2.小姓フランシス・ウッドワード
控え室の重そうな扉が、ギシギシと音を立てて開いた。私と同い年くらいのそばかすの少年が、重そうな鍵をじゃらつかせて立っていた。
「ウィンスロー男爵、馬車の準備ができております。」
女の私と変わらないくらいの高い声だった。鍵が重そうなのは華奢な見た目のせいかもしれない。
「ありがとうフランシス。では説明も終わったし、出発しようかルイス。」
男爵が微笑みかけて手を差し伸べる。庶民の私にこの待遇は普通じゃない。
思わず手を取りそうになって我に返った。全然説明が終わってないじゃない。
「待ってください、色々終わっていません。」
「詳しくは馬車の中で話すから大丈夫。」
「大丈夫じゃないってば。」
男爵の袖をつかもうとすると、ひらりと黒いマントを翻してかわされた。
「危ないな。君の指の力で私を惚れさせようとしてはいけないよ。私では裁判の結果は変えられないし、これでも婚約者のいる身でね。」
「だからそういうんじゃないってば!」
「心配ない、王子を触りたい放題触れる機会を設けておくから。王宮に着くまでの辛抱だ。」
大きく息を吸う。この軽薄なイケメンにペースを乱されちゃいけない。
「まず、男爵は私が危険じゃないと知っているんですよね、だったら再審で無罪になるように働きかけてくれないんですか。ルイーズが一生修道院にくらすなんて聞いたら、お世話になった人が悲しみます。」
「もちろん王立裁判所では証拠不十分で無罪になる予定だよ。火あぶりじゃないのはそのせいだ。でもスタンリー夫人が騒ぎすぎてしまったからね。もうノリッジの町中が、君のことを男を誘惑する魔女めいた女として知っている。社交界にも出られないし、結婚相手も見つからない。魔女疑惑のある君を家政婦や家庭教師に受け入れる家もないだろう。修道院は次善の策なんだよ。」
確かに裁判の流れからいって、魔女じゃなくなっても痴女扱いされそうだった。本当に法律関係の人は乙女心を平気で踏みにじるんだから。
でも私は男を頼らないと生きていけない人間じゃない。キャリアウーマンをなめないでほしい。
「私、お嫁に行けないならマッサージ屋さん開きます。手に職を持っていきていけます。」
「君はさっきから魔法のことをマッサージと呼んでいるね。でも、そんな男を落として金を巻き上げる商売は規制されている。君みたいなレディーが身を落としちゃいけないよ。」
「マッサージを怪しい商売みたいに言わないで。」
失礼な男爵。そりゃあ前世でも怪しいマッサージ屋さんはあったけど、私はちゃんとしたトレーニングを受けた真っ当なマッサージ師だったんだから。柔道整復師の資格だって持ってた。あまり実践しないまま火事で死んじゃったんだけどね。
「まあマッサージ屋さんとやらが何をするか知らないけど、とりあえず君はまた魔女裁判にかけられたいのかな。」
「あっ。」
またマッサージに夢中になってしまう人が現れてもう一回裁判になる、なんていうのは絶対に嫌。でも確かに想像できる。こっちの世界の人はマッサージに免疫がないし。
男爵は笑みを絶やさないままため息をついた。
「知っての通り、魔女裁判は人に危害を与える人を裁く場所ではないからね。なんとなく不気味な人を見せしめにして鬱憤を晴らす機会だ。謎の商売をする身寄りのない女性なんて格好の標的になるよ。家族の名誉を回復したい場合は、ほとぼりが冷めた頃に王立裁判所の無罪判決が届くくらいでいいだろう。今反論しても焼け石に水だよ。」
軽薄なイケメンにしてはさっきから論理的。私も弁護士の娘だし、そういう大人の事情には接してきた。
一旦は諦めるしかないかもしれない。
「そうですか・・・でもせめて両親に挨拶しないと。」
「今はダメだ。裁判を途中で止めたのは聴衆の反感を買ってしまったから、このまま家に返すと君の安全も心配だ。でもルイス・リディントンがヨーマスに帰省する途中に、ノリッジでレミントン家に宿泊できるよう手配するから、しばらくしたら里帰りができるよ。」
助けてもらった直後に護送の話が出ていたし、しょうがないのかな。両親も疲れ切っているだろうし、無罪になったら一番に知らせてあげたいけど。
「そう気落ちしないで。これも新しい一歩なんだ。君の指魔法を悪どい金儲けの手段じゃなくて、人助けに使ってほしいんだ。」
「魔法じゃないのに。」
私は反論するボキャブラリーがなくなってきていた。
「さあ、そういうわけだから馬車へ向かおう。フランシスも一緒に行くよ。さあ、私の手をとるんだルイス。」
そういうわけってどういうわけなんだか、とりあえずこの人とコミュニケーションが取れる気がしない。
「ルイーズです!まだルイスのことなんて何も知りません。」
私は渋々男爵の手を取った。