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三題噺  作者: 銅座 陽助
18/19

三面鏡

 うちの曽祖父が住んでいる家には、鏡台が一つあった。

 私よりも背が高くて、ずいぶんと古めかしいその三面鏡は、曽祖父の家の廊下の突き当りに、日に当たらないようにして置かれている。

 曽祖父に以前、どうしてこんなものが置いてあるのかと聞いてみたら、どうにも亡くなった曾祖母が嫁入り道具に持ってきたものらしく、彼女の形見だということで今も定期的に手入れしているのだそうだ。


 そんな曽祖父も先日亡くなって、遺品整理をすることになった。彼の家があったのは■■県の■■市の山奥の、以前は■■■村と呼ばれていたところだった。私がこの村に居たのは本当に幼い頃の一時期だけだったから、村の風景はほとんど覚えていなかったのだけれど、十数年ぶりに訪れたこの村は「限界集落」としか言いようのない有様だった。田んぼなんかはほとんど整備されていなくて草が生え放題になっているし、道を歩いている人もほとんどいなくて、たまに見かけても腰の折れたおばあさんが、草刈りをしに農具を担いでいるところくらいだった。

 砂利道をしばらく歩いて、ようやく曽祖父の家に辿り着いた。スマホを見るとちょうどお昼を回ったころで、カナカナと鳴く蝉の声があたりいっぱいに聞こえていて、私は幼少期の頃の記憶を少しずつ思い出していた。

 ――私が鏡に触ろうとしたとき、曽祖父は慌てて止めていて。その時はなんて意地悪をするんだなんて思っていたけれど、今思えば古くなった鏡台の、錆びついた蝶番なんかが外れてしまって、私が下敷きになったら大変なことになってしまうだろう。曽祖父の、年柄にもなく焦った顔が思い出されて、あれで数年は寿命を減らしてしまったのかもしれないと、少し申し訳ないような気持ちになった。

 木製の扉に鍵を差し込んで、がたつくそれを力いっぱい横に動かすと、家の中からはむんとした、腐ったような、噎せるような、何とも言えない臭気が溢れ出てきた。村そのものが死に向かうような有様で、そのうえ夏場に亡くなったものだから、彼が見つけられたときは凄惨な有様だったらしい。遺体はとっくに片付けられているけれども、壁や畳を通じて家じゅうに染み付いたその臭いは、きっともう取れることは無いのだと思う。私は少し顔を顰めて、汗を拭うのに使っていたハンカチで口と鼻を覆って、曽祖父の家の敷居を跨いだ。

 家の奥に行くにつれて、臭気は濃く、重苦しくなっていく。彼の部屋に着くまでに、目に付いた窓は片っ端から全開にしていくのだけれども、山村特有の温度の低い、それでいてじっとりと湿った空気がのそりと染み出してくるばかりで、清々しい風は一向に入ってこない。蝉のうるさく鳴く声がどんどん大きくなっていって、この振動が風なら良かったのにと、そんなどうしようもないことを考えていた。

 彼の部屋の前に来て、いよいよここからが正念場だと思ったとき、私は視界の隅の方にちらりと動く影を見た。そちらの方にはあの三面鏡が、かつてと全く同じように立っていて。


 その扉が、ほんの少し、開いていた。


 手入れをする人が居なくなったから、いよいよガタが来たのだろうか。先程の影は、どうもあの隙間に反射した私自身の姿だったらしい。どうにも気になって、私はふらふらと鏡台の方に近づいて行った。近づくにつれて、どうにもあの嫌な臭いが強くなっていくように思えた。

鏡台の前に立って、私はそれをじっと見た。以前見た時も古めかしかったが、今はあちこちに埃をかぶって、高級そうだった木材の表面も、見るも無残にがさがさになっている。曽祖父が亡くなってからそんなには時間が経っていないはずだから、きっと曽祖父は亡くなるより随分前から、鏡台の手入れもできなくなるくらいに弱ってしまっていたのだろうと思った。

 私は半開きになった三面鏡を閉めようとして、ふとそこに映るものに気が付いた。

観音開きの真ん中にある鏡は、手前に居る私と、鏡台の正面にある廊下を細く映していて。

その廊下の、私が開けてきた窓のところから。

日に焼けた色の顔をした老婆が、手ぬぐいを頭に巻いた老爺が、くしゃくしゃになった顔色の老人のような何かが、何人も何人も、こちらの方を覗き込んでいた。

みな一様に、引き裂けそうな笑みを顔いっぱいに貼り付けて。

とてもうれしそうな顔をして、私を見ていた。


鏡台の前、スマホ、覗く

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