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 腕時計を確認すると、時刻は午後六時を回っていた。

 夏とはいえ、あたりが暗くなる時間帯。

 温泉街でいろいろ食べ歩いたり、お土産を見て回った後、俺は雫に連れられるがままバスに乗っていた。


「なぁ、そろそろどこに向かってるのか教えてくれてもいいだろ」

「もうすぐ着くから、まってて」


 目的地を聞いても、ずっとこの調子だ。

 仕方がないので、スマホをつついて時間をつぶしていると。またも吉沢さんからメッセージが送られてきた。


『市野先生、今すぐ小説投稿サイトを確認してください』


文章から伝わってくる。

 冷静な彼女にしては珍しく慌てている様子だ。

 俺はアプリを起動して、小説投稿サイトを確認する。

 トップページに、八月一日時点での日間ランキングが表示された。


「はぁっ!?」


 視界に入ってきた衝撃の内容に、人目もはばからず叫んでしまう。


 日間ランキングとは、一日経過時点(日に三回更新される)でのポイント数に応じてつけられるランキングのことだ。

 他にも週間、月間、年間と、期間によって異なったランキングが存在する。


 ランキング五位以内に入れば、小説投稿サイトのトップページ、いわゆる表紙と呼ばれる場所に表示されるので、読者の目に触れやすく、さらにポイントが伸びやすいのだ。


 俺もその日間ランキングに載るため、人が多く見る時間帯に投稿し、一気にポイントをもらいランキングを駆け上れるよう、午後十八時に予約投稿をしていた。


「なんで……どういうことだよ……」


 俺が驚いているのは、日間ランキング、一位から五位までの作品、その作者名だ。


 一位『毎日好き好き言ってくる幼馴染なんかに、俺は絶対だまされない……!』作者 笹本鈴紀

 二位『地味で腹黒でも、あなたことを好きでいていいですか?』作者 笹本鈴紀

 三位『雨の中、はじめての恋』作者 笹本鈴紀

 四位『ただそばにいてくれるだけでいいのに』作者 笹本鈴紀

 五位『月の影、思い出の落書き』作者 笹本鈴紀


 日間ランキング一位から五位、すべての作品、すべての作者が笹本鈴紀。

 アクセス数が最も多いランキング、五つしかない席を、人気ジャンルであるファンタジーをもおさえて、りんこが独占していた。

 そして表紙から外れた六位に。

『毎日死ね死ね言ってくる義妹が、俺が寝ている隙に催眠術で惚れさせようとしてくるんですけど……!』 作者 市野青人


「そんなのありかよ……っ!」


 俺はすぐさま吉沢さんに確認した。


『複数投稿するなんて聞いていません!』

『私も聞いていませんでしたし、想定すらもしていませんでした。それは編集部も同様です』


 当然だ。

 五作品一気に投稿してランキングを独占するなんて、思いついても物量的に用意するのに時間がかかるし、相当な技術も必要だ。


 想定しようもない。


 投稿サイトを開いてすぐ見える表紙、ランキング一位~五位まではアクセス数が跳ね上がるが、逆に表紙から外れた六位は、ランキングを全て表示しなければ見られないので、アクセス数が極端に下がる。


「っ!」


 一話でのインパクトなら催眠義妹の方が上、吉沢さんがそう言っていたので、間違いないはずだ。

 俺は指を急いで動かして、一位の作品をタップする。


「……なんだよ、これ…………っ」


 文字が美しい。

 すらすらと脳みそに入ってくる。

 理解しようとする必要すらない。

 それほどまでに読みやすく、美しい。

 主人公のわかりやすい反応に、笑えるコメディ。

 幼馴染の恋心を情熱的に描き、無理やり心を抉り、感情移入させる技術。

 ライトノベルと純文学が最高の形で調和しているような。

 正直、俺の技術じゃ測れない。

 レベルが高すぎて、何をやっているかもわからなかった。


「…………」


 あっという間に、一話を読み切る。

 序盤は勝てると思っていた。俺の企画の方がインパクトもあるし、目も引くからだ。

 吉沢さんもそう言っていたし、俺自身も、そう思うし自信があった。


 問題は後半部分、差をつけられるとしたらそこしかないし、そこが致命的。

 逆にいえば、序盤勝てるだけまだ望みがあったのだ。


 それをりんこは覆した。


 五作同時投稿という荒技で。

 話題性、作品の完成度、一つの作品にハマれば読者は他の四作品も読むだろう。

 そうしてポイントを共有することにより、ポイントを入れてくれる読者の幅を広げる。

 作品に高い質が求められるということと、物量がとんでもないということを除けば、考えれば考えるほど有用な作戦だった。


 りんこにしかできないし、りんこだから最大の効力を発揮する。


『市野先生の作品のポイント数も悪くありません。むしろいつも通りのランキングであれば確実に五位以内には入っているポイント数です。しかし笹本先生の五作品のポイントは圧倒的です。編集部内でも驚いてはいますが、おそらくルール違反だと咎めることはしないでしょう。そもそも禁止されてはいないですし、話題性があればあるほど、編集部としては万々歳でしょうから』


 絶望。

 まさに完璧。

 穴がなさすぎる。

 どうあがいても勝てるビジョンが思いつかない。


「……どうしたの? お兄ちゃん」


 心配そうに俺の顔を覗き込む雫。

 俺の目的は、雫との関係を改善すること。

 そういう意味では、目的は達成しつつある。


「悪い、急に叫んだりして……なんでもない……」


 そうだよ。

 別にりんこに勝てなかったからといって、雫と仲直りさえできれば、当初の目的は達成できたということになる。

 このまま取材と称して、雫と旅行を楽しめばいい。


 嫌なことをすべて忘れればいいだけじゃないか。


「…………っ」


 肩をおとしてうつむく。

 雫の視線を感じるけれど、今は体裁を整える気にはなれなかった。



『いったでしょ? 全部壊すって』



 りんこの言葉が脳内に響く。

 雫と仲直りさえできればそれでいい。

 そんな簡単に気持ちを切り替えられるほど、俺は賢くない。

 催眠義妹という作品に、俺はかなりの想い入れがある。



 ヒロインは雫なのだ。



 一ノ瀬沫は雫の分身なのだ。



 俺が考える、世界で一番可愛いヒロインなのだ。



 雫を好きだという気持ちを、これでもかというほど詰め込んだ作品なのだ。

 それが負けた。

 りんこの作った幼馴染に。


 なすすべもなく敗北したのだ。


「くっそぉ……」


 悔しさと、情けなさで泣き出したいくらいだった。

 こんなんじゃこの先雫とだって……。

 暗い考えが頭をよぎる。


 その瞬間。


「お兄ちゃん!」

「っ!」


 雫に肩を揺さぶられて、ようやく正気にもどる。

 あたりを見回すと、どうやらバスは止まっているようだった。

 窓の外は暗く、外の景色は伺えない。


「ここは……一体……」

「目、つむって」

「え……?」

「いいからつむって!」

「わ、わかったよ」


 五円玉を揺らしながらそう催促する雫。

 今日一番の強気の態度に、少し面食らった俺は、言われるがまま目をつむる。

 雫に手を引かれるまま、俺はバスを降りる。


 少し湿った空気に木の香り、冷たい風。

 足元は、柔らかい。芝生だろうか?


「雫、一体どこに……」

「もう少しでつくから」

「……」


 本当はこんなことしている場合じゃない。

 りんこは俺がこうして遊んでいる間にも、小説を書いている。


 ……まぁ、俺なんかが今から必死こいて書いたって、りんこに及ぶべくもないんだろうけど。


 視界が暗い。それと同じくらい、俺の心も暗い。

 完膚なきまでに叩きのめされた。

 作品の質でも、作戦でも、完全敗北。

 雫よりも、りんこの考えた幼馴染の方が可愛いって、証明されてしまったのだ。

 ここから俺が、りんこの技術を上回るような進化を遂げなければ、勝てない。

 創作は一朝一夕に上手くならない。

 何度も何度も失敗して、何度も何度も試行錯誤を重ねて、そしてようやく少しだけ進む。

 それを繰り返して、上手くなるのだ。

 この一ヶ月でどうこうできる差じゃない。


 そう確信できるほど、りんこの力量は圧倒的だった。


「うっ……ちくしょう……」


 暗い視界が濡れる。

 閉じたまぶたから、雫がこぼれた。

 情けなさで胸がいっぱいになる。


「お兄ちゃん、ついた」


 細い指が頬をなぜる。

 涙をぬぐう、雫の指。


「目、開けていいよ」


 俺が泣いている理由を聞かずに、雫はそう言った。

 俺は言われるがままに、ゆっくりとまぶたを開いた。


 眼下には、暗闇。


 青く、淡く、光る、芝生。


 光の正体を見つけるために、ゆっくりと顔をあげる。



「…………ぅぁ」



 広がるのは無数の光。


 暗闇に流れる運河。


 空が落ちてきたと錯覚するほどの、強く輝く星々。


 冷たい風、空気が透き通り、何万光年と先にある惑星の光が、とてつもない時間をかけて、俺の網膜に飛び込んできた。


「すごい……星に、手が、届きそうだ」


 手を伸ばせば、宝石のような光に触れられるんじゃないかって錯覚するほどに、強い光だった。


「お兄ちゃん、覚えてる?」

「……な、何を、だ?」

「覚えてないの……?」

「ご、ごめん」


 雫は少し口を尖らせる。


「私がお兄ちゃんの家に引き取られた時、お兄ちゃんは、私をいろんなところに連れて行ってくれたよね。花火をしたり、紅葉狩りに行ったり、雪山で雪遊びしに行ったり」


 星の明かりに照らされて、雫の顔は淡く照らされる。

 神様がエコ贔屓したとしか思えないような美貌。

 それが、星空という宝石によってさらに引き立つ。


「最初は正直、うざいと思ってた。一人にしてほしいって思ってた」

「ご、ごめん」


 雫は両親を亡くして、うちに引き取られた。

 俺はそんな雫を元気づけようと思っていたんだけれど、やはり逆効果だったようだ……。


「だから、拒絶した。たくさん悪口も言ったし、叩いたりもした。一人にしてほしかったから。……それでもお兄ちゃんはそばにいてくれた。私は、その……性格がすっごい悪いから、試してたのかもしれない。この人は、どこまで許してくれるんだろうって、どこまで受け止めてくれるんだろうって……」

「雫……」

「今でも忘れないよ。小学一年生の夏休み。八月一日。……私の、お父さんとお母さんの命日。落ち込んでいる私にさ、見せたいものがあるって、お兄ちゃん私を夜に連れ出したよね。あしらうのも疲れてたからさ、私は言われるがままについていった」


 そう言われて、ようやく思い出した。

 雫が泣いてうつむいているのを、俺は見ていなれなくて、あてもなく、外に連れ出した。

 行き先はわからない。

 それでも一人にさせておきたくなかった。

 そうして飛び乗ったバスで、俺と雫は。


「海に行ったよね。思い出した?」

「あ、あぁ」


 バスの終点。夜の海。

 そこには、今目の前に広がる星空と同じくらいの景色が広がっていた。


「そこでさ、星空で照らされた……お兄ちゃんの笑顔をみて……」


 頬を赤く染める。

 首筋は少し汗ばんでいて、瞳は濡れている。

 大人の魅力を醸し出しつつある雫の空気に、俺はあてられて、息を呑む。


 少しだけ、静寂。


 雫は顔を真っ赤にしながら、右手に持っていた、赤い糸で繋がれた五円玉つるして、そして揺らそうとした。

 けれど。


「……これには、もう、頼っちゃダメだよね」


 五円玉を、小さな手の中に、しまう。


 そして、小さく息を吸って。


「星の明かりに照らされた笑顔を見て、私はお兄ちゃんのことを、大好きになったの」



 数多の光。



 赤や、青、白の光。



 その中で、雫は。



 雫は、笑っていた。



「っ……」



 息ができない。

 言葉じゃ表現できないくらいに。

 十万文字使ったって、伝えられないくらい。

 雫の笑顔は、綺麗だった。


「たくさん傷つけて、ごめんなさい。ずるいこともたくさんしたし、わがままもたくさん言っちゃった……そんな私が、今さらお兄ちゃんのことを大好きなんて、虫のいい話かもしれないけど、それでも伝えたかった」


 紡ぐ、言葉のひとつひとつ。


 それが、胸に染みる。



「ありがとう、ごめんなさい。それに、大好き」



 こんなにも、綺麗な子が、この世界にいていいのか。

 そう思ってしまうほどに、ひたすらに、ただひたすらに、雫の笑顔は、綺麗だった。


「お、俺も、雫……のことが、大好きで……でもどうしていいかわからなくて、催眠術にかかったフリをして、りんこにも、ひどいことして……俺もわるいこと、たくさんしたんだ……っ」


 涙と一緒に、想いの丈があふれる。


「ごめんな雫……傷ついたお前を、笑顔にしたくて、でも何をすればいいのか、分からなくて、嘘ついたことがバレて、でも、上手くいきそうだったのに、小説も、全部ダメで……でも俺は、お前のお兄ちゃんで、お前が大好きで……あれ、何言ってるんだ俺……っ」


 俺は、雫の笑顔が見たかった。


 一目惚れで、大好きで。


 そんな女の子の笑顔が見たかった。


 たったそれだけのことだった。


 それなのに遠回りをした。


 たくさん嘘もついたし、大切な友達を傷つけた。


「俺がもっと、うまいことできるお兄ちゃんだったら……お前を、泣かせることもなくて……っ、こんなお兄ちゃんで、ごめんな……っ」


 鼻水垂らして泣きわめく俺。


 本当、情けないお兄ちゃんだよな。


 そんな俺を、雫は抱きしめる。


「お兄ちゃんは、私にとって、ずっと最高のお兄ちゃんだった。それに気づけなくて、素直になれなくて、ダメな妹なのは、私の方だよ……。失って、自分が傷つけられる側になって、それでも素直になれなくて、またお兄ちゃんに手を差し伸べてもらって、ようやく、勇気が出せた」


 頬にあたる雫。


 赤色の瞳から溢れる涙は、星空を映して、キラキラと輝いていた。


「本当に大好きだから、私は……毎日死ね死ね言っちゃうような、ダメな妹は、お兄ちゃんを催眠術で惚れさせようとしたんだよ……?」


 涙が宝石。


 満天の星空は彼女を照らすための照明に過ぎなくて。


 雫の笑顔は、この世界に存在するどんなものよりも美しい。


 俺の瞳は、この光景を写すために存在するのだ。


「雫、俺もお前が大好きだから、催眠術にかかったフリをしたんだ」


 濡れた瞳が重なり、ゆっくりとまぶたを閉じる雫。


 言葉を交わすこともなく、俺は顔を近づけた。


 火照った唇が重なる。


 この瞬間が、永遠になればいい。


 きっと雫も、そう思っているだろう。







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