに険しい道だとしても、やらなければならない。
『ならないならないってうるさいな。気の詰め方を覚えたのならちゃんと抜くことも覚えろ』
「っつぅ!」
2回目の衝撃。神というのはこんなに気安く、容赦ない方だったのかと自分の中の常識が揺らぐ。床の上に転がって痛みを耐えていると、長いため息が耳に入ってきた。
『とにかく、お前の罪は今を持って我が赦そう。そして、お前の頑張りを評して友を遣わしてやる。……負の方向ばかりでなく、未来に向けて考えろ。あと宴は出ろ、以上!』
光が消える。あまりにも一方的な言葉にしばらく呆然として、立ち上がる。……本当にいいのか、と考える。でも神に言われてしまった。免罪符としてそう言われたのだろうか。ぐるぐると考えて、考えて。
……結局、出てみることにした。
◼︎
宴では、歓迎された。若い男たちからは今度狩りを教えてやると酒を飲まされ、女たちからはいつも頑張ってるねとしこたま肉を食べさせられた。最初に手を引いてくれた翁はただ微笑んで見守っていた。
その日からたくさんの変化があった。真っ白の、子犬にしては太い前足を持った犬を拾った。ユキと名付けた子犬は今日も元気に泥だらけになり、良い感じの枝を見せつけてくる。男たちが農作業を手伝ってくれるようになった。狩りを教わり、弓の扱い方を覚えて小さい鹿なら仕留められるようになった。
女たちが時折食事に誘ってくれるようになった。細っこくて心配だといつも皿にたくさん盛られ、応えるようにたくさん食べた。温かい食事がこんなにも嬉しいものだと思わなかったと喜びのまま伝えれば、あれもこれも食べろとたくさん貰った。できる限り力になろうと、力仕事にも志願した。
「王子様」に相応しい体躯ではなくなった。普通に暮らす民たちの中に混ざって街にも出た。誰も私に注目せず、日々を生きている。……街で、彼女を見た。明るく笑っていた。自分がどれだけ独りよがりだったのかを実感した。けれど、前のように自分の首を絞める感覚はしなかった。忘れ去られることも罰なのだと、そう実感した。
父が、訪ねてきた。威厳あふれる姿ではなく、街に暮らす普通の人の服を着ていた。私を見て、驚いたように目を見開いて。幼い頃に聴いたような声色で問われた。
「王宮に、戻りたいか?」
黙って首を振る。このまま忘れ去られた方がお互いに良いのだと思える。すっかり体が大きくなったユキは私の足を踏みながらも決して離れようとしない。遠巻きに村の皆が心配そうに見ているのがわかった。
「裁きの天秤様は、赦されたと言いましたが私は今でもあの時の自分を赦すことができません。だから、このままこの場所で一生を神に捧げます。……親不孝な息子で申し訳ありません、父上」
頭を下げてそういえば、ぽんと優しく手が頭に乗った。父に撫でられるのはいつぶりだろうか。懐かしさに涙が出そうになったが、耐えた。
「わかった」
それだけを言って、父は王宮へと帰って行った。馬車に向かって手を振りながらも後悔はない。……やっと、心の中で降っていた雨が、止んだ気がした。
その後、森の中で綺麗な花を見つけた。ユキがはしゃいで何本も咥えて持ってくるので、村の皆に配って歩いた。残った3本を皆に教えてもらったやり方で栞にする。祭壇に置いて祈ればいつの間にか消えていたが、奉納品として貰われて行ったのだろうと特に気にしないでいた。ユキだけは褒めて欲しそうな顔をしていたので、そのふわふわの毛並みをぐちゃぐちゃにするように乱暴に撫でた。
◼︎
「奉納品だと思ってるだろうな、あいつ」
くるくると指先で栞をいじる。確かに奉納品として全て受け取った。けれども受け取った後のことは考えなかったらしい。
「まあ俺は優しくないからな。一つ目はお前の母に、二つ目はお前が罪を学んだ相手に、……三つ目は、かつてお前が愛した相手に」
風が栞を運んでいく。届けられたそれを見た一人は静かに涙し、二人は顔を見合わせて笑った。それを見てひとり頷く。
「解放されない方が赦しの奴とは久方ぶりに会ったな」
ひょろひょろで懺悔をしていた頃とは大違いだ。伸びをして、また別の懺悔を聞き始める。彼とは大違いの他責の言葉に苦笑する。この世界は、ちゃんと罪を認める奴の方が少ないのだ。
「うん。やっぱりちゃんと償うやつには、それなりの酌量があるべきだな」
盾と天秤の紋様を持った神はゆっくりと目を伏せた。
"元"王子→真面目すぎたところがある。毎日ユキに振り回されている。
村人→ひょろっちいので心配していた。いい顔をするようになって安心している。善人ばっか。
父・母→負い目が双方にある。民が幸せにいられるように方向を変えた。
ユキ→でっかいもふもふ。生涯の友として一緒にいる。神獣だが誰にも気づかれていない。
二人→今日も二人で笑っている。
裁きの天秤の"赦"→ちゃんと神様。このままだと自滅するのが見えてしまったのでちょっかいを掛けた。人間おもれ〜




