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三題噺  作者: 銅座 陽助
17/19

あけて

 私の両親は共働きだったので、私がまだ幼かったころは、夏休みになると祖母の家に預けられて、始業式までのほとんどの日をそこで過ごしていた。地域としてはここよりずっと南の方にある集落だったけれど、山あいにある場所だったのと、当時は今ほどに暑い日も少なかったこともあって、避暑にはちょうどいい場所だった。祖母もこういった夏か、あとは正月くらいしか会えないからと言って私を歓迎してくれていて、都会に比べて遊びも少ないでしょうと言って、私がなにかしようと言えばすぐにそれに付き合ってくれたし、祖母の方からも将棋や花札なんかの遊び方をイチから教えてくれた。

 田舎のほうには街灯も少ないわけで、夕方にはすぐに日が山の陰に隠れてしまうから、こちらの方に居る間は勝手に早寝早起きが習慣になっていた。朝の日が昇るころに起きると、空気も澄んでいて、背の高い草に付いた露の匂いが立ち込めて、じめっとした涼しさが辺りを包んで、大層心地が良かった。だんだんと日が昇ってきて、山と山との間から顔を出すころには、村のみんなはほとんど起きていて、あちこちから朝飯を作る匂いと煙が立ち昇ってくる。やんやという声と、食器や扉なんかが当たる音が山に跳ね返って、村中がにわかに活気だったようになって、それで起きるのが遅い人たちも起き始める。私は祖母が朝食を作り終えるまでの間に顔を洗ったり歯磨きをしたりして、芋汁や麦飯の朝食を食べて、それが終わったら涼しいうちに宿題を始めていた。朝日の注ぐ――そうはいってももうだいぶ日は高いところにあるが――窓辺が私の特等席で、そこからは家の裏の畑と、遠くの方にある用水路、それと山のほうにある神社へ続く参道の、その入り口になっている鳥居が見えた。ちょうどその山の方から日が昇るわけだから、鳥居の方は逆光になって暗く陰るのだけれど、それがむしろ格好良く見えていた。

 その日はもうそろそろ夏休みの終わりが近いというような、八月も半ばを過ぎたような時期で、私はまだ少し残った宿題を片付けようと、夕方も机に向かっていた。朝とは違って陰になるわけだから、そんな薄暗い場所で宿題をやるのはあまり良くないのだけれど、私の中で、宿題をする場所と言えばこの窓辺だというのが決まり切っていたから、すこしもったいないけれど、部屋の電灯を点けて机に向かっていた。

 一区切りついて、伸びをするとちょうど夕日が沈むところだったようで、正面の山に光が反射して黄金色に輝いていた。夕方にこの場所に居ることはあまりなかったから、その光景はとても新鮮で、子供心に美しいように思えて、その感情を祖母に伝えようとしたのだけれど、私の眼はその窓から外れなかった。家の裏の畑の向こう、遠くの方にある用水路を超えた、山のほうにある神社へ続く参道の、口を開けた朱色の鳥居。その鳥居の中にむかって、たくさんの人影が一列になって入っていく様子が見えた。みな一様に下を向いて、黙々と階段を上っていく。カナカナという蝉の声がいやにうるさい。もっとよく見ようと窓に近づいて、目を凝らす。その列の中に、見覚えのある姿があるのに気が付いた。

 祖母が、あの列に並んでいる。この時間の祖母は夕食を作るために台所に立っているはずなのに、列には祖母が並んでいる。蝉の声がやけに大きく聞こえる。全身から嫌な汗がどばっと出て、これは良くないと思った。蝉の声がうるさく鳴り響いている。台所の方を見ようとしたけれど、身体はぴくりとも動かない。列から目が離せない。台所から音が聞こえない。蝉の声がうるさい。

 そうしているうちに、列が止まって、蝉がうるさく鳴いていて。伏していた顔がゆっくりと持ち上がって、蝉がうるさく鳴いていて。コマ送りの映画のように、首がゆっくりと回っていって、蝉の声がうるさくて。

 「夕飯できたわよ」と、後ろから祖母の声が聞こえた。はっとした私は、顔色が悪いが大丈夫がと聞いてくる祖母に、なんでもない、大丈夫だと返して、その日は急いで夕飯をかき込んで、すぐに寝た。

 翌日、宿題をしようと机に向かう。窓の外に一匹の蝉が堕ちて、死んでいた。

 祖母と会ったのは、その夏が最後だ。



朝日の注ぐ窓辺、花札、堕ちる

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