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 吉沢さんとの新作打ち合わせ、もとい雫との協力関係を結び、笹本の正体を知った衝撃の日から数日経った、午後十時。

 俺は少し暗い自室で、大量の資料とノートパソコンとにらめっこしていた。


「ちくしょう……ちくしょう……っ!」


 キーボードをカタカタ鳴らして文字を打ち込む。

 俺は今、新作小説である『毎日死ね死ね言ってくる義妹が、俺が寝ている隙に催眠術で惚れさせようとしてくるんですけど……!』の初稿をweb版に合わせて書いていた。

 うめきに近い声を上げながら、俺はどんどんキーボードを叩いていく。


「クソ……なんでだよ……ッ」


 おかしい。

 こんなはずじゃなかった。

 そんな思いが脳内を支配する。


「なんでこんなに執筆が捗るんだよ!」


 俺は人生最大と言ってもいいほど、調子が上向いていた。

 キーボードを叩く手をいつ止めようかと迷うくらい調子が良い。

 文字がどんどん溢れてくる。

 いつもなら捻り出して書いているところを、溢れすぎてどの言葉を選ぼうか迷う始末だ。


「ぐっ!」


 しかしながら、文字を紡げば紡ぐほど、俺の心は締め付けられる。


「くっそなんだよこの義妹可愛すぎんだろ……っ!」


 雫をモデルにした催眠系義妹『一ノ瀬 沫(いちのせ しぶき)』ちゃんが縦横無尽に動き回るシーンを読み返して、息が荒くなる。

 雫に催眠術で振り回されるように、沫ちゃんは主人公を振り回し、ツンツンデレデレしまくる。

 正直現実の雫と同じくらい可愛い。


「あ……あぁ……っ! くっそぉっ!」


 俺はなんてことを考えているんだ!

 現実と創作を混同するなんて!

 しかも雫と自作の小説のヒロインを重ね合わせてブヒブヒ言うなんて……!


 現実の義妹を妄想しながら、その義妹がもうちょっとこうしてくれたらかわいいなーなんて思いながら小説を書くなんて、正直キモすぎて全人類がドン引きするレベルである。


「落ち着け俺、これは雫をモデルにして書いているからしょうがないことなんだ……!」


 自分のキモさと小説を書く手が止まらないという嬉しい悲鳴状態に、俺のメンタルは上がったり下がったりでもう大変だった。

 新作小説の初稿、その文字数が六万文字にさしかかろうとしたその時。

 脇に置いてあったスマホが鳴る。


「もしもし、市ヶ谷ですけど」

「お疲れ様です。吉沢です」


 片手間に電話に出ると、いつもと変わらないテンションの吉沢さんが電話に出る。


「web版に調整された催眠義妹初稿、十話分見させていただきました」


 小説投稿サイトでは、本で発売した時のように、十万文字一気に投稿するわけではなく、二千から五千文字程度で書かれた単話で投稿される。

 決められた期間はおよそ一ヶ月。八月一日から九月一日までだ。

 八月一日にりんこの新作小説と同時に投稿し、ブックマーク数や評価ポイントからなる総合点で、勝敗を決するというわけだ。

 勝てば晴れて、新作をドライブ文庫で出版できる。

 それに、俺にとってはもっと別の大きな意味も持つ。

 催眠義妹の取材と称して、雫に市野先生としの接触し、関係改善を図る。

 そちらの目的も小説の出版と同じくらい大事だ。


「市野先生聞いていますか?」

「え、あ、はい! 聞いています!」


 打ち合わせそっちのけで物思いにふけってしまった。

 今は執筆に集中しなければ。


「十話分読ませていただきましたが、とてつもなく面白いですね」

「……へ?」

「だから、とてつもなく面白いと言ったんです。二度言わせないでください、ぶち◯しますよ」

「いやなんでキレてるんですか……!」


 吉沢さんが俺の小説をおもしろい言う。その信じがたい事実に、間抜けな声を上げてしまった。

 けれど何故か悔しそうにしている彼女の声を聞いて、夢ではないと確信する。


「キャラクターが気持ち悪いほど動いていますね。ヒロインの沫ちゃんもいい具合に狂っていますし、催眠術にかかったフリをしている主人公の、困惑しながらも喜ぶ仕草は、キモオタって感じで最高に気色悪いです」

「ちょっと待ってください本当に褒めてますか?」

「褒めてますけど? オタクが笑い、そして喜び、賛否両論生まれるくらい限定的な笑い、可愛らしさ、それが市野先生の作風であり魅力です。……とにかく、導入としては荒削りな文章さえ直せばまったく問題ないと思います。直した方が良い部分に赤を入れておきましたので、明後日の一日に直したものを投稿してください」

「あ、ありがとうございます!」


 吉沢さんとの打ち合わせでここまで良い評価をもらえたのははじめてのことだったので、声がうわずってしまう。

 言うまでもなく彼女は厳しい。

 大御所作家にも平気で大幅なリテイクを要求するほど意識がたかい編集者さんだ。

 そんな吉沢さんが少しのリテイクだけで初稿直しを済ませるのは本当に珍しいことなのだ。

 それだけ催眠義妹の出来が良かったのかもしれない。


「市野先生、たしかに催眠義妹の出来は良いです。けど油断しないでください。今回は一人相撲ではありません。あの笹本先生との直接対決なんですから」


 吉沢さんの声がいつもより少し暗い。


「吉沢さん……まさか、その、りんこの新作を読んだんですか……?」


 少しの静寂。

 吉沢さんはどうやら言葉を選んでいる様子だった。

 その態度を見るだけで、りんこの小説の出来がうかがえる。


「笹本先生は、九万文字、文庫本一冊分の小説と、web投稿用の十二万文字、計四十話分をもう書き切っています」

「はぁっ!?」


 りんこと打ち合わせ室で出会った日からまだ五日もたっていないのに……そんなのありえない。

 通常なら、普通の作家が文庫本一冊(八万文字~十一万文字)書くのに早くとも一ヶ月はかかる。

 書くのが相当早いと言われる俺でさえも、一日一万文字、直しが入るとすれば最低でも二十日はかかる。


「以前からりんこは用意してたってことですか……?」

「いえ、数日で全て書き切ったようです」

「チートだろ……」


 異常。

 そうとしか表現できない執筆スピードだ。


「それで、その……面白かったんですか……?」

「……」


 そう聞くと、またも吉沢さんは口をつぐむ。


「面白かったんですね……それも相当」


 長い付き合いだ。吉沢さんが俺の考えていることを読めるように、俺も吉沢さんの考えていることはなんとなくわかる。


「……序盤の掴み、導入部分のインパクトなら、市野先生の催眠義妹の方が少し上回っています。初動では市野先生に軍配が上がるでしょう。しかし完成度の面では笹本先生は圧倒的です。企画とすれば、地味な幼馴染が冴えない男子に恋をする笹本先生お得意の内容なんですけど、人間ドラマやヒロインの感情表現があまりにもうますぎる。恋する乙女を感情をこれでもかというほどリアルに描いています」


 企画のパンチ力なら圧倒的に俺の方が上なのに、序盤わずかに上回る程度。

 それがどれだけ絶望的な差か、簡単に理解できる。

 りんこの企画は誰でも楽しめるいわば普通のラブコメだ。読者を選ばない。

 しかし俺のラブコメは読者を選ぶ。

 催眠術という攻めた企画もそうだし、ヒロインの沫は主人公に暴力も振るうし、なにより理不尽だ。


 今の時代、そういう理不尽なヒロインは読者をかなり選んでしまう。


 web小説では、票を多く取った作品がランキング上位に登り、トップページに掲載され、そしてPV数も伸びる。PV数が伸びればそれだけポイントを入れてくれる読者の目に触れやすいので、さらにランキングがあがる。


 故に、ポイントをとれる作品、つまり嫌われない作品ほど有利に働く。

 ファンタジーはともかく、ラブコメに至ってはそれが顕著に現れる


「あの作品に勝つには……催眠義妹をただのラブコメで終わらせるわけにはいきません。後半、笹本先生のように、フィクションかどうか見分けがつかないほどの人間ドラマのリアリティが必要です」

「リアリティですか……」

「作品の質で勝とうとするならば、それしか方法はありません」


 質で勝つ……あの笹本に?

 文章力、演出力、構成力、読者の心を掴む手腕、すべてにおいて向こうの方が圧倒的に上。

 その笹本に……りんこに……単純な物語の質で勝負する。


「すみません、少し考えます……」

「わかりました。私が余計なことを言ってもおそらく事態は進展しないでしょう。今の市野先生の実力でも催眠義妹をこのまま書き切れば、充分商業で通用します。それくらい素晴らしい出来だと思います。しかし、笹本先生に勝つとなると話が変わってくる。……ここから先は、作家の本分です。私のような一介の編集者が踏み入れる領域ではありません」


 吉沢さんは、一呼吸おいて、ゆっくりと喋る。


「私にできることはすべてやりました。あとは市野先生、あなた自身の勝負です」

「……わかりました。できる限りのことはやってみます」


 その後少しだけやりとりをしたのち、電話を切る。

 曖昧な返事を返すことしかできなかった……。

 今の俺の状態は、作品を投稿していないにも関わらず崖っぷち。

 それもそのはず、あのりんこと作品の質で勝負しなければならないからだ。

 しかも期限は一ヶ月。

 自力をあげようにも期間が短すぎる。

 俺は普通の人間だ。


 普通の人間が、怪獣と綱引きで力比べをしたって敵うわけがない。


「……だぁーっ! くそっ! 何にも思いつかねぇ!」


 机に両手を叩きつけて、うずくまる。

 人間ドラマって言ったって、一体どうすれば……っ。


 知恵熱を出すくらい考えこんでいると、背後にあるドアがコンコンとノックされる。


「どうぞー」


 おそらく母さんが何か用事を押し付けにきたのだろう。

 どうせ数時間は作業の手は止まるので、良い気分転換になるかなと思い、振り向くと。


「…………っ!」


 薄手の白パーカーに、黒色のホットパンツ。

 恥ずかしそうに服の袖を握って。

 伏し目がちにこちらを見つめる俺の義妹。


 雫が、ドアを開けて立っていた。


「し、雫……?」


 なんで雫が、俺の部屋に!?

 俺は速攻でノートパソコンを閉じて、資料を裏返す。

 言わずもがな、催眠術にかかったフリがバレて以降、俺はまともな状態で雫と話したことはない。

 およそ一ヶ月半の間、一言も喋っていないのだ。

 そんな雫が、俺の部屋に訪れる。


「……あ」


 未だ部屋に入らず、顔を赤くしてもじもじしている雫を見て、俺はさっき電話で聞いた吉沢さんの言葉を思い出す。

『私にできることはすべてやりました。あとは市野先生、あなた自身の勝負です』

 普段の吉沢さんならあまり言わさそうなセリフ。

 明確な改善点もないのに、すべてやりましたなんて、吉沢さんは言い切らないのだ。

 もしこの雫が部屋に訪れるという展開を、彼女が用意したのであれば……話は別だけれど。

 物語のモデルになった俺と雫を直接接触させ、そこで起きた出来事、経験をもとに、小説を書いてもらう。

 いかにも吉沢さんがやりそうなことだ。

 先日、俺を抜きで雫は彼女と話していた。


『なんでもやります』という言質までとられて。


「ぅっ……」


 謎に小さくうめき声をあげて、雫は俺の方へと早足で歩いてくる。

 そして、椅子に座っている俺の肩を掴んで。


「か、かかってください!」


 揺れる五円玉を見せる。

 その時確信した。

 やはり吉沢さんが何か一枚噛んでいる。

 その証拠に、雫はスマホを握りしめていた。

 ボイスレコーダーをオンにして。


 雫は俺が催眠術にかかったフリをしていたことを知っている、その証拠に、顔はこれでもかというほど真っ赤だし、緊張と恥ずかしさからか、汗もダラダラかいていた。


『お兄さんは催眠術にかかりますよ』と、そそのかされたならこうはならない。


『お兄さんに催眠術をかけてみてください。正気を保ったままでも彼は催眠術にかかったフリをするでしょう。何故なら彼はあなたのことが大好きで、関係を改善したいと思っているからです』


 あくまで予想だろうけど、雫の反応を見る限り、そんな雰囲気のことを言われたのだろう。


 じゃないと謎に敬語になったりしないし、懇願するように催眠術をかけようとしないだろう。

 一体どう言いくるめられたらそんな奇行に走らせることができるのか……!

 吉沢さんの、りんこにも勝るとも劣らない人身掌握術に恐れ慄きながらも、少しだけありがたいと思った。


「…………っ」


 雫が俺に催眠術をかける姿を見て、何故か、涙ぐんでしまう。


「な、なんで泣いてるのよ……やっぱり、わわ、私のことなんか、嫌いなのね……! 大嫌い……なのね……! そ、そうなんでしょ!」

「それは違う!」


 一度は失ったと思った繋がり。


 無くしてしまった繋がり。


 それを、お互いがお互いに正気だという変なシチュエーションだけれど、催眠術という方法をつかって、雫自身が元に戻そうとしてくれたことが、俺は心底嬉しかった。


「久しぶりすぎて、その、嬉しかっただけだよ」

「うっ……」


 涙ぐみながらそういうと、雫は顔を真っ赤にした。


「お兄ちゃんは、私のことが、まだ……大好きなの?」


 恐る恐るしたその質問に。

 あの度を超えた恥ずかしがり屋の雫が、勇気を出したであろう質問に、俺は迷わず答える。


「あぁ、ずっと大好きだったよ」


 ここで答えを濁せば、もう二度と雫は歩み寄ってくれないと思った。

 だから、本当の気持ちを告げた。

 やばい……泣きそうなくらい恥ずかしい……っ。


「……うぅっ」


 雫は五円玉をゆっくりと揺らしながら、もじもじしている。


「ごめん……今はまだ、これに頼らせて……じゃないと恥ずかしくて死んじゃう……」


 催眠術は、かかっていない。


 それは俺も雫もわかっている。


 けれど今は、それでいい。


 催眠術というフィルターを通してなら、雫が素直に自分の気持ちをぶつけてくれるのなら、俺はそれで十分だった。


「あぁ、催眠術にかけられたときだけ、俺はお前のことを大好きになる。そういうルールだよな」

「そ、そうこと……です……じゃあ、この五円玉をよく見て……っ」


 揺れる五円玉を見つめる。

 その向こうに、真剣な面持ちの雫がいる。

 久しぶりだな、この感じ……。


「私のことが大好きなお兄ちゃんは、あ、明後日、一緒にお泊まり旅行に行きたくなる!」

「へ……?」

「お、お泊まり旅行に行きたくなるの! そ、そう言えって言われてるの!」

 雫と二人きりでお泊まり旅行……!


 そう言えって言われてるってことは、きっと吉沢さんに何かしら吹き込まれているんだろうけど……!


 い、一体どういう意図があってそんな破廉恥な!


「お願いかかってよぉ……っ」


 涙目で催眠術にかかってと懇願する雫。

 前の高圧的な態度とのギャップで、少しドキッとしてしまう。


「う、あ~、雫と二人きりでお、お泊まり旅行行きてぇ~っ!」

「うっ、じゃあ、明後日の朝九時に駅前集合で……!」

「わ、わかった」


 お互い催眠術にかかっていないことは知っているのに、なんだこの茶番は……!

 よく考えれば、今とんでもなく恥ずかしい状況なんじゃないか!?

 胃がキリキリと痛む。

 それは雫も同じなようで、もじもじと恥ずかしそうにしていた。


「そ、それじゃあそういうことだから! す、すっぽかしたら……な、泣いてやるんだから!」

 いつもの雫にしてはかなり弱気な捨て台詞を吐いて、俺の部屋を勢いよく飛び出していった。

「……」


 俺は無言で吉沢さんに電話をかける。

 ワンコールもしないうちに吉沢さんは電話に出た。


「どうでしたか?」

「どうでしたかじゃないですよ! どうすればいいんですか!」


 吉沢さんの第一声を聞いた瞬間、彼女のしたり顔が目に浮かぶ。


「市野先生なら飛び上がるほど嬉しい展開でしょう? それに執筆活動も捗りそうですしね」

「そ、それはそうですけど……っ! 俺のメンタルが終わっちゃうじゃないですか!」

「笹本先生を超えるような作品に出会えるなら、私は市野先生の心が壊れてもかまわない」

「吉沢さんそろそろ地獄に帰った方がいいんじゃないですか?」

「私は知っていますから、市野先生は叩けば叩くほど大きくなるって」

「作品のことですよね!?」

「とにかく、笹本先生を超えるためにはもっと情報や経験が必要です。雫さんと二人きりでお泊まり旅行をすれば、作品にさらなる深みが生まれるかと思った次第です」

「俺の心の傷が深くなるの間違いでは?」


 とりとめのない話を少し繰り返したあと、吉沢さんは言った。


「雫さんは、勇気をだして市野先生を誘いました。わがままな彼女も彼女なりに、いろいろと考えています。応えてあげてくださいね」

「……もちろんです」


 雫があんなこと、普段なら絶対に言わないなんてことは、俺が一番よく知っている。

 勇気をだして、催眠術を俺にかけてくれたのだ。


「今回の旅費はすべて私もちです。月並みですが、楽しんできてください」

「は、はい……あ、ありがとうございます……っ!」

「それでは」


 そう言って、吉沢さんは電話を切る。

 人を傷つけながらじゃないと会話できない点と、目的の為なら自分以外の人間の心は死んでもいいと思う人間性さえ目をつむれば、吉沢さんはすごく良い人だ。

 明後日、雫との旅行……それも泊まりで……。


「あーもう! こんな状態で小説なんて書けるかー!」


 俺はパソコンで女の子に引かれないファッションについて入念に調べ上げた後、机の上を片付けて、すぐさまベッドに入った。







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