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「ふぅ、雫さんの協力もあって、催眠義妹ちゃんのキャラクターが固まってきましたね。市野先生」

「そ……そうですね!」


 雫は机にうずくまり、大量の汗をかきながらヒクヒクと痙攣していた。

 そんな雫にはめもくれず、ホクホク顔でパソコンもカタカタうっている吉沢さん。

 毎日死ね死ね言ってくるような義妹も、悪鬼も慄くような編集者様とは相性が悪いらしい。


「しかしながらあともう一押し欲しいですね」

「もう一押し?」

「やはりキャラクターを押しまくるライトノベルも面白いんですけど、それプラス、ドラマもあった方がいいと思うんですよね」


 吉沢さんの言うことは一理ある。

 笑えたり可愛いシーンを際立たせるためには、それと同じくらい人間ドラマも必要なのだ。

 キャラクターの目的に対して壁をつくり、苦悩させ、そして乗り越えさせることによって、さらに深みが増す。

 創作界隈ではよく使われている手法だ。


「たしかに……ギャグテンポで進めていって、シリアスにふれば、ギャップも大きくて面白いかもですね」


 俺がそういうと、吉沢さんはにっこりと笑う。


「そこでです。この催眠義妹に、少しシリアスな展開を加えたいのです。市野先生ならどんな展開を用意しますか」

「し、シリアスな展開ですか……」


 何やら誘導されているような気がする……。

 先ほど雫が詰問されていた内容は、主に催眠義妹のコメディ部分。

 義妹ちゃんのモデルである雫本人に、こういうシチュエーションならどう動きますか? と聞いて、義妹ちゃんのキャラクターを作り上げる作業をしていた。

 実際俺も聞いていてかなり参考になった。

 でもそこにドラマを付け加えるとなると……。


「方法はひとつしかありませんよね?」


 意味深な表情で、吉沢さんはこちらを見つめる。

 催眠義妹のシリアス展開。

 俺は自分自身で経験している。


「そこさえ埋めれば、あの笹本先生にだって勝てますよ」

「あの笹本に……っ」


 正直手応えはある。

 頭の中で展開を想像するだけで、よい物語が出来そうな予感もある。

 だけど、それを描けば俺のメンタルは確実に死滅するだろう。

 そんな胃に大穴案件を笑顔で俺にやらせようとする編集をにらむと、それと同時に、吉沢さんのスマホが鳴った。


「あ、すみません。マナーモードにするのを……忘れて……」


 スマホの画面を見た途端、吉沢さんの動きがピタリと止まった。


「どうかしたんですか」

「いえ、大した問題ではないです。ここに笹本先生がくるだけなので」

「はぁっ!?」


 笹本って、あの笹本か!?

 なんであいつがドライブ文庫に!?

 あいつはもっと大手レーベルの……!

 一瞬にして数多の疑問が脳内を駆け巡る。

 雫も、笹本の名前を聞いて少し驚いている様子だった。

 ライトノベルを嗜む人間なら大抵の人は知っている期待の新人、それが笹本なのだ。

 吉沢さんに理由を聞いた瞬間、背後の扉がゆっくりと開く。


「お邪魔します」

「えっ……」


 俺はその声を何度も、聞いたことがあった。

 振り向くと。

 藍色を基調としたトップスに、黒のタイトスカート。革製の高いヒールをはいた。


 幼馴染のりんこが、そこに立っていた。


「市野先生が会うのは、確か二度目でしたよね。サイン会で来てましたし」


 何食わぬ顔で話しかけてくる幼馴染。

 呆気にとられると、吉沢さんにスネを軽く蹴られる。


「えっ、あぁ、そ、そうでしたっけ」


 なんとか話を合わせたけれど、動揺はおそらく隠しきれていない。

 りんこは俺の正体を知っているのか? それとも知らないのか……?

 笹本の正体がりんこだったことに対してもそうだし、俺の正体がバレているかどうかもそうだけど、とにかく予想外が重なりすぎてどうしていいかわからない。

 りんこは俺をじっと見つめた後。


「市野先生はじめまして、笹本と申します」


 笑顔で手を差し出して、爽やかに挨拶を求めてくる。


「あ、え、よ、よろしく……お願いします」


 俺は差し出された細い手を握り、挨拶に応じた。

 今思えば、サイン会の時のりんこの意味深なセリフだってそうだし、幼馴染小説で俺に宣戦布告してきたのもそうだ。

 俺が気づかなかっただけで、笹本=りんこだという要素は、そこら中に転がっていた。


「な、なんでアンタがここに……!」

「なんでって、仕事の為だよ。雫ちゃん。私ライトノベルの作家なの」


 雫とりんこは面識がある。

 驚くのは当たり前だし、リアクションを隠す必要もない。

 俺が抱いていた疑問を雫はりんこにぶつけた。


「私、ドライブ文庫で仕事させてもらうの。まぁでも空いている出版枠は一つしかないみたいだから、そこにいる市野先生と競争になっちゃうんだけどね」

「へ……?」


 初耳の情報ばかりで脳の処理が追いつかない。

 俺はついに、取り乱しながら吉沢さんを問い詰める。


「よ、吉沢さん聞いてないですよ! そんな話!」

「出版枠を決めるためにコンペをやるとは聞いていましたが、相手がまさか笹本先生だとは……私も今メールで知りましたから、市野先生が知らないのも当然です。上は笹本先生と市野先生、ラブコメ作家の出版枠争奪対決として、読者を煽り、なおかつweb投稿サイトと連携し、大々的に盛り上げたいようですね」


 吉沢さんはめずらしく、額に汗を浮かべていた。

 彼女にとってもこの展開は予想外のことなのだろう。

 それに俺だけなら成り立たないであろうその企画も、笹本という名前が入ればおそらく可能だ。


「市野先生、風の噂で聞いたんですけど、たしか義妹モノを書くんですよね? それも催眠というテーマで。すごい企画ですよね、そんなの私なら絶対に思いつきませんよ。だから、そんな市野先生と競い会えるなら楽しそうだと思って、編集部に連絡させていただいたんです」

「へ、へぇ、そうなんですか……」


 今の宣戦布告に近いよなセリフを聞いて確信する。

 りんこは気づいている。

 俺の正体が市ヶ谷碧人だと言うことも、俺が催眠をテーマにした小説をなぜ書こうとしているのかも、すべて知っているのだ。

 そんな賢すぎる幼馴染は、優雅にステップを踏んで、俺の耳元に顔を近づける。


「言ったでしょ? 全部壊すって」


「っ!」


 仮説が確信に変わる。

 どこから情報を仕入れてきたのかはわからないけれど、りんこは宣言通り、俺の出版枠と共に、雫と仲直りすると言う計画も、すべて一緒に、潰す気なのだ。


「私は今度も幼馴染モノの小説書こうと思ってるんですよ。お互い、ベストを尽くしましょうね。市野先生」


 りんこがあの笹本鈴紀。

 緻密につくられた物語で読者を虜にし、俺なんか到底及ばないような結果を残している小説家。

 そんな怪物と、勝負しなければならない。

 あの賢すぎる幼馴染に、売れっ子作家の笹本に、俺が果たして勝てるのだろうか……。

 勝ちたいという気持ちよりも、冷静に実力差を分析する理性の方が強く働く。

 現時点では逆立ちしたって、俺はりんこには敵わない……。


「コンペの方法は至ってシンプルです。決められた期間、web小説サイトに小説を投稿してもらい、ポイントの多い方を書籍化させていただきます。だ、そうですよ。市野先生」

「そんな……」


 吉沢さんは額に青筋を浮かべながらそう告げる。

 彼女にもまったく情報共有されていなかったのだろう。

 これはあくまで予想だけれど、りんこが新作の出版枠くれないかと強引に編集部にお願いしたのかもしれない。

 俺なんかと比べて話題性もファンも多い笹本先生からの提案を、編集部が断る理由もない。

 スケジュールを無視して強引に組み込んだ結果、吉沢さんも今し方それを知ったという原因になったのかもしれない。


「市野先生が描く飛び道具みたいな催眠モノの小説がどこまで通用するか楽しみですね。あ! でもwebなら有利なんじゃないですか? 閲覧数だけなら伸びそうですし! ほら、タイトルとか出オチじゃないですか!」

「……っ」


 何も言い返すことはできない。

 俺の小説、しかも催眠という企画はかなり攻めている。

 web小説では俺の方が有利だとりんこは言っているが、おそらく実際は違う。

 SNSのフォロワー、ファン、新作に対する期待度、話題性、そして作家自身の地力。

 すべてにおいて、俺はりんこに負けている。


 web小説での勝負だとしてもかなり不利な戦いになるだろうし、編集部内の評価だけで決めるとしても、数字を持っているりんこのほうが圧倒的に有利だ。

 冷静に考えて、俺が編集者だとしたら俺よりもりんこの新作の出版を優先させるだろう。

 そんな言い訳を、つらつらと並べてしまうくらいには、俺の心は弱りきっていた。

 笹本の正体に驚いたのもそうだけど、俺はりんこの能力の高さを知っている


 それに何度も助けられた。


 それが今度は敵に回るのだ。 


 怖くないわけがない。


「黙りなさい地味女」

「雫……さん……」


 雫は立ち上がり、りんこの元まで歩き、そしてにらみつける。


「アンタの小説なんかに、市野先生の小説は負けない」


 何の迷いもなく、雫はそう言い切った。

 大手レーベルで俺より遥かに大きい結果を残しているりんこよりも、俺の方が上だと言うその姿を他人が見れば、小説を書いたことがない人間が言う、ただのエコヒイキだと馬鹿にするかもしれない。


 でも、俺には刺さった。


 信じてくれる読者がたった一人でもいれば、作家は絶対に筆を折らない。いや、折れないのだ。


「私とお兄ちゃんの物語は、絶対に負けない……っ!」


 雫のそんな姿を見て、折れかけていた心が少しだけ立ち直る。

 俺の一番のファンが、ここまで信じてくれているのに、当の本人の俺が勝負する前から負けた気でいるのは情けないにもほどがある。


 りんこは雫を笑顔で見下ろした。


「少し見ない間に、ずいぶん元気になったね雫ちゃん。どうせ市野先生とそこの編集さんにいろいろ吹き込まれてるんだろうけど、あまり期待しない方がいいよ。私は絶対に負けない。どんな手を使ってでも勝つから。あなた達の嘘にまみれた物語はそれで終わり」


 りんこの終わらせるという言葉は、俺と雫の心の奥底に深く突き刺さる。


「私は私の担当さんと打ち合わせがありますので、それでは」


 幼馴染は終始笑顔で、俺たちを翻弄し、そして打ち合わせ室を後にした。


「吉沢さん」

「はい」

「勝率はどれくらいですか?」

「……web媒体、それもポイント勝負となると、笹本先生の方が圧倒的に有利ですね」

「……そう、ですよね」


 わかりきっていたことだけど、吉沢さんが言うってことは、相当な開きなんだろうな……。


「その……っ! 私ができることならなんだってやります! 市野先生の小説は面白いです! あんなのに負けるはずがありません!」

「雫……さんっ」


 不利と知ってもなお、信じてくれる俺の義妹。

 俺が女装していない状態でも、これだけ素直でいてくれると嬉しいんだけどなぁ。


「言質とりました」

「……へ?」

「言質とりましたと言ったんです」


 ボイスレコーダーのスイッチをオンにする吉沢さん。

『私なんだってやります!』

 雫の可愛らしい声が打ち合わせ室に響く。


「市野先生、今日はこれで打ち合わせ終わりでも良いですか? 私、雫さんと少しお話がありますので。もちろん、作品を良くするために必要な打ち合わせですから」

「え、あっ……はい」


 まくしたてる吉沢さんに、俺は乾いた返事をすることしか出来なかった。


「それでは雫さん、奥の席に移りましょうか?」

「ちょ……なんでもやるとはいいましたけど……」

「なんでもやるんですよね?」

「う……はい……」


 吉沢さんに肩を抱かれて、そのまま奥の席に移動する雫。

 その表情は、獣医さんに抱かれた猫のように怯えきっていた。

 ごめんな雫、それを止めればたぶん俺はお前以上の責苦を受けることになるんだ……っ!

 涙目な雫を尻目に、打ち合わせ室を出ようとすると、背後から声がかかる。


「まさか、あきらめたりしていないですよね?」


 デビュー当時からずっと支えてきてくれた担当が、心配そうに聞いてきた。


「あきらめる? 何をですか?」


 俺ご少し笑みを浮かべてそう返すと、吉沢さんは呆れたように笑って。


「信じていますよ。市野先生」


 そう、小さく呟いた。




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