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 雫との取材から一週間後。

 編集部の打ち合わせ室の時計は午後二時をさしていた。

 俺はいつもの席で、吉沢さんに取材で何があったかを事細かに話していた。


「という話に、なんとか持っていきました……」

「くっ……ぷふっ……」


 吉沢さんは俺と雫がしたであろう会話の記録をノートパソコンに記していた。

 一体何に使うのか見当もつかないけれど、後々俺のメンタルに負荷がかかることは確実だろう。


「なんで笑ってるんですか! こちとら魂削ってるんですよ!」

「いやだって……ぶふっ」

「で、なんで僕はこんな格好で呼び出されたんですか? 今日って新作の打ち合わせですよね」


 新作についての打ち合わせだと言って、今日は呼びだされたのだけど、なぜか吉沢さんの指定で、俺は女装させられている。


「まぁその格好に関しては気にしないでください」

「いや気にしますよ……」

「それでは新作の打ち合わせをはじめましょうか」


 露骨に話をそらす吉沢さん。

 嫌な予感しかしないけれど、今は新作の打ち合わせに集中せねば。

 出版枠はまだあるそうだけど、ドライブ文庫では一カ月に出せる刊行点数が決まっていて、これを逃すといつ出版になるかわからない。

 俺はまだまだ新人作家、有名な作家さんや力のある作家さんとコンペでぶつかれば出版枠をとられてしまう。

 手を抜くわけにはいかない。


「えー次の市野先生が書く義妹モノのラノベ『毎日死ね死ね言ってくる義妹が、俺が寝ている隙に催眠術で惚れさせようとしてくるんですけど……!』についてですが」

「ちょっと待ってください」

「どうしたんですか?」


 また私何かやっちゃいましたか? と言わんばかりにとぼけ顔をさらす大魔王系編集者。


「その企画は、雫と協力体制をとるためにつくっただけで、本当に書くなんて聞いてないんですけど」


 この企画は雫と接触するために作った企画。

 本当に書くとは一言も聞いていないし、想定もしていなかった。


「あれ? 言ってなかったでしたっけ?」

「言ってないですよ!」

「とにかくこの企画で進めましょう」

「む、無理ですって! 実話なんですよこれ!」


 抵抗する俺に対して、吉沢さんはにっこりと笑う。


「いいんですか? 雫さんと仲直りできなくても?」

「うっ!」

「催眠義妹という企画がなくなれば、雫さんに取材をする理由も、仲を取り持つ理由も無くなりますよね?」


 人を詰めるときには笑顔になり、嬉々として外堀を埋めていく。

 吉沢さんがこの表情をしたときに、俺は口論で確実に負ける。

 それでも抵抗しないわけにはいかない!

 作家人生を決めるかもしれない新作の打ち合わせなのだ。

 妥協も遊びも許されない。


「そ、それはそうかもですけど……でもこんなエロ同人みたいな企画で書いたって、つまらない気がするんですけど」


 ぼそぼそとそう告げると、吉沢さんは姿勢を正して、口を開く。


「市野先生の強みはキャラクターです。魅力的なキャラクターが、物語の中を縦横無尽に動く。だから面白いんです。反対に、市野先生に足りないのは企画力。読者の興味を引くような掴みが、アイデアが足りなかった。だからライバルの笹本先生にも負けていたんです」

「う……っ」


 俺と同時期にデビューしたにも関わらず、遥か先で売り上げランキング上位争いをしているウェブ発ライトノベル作家。


「笹本めぇ……っ!」


 俺が笹本鈴紀ささもと すずきに固執する理由は至極シンプルなもの。

 彼が俺の作品を目の敵にしているからだ。

 小説が発売してすぐ、俺は彼からSNSで、直接メッセージを受け取った。

 内容は以下の通りだ。


『市ヶ谷先生、義妹小説書くのやめた方がいいですよ? 正直リアリティが無いというか、あんまり萌えないんですよね。やっぱり市ヶ谷先生は幼馴染ものを書くべきだと思います。自身の経験に照らし合わせてかけるし、何より現実的です。義妹より幼馴染です。幼馴染ルート最高』


 俺の作品を批判し、さらには義妹というジャンルそのものまで否定したのだ。

 許せるはずがないだろう。

 創作上では俺は幼馴染属性よりも義妹属性の方が大好きだ。

 幼馴染を否定するつもりはない。


 けれど、俺の大好きな義妹属性を否定されて黙っていられるほど俺は常識人じゃなかったのだ。


 笹本が俺にSNSでケンカを売り、俺も怒りに任せてそのケンカを買った『アンタの幼馴染ヒロインより、俺の義妹ヒロインの方がえっちでかわいいことを証明してやるよ!』と、宣戦布告までしてやった。


 ……にも関わらず……すべての巻において、笹本の書く幼馴染モノ『モブ幼馴染はお嫌いですか?』に売り上げを離されてしまっているのだ。

 悔しくないわけがない。


「あの先生はすべてを高いレベルでこなしています。市野先生が普通に書いていては、まぁまず勝てないでしょう」

「……っ」


 その通りだ。

 悔しいけど笹本は、俺より遥かにレベルが高い。

 文章力、企画力もそうだし、何より読者の心を掴むのが抜群に上手いのだ。

 読んだ人が絶対に心が動かされるよう、計算され尽くされている。

 実際にそれで結果も残しているし、量産だってできている。

 本当に恐ろしい作家だ。同年代だとはとても思えない。


「けど、チャンスはあります。市野先生だって、全てにおいて笹本先生に負けているわけではありません」

「俺が笹本に、勝っているところ……? そんなのあるんですか?」


 お世辞にも、俺の小説家としての力は大きいとは言えない。

 吉沢さんや担当イラストレーターさんに助けられて、ようやく商品になるような小説を作れている。


 売り上げで笹本に大敗している結果が示しているように、悔しいけど俺と笹本には大きな実力の差があるのだ。


「先ほども言いましたが、市野先生の一番の売りはキャラクターです。笹本先生のキャラクターは良くも悪くも機械っぽい。人気が出るよう計算して作られているので先を読みやすいんです。しかし市野先生のキャラクターにはそれがない、ページをめくるまで何をするかわからない、物語を破綻させずそんなキャラクターを書ける人はそうそういません。断言できます。キャラクターだけなら市野先生は笹本先生に勝てる。そのキャラクターを最大限活かすための催眠設定です。その掴みがあれば、以前のカタイモを超える傑作を書けるはずなんです」


 いつもは俺をけなし、ケツを引っ叩いて小説を書かせるような吉沢さんが、自信しかないという表情で、そう言い切った。


「カタイモを超える……傑作……」


 本当にそんな作品を、俺が描けるのか……?

 俺の心の中にある疑念を、吉沢さんは察したのか、机の上に身を乗り出して、俺の手を強く握る。


「市野先生、やりましょう。催眠義妹を書けば、あなたはきっとすべてを手に入れられます」

「す……すべてを……?」

「妹さんとも仲良くできるし、ライバルにだって勝てる。これ以上のチャンス他にはありません」


 吉沢さんは、今からちょうど三年前、俺がweb小説を投稿していた時からの付き合いだ。

 ポイントも全然入ってないし、閲覧数も伸びていない中、声をかけてくださった唯一の編集。

 地力がない俺の小説を、ここまで育ててくれたのは他でもない吉沢さんなのだ。

 人の心を踏み躙ることになんの抵抗もないこと以外は、本当に優しくて良い人。

 そんな吉沢さんが、真剣な眼差しで、こうも強くこの企画を推すのであれば、俺としても無視しないわけにはいかない。


「……わかりました。その提案に、乗りましょう」


 正直気が進まないけれど、客観的に見れば催眠義妹の企画はパンチが効いていると思うし、掴みも強い。

 吉沢さんが推す理由もなんとなくわかる。

 俺のメンタルが終わるということを除けば、悪くない企画だ、


「市野先生ならそう言ってくださると思いました。それでは早速打ち合わせをはじめましょうか」

「はい、よろしくお願いします」


 資料を広げ、打ち合わせをしようとしたタイミングで、打ち合わせ室の扉が小気味よくノックされる。


「良いタイミングですね。どうぞお入りください」

「誰か呼んだんですか?」

「作品を良くするために必要な方を呼びました」

「まさか……っ!」


 吉沢さんが満面の笑みで俺の方を見つめている。

 その心底楽しそうな笑みと、俺が女装させられている理由がつながり、ドアから入ってくるであろう人物の顔が、頭に浮かぶ。


「こ、こんにちは」


 予想通り、少し緊張した面持ちの俺の義妹。

 市ヶ谷雫が、なぜか申し訳なさそうに打ち合わせ室に入ってきた。


「ちょっと聞いてないですよ……っ!」


 雫には聞こえないように小声で吉沢さんを問い詰める。


「まぁそうでしょうね。言ってないですし」

「なんで言ってくれないんですか!」

「それはもちろん取材のためですよ」


 ボイスレコーダーを出しながら、またもや満面の笑みを浮かべる吉沢さん。

 無駄に美人なのが腹立つので、一発くらいぶん殴ってやろうかと思ったけれど、なんとか思いとどまる。


 まったく、小説を売ってくれたという大恩がなければ両手でのラッシュを顔面に決め込んでいるところだ。


「雫さん、今回は取材協力ありがとうございます。市野先生も大変よろこんでいますよ」

「あ、あはは、うれしいなぁ~」


 白々しく話をふる吉沢さんに合わせて、俺も笑顔で対応する。上手く笑えている自信がない。


「私にできることであれば、なんだってします! ま、まかせてください!」


 雫は下手くそウィンクを俺の方にぱちぱちと飛ばす。

 おそらくこの前交わした協力関係を意識しているのだろう。

 雫は用意されている椅子にちょこんと座った。借りてきた猫のようにおとなしい。

 一応吉沢さんも協力関係のことは知っているけれど、それを雫に悟られてはいろいろと不備が生じるので、吉沢さんはあくまでも何も知らない俺の編集者という立場で雫と接する予定だ。


「あ、ありがとうございます」


 ひきつった笑みを浮かべる俺を見て、悪魔のように笑う編集者。

 人の不幸をここまで笑える人間が未だかつていただろうか?


「それでは早速打ち合わせを始めましょうか。えっと……市野先生、新作のタイトルはなんでしたっけ?」

「えっ、さっき自分で言ってたじゃないですか」

「この頃物覚えが悪くてですね……申し訳ないんですけど、確認のためにも市野先生に音読してほしいなと」


 パソコンを笑顔で見つめながら、白々しくそういう吉沢さん。


「ぐぬぬ……」


 いろいろと察して赤くなる雫を尻目に、俺は自分のふとももつねりながら次作になるであろうタイトルを音読する。


「ま、毎日死ね死ね言ってくる義妹が、俺が寝ている隙に催眠術で惚れさせようとしてくるんですけど……! ですね……っ」

「素晴らしいタイトルだと思います」


 わざとらしく拍手までしている大魔王系編集者。

 人を羞恥に悶えさせる選手権とかあったら間違いなくこの人優勝だろ。


「雫さんはどう思いますか?」

「ふぇっ?」

「市野先生の新作のヒロインのことですよ。本当はお兄ちゃんのことが大好きなのに、素直になれず、いつも罵声や暴力を浴びせる女の子なんですけど、ひょんなことから催眠術のかけ方を知って、催眠術でお兄ちゃんを惚れさせようとしちゃうんです。先週市野先生に提案してもらったキャラクターおよび企画なんですけど、すごく尖っていて、面白そうだとは思いませんか?」


 長台詞を息継ぎなしでまったく噛まずに言い切った。

 にこにこ笑って非常にうれしそうだ。

 一刻も早く地獄に帰って欲しい。


「へ、へぇ~。た、たたたたしかにそうですねぇ~」


 雫は小刻みに揺れながら話を合わせている。

 自分のしていた行動をそのまま小説にされるなんて拷問だよな。

 気持ちはわかる。


「では続けて質問なんですけど」

「は、はい……!」

「もし雫さんがこの物語のヒロイン、お兄ちゃんに催眠をかけちゃう義妹ちゃんであれば、お兄ちゃんにどのような催眠術をかけますか?」

「はぐわぁっ!」


 人道に反した質問を繰り出す吉沢さん。

 雫はあまりの衝撃に吐血する。


「し、雫さんっ! あんたなんて質問するんだ! 人間じゃねぇっ!」


 雫の背中をさすっていると、吉沢はまたもとぼけ顔で言う。


「はて? ただの取材ですよ? もしもの話です。現実にそんな女の子いるわけないじゃないですか」


 こいつ悪魔だ……!

 いや大魔王だ……!

 こんなのまともな人間には不可能なムーブだ……!


「大丈夫ですよ市野先生……これも協力関係の代償ですもんね……っ!」

「雫さん……っ!」


 雫は口についた血を拭いながら、胸を押さえて、息も絶え絶えになりながら、大魔王の質問に答える。


「そ、そうですね。私なら……その『お兄ちゃん、私のことを大好きになりなさい』的な、催眠術をかけるんじゃないですかね……?」

「なるほど、なぜですか?」

「へ?」

「なぜ大好きになりなさいなんですか? 例えばキスしなさいだとか、エッチなことさせなさいだとか、そういう方が手っ取り早くないですか?」


 この人に誰か道徳の授業してあげて欲しい。

 そのうち口だけで誰か殺してしまいそうだ。


「あ、う……その……だ、大好きになってもらってないと、お兄ちゃんの心は、いつも通りだから、キス……とか、命令しても、は、恥ずかしいんじゃないですかね」

「からの?」

「んえっ!」

「かーらーのー?」


 吉沢さんはこれ以上ないくらいの満面の笑みで、クッソウザい陽キャのように雫を攻める。

 言葉攻めにレパートリーが豊富なのはなんなの? どこかで勉強してきたとかですか? 言葉責め専門学校主席卒業とかなんですかね?

 雫は若干涙目になりながら、スカートの裾を押さえて、なにやらボソボソと呟いている。


「これも……結婚のため……いちゃらぶ新婚生活のため……」

「はうっ!」

「市野先生どうかしましたか?」

「いえっ、なんでも……っ」


 ツンデレ義妹のあからさまなデレに不覚にもキュン死しそうになったぜ……あぶねぇ。


「だ、大好きになってもらった方が、その、お兄ちゃんの方からいちゃいちゃしにきてくれる可能性も、ありますし……っ」

「なるほど! 勉強になりますね。市野先生!」

「は、はいそうですね……っ!」

「では雫さんなら、自分を大好きにさせた後、お兄ちゃんどのような催眠、もとい要求をするんですか?」

「じ、自分なら!?」

「はい、自分なら、です」


 ボイスレコーダーを構えて、一言一句逃さないようにしつつ、パソコンにも何やら打ち込みんでいる吉沢さん。

 吉沢さんがあまりにもゲスすぎて、ツンツンかつわがまま義妹の雫が死ぬほど可愛く見える。


「その……ま、まずは……キスから、じゃないですか?」

「ほう、どういうシチュエーションで、ですか?」

「妹ちゃんは、ふ、普段素直になれずツンツンしちゃうので、逆にSっぽいお兄ちゃんに求められたいというか、そういう願望があるとおもうので、む、無理やりキスしなさいとかそういうのじゃないですかね!」


 全身の血液が顔面に集まっていると言われても疑わないほどに、雫の顔は真っ赤だった。

 よく頑張ったね雫……!

 お兄ちゃん誇らしいよ……!


「なるほど……以前市野先生が取材されていたお兄さんは、そういう妹ちゃんを可愛いと思うんですかね? 市野先生」

「えっ?」

「以前市野先生が取材されていたお兄さんは、そういう妹ちゃんを可愛いと思うんですかね? と、聞いたんですよ?」


 突然の流れ弾に焦る俺。そして逃さまいと全く同じ質問を繰り返す言葉責め専門学校主席卒業の吉沢。


「な、なんで私に聞くんですか?」

「市野先生であればお兄さんと付き合いが長いので、考察することができるかなと思いまして。ほら、やはり読者が催眠義妹ちゃんをかわいいと思うかどうかは大事じゃないですか?」


 雫の方をみると「こひゅーこひゅー」と、乾いた呼吸音をあげながらうつ伏せになっていた。

 しかし、耳だけはちゃっかりこちらに向けている。


「うぅ、好みは分かれるとは思いますが、少なくとも、雫さんのお兄さんはそういうツンツンとデレのギャップが激しい女の子は好きなんじゃないですかね」


 汗をダラダラ垂らしながら赤面しつつそういうと、吉沢さんは満足そうな表情で。


「なるほど、参考になりますね」


 と、そう言った。





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