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三題噺  作者: 銅座 陽助
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不快な表現に接しない自由

 勉強しているときや暇なとき、単調な作業をしているときなんかに、私はよく音楽を聴いている。自宅のリビングで、壁も薄いのでイヤホンを着けて、動画サイトのマイミックスリストをクリックする。そうすると何度も繰り返し聞いたお気に入りの音楽を、動画サイトが勝手にピックアップして流してくれる。

 その日、私は珍しく何もない休みだったから、家でゲームをしたりしてダラダラしていた。昔からあるようなRPGとか、最近流行りのオープンワールドゲームとかだとその世界観にのめり込んでいくことも多いのだけれど、普段あまりそういうものに熱中できるような、まとまった時間を取ることの出来ない私は、ここ最近ソーシャルゲームばかりをプレイしていた。この手のゲームのコンテンツというのは大抵二つのことに集約されて、一つが初見お断り、仲間内でボイスチャットしながら理不尽な強さのボスを倒すコンテンツ。もう一つが気の遠くなるような回数、同じクエストを周回して経験値やアイテムを集めるコンテンツである。私のプレイスタイルだと前者を行うような友人を集めることはできないから、必然的に後者のほうばかりをするようになった。

 ただこの手のコンテンツというのは、飽きるのである。何十、何百、何千回と見る似たようなリザルト画面。パターン化された彼我の行動。マウスを握る手の痛み。そして延々と耳に入って来るお気に入りだったはずの音楽。一度こうして過去形になってしまった音楽は、そうそう元のように楽しむことはできなくなってしまう。目覚ましに好きな曲を設定するとそれが嫌いになるように、退屈と苦痛を伴う行為と共にあった音楽もまた、退屈と苦痛の象徴になってしまう。パブロフの犬のように、その音楽を聴くことがその経験を想起させてしまうからである。耳の痛み、集中力の途絶。それと共にあるのがそれらの音楽であると、ほかならぬ自分自身によってそう条件づけられてしまうのである。

 またそういった日々の生活に根差したものだけではない。例えば癒し系動画を見ているときに挿入される広告。テレビで映画を見ているときに現実に引き戻すCM。執拗に何度も繰り返される町中のBGM。いずれも嫌な感情と共に私たちはその楽曲を記憶してしまう。そうして記憶されることで、その楽曲そのものも人々に嫌われてしまう。歌詞や曲調の問題ではなく、単純に何度も聞かされて飽きることが、曲の評価を落とす原因になりうるのではないか。


 そこまで考えて、繰り返される単純作業で灰色になった私の脳細胞は、一つの結論を導き出した。つまり逆説的に言えば、そうして「嫌われる楽曲」というものを作らないように、その印象を不快なものと接続させないようにすれば、より好意的に人々に受け入れられるようになるのではないだろうか。というわけで私は嫌われない音楽を作ってみることにした。苦痛の記憶と共にあることが嫌われることの条件であるとするのであれば、それらをなくすことが出来れば世界で最も幸福で評価の高い音楽が完成するのではないだろうか。私は急いでゲームと動画サイトを閉じ、DAWを開いた。


 そうして出来上がった楽曲がこれなのだが、不思議なことにあまり視聴数が伸びないのだ。


 この世で最も幸福で評価が高くあるべきは、誰一人に対しても不快な感情を持たれることの無い、非公開の楽曲であるはずなのに。


自宅のリビング、イヤホン、飽く

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