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予定通り、新幹線に搭乗した俺たち兄妹。
お姫様だっこしながら席に座ろうとしたが、駅員さんに止められてしまったので今は普通に座っている。
そういえば、旅行と言っていたけれど、俺は一体どこに向かっているのだろう?
雫との旅行という事実に舞い上がってしまい、目的地を聞くのを忘れていた。
「雫、俺たちは一体どこに向かってるんだ?」
「ひ、秘密。というか恥ずかしくて言えないし……」
「恥ずかしくて言えない旅行先ってどこだよ……」
いくら聞いても答えない雫。
まぁいずれわかるので、俺もしつこく聞くのをやめた。
そんなことよりも、俺にはやるべきことがある。
ポケットからスマホを取り出し、メモ帳アプリを開く。
先ほどまでの雫の圧倒的までの可愛さを記録しておく必要があった。
俺は間違っていた。
新作、催眠義妹のヒロイン、一ノ瀬沫ちゃんを、俺は雫並みに可愛くかけたと自負していた。
しかし、さっきの雫の可愛さと比べると、吉沢さんにおもしろいと言ってもらえた沫ちゃんでさえ、霞んで見えてしまう。
催眠義妹の一話は、もっと面白くできる。
認識が甘かった……!
指に残像が生まれるくらい、タップで雫の可愛いポイントをメモ帳に書き込み、そしてあらかじめ入れておいた小説本文を書き直していると、隣の席に座っていた雫が、不思議そうにこちらを見つめる。
「……何書いてるの?」
「え、あ、これはその……に、日記です」
「ふーん……そ、そっか」
雫は何故か恥ずかしそうにうつむいた。
おかしい……普段の雫なら、もっと根掘り葉掘り質問してくると思ったけど……。
まぁかかったフリ前提の催眠術とわかっている状態じゃ、雫もいつもの調子を出せないのかもしれない。
でも、なんで恥ずかしそうな顔をしているんだろう?
「……」
まぁいっか。
今はそんな答えのわからない問題よりも、雫の可愛さに沫ちゃんの可愛さを同期させることの方が大切だった。
今日は八月一日。
小説の一話を投稿サイトに投稿する日だ。
もともと、閲覧数が伸びやすい午後六時から十時に合わせて、午後三時に投稿しようと思っていたので、まだ修正はギリギリ効く。
後半部分はこの取材旅行が終わった後に修正する予定だ。
スマホを鬼タップする俺。
そしてそれをなぜか恥ずかしそうに見つめる雫。
無言の時間が流れているというのに、雫は文句ひとつ言わず、俺のことを見つめていた。
***
しばらく新幹線に揺られ、電車をいくつか乗り継ぐと、目的地についた。
「ここってまさか……!」
和風建築の建物が立ち並び、色鮮やかな暖簾や、独特の香りがあたり一面を包んでいる。
俺は目の前の大きな看板を見て、自分が今どこにいるのかようやく理解した。
「は、箱根温泉!?」
日本では屈指の知名度を誇る温泉街。
数々の文豪も愛したと云われるその名湯に、俺も一度は使ってみたいと常々思っていた。
「予約してる宿は、あれ」
雫が指さす方向を見ると、一際大きく、厳かな造りの温泉宿があった。
俺のようなミーハーでも名前を聞いたことのある有名な温泉宿だ。
「あれって相当お高いんじゃ……」
打ち合わせする時にいつも水しか飲ませてくれない吉沢さんがよくこんな高級そうな宿を用意してくれたな……。
地獄からやってきたであろう担当編集にも、気前の良い日はあるんだなとびっくりしていると、スマホがピコンとなった。
どうやら誰かからメッセージが来たようだ。
『ここまでしたんです。笹本先生に負けたらわかってますよね?』
「ひっ!?」
「どうしたの?」
「い、いや、なんでもない!」
タイミングの良すぎる吉沢さんからのメッセージに、思わずあたりを見渡してしまう。
まさかどこかから監視してるとかじゃないだろうな……。
「荷物置きにいくよ」
「お、おう」
茅葺の門をくぐり、手入れが行き届いている庭園を歩いて少し進むと、宿のエントランスらしきものが見えてきた。
和風のガラスの自動ドアの向こうには、ロビーホールが広がっている。
そしてその向こうには中庭が見えた。
これまでのすべてのしつらえが和風で統一されており、小物やガラス、照明に至るまでその雰囲気を壊すことなく、うまい塩梅に調和していた。
その他にもウェルカムドリンクや浴衣の貸し出し、和菓子のバイキングなど、サービスがこれでもかというほど充実している。
「す、すげーっ……」
素晴らしい空間を提供してもらっているにも関わらず、そんな小学生並みの感想を呟いていると、いつのまにか雫が部屋の鍵をもらって来ていた。
「……い、いきましゅよ」
「え?」
「行くよって言ってるの!」
「お、おう」
文句もつけようもない温泉宿なのに、なぜ雫は目的地を言えなかったのだろうか。
別に恥ずかしがることはないだろうに。
雫に連れられるまま、長い廊下を歩き、エレベーターに乗って、予約しているらしい部屋までたどり着く。
「こ、ここが私たちの部屋だから……」
謎に恥ずかしそうに鍵穴に鍵をさす雫。
鍵を開けてドアを開けると、高級感あふれる和モダンな一室が広がっていた。
床は畳で、中央には木製のちゃぶ台。
家具もすべて和風で統一されている。
奥には障子があり、部屋に備え付けの露天風呂が湯気を上げていた。
バルコニーからは、都会育ちには見慣れない自然が広がっており、まさに至れりつくせりの空間だった。
「ちょっと待ってくれ雫……この部屋って……」
「何も言わないで、恥ずかしくて死んじゃうから」
文句のつけようもない素晴らしい部屋なんだけど、ひとつだけ、看過できない問題があった。
ベッドがひとつしかないのだ。
枕が二つ綺麗に並べられているのを見る限り、吉沢さんが一人部屋を間違えて予約したわけではないのだろう。
雫が何故終始恥ずかしそうにしているか、ようやく理解した。
あの言葉責め専門学校主席卒業かつ人の心を弄ぶことに関しては他の追随を許さない大魔王系編集者吉沢伶香は、俺たちに義兄妹にカップル専用の部屋(個室温泉付き)を用意してくれたらしい。
「に、荷物を置いたら、ついてきて。あと言っておくけど、この後のプランは全部吉沢さんが用意したものだから……!」
「なるほど理解した」
何を理解したかは言うまでもないだろう。
この後にくるであろう受難、そして俺の胃に深刻なダメージが与えられるということ。
胃薬を持ってきておいて本当によかった。
「まぁ……その……」
雫はなにやらもぞもぞしている。
「私も、ちょっぴりプラン考えたから、た、楽しみにしてて……く、ください」
「あ、ありがとう……」
前言撤回。
雫から与えられる受難であればもう耐性がついているし、お兄ちゃんのために一生懸命考えてくれたプランという補正がつけば、たとえ地獄旅行針の山ハイキングだろうが血の池上半身浴温泉めぐりだろうが全力で楽しめる自信がある。
荷物を整理し、大きなカバンを部屋に置いた後、俺は雫に言われるがまま温泉街にやってきた。
夏休み、温泉シーズンではないけれど、多くの人で賑わっている。
雫はうんうんと唸りながら、スマホのメモ帳を凝視していた。
おそらく吉沢さんと計画したプランとやらを確認していたのだろう。
「よし!」
確認が終わったのか、小さくそう呟いて、おもむろに俺の方へ手を差し出してくる。
右手には糸のついた五円玉を持って、小さく揺らしていた。
「…………カップルでしょ」
本当に底抜けに可愛いんですけど。
吉沢さんはどうやってあのツンツン義妹をここまでデレさせたのか。
とにかく、人類が雫を取り合って戦争が勃発しないか心配だ。
俺が責任を持って雫の可愛いを受け止めなければ。
「この繋ぎ方でいいよな?」
「……うん」
指を絡ませると、雫は小さく頷いた。
あまりの可愛さに創作意欲が湧きすぎてどうにかなりそうだ。
「ついてきて」
雫に手を引かれ、温泉街の人混みを縫う。
こう言う場合は男性の方がエスコートするのが凡例。
少し申し訳ない気持ちになりながら、ついていくと、赤い暖簾を引っ提げた可愛らしい茶店の前で止まる。
「箱根限定……温泉お餅?」
暖簾や看板に大きくそう書かれている。
どのあたりが温泉要素なのかは想像もつかないけれど、おそらくここでしか食べられない名産品的な何かなのだろう。
冷房の効いた店内に入り、店員さんに案内されるまま、すだれがかかった窓際の席に座る。
温泉街にきて、その土地の名産品を食べる。
吉沢さんが旅行プランの大まかな部分を計画していると聞いていたので、一体どんな責苦を受けさせられるのだろうと思っていたけれど、案外オーソドックスで安心した。
泊まる部屋はともかく、温泉街でおかしなプランを立てる方が難しいよな。
「この温泉お餅ってやつすごく柔らかそうで美味しそうだな」
和紙をラミネートしたメニューには、お餅の写真も載っている。
パッケージは竹の皮の包みで和菓子らしさをしっかりとキープしつつ、中にはまっしろで柔らかそうなお餅が入っている。
お餅の中には羊羹や柚子なんかも入っているようで、写真と商品の説明をみるだけでも興味をそそられる。
鞄の中に入れたり、ほかの商品と一緒に持ち帰っても崩れないように配慮もされているようだ。
メニューの一番上にある、プレーンな温泉お餅を頼もうとすると。
「ちょ、ちょっとまって!」
「どうした? これ頼むんじゃないのか?」
「……えっと、こ、これ頼んで」
雫は一際ピンクいメニューを俺に見せる。
「っ!」
その他とは一線を画す色合いをしたメニューには『カップル限定! 食べさせ合いっこができる一口温泉お餅! ハート型の桜風味♡』と書かれていた。
「こ、これは……っ」
「よ、吉沢さんがここじゃないとダメって言ったんだもん!」
地獄からやってきた吉沢を少しでも信じた俺が馬鹿だった。
あの悪魔がただで旅行をさせるわけがないのだ。
散々俺をはずかしめ、そして小説を書かせることこそ奴の狙い。
どう頼もうか悩んでいると、雫のスマホがピロリンと鳴った。
「っ!」
雫の顔が一瞬で赤くなる。
何が起きたかは大方予想ができる。
「吉沢さんから何が送られてきたんだ?」
そう聞くと、雫は無言でスマホを見せる。
『お互いにあーんして食べさせている写真を私に送ってください。送らないと全力を尽くして雫さんを辱めますのでお覚悟を』
やはりあの女には人の血は流れていないようだ。
おそらく紫色の血とか流れていると思う。ナメック星人かよ。
俺はともかく、雫が吉沢さんの全力辱め攻撃を喰らえば正気を保っていられないだろう。
ここは兄として、体をはらねば!
「す、すみませぇ~ん! この、カップル限定の温泉お餅くださぁ~い!」
通りかかった店員さんに注文する。
恥ずかしさのあまり声がうわずってしまったのは言うまでもないだろう。
店員さんは愛想良く返事をして、ニコニコと注文をメモ帳に書き込んでいる。
「彼女さんかわいいですね! 今日は温泉デートですか?」
「え、あ、まぁ、そんなところですっ」
店員さんのキラーパスに、顔を赤くしながらもなんとか対応する。
雫の方をみると、彼女はうつむいて。
「か……彼女……に、見えるんだ……えへへ……」
と、小さくつぶやいていた。
可愛いがとどまることを知らない。
そうこうしていると、カップル限定温泉お餅がテーブルに運ばれてきた。
可愛らしいピンクの和紙に、ハート型、桜色の温泉お餅がいくつかちょこんとのっている。
この一口サイズの餅を、カップルはお互いにあーんするらしい。
こういうのが大好きな陽キャの辞書にはおそらく恥じらいという言葉がないのだろう。
「お、お兄ちゃんから、あーんしなさい!」
先ほどまでうつむいていた俺の義妹は、なんとか正気を取り戻したのか、左手に五円玉ゆらゆら揺らしながらそう言う。
恥ずかしさのあまり五円玉を揺らしながらじゃないと喋れない様子だ。
「わ、わかった」
催眠術にかかったフリをしている俺に、断ることは許されない。
小さな温泉お餅を掴んで、雫の小さなお口に向ける。
「ほら……口あけて……」
「ちょ、ちょっと、おっきいよぉ」
「大丈夫、入るって」
「……あご外れちゃう」
「でも、入れなきゃダメなんだろ……」
「うぅ……頑張る……」
心なしか卑猥なやりとりになっている気がするが、気にしてはいけない。
「んぁっ……」
雫は大きく口をあける。
大きくといっても、雫にとっての大きくなので、俺からすればすごく小さい。
口の奥には、狭い口内の割は長い舌がのぞいていた。
「ひゃ、ひゃやくぅ……っ」
急かす雫。
これから雫の小さなお口におっきなピンク色の湯もちをぶちこむ。
別にやましいことはしていない。
カップルがよくする行為だ。
死ぬほど恥ずかしいことを除けば、なんらおかしいことはない。
「っ!」
俺は覚悟を決めて、雫の口に温泉お餅を入れた。
「んっ! ゅっ!」
「どうだ? うまいか……雫……?」
雫は俺の指ごと、お餅をくわえる。
「指は咥えなくてもいいだろ!」
長い舌に指があたった。
俺はすかさず雫のスマホで写真を撮る。
もぐもぐとハムスターのように餅を咀嚼する雫。
ちっさなお口におっきなピンク色の温泉お餅をぶち込んでしまったせいで食べるのに時間がかかってしまうようだ。
しばらくして。
「お、奥に入れすぎ……ばか!」
「ご、ごめん」
雫の舌の感触が未だに指に残っている。
今すぐこの感触をメモに書き込みたいがなんとか我慢する。
市野先生の正体がバレるのはまずい。
「じゃあ次は、お兄ちゃんの番……」
「お、おう」
雫はひときわ小さな温泉お餅を選んで指でつまむ。
「ん?」
温泉お餅をつまむんだあと、雫は左手でスマホを持って見つめている。
赤面している彼女を見るに、おそらく吉沢さんから何かしらの指令が下っているのだろう。
嫌な予感しかしない。
「っうう……約束だし、これを乗り越えなきゃ……私に未来はない……っ!」
何を言えばここまで人を追い詰めることができるんだ?
「お兄ちゃん、口、あけて」
「……わかった」
言われるがまま口を開けた。
すると雫は、スマホを見ながらとんでもないことを口にする。
「お、お兄ちゃん……私の、や、やわらかくてちいさいのを……い、いっぱい頬張ってほしいの……っ!」
あの悪魔、人の妹になんてこと言わせるんだ……!
でもドキドキしちゃう俺の純情が恨めしいっ!
雫はピンク色の温泉お餅を俺の口に入れる。
「……っ」
いろんな意味で甘くて美味しい……。
「はぁ……っ! はぁ……っ!」
なんとかお互いのあーんを写真に収め、雫は満身創痍で吉沢さんに写真を送信した。
雫が送信ボタンを押して数秒、俺のスマホが鳴る。
『たちました?』
「なにがだよ!」
俺は吉沢さんのメッセージを既読無視して、雫の様子を伺う。
雫は玉のような汗を額に浮かべながらも、たぷたぷとスマホをつついていた。
「雫、その、大丈夫か?」
「ひゃっ! きゅ! 急に話しかけないでよ!」
驚いた彼女は、持っていたスマホを落とす。
「わ、悪い」
ちょうど俺の足元にあったので拾おうとすると。
「だ、だめ!」
「え?」
視線の先。
雫のスマホの待ち受けが、先ほど撮った、ブサイク顔で俺が湯もちを食べている写真に変わっていた。
「……か、勘違いしないでよね! これも吉沢さんに言われたことなんだから! ほ、本当なんだから!」
「雫は可愛いなぁ」
「ふぇっ! ば、ばか!」
久々にツンデレる雫。
拗らせまくる雫をここまで素直にさせた吉沢さんの手腕は、たとえ人の道を外れていたとしても評価せざるを得ない。
俺は吉沢さんとのメッセージを開き、ありがとうございますと、送った。
その後も温泉街の店をいくつか周った。
カップル限定湯もちを遥かにこえる受難を吉沢さんが用意したいたことを知り、ありがとうございますと送ったことを後悔したのは言うまでもないだろう。




