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三題噺  作者: 銅座 陽助
12/19

期待に胸を膨らませ

 ラーメン屋って言えば、あの店知ってるか? そう、最近話題のあの店だよ。名前は確か、「骨一番」っていったか。あ、行ったことないみたいだな。あそこのラーメンは絶品でな。良かったら今度行ってみるといい。おすすめだぜ。俺が信頼できないってんなら、口コミでもなんでも調べてみるといい。便利な時代になったもんだよ。あ、おい。寝ようとするな。アイマスクを取り出すな。せめて話だけ聞いてけ。な? 損はさせないからさ。お前今度休みだろ? 行ってみなよ、店の場所はだいたい繁華街のあの辺だから。


 同僚が食わなきゃ損だなんだとあんまりうるさく言うので、ついに私は根負けして、貴重な休日を使ってその店に来ていた。町の中の繁華街の、妙に奥まった路地の裏にあるような、そうと知らなければ一生気づくことのないであろう店。店の名前も白い暖簾一本で、やたらと達者な字で「骨一番」と朱書きされているだけで、電光看板の一つも置いていない。本当に客を入れる気があるのだろうかと疑いたくなる。それに人気店だと聞いていたのに、昼飯時のこの時間にも客は一人も並んでいない。それどころか路地に人の気配すらない。すわ間違えたかともう一度店を見ても、やはり暖簾は掛かっているし、札は「営業中」を表にしている。地図アプリもここがその店だと位置情報を伝えているし、何より路地いっぱいにあの豚骨ラーメン屋特有の、脂ぎったソラマメのような空気が充満していて、私の空っぽの胃袋を重く痛ませているのだ。私は意を決して引き戸を引いた。


 店の中は外とは打って変わって、人でごった返していた。テーブル席は家族連れのような集団客でいっぱいで、カウンター席もほとんど埋まっている。より一層ねばついた空気に、客の吐く息とラーメンの蒸気がむっと立ち込めて、思わず息が詰まりそうになる。思わず面食らって、呆然と入り口に立ち尽くしていると、店主から「らっしゃい」と不機嫌そうな、それでいて芯のある大声を掛けられて、私はようやくカウンターの、なんとか空いている席を見つけ出した。初めての店にきょろきょろしながら店内を歩いていくと、テーブル席の子供がじっとこちらを見て来るのと目が合って、私はすこし申し訳ないような気分になりながら席に着いた。テーブルの上には箸やようじに、トッピングのコショウやニンニクばかりが置いていて、メニューは壁に張り出されているようだった。首をねじって右側の、入り口の近くの壁にべたべたと張り出されたそれを見ると、今日びラーメンといえば900円だの1000円だのすると言うのに、この店はおすすめのラーメンで600円、チャーシューをたっぷり乗せても980円と、かなりお手頃のお店だった。思ったより昼飯代が安く済みそうだという気持ちと、こんな価格設定で本当に美味いラーメンが食べられるのかと不安になりながらも、私は同僚に強く推されていたこの店の看板メニュー、骨一番ラーメンを注文することにした。

 店主は「はいよ」と短く言って、麺をゆで始める。そういえば私はカタ麺が好みだったのだが、それを伝え忘れたことを思い出しつつも、初めての店だからふつうのゆで加減で食べるのも良いだろうと思いなおした。店主は慣れた手つきでスープをどんぶりに取り、湯切りした麺を入れ、トッピングを乗せていく。カウンターには店主のほかに誰も居なくて、一人でこの店を切り盛りしているようだった。

 「一番ラーメンお待ち」と不愛想に店主が言って、私の前にどんぶりが置かれる。湯気の立つそれは私の食欲を激しくそそって来る。店主がコップに入ったお冷と、殴り書きにされた伝票を私のテーブルの上にねじ込んで、それを横目に私は割り箸を一膳取り出して「いただきます」と言った。レンゲで掬ったスープは脂ぎっていて、それでいて妙にのど越しが良く、幾分が年のいったこの身体にもやさしく染み渡る。麺は細麺寄りでよくスープが絡み、チャーシューも味が染みていて柔らかかった。

 年甲斐もなくスープも全部飲み干してしまって、口の中をお冷でリセットする。ごちそうさまを言って、店主に勘定を頼む。伝票と、そのまま財布から千円札を出して、お釣りの400円を受け取って席を立った。

 店を出た私は、澄んだ外の空気を肺いっぱいに吸い込んで、軽い足取りで路地を歩む。この店を紹介してくれた同僚に今度何か奢ってやろうかなんて考えながら、次に来たときはどのメニューを注文しようかと、膨れた腹を一つ叩いた。



 全く、来てくれるのは嬉しいがね。まさか死人が来るとは思っちゃいなかったよ。幸いにもほかの客はそもそも気づいちゃいなかったようだれけど、俺ももう年かね。まぁでも、最後に美味いもん食べさせてやれたなら良かったさ。飯屋冥利に尽きるってもんだ。

 店主は大きなため息を一つついて、濡れた椅子を雑巾で拭う。ぐしょ濡れになった千円札と空っぽになったどんぶりが、あの客が来ていたことを確かに覚えていた。


ラーメン屋、アイマスク、歩む

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