画材屋ですが、何か?〜客も店員も人間ですよ〜
ほとんどノンフィクション。
ある意味バイオレンス。
こんなところに、昔勤めていたのです。
※乱暴なもの言いもありますが、脳内と身内だけに納めてますのでご容赦を。
芸術とは己の内に秘めたものを解放する儀式である。
これは町の小さな画材屋の店員『私』が出会った微妙な来客たちのお話。
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私は画材屋にいるのが楽しい。
絵を描く道具がそろっている。
油絵の具を筆頭に、水彩絵の具、樹脂絵の具、日本画顔料、デッサン鉛筆、パステル、色鉛筆、カラーインク、マーカーペン………………色を塗るものだけでもかなりの種類があって、画材好きにはたまらない。
しかしそれは商品。
つまり、いつかはそれを使う『使い手』が買いにくるのだ。
しかし、その『使い手』たちの中でも「この輩はどうしてくれよう?」と思いたくなるお客様がいる。
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※ケース①
【水彩絵の具:水の分量男】
ある日のこと。
「いらっしゃいませ~♪」
「絵の具が欲しいんだけど…………」
「どのような絵の具をお探しですか?」
「水彩画を描くんだよ、水彩。解るよね?」
「……水彩絵の具ですね。ご案内します♪」
私は直感的に、この客から嫌な予感がした。
「水彩絵の具ですと、こちらになります♪」
「種類は?」
「こちらは『透明水彩』、そちらは『不透明水彩』の絵の具になります」
「普通のはどれ? 俺、普通に描くの嫌なんだよね」
「…………基本的に小学生が使う学童用品の絵の具は『不透明水彩』です」
「じゃあ『透明水彩』でいいよ……」
来客はだいたい四十代半ばくらいの男性だろうか。
黒いヒゲをアゴに生やしていて、微妙に『俺、芸術解っているからさぁ』という感じがしたのだ。
ハッキリ言おう。
この手の人物は非常に面倒臭い。
態度も横柄な輩が多く、店員に対しても見下すのが多い。
……まぁ、これくらい態度の客なら、店員として自分は大目に見てやろうと思わなくもないが、如何せんここは画材屋である。
美術関連の店というのは、癖のある客の来店確率がかなり高い。
「これ、どうやって使うの?」
は? こいつ、絵の具……しかも水彩の使い方を知らない……だと?
『油絵の具』の使い方はよく訊かれる。
初めて使うので~と言って、買いにいらっしゃる方は結構な数いる。
しかし『水彩絵の具』の使い方に関しては、ほぼほぼ尋ねてこられない。
皆さま、小学校で図工があればほぼ100%使う画材であるはずだ。だからほとんどの方の場合、水彩絵の具に対する意識のハードルは低く、『水彩』というだけでほとんどの方は理解している。
語感でお分かりかと思う。『透明水彩』も『不透明水彩』も、絵の具は“水に溶いて”使うものだ。
「筆などで水と混ぜて、お好みの濃さで使っていただけます」
「どれくらい?」
「…………チューブから五ミリくらいの絵の具に、スポイトで一、二滴くらいがだいたいです。あとは描き方次第で…………」
「俺が描きやすいのどれくらい?」
その男性はイライラしたように水の量を聞いてくる。
おいおい、そこから説明か? 水の量など自分で好きに決めろや。私はお前の芸術センスなど知らぬ。
「申し訳ございません。そのあたりは個人差がございますので……」
「俺の絵が失敗したらどうするんだ? 店員なら絵の具の使い方くらいレクチャーできるだろ?」
あ、ダメだこのお客様。
自分はこのバカ野郎(もうこの時点で画材屋の客ではない……と、脳内処理をする)には、何も教えるものはないと判断した。
こいつの目的を説明すると…………なんと、この男性客は『俺を見て絵の具をチョイスし、俺が上手い絵を描けるように絵の具の配分を説明しろ』と言っていたのだ。
けっ!! そんな輩に美術をやる資格はねぇ!
帰れ、帰れ! 誰か塩もってこい!!
…………とは、さすがに言いません。
「申し訳ございません。私はだいたいの使い方でしたらわかるのですが…………」
「あ? わかんないの? ちっ……!」
そいつは私を『画材の説明もできない店員』として鼻で笑って、何も買わずに帰っていった。それから、二度と店に来ることはなかった。(他の店でもあんな態度だったのかな)
…………何様だったのか。本当に絵を描く気があったのか、よくわからない客であった。
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※ケース②
【色塗り全般:極めたら男】
これは、直接私が接客したのではなく、同じ画材部門の同僚がご案内したお客様の話。
「ちょっと先輩、聞いてください!」
「鈴木さんどうした? 私が昼休みの間になんかあったの?」
「今、とんでもねぇ客が来たんですよ!」
この同僚の鈴木さんは非常に可愛らしい娘なので、プリプリと怒る姿も可愛い。可愛い同僚がこんなにも嫌悪する接客。
一体どんな客が来たのかと、最初はわくわく気味に聞く自分。
「『ダサ男』ですよ……ほんっと、気色悪い!!」
「とりあえず、他のお客様来たら不味いから、その単語(ダサ男、気色悪いなど)は小声でね?」
聞けば、来店したのは三十代半ばほどの色白で痩せこけた男性。服もヨレヨレで、無精髭を生やし、サンダルに猫背で歩いて来たという。
間違っても『イケメン』という装飾語を付けてはいけない容姿だったらしい。
偏見かもしれないが、画材屋に来る客の3分の1くらいはファッションに疎い客が多い。本来なら、この程度の『ダサ男』は普通にいるので、あまり記憶には残らない。
それなのに、同僚はその客が忘れられないほどに印象に残ってしまったようだ。ちょっとおかしいなぁと思い、さらに聞いていく。
「もう……二度と会いたくないっ……!!」
「もしかして…………しつこくつきまとわれた?」
「うぅ……三十分ほど密着されて捕まってました……絵の具のことを聞いてくるのですが、説明してもなんだか上の空のような返事で…………何も買われずに帰っていきました」
「うん…………冷やかしにしても、ちょっと嫌だな……」
そして、その客は二日に一度は鈴木さんを見付けては捕まえるようになった。しかも、他のお客様が多くいる時間を狙うかのように来店される。
「あの男性客、確実に鈴木さんを狙ってますね。彼女嫌がってますし、お得意さんとはちょっと違いますしね……」
「忙しい時に頻繁にやられるなら、もう“ブラックリスト”案件かな……」
ごく稀にいるのだが、ここを『お姉ちゃんのいる店』の如く、特定の店員を捕まえ密に接客を求めてきて、必要以上に時間を掛けて商品説明をするように仕向け放さない奴がいる。
最早それは“接客”ではない。
そういうことを何度もされると、店で働く数少ない店員が業務を行うことが困難になる。そこで自分は“ブラックリスト”を作成して、困った客にその店員を当てないように仕向けていた。
翌日の朝礼でこの事を報せ、みんなに協力をあおぐ。
「みんな、鈴木さん狙いで、次にあの男性客が来たら要注意ね!」
「「はいっ!」」
「じゃあ、次はアタシが接客やるよー。それらしい人来たら、アタシに教えていいから鈴木さんバックヤードの仕事して」
「ありがとう、佐藤さん」
鈴木さんは気の強い佐藤さんと、なるべく一緒に店番をすることにした。
そして、さらに次の日。
「ちょっ! 聞いてください先輩!!」
「佐藤さん、どうしたよ?」
昼休みを終えて戻ろうとした私に、これから昼に入ろうとした佐藤さんが憤慨した様子で話してきた。
「鈴木さんを狙ってたあの男が、鈴木さんを長々と捕まえてたんスよ!!」
「何っ!? 気をつけていたのに!?」
「あいつ絶対、鈴木さんが一人になるの外から狙ってたよ!!」
店は小さいながらも賑やかな商店街にある。店頭ではチラチラと店内を見てくる通行人も多くいるのが日常だった。外から店内は観察することも可能だ。
くそ……油断した!
一店員(店長ではない)の自分は、同僚がその客に嫌な目に遭うのを許してしまったのだ。
それは、たまたま二人が昼休みに被り、鈴木さんと佐藤さんが店舗内にいる状態の時。
この店は常に四人勤務だが、昼休みに被る十二時~十四時は二人か三人体制になってしまう。
(※店員は全部で五名。店長は急な欠勤が出ない限りほとんど店に立たない)
会計のお客様がいたので佐藤さんがレジ打ちに行ったところ、そこにすかさず『あの男性客』が鈴木さんに接近していった。
佐藤さんが『まずい!』と思って助けに入ろうにも、運悪くレジには集団で来たと思われる学生さんの列。(近くのデザイン学校の皆様が授業で使う用品を買いにいらした)
佐藤さんはさらに別のお客様に捕まり、とうとう鈴木さんを助けることもできないまま、あの男性客は買い物をして帰っていった。
「まぁ……今回は一応、買うものはあったのね……」
「すいません。鈴木さんの話を聞いてあげてください。ちょっと気持ち悪いことになってたみたいで……」
「うわ……何があったよ……?」
慌てて店内に戻り、もう一人の仲間の十島さんが鈴木さんの話を聞いてあげていた。
「あ、おかえりなさい。鈴木さん、なんか大変だったんです」
「佐藤さんにちょっと聞いたよ。大丈夫?」
「うぅ……先輩がいない時になんで来るんですか……うぅ……」
もはや半泣きになっている気の優しい鈴木さん。
そして、問題の男性客の全容が明らかになる。
私はお客様が店内にいないと確認し、鈴木さんから話を聞いてみることにした。
それは昼に掛かった時。
鈴木さんが一番に昼休みを終え、時間差で十島さんが、私が入れ違いで昼に向かっていた。
少し前はまだ学生さんも来店しておらず、店の中は暇な空気が流れていた。
そして、学生さんが大勢来店された時、奴はその群衆に紛れて姿を現した。
レジ付近の画材コーナーにいた佐藤さんが学生さんの接客をし始めた途端に、奥の絵の具とキャンバスコーナーにいた鈴木さん目掛けて奴はダッシュしてきたのだ。(※狭い画材屋の店内を走るのは非常に危険です)
あっという間に鈴木さんは捕まってしまい、佐藤さんのレジのフォローも出来ずに男性客に絵の具コーナーを連れ回された。
少しして十島さんが戻ってきてレジの袋詰めに入ったので、学生さんのお会計は何とか終わったが、その間に三十分近く鈴木さんは男性客の接客で心が折れそうだったという。
忙しい時の接客など仕方ないだろう、と思う方も多いかもしれないが、本当にセクハラ紛いのことを聞いてくる輩もいるので我々は注意している。
………………
【例】
『はぁはぁ、裸婦のち〇びは何色で塗ったらいい? はぁはぁ……』
『ペールオレンジにピンクや茶色をお好みで混ぜてください♡』
………………と、笑顔で答えたこともある。
これ、普通だったら警察に通報したくなること必至である。芸術だったら何しても許されると思うなよ。
………………
「…………で、どんなことで離してくれなかったのよ?」
うちの可愛い鈴木さんを半泣きにさせたのがどんな輩かと、内心のドス黒い感情を抑えつつ尋ねると…………
「『極めたら?』と聞かれて……」
「ん?」
「あのお客様が『水彩絵の具を極めたら、次は何を使えばいい?』って…………」
「んんん?」
待て。その客、絵の具を買いに来たんだよね?
たぶん、おそらく、推測だが、まだ絵は描いていないはずだよね?
「極めたら…………って……ずいぶん大きく出たなぁ…………それで? 水彩の次は?」
「水彩画の次は、アクリル画を勧めてみました」
「次は?」
「油絵を…………」
「終わり?」
「いえ。番外編として、日本画、ペン画、色鉛筆、パステル、オイルパステル、コミックイラスト……などを」
どんな状況でも、接客に余裕のプロ意識を感じる。
気持ち悪いと言いつつも、丁寧に接しているのが偉い。
「それで……その『極めたら男』は最後に何を買っていったの?」
「最初なので『水彩絵の具』です」
「…………………………」
まず最初はスケッチ(鉛筆画)から勧めた方が良かったかもしれない。
「極められればいいね……」
「極めますかね……?」
ひとつの芸術を極めようと、一生涯をかける人もいる。
ひとつでも難しいのにツーステップ、スリーステップに進めるかどうかは、そいつの才能しだいであろう。
しかしその日を境に、男性はぱったりと来なくなった。
「単に、お姉ちゃんと話したかっただけの童〇野郎だったのでは…………」
「しっ……佐藤さん、それは言わないであげよう。鈴木さん、本気で怖がってたから」
「もう、話すネタ無くなったんだろうなぁ……」
「満足したんじゃないの?」
『極めたらネタ』が彼の最後の手段だったのか。
結局、その男性客はその後、私が画材屋に勤めている間に来店することはなかった。
きっと、彼は今でも水彩を極めようとしているのだろうと信じたい。
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画材という商品を『技術的に』説明するのは難しい。
取り扱う商品の基本的な使い方や、必要であれば原材料などの説明はすれど、その扱いはほぼお客様の感性に委ねられるものが多い。それが美術というものだと私は思っている。
芸術という分野に、規格や完全なる同一の存在というのはない。もしも自分の作品を、端から端まで同じように赤の他人が作ったとしたら、それはかなりの奇跡か、真似しようとした努力の賜物。
悪意を持って盗もうとした作品は、絶対に本物には敵わないと思いたい。
上手い下手ではない。人間の手で作ればミリ単位で同一にはできない。
十人十色。
静かに奏でるように画く人もいれば、感情のままに爆発させて画く人もいる。
しかしそれは各々、個人的な理由やルールであり、それを他人に押し付け解らせようとしてはならない。
絵の具の水加減も、
極めたその先も、
他人から教えてもらってばかりでは、自分の芸術にはならないのではないか。
つまり、絵を描く者として、その最低限の『常識』を持って使い方を聞いてくるのが暗黙のマナーというやつだ。
その『常識』を持って画材屋を訪れたお客様には、店員たちは教えられることを精一杯伝えようとしてくれるはず。
皆さまも画材をそろえるために画材屋にお越しになる際は『お金』と『常識』お持ちください。
今考えると笑い話になるな……。
今回は二人のお客様を出しましたが、この他にも
神が降りる!?『スピリチュアル婆ちゃん』
超絶ダンディ『日本画紳士』
ラッセンが好き『スキルくれくれ婦人』
※店員命名。
……など、大小様々な個性を持った方が画材屋には来る。お客様だけじゃなく、店員の面接にも変…………個性的な人が来る。
いつか、余裕があったらお話ししよう。
またね!(´▽`)ノ