02:最愛のメイド。
俺は父上の部屋から出て、人が一人だけ乗れるほどのひし形の床に乗ると、簡易型空中移動機、エアボードが起動してその床だけが動き始めた。
起動すると移動する際に障害となる空気などを防ぐAll Convertエネルギー、通称ACエネルギーによって障壁を張られているから床だけで安全に移動することができる。
オリンピアで一番高い建物からエアボードで移動し始めて、二番目に高い建物である俺の研究所兼家の最上階にあるエアボードの着地所に合流して俺が降りると建物の中に収容されて行く。
そして俺は急ぎ足と強い足音で自室へと入り、必要な物を次々とかき集めていく。そんな中、俺の作業スペースから女性の声が聞こえてきた。
『どうされましたか? ベネディクトさま』
「何でもない、気にするな」
『しかし、足音や心拍数から何でもないことはないと思います』
「そうだな、確かに何でもないことはないな。だが気にするな」
『分かりました』
その声の主は人工知能ニンフの大元である俺専用に作り上げて俺の作業を手伝うことができるほどの知能を持った人工知能、ランパスであった。
無駄に俺のことを心配してくることが難点ではあるが、人工知能としてとても人間味があって優秀なことに間違いない。
『パメラさまをお呼びしましょうか?』
「必要ない。良いか、不要なことはするな。分かったか?」
『了解しました』
こう言ってもランパスが分かった試しがないから懸念は残るが、それよりも俺は武器から始まり、ACエネルギー装置、さらには収納されたパワードスーツなど必要な物をバッグの中に詰め込んでいく。
「ベネディクトさま? どうしたんですか?」
「……ランパス」
『申し訳ございません。ですが、今のベネディクトさまには必要だと判断しました』
俺の後ろから聞き覚えのある声で言葉を投げかけてきた人がおり、俺はその声を聞いてランパスに非難するような声音を出すが、ランパスは淡々と答えた。
俺はため息を吐いて入ってきた人の方を向くと、メイド服を着た、うなじ側の髪が短く前側に向かって長くなっていく髪型をしている落ち着いた雰囲気の女性が俺を心配そうに見ていた。
「いいや、何でもない。パメラは俺のことを気にせずに自分の仕事をしていてくれ」
「何でもないわけがありません。何が、あったのですか?」
さすがは俺のことを小さい頃から見ていたことだけはある。両親よりもよほど俺のことを分かっている。だが今はそれが厄介になっているが。何より、俺がこうして荷造りしている時点で隠しようがない。
「パメラは何も心配しなくて良い。ほらほら、出て行った」
パメラ相手には隠しようがないから、俺はパメラの背中を押して追い出すという強硬手段を取った。だが、パメラ相手にこれは通用しないと背中を押しながら分かったし、今の俺は少し冷静さを失っていたから忘れていた。
「ベネディクトさま、失礼します」
パメラは俺に一言言ってから、背中を押している俺の背中に一瞬で回り込んで腕を胴体に回して顔を俺の顔の横につける形で抱き着いてきた。俺は一瞬だけ抵抗したが、全く動かないから抵抗するのをやめた。
「何があったのですか? 私では力になれませんか?」
この国の先祖は魔法が使えない他国から追われた者たちが作り上げたテクノロジー国家であるが、戦闘能力が低いわけではない。むしろ魔法が使えない分、近接戦闘能力値は非常に高い。
それはこの国出身のパメラでも例外ではない。それどころか、俺のメイド兼護衛を務めているパメラはこの国で一、二を争うくらいに強い。
「パメラの力は十分に理解している。パメラが必要なら必要だと言う。だから今は気にしないでくれ。キミはキミの仕事をしていれば良い」
「……ベネディクトさまにとって、私は必要ないのですか?」
パメラはとても悲しそうな声音で俺に問いかけてくる。その言葉は、俺がさっき両親に問いかけた言葉に似ていて、少しだけ心がチクリとした。
「まさか。俺はパメラのことを必要としている。大切にしている。キミがいなければどうにかなってしまいそうだと思っている。だからこそ、俺の都合でキミを巻き込むことはできない」
「ベネディクトさま、それは間違っています。私もベネディクトさまを仕事がなくても大切にしていますし、ベネディクトさまがいなければ私ではありません。ですから、私も巻き込ませてください」
「いいや、できない。正直に言おう、俺はこの国を出て行こうとしている。それももう二度と帰ってこないと思っている」
「……本気ですか?」
「あぁ本気だ。だからこうして荷造りをしている。こんな自分勝手なことでパメラを巻き込むことなんてできない。キミにはこの国に家族もいるし地位もある。俺はそれらすべてを捨てよとしているんだから、俺の都合に巻き込まれるということはキミもそれを捨てるということだ。分かったなら離れてくれ」
パメラのことは本当に大切に思っているからこそ、ここにいて幸せになってほしいと思うのは当たり前だ。俺に付いてくるよりもよっぽど幸せになれるのだから。
「分かりました」
そう一言言うとパメラは俺から離れて、そそくさと部屋から出て行った。パメラのことだから父上と母上に話すことはないだろうから心配はないが、〝さようなら〟とか〝行ってらっしゃい〟とか別れの挨拶くらいはしてほしかった。
それでも、彼女のためを思うのなら俺の都合を押し付けてはならない。俺の隣に歩いてほしいと思っても、彼女の幸せは俺の隣ではない。
俺はそう思いながら手を早々と動かして次々に必要な物をバックの中に入れては、俺専用に作り上げた常時透明で空中に待機させている巨大飛行空母、ファーストキャリアーにテレポートさせて移動させていく。
大きさは百人分の食料なら余裕で一年分は持つくらいに巨大で、俺の私物をすべて入れることはできるから、結局はガラクタ以外を詰め込めていく。
どんな物質にも変化させることができる鉱石〝ケイ〟をもちろん持っていくが、ケイはこのオリンピアでしか取ることができない鉱石であるからできるだけ持っていくことにした。
俺一人で持っていく量は限られているし、何より俺一人がどれだけ持っていこうとも建国時から採掘しているケイは底を見せていないどころか底が見えないくらいに多いから心配することはない。
「……こんなものか」
必要な物を転送した後の俺の部屋はガラクタやゴミしかない状態になっていた。これで俺もファーストキャリアーに乗り込んで国を出るだけになった。
ふと窓から見えるオリンピアの国の様子を見下ろした。夜だと言うのに国に暗闇はなく、明かりで満ちており、空中では移動手段としてエアボードやエアカーが縦横無尽に移動しているように見えるが、ニンフによって管理されている。
ACエネルギーとケイと人で出来上がっているこの国を、俺は美しいと思っているしこの国の繁栄のためにすべて行ってきたが、父上はそれを分かってくれなかった。だから俺は今日、この美しい国を離れることになる。
そう思うと少し寂しい気持ちになるなと思っていたところ、俺の部屋に入ってくる人がいた。父上か母上ではないことは間違いないなと思いながら振り返ると、大荷物を背負ったパメラがそこにいた。
「……な、何だ、その荷物は? どこかに行くのか?」
「今日付けでベネディクトさまのメイド兼護衛、さらにオリンピア王家直属の暗部をやめさせていただきました。今日からベネディクトさまに付き従うただの女となりました。どうぞよろしくお願いします」
パメラが言っている言葉に俺は一瞬だけ理解できなかったが、すぐに理解して声を荒げる。
「何を言っているんだキミは⁉ 俺の護衛役ならどうせなくなるから良いが、暗部をやめるなんてどうかしているぞ! 一体何を考えているんだ! 家族は? 友人は? 恋人は? どうするつもりだ?」
「恋人は元からいません。それに家族と友人には別れを告げてきました。ですからここに何の未練もなく、ベネディクトさまに付いて行けます」
「……本気か?」
「私が本気ではなかった時がありますか? 私はいつでも本気です」
パメラのその目は本当に本気であると分かってしまった。まさかここまでしてくれるとは思ってもみなかった。このことに嬉しさが大半を占めているが、これからの俺の道でパメラが幸せになるかどうか分からないから不安がある。
「ベネディクトさま、もしかして私の幸せのことを考えてくださっていますか?」
「……あぁ、その通りだ」
「そのお優しさは嬉しいことです。ですが、私はベネディクトさまのそばにいる時から幸せです。最初にお会いした時に言いましたよね? 『一生お仕えさせてください』と」
「……あぁ、言ったな。そして俺はこう言った、『キミが俺について来れるのならな』と」
「まさかとは思いますが、その言葉は嘘だったのですか?」
「いいや、嘘ではない。俺のこれからの道は、テクノロジーだけが揃っている地位がゼロの状態だ。俺はただのベネディクトになるし、キミはただのベネディクトに仕えているただのパメラだ。今まで積み上げたものは一切ない。それでもついてくると言うのか?」
「私は最初から死ぬまでベネディクトさまに付いて行くと決心しておりました。ですので、何も後悔はありません」
「それなら問題はない。さぁ、その荷物をそこに置いて空母に送ってくれ」
パメラの言葉に俺は笑みを浮かべそうになるのをおさえて、テレポートの方に指をさしてパメラにそう言った。
「ランパス」
『はい、どうされましたか?』
「オリンピアの人工知能の大元をオレイアスに変更。ランパスはオリンピアネットワークに接続を維持しながらファーストキャリアーに移行」
『了解しました』
ファーストキャリアーにランパスが移行しているのを確認しながら、ネットワークの中から出てきたオレイアスに声をかける。
「オレイアス」
『お呼びでしょうか?』
「今まで通りオリンピア中のニンフを管理、監視を徹底しろ」
『承知しました』
「これ以降の行動設定はレベル五以上の権限がなければ設定の変更は認めない」
『レベル五、と言うとベネディクトさまのお父さまのみ、ということですがよろしいですか?』
「構わない。ただし、この行動設定を変えるようなことがあれば、ランパスに伝えろ。もちろんネットワークをいじられることがあれば、最悪すべてをファーストキャリアーに移行して爆破コードを許可する」
『承知しました。ですが爆破すればこの国は機能しなくなりますが、よろしいですか?』
「爆破する前に全員の画面にでも自業自得という文字を送っておいてやれ。後は俺の知るところではない」
『かしこまりました』
俺はこの国を出て行くのだからこの国がどうなろうがどうでもいいところではあるが、やっぱりそこは王族として適当に残していくことは許されない。別に国を崩壊させる気なんてないからな。
「ベネディクトさま、テレポートが終わりました。ランパスの移行も完了した様子です」
「そうか。それならファーストキャリアーに乗り込んで国から出ることにしよう」
「……その前に一つ、良いですか?」
「あぁ、何だ? 足りない物でもあったか?」
「いえ、そういうことではありません。最後にこの国の中を歩いて出ませんか?」
「……構わない、行こうか」
パメラもこの国で生まれ育ったから、この国に二度と帰ってこれないと分かっているのなら最後のお別れくらいしたいのかと思って俺はそれを許可した。
「このまま行けば目立ってしまいますね」
「そこは問題ない。この腕時計を使えば違う見た目にすることができる」
「へぇ、そんなものを作ったのですね」
パメラは俺に渡された腕時計を付け、俺はパメラに違う見た目にする操作方法を教えていく。そして俺とパメラは同じエアボードに乗り、街に降りて行った。