表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三題噺  作者: 銅座 陽助
6/19

老婆

 あれは小学生の頃でしたか。当時住んでいたのは、ここみたいな都会とは比べるべくも無い田舎でして。えぇ、■■県の■■■村というところです。すぐに平成の大合併とかいって、今はもうその名前は無くなってしまったのですが、まぁ私が通っていた頃ですから。と言っても当時の時点で若い人も少なくて、クラスメイトの数も両手に収まるくらいの人数でした。そんな少人数ですからみんな仲も良くて、遊び相手もその人たちくらいしか居ませんでしたからね、昼休みも一緒に遊んだり、放課後は一緒に帰ったりしていました。時代もありますが、田舎っていうのは本当に娯楽が無くてですね。ちょっと変わったことがあると、あっという間にみんなに広まるんです。ましてや好奇心旺盛な小学生ですから、いろんなことに向う見ずに首をつっこんでいきたがるんですね。

 夏の日でした。もうそろそろ夏休みということで、みんな授業もまじめに聞かないで、どこへ行こうか、何をしようかなんて隙あらば話し合っていたと思います。放課後になって、家の手伝いがある子は先に走って帰ってしまいますから、残った数人で今日は何して遊ぼうかとおしゃべりしながら下駄箱を出たんです。校門の前に、一人のおばあさんが居ました。さっきも言った通りその小学校があったのは人も少ない田舎ですから、村全体が顔見知りみたいなものなんです。でも、その老婆を私は見たことがありませんでした。誰かの親戚が来ているのかなと思って周りの友人に聞いてみても、誰も知らないと言うんです。みんな初めて見る人だと。そうやって誰なんだろう、何をしているんだろうと話し合っているうちに、その老婆は居なくなっていました。なんだか不気味で、黙り込んでいると、どうもみんな同じ思いだったようで、さっきまでのテンションはどこに行ったのか、お通夜みたいな空気になりました。遊ぶ予定の話も立ち消えになってしまって、その日はまっすぐ家に帰りました。

 家に帰って、なにやらやけに落ち込んだ様子の私に対して、母は一瞥しただけで夕食の準備を続けました。私は自分の部屋に行って、自分の部屋と言っても私には兄が居ましたから、その兄と同じ部屋なのですが、兄にただいまを言うと、ちょうどパソコンでなにやら作業をしていたようで、生返事だけが帰ってきました。兄は当時まだ珍しいパソコンを親にねだって、自分の小遣いやお年玉の大半と引き換えに手に入れたばかりでしたから、夢中になるのも仕方のないことです。私は畳んである布団に突っ伏して、しばらくキーボードのカチャカチャという音と、扇風機のうなる音だけが部屋に響いていました。少しして、兄が何かあったのかと、画面に目を向けたまま話しかけてきました。私は今日学校であったことを全部話したと思います。朝眠かったこと。小テストの点が良かったこと。夏休みに友人と川に遊びに行くこと。そして放課後に見た、あの奇妙な老婆のこと。その話が終わって、私はまた黙りこくります。いつの間にか、キーボードを叩く音が止んでいることに気が付きました。布団から顔を上げると、兄が真剣な顔でこちらを見ています。いえ、よく見ると私ではありません。私の背後を見ています。私が突っ伏している布団の上のところにはちょうど窓があって、傾いた西日が差しこんで来ていました。私の上に覆いかぶさっているその光に、ちょうど人の形ぶんの影が落ちていることに気が付いたとき、全身からぶわっと嫌な汗が噴き出して、全身の毛が逆立つのを感じました。依然として兄は目を見開いて、私の背後を見ています。振り返ってはいけないような気がしつつも、私がこの背後にいるなにかを確認しないことには、ずっと今の気持ち悪さが続くような気がして。いえ、正直に言いましょう。私の中には多大な恐怖と同時に、どうしても抑えきれない好奇心がむくむくと起き上がって。怖いもの見たさと言いましょうか、無性に背後が気になってしまって、その好奇心に負けて。首を軋ませながら、私は恐る恐るその目線の先を伺いました。

 窓の向こうに居たのは、やはり、あの老婆でした。笑っていたのだと思います。皺だらけの、日に焼けた顔に、裂けそうなほどの笑みを貼り付けて、窓の向こう側に立っていました。三日月のように細められた眼窩の奥に、濁った瞳孔が鈍く照っていて。骨ばった手には鎌のような、鉈のような、錆びついた道具を握っていて。そうして、私を見て笑うのです。あけて、あけてと、ガラス窓を引っ搔いて、招き入れることを請うているのです。そう言われた私は、絶対にあの窓を開けてはいけないと思いました。あれを招き入れたら、絶対に良くないことが起こる、絶対にあれを中に入れてはいけない。しかしそう思っているはずなのに、恐怖に打ちのめされて動けないはずの身体は、ゆっくりと、震えながら、クレセント錠を下ろそうと手を伸ばし始めます。先程私を振り返らせた、あの好奇心によるものでは断じてありません。もっと別のもの、私の意思とはまるで異なる別のものが、私の腕を操っているように、私の手は私の頭のいうことを聞かないで伸びていきます。そうして手が窓に近づくほどに、老婆は笑うのです。あけて、あけてと、けたたましい声を上げて、窓ガラスを狂ったように叩いて老婆は笑うのです。そうして私の人差し指が鍵の上部に掛かる寸前、不意に私の肩が掴まれ、強い力で後ろ向きに引っ張られました。兄でした。のけぞって転んだ私を抱きかかえながら、兄は老婆を見ていました。夏場でしたが、暑さが気にならないほどに、互いの身体は冷めきっていました。老婆はそうしている私たちを見るとぴたりと動きを止め、窓の前から居なくなりました。暗くなりつつある外にあの老婆が居ないのをガラス越しに確認して、急いでカーテンを閉めました。窓を開ける気にはなりませんでした。

 次の日学校に行くと、昨日下駄箱に居たクラスメイトが集まってひそひそと話し込んでいました。話を聞くと、彼らも私と同じような体験をしたとのことでした。私の場合は兄でしたが、居間で見たという友人は親がなにしてるんだと止めてくれたそうで、自室に居た友人でも、ちょうど親が夕食が出来たと呼びに来たために正気に戻ったということでした。しかしどの場合もいつの間にか居なくなっていたらしく、不思議なことに、みんながその老婆を見たという時間は、私が兄と老婆を見た時間とほとんど同じでした。

 朝礼が始まって、先生が出欠を取り始めます。一人、来ていない友人が居ました。あの時、下駄箱に居たうちの一人です。私は嫌な予感がしました。

 出欠を取り終えた先生が、まじめな顔をして私たちの方を見ます。彼は昨日の夕方から行方が分からなくなっていて、親が気付いた時には、部屋の窓が開け放たれていたそうです。


校門の前、キーボード、請われる

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ