第6話 シモンズの懺悔。
もう、私を求めるな。
最後にそう言うと、彼は差し込む陽の光に顔を向けて、顎を上げた。
私など見てはいない。最初から。
ここでこうして、私が泣いていることすら、彼の求めているものではない。
若い頃、人を引き付けた美しい金髪は銀色に変わり、肩に流れている。
老いてもなお整った横顔は、彼を聖人と呼ぶにふさわしいものに見えた。
陽の光が作る陰影の中で、彼は誰かに向かって微笑んでいた。
変わらずに…美しい。
神学校に入校してきた大公家の次男坊は、その地位の高さと美貌で話題になった。
透き通った白い肌に、煌めく金髪。秋の空のように高く澄み切った青の瞳。
私は戦争孤児だった。生きるため、空腹を少しでも満たすためだけに生きてきた。
教会に拾われて、下働きになった。神父は幼かった私を膝にのせてパンを食べさせてくれた。充分だった。たとえその男が私のズボンに手を入れて弄りながらでも。
生き延びるために勉強した。その神父の力添えもあって、見習いになり、神学校に進んだ。私をもてあそぶ相手が、小さい教会の神父から、教区の司教に変わっただけだが。
そんな中、彼が私の前に現れたのだ。
私は、そのお坊ちゃまのお世話係になったのだ。大公家からかなりの寄付金がよせられたらしい。
「よろしくね、エトガル。僕はアルフォンス。」
そう言って手を伸ばした彼。私の中で特別なものになった瞬間だ。
こんなに透明で美しい人がいたんだ。驚きと、一目ぼれに近い慕情。
私は黒髪に黒い瞳。アルフォンスと並んで歩くと、光を放つための暗闇の様だった。
私は教会内の薄汚れた欲から彼を守ろうと努力し、尽くした。
脂ぎった薄汚い男に敷かれても、彼を狙う大人たちを組み敷いても、僕にはアルフォンスの清らかな笑顔があった。それだけで耐えられた。いや、本当は違う、いつもいつもこれがアルフォンスであるという妄想の中でやっていた。
寄宿舎の部屋の隣のベッドで眠る彼を、私の魂はどんなに求めただろう。
ああ、瓶にでも詰めて、自分だけのものにして眺めていたい。
手を伸ばして彼を求めるには、私は汚いドブネズミの様だった。
アルフォンスは上司の妬みや嫉み、自分の思うようにならなかった当てつけから、戦争の前線に近い、東区の小さい教会に派遣された。私が拾われた教会だ。こればかりは私の力では止められなかった。
彼はそこで、私財をすべてつぎ込んで、診療所と簡易宿泊所を作った。この頃、戦火から逃れてきた者の中に自分の乳母をみつけて、引き取って一緒に暮らしているらしいと噂に聞いた。
私は神学校に残り、その教員を目指す課程に進んだ。日曜ごとにミサには出た。
アルフォンス、いや、パウエル神父の話は度々聞いた。
常に戦時下の地区で、けが人を救い、人々を慰めている、と。
何度か所属教区の変更の打診も受けたようだが、彼は動かなかった。教会としては都合が良かったのだろう、誰もそんな教会に行きたいと手を上げる者もいなかったので。
10年たったあたりで、驚くべき噂を耳にする。
長く長く続くこの戦争をやめさせるのだと、彼が立ち上がったと。中央区はその噂で持ちきりだった。古い友人である私に情報収集の任が命じられ、私はもう二度と戻りたくなかった東区の教会に向かった。
その寒村は歓喜に満ちていた。
戦争は終わったのだと、人々が口にしていた。終わった?
戸板に載せられて運ばれてきたパウエル神父に駆け寄る。
「ああ、シモンズ神父。僕は…死ななかったのか。」
彼の涙は安堵の涙なのかと思ったのだ。
前線に赴いた白い司祭服は血にまみれ汚れていた。
驚くべき速さで、隣国の大司教と当国の大司教の会談が執り行われ、神の名において終戦が宣言された。
パウエル神父は聖人ともてはやされ、中央区に戻るように告げられるが、あの東区の教会にとどまり、民と一緒に復興作業を続けた。
当然のように支持者から金が集まり、何百、何千という人たちが、彼のもとに集まった。教会は知らぬ素振りも出来ず、すっかり復興した後、パウエル神父を中央区の司教として呼び寄せた。
それから彼は、あっという間に大司教まで上り詰めた。
ある大ミサの後、中央教会の廊下で彼とすれ違った。
「シモンズ神父は教鞭を取っているのでしょう?」
「はい。」
「あなたは本当に、神を信じているのですか?」
静かな湖面に石を投げられた波紋の軌跡。