5
教室の窓から覗く澄み切った青い空。
春の風に乗った桜の花びらが校庭を駆ける。
そんな爽やかな午後。
俺は机に突っ伏して頭を抱えていた。
「やべぇ〜……マジでどうしよぉ〜……っ」
俺が頭を抱えている理由。
言わずもがな例の催眠義妹の件だ。
兄のことを死ぬほど嫌っていた妹が、催眠術で俺を惚れされようとした。
……いや、パワーワードすぎて脳の処理が追いつかねぇ……。
「まさかあの雫がなぁ……」
教室の隅、窓際の席で一人読書にいそしむ雫。
俺の雫は兄妹だけど、同じ高校二年生。早生まれ遅生まれの関係で、年齢がほぼ一年分離れているけど、学年は同じという具合だ。
そんな義妹は、おそらく……というか確実に、俺のことを異性として見ている。
いつからで、何がきっかけでそうなったのかわからないけど、ああいう催眠をかけようとするということは確実にそうなのだろう。
あんな超がつくほどの美少女に好かれてうれしくないわけがないんだけど、問題なのは雫と俺の関係だ。
兄と妹。
血が繋がらないとはいえ、この関係は揺るぎようのない事実。
「はぁ……」
昨晩あんなことがあったのに、妹は今日の朝も平常運転でパイルバンカー系義妹だった。
『ネクタイ曲がってるんですけど、自分で身嗜みも整えられないの? ほんとキモすぎ』
侮蔑の視線で俺をにらみつけながら、玄関で俺のネクタイを絞め殺す勢いで整え、罵倒し、そうして早足で学校に向かった。
そして現在、何食わぬ顔で本を読んでいる。
「……アイツ、一体どんなジャンルの本読んでんだろうな」
雫を眺めていると、ふとそんなことを想う。
こんな俺でも一応ラノベ作家、人並み以上に読書はしているつもりだ。
彼女が読んでいる本は文庫本サイズで、書店で買った時についてくる無機質なブックカバーをかけている。
普通なら雫の見た目や雰囲気的に純文学や恋愛小説的なのを嗜んでいそうだけど……。
「人は見た目によらないからなぁ」
毎日死ね死ね言ってくる義妹が、俺が寝ている隙に催眠術をかけようとしてくるように、人は見た目によらないのだ。
「あっくん、今日も目が死んでるね」
これから待ち受ける受難に胃をキリキリさせていると、今日もぽわぽわした空気を醸し出して教室をなごませている空気清浄機系幼馴染、りんこが話しかけてきた。
「……余計なお世話だ」
「余計でもお世話します。だって私、結構あっくんのこと好きだし」
「はいはいありがとねー」
いつものやりとりを終えて、彼女は俺に顔を近づけて耳打ちする。
「さてはまた雫ちゃんと何かあったんでしょ」
「……なにもねーよ」
「ふーん、あったんだ。それも結構大きいイベントが」
この頭弱そうなゆるふわ幼馴染は意外にも勉強ができたり勘が鋭かったりするので困る。
「な、なんで決めつけるんだよ! 無かったって言ってるだろ!」
「あっくん、嘘つく時いつも目をそらすよね。ついでに鼻もかく癖あるし」
「っ!」
流石は幼馴染……! 俺でさえ知らないような癖を完璧に把握してやがる……!
「こんどはなにがあったの? つらい? ひざまくらしてあげようか?」
「お前は俺のお母さんか」
「お母さんっていうよりお姉さん系彼女のつもりだったんだけど、どうだった?」
「85点」
「なかなか高いね」
「ひざまくらはえっちだからな」
いつもどおりのしょーもないやりとりをしていると、背後から鋭い視線を感じる。
何の気なしに振り向くと。
「ひっ!」
雫が視線だけで人を突き殺す勢いで俺をにらんでいた。
心なしか体のどこかに穴が空いた気がする。
……この痛みは多分胃だな。
「うわー、すっごいにらんでるね」
バジリスクでさえ裸足で逃げ出すほどの雫の眼光を見ても、俺の幼馴染は缶ジュースをくぴくぴと可愛らしく飲んで呑気に構えている。
「お、おい……! 聞こえたらどうすんだ……! 死人がでるぞ……!」
「へぇー、誰?」
「俺だよ!」
教室中に響き渡る俺の声。
その少し後に、ガタリと椅子が倒れる音が聞こえた。
「あーあ、雫ちゃんすっごい顔してこっちにきてるよ」
「ひぃぃっ! なんでぇっ!?」
「あっくんが大きい声だしたからだよ」
「そんな理不尽なぁっ!」
俺とりんこがわちゃわちゃしていると、あまりの冷たいオーラに教室の温度を二度ほどさげた雫が詰め寄ってきた。
「よ、よう雫、俺に何か用か……?」
「愚兄、ちょっとこっちに来なさい」
「いやお兄ちゃんつぎの授業の準備あるし……」
「は?」
「あっ、ごめんなさいすぐ行きます」
俺の妹はきっと覇王色に目覚めている。
だってたった一言で戦意喪失させられたもん。
「雫ちゃん、それはちょっと強引じゃないかな?」
雫を刺激しないように優しい声音でりんこはそう言った。
流石のパイルバンカー系義妹の雫でも、ここまで下手に出ているりんこに対して、重たい一発を喰らわせることはないだろう。
「……あぁアンタいたの? 地味すぎて気付かなかった」
やっぱりダメかぁ〜。重たいの入れちゃったかぁ〜。
しかし、雫の重たい一撃を食らってもなお、りんこは表情を崩さずニコニコ笑っていた。
流石は空気清浄機系幼馴染だぜ! こんなに重たい空気でも笑顔ひとつでマイルドにしてくれる!
おそらくりんこは次の一言で場を上手くとりまとめるだろう。
いつものほほんとしてるけど、こういう時りんこは一番頼りになるのだ!
「さっき死ぬほどにらんでたのによく言うね。大好きなお兄ちゃんがとられたのがそんなに嫌だった?」
おっと、今日の空気清浄機系幼馴染はどうやら故障しているようだ。
バチクソに燃え上がる義妹を前に、引火性のガスをプシュりやがった。
「は? こんなの別にどうでもいいんですけど? 意識したことなんて一度たりともないんですけど?」
昨日俺に催眠術をかけてキスを要求してきた義妹だとは思えないセリフである。
「どうでもいい男の為に雫ちゃんはずいぶんと頑張るね。あっくんが優しくした女の子、次の日からみーんなあっくんと関わろうとしなくなったのそれって偶然なのかな?」
えっ……? それ何か理由があるの……?
俺シンプルに女子に嫌われてると思ってたんだけど……。
「……クソ地味女、いつも通り空気に徹してろ」
「……雫ちゃんはもう少し大人になった方がいいね。心も……あ、あと胸もだね!」
「……」
「……」
「……豚」
「……洗濯板」
こちら市ヶ谷、現在美坂高校二年C組の教室で義妹vs幼馴染の戦闘が勃発。被害は甚大、私の胃に大きめの穴が二つ、そして教室の空気が終わっています。至急増援をよろしくお願いします。だ、だにぃ!? その場で待機だとぉっ!? この空気を味わっていないから貴方達はそんなことが言えるんだ! 事件は会議室で起きてるんじゃない! 現場で起きてるんだぞぉっ!
「ふんっ、まぁいいわ。アンタがいきがれるのも今日までよ。……ほら、行くわよ愚兄」
「へぶっ!」
意味深な笑み、そして捨て台詞を吐きながら、雫は妄想に逃避する俺のネクタイを引っ張りつつ教室を出る。
俺は伝わるかどうかわからないけれど、視線で精一杯りんこに謝った。
「……またね、あっくん」
りんこもまた、雫と同様に意味深な笑みを浮かべていた。
* * *
ジメジメしていて空気が埃っぽい。
俺は雫にネクタイを引かれるまま階段を上り、鍵がかかった屋上への扉の前に拉致されていた。
「おい雫、いくらなんでもあの対応はないだろ」
俺はなけなしの兄の威厳を振り絞り、妹に説教する。
しかし妹は、俺の言葉など全く意に返さず、ブレザーのポケットをガサゴソとまさぐっていた。
ま……まさか……っ!
「この五円玉を見なさい」
雫は俺の予想通り、催眠術をかけるアイテム、紐のついた五円玉を取り出した。
次話は催眠術登場です!
幼馴染と義妹の修羅場っぽいコメディ回です!
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