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 個室に入り、三十分ぐらい経っただろうか?


 時刻は午後三時を回ったくらい。

 雫は、緑茶をひとくち飲んで、語り始める。


「結論から話します。私はその……お兄ちゃんのことは……き、嫌いではありません。むしろ好いている部類だと思います」


 その言葉を聞いた瞬間。脳内を喜びの感情が埋め尽くす。

 催眠術にかけられた時から、とっくのとうに知っていた事実。

 しかし雫と疎遠になってからは好意を明確に伝えられたことはなかった為、改めて口にしてもらうと、嬉しいというか、安心するというか、気恥ずかしいような、なんだか不思議な気持ちになった。

 催眠術にかかったフリをしていた俺でも、嘘をついていた俺でも、変わらず雫は多少なり好意を向けてくれている。

 不安だった部分が少し解消され「ほっ」とため息を吐く。

 そして雫の方を視線をやる。

 彼女は今にも泣きそうな顔をしていた。


「けど……色々あって、いまはその……私はお兄ちゃんに、嫌われてます……たぶん」


 歯切れ悪くそう言う雫。

 目にはじわりと涙を溜めていた。


「なぜ、そう思うんですか?」

「それはその……」


 口ごもる雫。

 そりゃそうだよな、兄を催眠術で惚れさせようとしたんだけど失敗してました! だからたぶん嫌われてます! ……なんて、俺だって言いたくない。

 だから、助け舟を出す。


「喧嘩でも、しちゃったんですか?」

「そ、そんな感じです」


 俺の助け舟に雫は全力で乗っかると、また悲しそうにうつむいた。


「喧嘩しちゃったにしろ、雫さんのお兄ちゃんは、その、雫さんをそう簡単には嫌ったりしないと思いますよ?」

「……ただの喧嘩なら、そうだと思いますけど」

「ただの喧嘩じゃないんですか?」

「あ、え……ただの喧嘩です」


 雫は真実を話すことを恐れている。

 事実、雫のしたことは世間的に見ても褒められたものじゃない。

 催眠術が本物かどうかの信憑性や、俺が催眠術に掛からなかったことはさておき、人の気持ちを操り、書き換えようとしたのだ。

 雫自身それを恥じているのだろう。

 俺は、雫と目を合わせる。

 彼女は、親に怒られるのを恐れている子供のような目をしていた。


「……ここで話したことは、絶対に他言しませんから安心してください」


 だからこそ、笑顔でそう告げる。

 事実もう他言する必要はない。

 申し訳ないけれど、吉沢さんも俺も知っている。


「で、でも……」

「雫さんはお兄さんと仲直りしたくはないのですか?」

「いや……それは、もちろんしたいですけど」


 関係を元に戻し、そして改善したいという雫の意思を聞いて安心する。

 ここで雫に拒絶されれば潔く身を引こうと思っていた。

 お互いに目的が同じなら、あとは筋書きを整えるだけ。


「ではこうしましょう」


 人差し指を立てて、笑顔で雫を見つめる。


「私はお兄さんと結構長い付き合いです。彼の考えていることは大体わかります。ので、雫さんが今の悩みを打ち明け、その内容を取材させてもらえるのなら、私が雫さんをお兄さんと仲直りさせてあげましょう」

「ほ、本当ですか!?」


 俺の提案に対して、雫は身を乗り出して食いつく。

 その反応に、若干の嬉しさを感じるけれど、表情はくずさない。

 ここで失敗すればすべて台無しになってしまう。


「もちろん、本当です」

「……話しても、ひいたりしませんか?」

「私だって、異性とのやりとりでの恥ずかしい体験なんていくらでもしています。少々のことじゃ引いたりしませんよ」

「い、市野先生……!」


 窓から入ってくるやわらかい日差しが、雫の目元にある水滴に反射して、キラリと光る。


「わかりました。すべて、お話します」


 眉をひそめて、雫は祈るように手を組んだ。


「私がしてしまった、過ちを」



* * *



「なるほど……そういう経緯があったんですね」


 催眠術で兄を惚れさせようとしていたこと。

 そしてそれがバレて、いや、正確には兄が元々催眠術にかかっていないことを知って、現在は口も聞けないほど、気まずい関係になっていること。その他細かいイベントまで。

 時間にして一時間くらいだろうか? 

 ことのあらましをすべて、雫本人の口から聞いた。

 もちろん俺は当事者の一人なので、すべて知っているんだけど……。


「私はきっと、お兄ちゃんに幻滅されました……」


 ぽつりぽつりと、言葉を紡ぐ雫。

 経緯をしゃべる際に、ゆっくりと瞳に溜まっていた涙が、ついに溢れる。


「私は……お兄ちゃんの優しさに甘えていたんです。本当は大好きなのに、素直になれなくて、自分の心が弱いだけなのに、催眠術の本になんか頼って、お兄ちゃんの心を操ろうとした……」


 俺やりんこの前では、絶対に見せないであろう本音。

 初対面であり、味方だと確信している市野先生だからこそ、雫は吐き出せているのだ。


「お兄ちゃんを催眠術にかけていた時は……いいえ、かけていると勘違いしていた時は、本当に楽しかった。お兄ちゃんはなんだって言うことを聞いてくれたし、私も、本当の自分を出せた。けど、それはただのわがままだった。嘘の繋がりにすがって、地味女にだって図星をつかれてたのに、ずっと気づかないフリをしていたんです」


 玉のような涙が、机に落ちる。

 いくつもできた涙の玉に、雫の悲しそうな顔が反射していた。


「その代償が、今です。お兄ちゃんとも本当に喋れなくなって、地味女に……お兄ちゃんを取られて……っ! キスまでされて……っ! 私だけ催眠術に踊らされて勝手に盛り上がってただけで、お兄ちゃんはそんな私を見ていて、きっと気持ち悪いと思ったはずです。ウザいと思ったはずです。自分の思い通りにならなかったら暴力までふるっていたんですから……」


 雫は、涙を隠そうともせず、ぽたぽたと落としながら、苦しそうに呟いた。


「私は、お兄ちゃんを好きになる資格なんてなかった。私がお兄ちゃんの妹になってから、お兄ちゃんはずっと私にチャンスをくれていたのに、優しくしてくれていたのに、両親が亡くなったことを理由に勝手に卑屈になって、勝手にわがままになって……」


 息をするにも苦しそうで、今にも死んでしまうんじゃないかってくらい、彼女は苦しんでいた。

 自身がついた嘘によって、催眠術によって、苦しめられていた。

 俺自身と同じように。


「雫さん、あなたはひとつ誤解しています」

「えっ……?」


 これから言うことは、吉沢さんからのアドバイスではなく、俺自身の本音。

 雫との関係改善のために吉沢さんと作った台本にはないセリフだ。

 吉沢さんの計画では、このまま俺の気持ちを明確にすることはなく、あくまで第三者として接し、そうして、雫自らが俺に接触するよう仕向ける。

 吉沢さん曰く、市野先生の口からとはいえ、俺の気持ちすべてを一気に雫に伝えるとなにやらまずいことになるらしい。

 たぶんだけど、市野先生が、市ヶ谷碧人の本音を語りすぎれば、それだけ女装がバレるリスクが高くなると言うことだろう。


「……」


 けど、それでも。

 リスクが高かろうが低かろうが、もう関係ない。

 俺の目的は雫を笑顔にすることだ。

 幼少期に両親を亡くし、 うちに引き取られた女の子を、血の繋がらない妹を、笑顔にしたい。

 心の底から、みんなの前で笑える……いや、これは綺麗事か……。

 みんなの前じゃなく、俺の前で笑ってほしい。

 催眠術関係なく、女装関係なく、市ヶ谷碧人の前で、笑ってほしいのだ。

 だからこそ見過ごせない。


「お兄さんは催眠術にかかったフリをしていたんですよね?」

「は、はい。そうだと思います。ずっと嘘をついてたと言われましたから……」

「素朴な疑問なんですけど、雫さんは、好きでもない男の子が、自分の寝ている隙に催眠術で惚れさせようとしてきたら、どうしますか?」

「え……? そ、それは、普通に抵抗しますけど……」


 そう、普通に抵抗するのだ。

 もし俺が雫以外の異性から催眠術にかけられそうになれば、普通に抵抗するし、催眠術がかかっていなければ、演技などしない。

 何やってるんですか? と、問い詰めるだろう。


「では、お兄さんが雫さんを催眠術で惚れさせようとしてきたらどうしますか?」

「お、お兄ちゃんが、私を……?」

「ええ、俺のことを大好きになれ。と言われたらどうしますか?」

「それは……その……」


 雫は頬を赤くして、もじもじしている。

 そしてゆっくりと、視線をあげて。


「……かかったフリをすると、思います」

「なぜかかったフリをするんですか?」

「え、だ、だって、かかったフリしなきゃ、お兄ちゃんは卑屈だから、私に好意を伝えてしまったことを死ぬほど恥ずかしがると思います。そ、そうなったらたぶん、お兄ちゃんは私から距離をとるし……」

「そういうことです」

「え……」

「だから、お兄さんも同じ気持ちだと言っているんです」

「……あ」


 そう、嫌いな相手ならそもそも催眠術にかかったフリなんてしない。

 その場で指摘する。

 え、催眠術かかってないですよ? と。

 アンタを殺して私も死ぬだとか、恥ずかしくてもう話しかけられなくなるだとか、相手の都合なんて知ったことではない。

 どうでも良い相手なら、極端な話、勝手に死のうが話しかけてこなくなろうが、関係ないのだ。


 しかし俺は、催眠術にかかったフリをした。


 雫のことをもし俺が嫌いであれば、間違いなく「何してんの?」と、冷たくあしらうだろう。

 催眠術にかかったフリをした理由は至極簡単。

 先ほど雫が言った理由と同じ理由。

 俺は雫に嫌われたくなかった。



 むしろ惚れさせようとしてきたという事実を知って、嬉しかったのだ。



「でも私、お兄ちゃんを脅迫みたいなことしちゃってたし、それで催眠術にかかったフリしたのかもだし……」

「雫さんが本当に人の命をとるような人間だと思うなら、その場で嘘をつくだけついて、警察に相談するなり親に相談するなりしたでしょう。そのタイミングはいくらでもあった。でもお兄さんはそれをしなかった」

「じゃ、じゃあ、お兄ちゃんは……!」

「きっと、雫さんと同じ気持ちですよ。彼はただ、あなたとの関係を壊したくなかったんです」


 これ以上は、市野先生として言うのは間違っているかもしれない。

 市ヶ谷碧人として、雫に伝えなければいけないのかもしれない。

 それでも、今、伝えたかった。



「お兄さんはあなたのことが大好きだった。だから催眠術にかからなかったし、かかったフリしていたんです」



「……っ!」


 顔を真っ赤にして、目を丸くする雫。


「一番初めにお兄ちゃんにかけた催眠術は……『私のことを大好きになりなさい』。お兄ちゃんは元から、私のことが大好きだった……だから催眠術にかからなかった……それでも、私との関係を壊したくなかったからかかったフリを続けた……」


 小さな声で、今告げた事実を確認し、さらに顔を赤くする。

 恥ずかしそうな雫を見て、なんだか俺まで恥ずかしくなってくる。

 数秒間、背中に変な汗をかきながら苦笑いしていると、雫は俺の方を見つめる。


「じゃあお兄ちゃんは今でも……」

「はい、あなたのことが……その、大好きだと思いますよ」

「ふぁぁぁあっ!」


 発情した猫のような声を上げる雫。

 俺も俺で間接的に告白したようなものなので、血液が沸騰するんじゃないかってくらい、体が熱くなっていた。


「こ、これでお兄さんと問題なく話せますよね? 嫌われてはなかったんですし」


 雫の胸につかえていたものは、これで解消されたはずだ。

 催眠術なくても、シラフの状態でも、俺とコミュニケーションをとれるはず……!


「そ、そんなの無理です……っ!」

「へ……?」


 予想と反する回答に、思わず素の声が出てしまう。

 雫は大粒の汗をかきながら、机でよく見えないけれど、腰のあたりをぎゅっと抑えて、体を小刻みに揺らしていた。


「な、なんでですか? お兄さんに嫌われてはいないんですよ? 話すくらい問題ないんじゃ……」

「も、もし仮に、その話が本当なら、お、お兄ちゃんと両想いなんですよ!? は、恥ずかしくて会話できませんっ!」

「そんなぁ……っ! でも催眠術をかけていた時はすっごい甘えてたらしいじゃないですか!」

「さ、催眠術は特別なんです! お兄ちゃん正気じゃないと思ってたし!」


 ここでようやく理解する。

 なぜ吉沢さんが、俺の気持ちを一気に伝えるのはまずいと言っていたのかを。

 よくよく考えれば雫は、十年以上も好意を抱いていたのに、素直になれずツンツンしちゃっていた筋金入りのツンデレ。

 拗らせに関しては右に出る者がいないほどめんどくさい女の子なのだ。

 プラスであろうがマイナスであろうが、恥ずかしくて素直になれない。

 それが雫という女の子なのだ。


「で、ではもし仮に、お兄さんから話しかけられた場合どうしますか?」


 ならば逆を攻めるのみ!

 雫から話しかけれないのであれば、俺から話しかければ良いだけだ!


「そ、そんなの恥ずかしくて……無視ちゃうかもです……っ!」

「どうしてだよぉっ!」


 あまりのあまのじゃくっぷりに机をぶっ叩いてしまう。


「えっ、なんで市野先生がそんなに残念がるんですか?」

「あっ、これその……」


 まずい……少し脱線しすぎている。

 吉沢さんと立てた作戦に軌道修正せねば!


「そう! 取材が捗らないからですよ! 新作もあなたたち兄妹を参考に書こうと思っていますから!」

「そ、そうなんですか!?」


 雫はキラキラと目を輝かせている。

 病気レベルでカタイモ信者の雫のことだ。

 俺が書く義妹モノの新作小説は喉から手が出るほど求めているだろう。


「そ、そうだ! つ、次は催眠義妹モノにしましょう!」

「さ、催眠義妹モノ……?」

「そうです! 素直になれない義妹ちゃんが、鈍感お兄ちゃんを催眠術で惚れさせようとする話です!」

「それまんまじゃないですかぁっ!」


 またも涙目になりながらキーキーと抗議してくる雫。

 しかしながらここは押し通さなければならない!

 これこそが、吉沢さんと立てた作戦のキモなのだ!


「雫さん確認なんですけど、あなたはお兄さんのことを……その、憎からず想っているというか……好いて、いるんですよね?」

「えっ……ま、まぁ、そ、そそそ、そうですけど?」


 緑茶を持つ手をプルプルと震えさせながらも、雫はそう言った。


「市野先生、顔赤いですよ? 熱でもあるんじゃないですか……?」

「お、お気になさらず!」


 女装した状態で義妹に、自分のことが好きかどうか聞くなんて、冷静に考えて恥ずかしすぎるシチュエーション。平静を装えるほど俺のメンタルは強くなかった。

 少し深呼吸をして、会話を続ける。


「お兄さんと以前のようにお話ししたいと、そう思っているんですよね?」

「……無理だと思いますけど、できればそうしたいです」

「なるほど、理解しました」


 好きでも避けるし、嫌いでも避ける。

 でもお兄ちゃんと話したい。

 罪悪感に囚われ、俺と距離を取ろうとしている雫と接近するには、まずは外堀を埋める必要がある(吉沢さんが言ってた)。


「雫さん、私と協力しませんか?」

「きょ、協力……?」

「雫さんはお兄さんと仲良くしたいし、私はお兄さんと雫さんの関係性や催眠術に関してのネタがほしい。これって利害が一致していると思いませんか?」

「ま、まぁ、そうですね」


 吉沢さんの言う通り食いついた!

 あとは上手いこと丸め込むだけだ……!


「私は雫さんがお兄さんと仲良くできるように最大限協力します。ので、雫さんも私の言うことをできるだけ聞いてほしいんです。私はこれでも、義妹モノラノベ作家の端くれ、正直、義兄妹の仲を取り持つなんて、赤子の手をひねるように簡単なことなんですよ!」

「た、たしかに!」


 結構無理あること言っているような気もするが、雫は一秒とたたず相槌を打つ。

 あとは吉沢さんが用意した決め台詞を言うだけなんだけど……。


「ぐぬぅ……」

「どうかしました、市野先生?」


 もうここまできたんだ……!

 言うしかねぇっ!


「雫さんのお兄さんは取材をするたびに、雫さんのかわいいところを百個近くも言うような、いわば超シスコンなんです! だから! 私のアドバイスさえ聞けば……その……お、お兄さんと結婚だって、ゆ、夢ではありません!」

「け、けけけけけけけけ、けっこんッ!?」


 雫への好意は自覚しているつもりだったけれど、付き合うを通り越して『結婚』だとかそういう単語を聞くと心臓が破裂しそうになるくらい緊張してしまう。

 雫もそれは同じなようで、今日一番顔を真っ赤にして、緑茶を机にこぼしていた。


「わかりました……! 先生がそこまでおっしゃってくれるのならば、私も腹をくくりましょう!」


 濡れた服もそのままにして、まっすぐと俺の瞳を見つめる雫。


「私、市野先生についていきます!」

「い、一緒に頑張りましょう」

「はい!」


 こうして、胃に甚大なダメージを与えながらも、なんとか吉沢さんと設定した『雫と協力関係になる』という目的を達成したのであった。









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