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三題噺  作者: 銅座 陽助
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霊感テスト

 私にとって自室というのは安全地帯だった。家族からも誰からも余計な干渉をされることのない、外界から隔絶された私だけの領域。いやなことがあればそれが過ぎ去るまで耐えることの出来る、私だけの世界。もちろん、本当の意味でシェルターだった意味ではなくて、ドアに鍵なんて無かったし、締め切ったカーテンの隙間からは月明かりが漏れていたけれど。もっと本質的な、本当の意味で心を休めることが出来る場所。無防備に心を開くことが出来て、安心して寝ることが出来る場所。それが私にとっての自室というものだった。

 だった、と過去形なのは、つまりそれが過去の話で、今はそうではないということだ。

 私は安全地帯を失ってしまったし、たぶんもうこの世界には、私にとっての安全地帯というものは存在しない。そして、そうなってしまった原因はきっと私自身のせいで、疑いようもなく、私自身の好奇心と不注意が招いたことなのだろう。


 霊感テスト、というものがある。目を閉じて、自宅の玄関に立っている自分を思い浮かべる。そのまま家じゅうの窓を開けて回って、終わったら玄関に戻って今度は閉めていく。すべて終わったら、玄関に戻って目を開ける。それまでの間に何かに出会ったり、そうでなくても何かの気配を感じれば、その人には霊感がある、というものだ。

 夕飯を食べ終わって、ベッドの上でダラダラしながらスマホを見ていた時に、私はこの霊感テストのやり方を知った。そのときちょうど暇を持て余していた私は、興味本位で試してみようと思ったのだ。

 まずは目を閉じる。そうして、私の家の玄関を思い浮かべる。履き潰した靴のくぐもった臭いと、靴箱の芳香剤の甘ったるい匂いを想像する。いつの間にか履いていた靴を脱いで、上がり框を登って玄関マットを踏みしめる。家の中には誰も居ない。私は先ず居間に行って、庭に繋がる掃き出し窓を開けた。蒸すような土のにおいが入ってきて、踏み固められた土で出来た庭と、隅の方にある母の家庭菜園が見えて、そこにはまだ青いトマトが生っている。外との仕切りのブロック塀の手前には、いつから植わっているのかわからない無花果の木が生えていて、これもまだ青いものがぽつりぽつりと生っている。

 そうやって一階の窓という窓をすべて開け切って、私はようやく階段を上った。二階にあるのは物置と、親の寝室と、私の部屋である。順番に部屋に入って、窓を開けていって、ついに私の部屋の順番になった。良く考えてみれば私は今、自分の部屋でこれをしているわけで、そういう場合はどうなるのだろうか。深く考えても仕方がないので、私は自分の部屋の扉を開いた。

 部屋の中は見慣れた様子で、趣味の本やゲーム機、普段使いのバッグなんかがそのあたりに置かれている。私は恐る恐るベッドの方を見る。やはりというべきか、そこには横たわって目を閉じている私が居た。このテストは「夢の中で何かに出会ったら、自分には霊感がある」というものだったのだけれど、こうして自分自身に夢の中で出会った場合も、霊感があると言って良いのだろうか。そんなことを思いながら、私は部屋のカーテンを開けて、窓を開く。もうすっかり日が落ちてしまって、外は暗くなっている。月明かりに照らされて、眼下には先程確認した庭の様子がぼんやりと浮かび上がっていた。私はもう一度、ベッドに横たわる私を確認して、私の部屋を出た。忘れないように廊下の突き当りにある窓も開けて、私は階段を下りる。玄関に戻れば、今度は窓という窓を閉めていかなくてはならない。階段の一番下の段に足を下ろしたとき、頬を一陣の生ぬるい風が撫でていった。

 玄関に戻って、手順の通りなら、今度は順番に窓を閉めていく。もう一度居間から順番に、開けた窓を閉める。沈んだ太陽の残滓がまだ残っていて、まだ窓枠が暖かく感じる。居間からキッチン、トイレから浴室に至るまですべての窓を閉めて、再び階段を上って、二階での作業に取り掛かる。今のところ、それらしきものは見ていないし、感じてもいない。いいや、自分自身には会ったかと、適当なことを考えながら親の寝室の窓を閉める。そうして自分の部屋に取り掛かろうとしたとき、違和感に気付いた。

 扉を閉めただろうか。

 目の前には私の部屋があって、その扉は閉まっている。鍵なんかは無いわけだから、簡単に開けられるのは間違いないだろう。ただ、家じゅうの、窓を開けている私が、この扉を閉めたかどうかが記憶になかった。さっきまで居た親の寝室に入るときは、扉を開けた記憶が無い。トイレも、浴室も、物置も、私はすべての扉を開けたままで玄関に戻って、窓を閉めた後に改めて閉めていたと思う。しかし私の目の前で、私の部屋の扉は閉まっている。いつもの癖で、部屋を出るときに閉めてしまったのだろうか。私は不気味に思いながら、念のために扉に耳を付けた。何も聞こえない。少なくとも、扉の向こうに動く何かが居るというわけでは無さそうだった。私は早鐘を打つ心臓を抑えながら、自分の部屋の扉を開いた。

 誰も居ない。

部屋の中には誰も、何も居なかった。私は胸を撫で下ろしながら、自分の部屋の窓を閉め、カーテンを閉じる。何も異常が無いことを確認して、部屋の扉を閉じる。

急いで廊下を走り抜けて、階段を駆け下り、玄関に向かう。そうして目を開ける直前で、二階の廊下の窓を閉め忘れていたことに気が付いた。またあの二階に上るのか。私は先程の自分の愚かさを呪いながら、そうして手順を飛ばす方が嫌なような気がして、仕方なく二階へ上った。廊下の突き当りにある窓を閉めて、これですべての窓を閉めたはずだと思う。念のためにもう一度それぞれの部屋を回ろうと思って、すぐ近くにある自分の部屋の、今度こそ自分で閉めた扉に目を向けた。そういえば、さっき、なにか違和感があったような。

その違和感の正体には、すぐにたどり着いた。最初に窓を開けるときに見た、私自身の姿。それが二回目に、窓を閉じるときには見ていないことを思い出した。もう一度、扉に耳を当てる。何も聞こえないはずだ。そう思っていた私の耳に聞こえてきたのは、きりきりと、何かを爪で引っ掻くような、酷く甲高くて不快な音だった。

いる。

なにかが、いる。

 私の部屋に。

 私の安全地帯に。

 私の世界に。

 私の領域に。

 私以外が居てはいけない場所に、私ではない何かが居る。

 私は恐怖で震えながら、ノブに手を掛ける。

 夏の生ぬるい温度が、手に伝わってくる。

 このまま玄関に戻ろうかと思って、その思考を振り払う。

 思い切って私は、自分の部屋の扉を開いた。


 部屋の中には何も居なかった。何かを引っ掻くような、気味の悪い化け物はどこにもいなかった。初めにベッドの上に居た私も居なくて、扉の影を覗いてみても、そこには何もいなかった。私は恐る恐る窓に近づいてカーテンを捲り、きちんと閉まっていることを確認して大急ぎで部屋を出た。すべての部屋の窓を閉めたはずだと、過去の自分を信じて、私は玄関に向かって、そこでようやく目を開いた。


 汗で濡れた服が肌に貼り付いて気持ちが悪い。いつの間にか息を荒げていた私は、ベッドから疲れ切った上体を起こして、ぼうっとした気持ちで息を整えた。時計を見ると始めた時間から三十分も経っていなかったが、もう何時間も過ぎているような気分だった。着替えたくて、その前にもうすぐお風呂が沸く時間だということを思い出して。私は今日は一番にお風呂を使わせてもらおう、そしてその前に、喉が渇いたから水を一杯飲もうと思って、部屋の扉に向かった。

 ノブに手を掛けて、夏の生暖かい温度を手のひらで感じながら、私はその扉の内側にある、赤黒く濡れた無数の傷跡に気が付いた。握りしめた両手の指先がじくじくと痛んで、それが私を酷く不快な気持ちにさせた。


 これはきっと、悪い夢だ。

 そして夢からは、逃げることは出来ない。



廊下、爪、寝る

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