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「ここにお前を監禁するぜ」

「ここって……」

「俺の家だ」


 夕立も止み、時刻は午後六時前。


 夏で日が長いとはいえ、あたりは暗くなりはじめていた。


「……ゆうかいって言われたからどこに連れて行かれると思ったら……ここなのね」

「仕方ないだろ!まだ小学生なんだから! ほら行くぞ!」


 名前も知らない女の子を実家で誘拐する。

 字面にすればとんでもないことだけれど、幼い俺はそんなことお構いなしに玄関を開ける。


「いいか、絶対に大声をあげるなよ」

「なんで……? 自分の家なんでしょ?」

「いやそうなんだけど、お前がいることを気づかれちゃいけない子がいるんだ」

「だれ?」

「……妹」

「妹ちゃんと仲悪いの?」

「いや……仲悪いというか、毛嫌いされているというか……とにかく、雫は俺が女の子と遊んでると何故か機嫌が悪くなるんだ。だから大声はだしちゃだめだぞ」

「ふーん、わかった」


 俺の部屋は二階にある。

 玄関入ってすぐ左にある階段を登り、突き当たりの部屋だ。


 音を立てないようにそろそろと階段を登る。

 肩越しに後ろを見た。これから誘拐されるというのに、女の子はニマニマと楽しげだ。


「お前いまからゆうかいされるんだぞ? 何笑ってんだよ」

「いやだって、私が家に帰りたくない理由も聞かずにゆうかいするだなんて、すっごいアホだなーと思って」

「はぁっ!? アホとはなんだアホとは! そんなこと言ったらお前の方がアホだろ! 痛いのに痛いとも言わずに我慢しようとする方がアホなんだよ! このアホ!」

「……大声だしていいの?」

「あっ……!」


 すぐさま自分の口をふさぐ。

 数秒、耳を澄ませて雫の部屋の方を伺う。

 ……どうやら動きはないようだ。


「お前……! 大声だすなって言っただろ……!」

「だしたの君じゃん」

「う……っ! とにかく、雫に気づかれたら終わりだからな! あいつすっげー怖いんだから!」


 雫は基本俺と話さない。

 遊びに誘った場合も、ついてくるにはついてくるが、眉間にシワをよせてずっと黙っている。

 話したとしても、一言二言だ。


 そんな彼女が、唯一感情を爆発させる瞬間、それが、俺が女の子と遊んでいた時なのだ。

 雫は自身のテリトリーを荒らされるのを死ぬほど嫌う。


 例えば、頭につけているお気に入りの鈴リボンに触れられても怒るし、自分の部屋に入られても怒るし、雫の使う箸や食器に触れるだけでも怒られる。


 とにかく独占欲が強い女の子。それが雫なのだ。


 彼女にとって、唯一の遊び相手の俺は、嫌われきっているとはいえ、彼女の所有物のひとつと認識されている。

 そんな俺が、自身の全く知らない人間。しかも同年代の女の子と遊んでいれば、雫は間違いなく怒り狂うだろう。


 どんな攻撃をされるか想像もつかない。


「ねぇ、雫ちゃんってどんな子なの?」

「黒髪で頭に鈴付きリボンをつけてて、すっげーかわいい女の子。年は俺と同じだ」

「ふーん、そっか」


 ドームで泣いていた女の子は、俺の肩越しに階段上を見つめている。


「その雫ちゃんって女の子は、君の後ろにいる子じゃない?」

「えっ?」


 反射的に振り向く。

 俺の義妹が、可愛らしい眉をこれでもかと言うほどつりあげて、仁王立ちで、俺の方をにらみつけていた。


「し……雫、これは違うんだ……!」


 ありきたりな言い訳が、口からこぼれる。


「だれ?」


 見た目が妖精のような、可愛らしい少女の口からでたとは思えないような、低く、ドスの効いた声。

 鼓膜が脳に知らせる。

 雫さんは今ブチギレていらっしゃると……!


「こいつはその……ともだちだ! 困ってそうだったから連れてきたんだ!」

「おりがみ」

「うっ」

「おりがみ、やくそく」

「ご……ごめん」


 カタコトで俺を詰める雫。

 今日、俺は雫と折り紙をして遊ぶ約束をしていたのだ。

 右手に持っていた紙袋を強く握る。

 雨に濡れないよう、後生大事に抱えていたのがその折り紙だ。


「すててきて」

「へ……?」

「そのおんな、すててきて」

「え、あ、でも……」

「すててこないと、おばさんに言いつけるから。おばさんなら、そのおんなの親にでんわして引き取ってもらうことだってできる。それがめんどうなら、すててきて」


 いつもの倍以上饒舌な雫。

 それほどまでに怒っているということだ。

 とにかく、母さんに連絡が行くのはまずい。

 雫の言うように、母さんから女の子の保護者に連絡がいけば、引き取られるのは確実。


「……」


 首元に見えた大きなあざが、脳裏に焼き付いている。

 肩越しに女の子を見ると、申し訳なさそうにうつむいていた。


「わかった……この子は家に入れない」

「……そう」


 そういうと、雫の口角が少しだけ上がる。


「わかればいいの」


 そしてトントントンと、リズミカル音を立てて、雫は自分の部屋に戻っていった。

 少しの静寂。

 女の子の方を見なくても、落胆しているような、申し訳なく思っているような、そんな表情をしていることは伺えた。


「……家には、自分で帰れるから」


 諦め混じりの声音。

 どうやら彼女は何か勘違いしているようだ。


「家に帰る必要はない」

「へ?」

「ちょっと待ってろ!」


 自分の部屋や、キッチンに忍び足で入り、毛布やお菓子、必要になりそうなものを手当たり次第に大きなカバンに詰め込んだ。


 女の子の首元にあった大きなあざが、どんな意味を持つかは、子供の俺にだってわかる。


 俺には何も出来ないし、一日そこら家出したって、問題の解決にならないことは理解していた。


 けれど、このまま何もせず、ドームの中で泣いていた彼女を、放っておくことはできなかった。


「ほら、いくぞ!」


 部屋の前で固まっていた女の子の手を引いて、玄関を飛び出す。

 オレンジの光は西に沈み、代わりに青色の優しい光があたりを照らす。


「どこいくの?」

「さぁ! わかんね!」

「……ほんと、バカなんだから」


 電灯の光で、彼女の目元が照らされる。

 きらりと、雫の様なものが光ったのが見えた。



 * * *



「で、結局ここに帰ってくるのね」

「仕方ないだろ! ほかに行くとこないんだから!」


 俺たちはあっちこっち歩き回ったあげく、結局、元いた公園に戻ってきた。

 見慣れた小さな公園は、夜の帳が下りて、いつもとはまったく違う雰囲気を醸し出している。

 公園の中心にある小さなドームの中に入り、淡い光を放つランタンを置いて、俺は大きなカバンを開いた。


「えーと、下にダンボールを敷いて、毛布と、あとーお菓子とカップ麺と……夏だし、こんだけあれば死なないだろ!」

「ほんと、計画性のカケラもないね」

「うっ……!」

「……でも、少し楽しい」

「たしかに、なんか秘密基地みたいでワクワクするよな」


 ドーム内を照らすランタン。

 ダンボールの上に敷いた毛布の上で、肩を寄せ合う二人。


「ところで、カップ麺はどうやって作るの? お湯ないけど?」

「へへーん! そのあたりは抜かりないぜ!」


 俺はカバンから魔法瓶をとりだして、あらかじめ入れておいたお湯をカップ麺にそそぐ。


「悪知恵だけは働くんだね」

「へへっ、でもその悪知恵のおかげで晩御飯にありつけるんだからもうけだろ!」


 ドーム内に、おいしそうな香りが充満する。


「……すごい……美味しそう……ご馳走だね」


 日本で最もポピュラーなカップ麺を見つめながら、彼女はそう言った。


「カップ麺がご馳走? いつも何食ってんの?」

「……食パン」

「食パンって……焼いて食べるのか?」

「ううん、何もつけないし、焼かないよ。焼くやつないし。月曜日におじさんが食パンをくれるの。六枚入ったやつ。それが私の、一週間のご飯」

「えっ……?」

「引いた?」

「いや、そういうわけじゃないけど……」


 痣から察しはついていたけど、実際彼女の口からその事実を聞くと、なんだか変な気分になる。

 胸の奥底から、どす黒い何かが込み上げてくる様な、そんな気持ちだ。

 詳細を聞くべきか、聞かないべきか迷っていると、そんな俺の様子を彼女は察したのか、おもむろに話し始める。


「ちっちゃい頃はね、ママがいたの。大好きだった。でもママが死んじゃって、ママの再婚相手のおじさんに私は引き取られた。今はそのおじさんと、おじさんの再婚相手と暮らしてる」

「……」


 つまり、彼女の両親は、二人とも赤の他人。

 それがどれだけ心細いか、想像に難くなかった。


「おじさんも、おばさんも、すごい馬鹿なんだよ。小学生の私が意見できちゃうくらい、言ってることと生き方が矛盾してるの。下半身に脳みそがついてるんだよきっと。まぁ……そんな馬鹿みたいな二人にわざわざ食ってかかって、しっぺ返しをくらってる私はもっと馬鹿なんだけどね」


 目は虚ろ。

 難しい言葉をつかって、現在の両親を貶す彼女。

 賢い彼女ならば、波風立てず今の両親と過ごすことは難しくないだろう。

 しかしそれをしないのは、彼女が現在の両親を認めていないからだ。


「まぁ、そんなに辛くはないからいいんだけどね。二人ともほとんど家にいないし」


 毛布をにぎり、遠くを見つめる。


「辛くないわけないだろ」

「え……?」


 実際泣いていた。

 誰も来ない様な、暗いドームの中で。

 強がる彼女に対して、俺はどうしていいかわからない。

 だから、手を握った。

 毛布を強く握る彼女の手。それを包むように。


「……ずいぶん優しい誘拐犯だね」

「うっせぇ。ラーメンのびるから食べようぜ」

「こういうの話したら、君なら、お前の両親殴ってやる! くらい言うかと思ったのに」

「……そんなの迷惑だろ」


 俺はまだ子供だ。

 何も知らないし、知っても、どうすることもできない。

 どうにかすることができるとするなら、この賢い女の子がもう手をうっているはずなのだ。

 下手に波風を立てれば、さらに彼女に被害が及ぶ。

 彼女から直接『助けて』と言われない限り、俺は何もするべきではないのだ。


「そうだね、迷惑だね。今の両親は馬鹿だけど、扱いにくい人間じゃないの。私が良い子を演じれば、すむ話だからね」


 少しだけ笑って、彼女はそう言った。


「俺はバカだから、お前が辛くなっても、こうやって一緒に遊ぶことしかできない」

「わきまえてるんだね」

「小学生だからな」

「でも……それでいいよ。それがいい」


 ラーメンをはふはふと食べながら、おいしいと笑う彼女。


「そばにいてくれるだけで、それだけで、いいの」


 ランタンに照らされる彼女の笑顔。

 初対面なのに、俺は不覚にもドキッとしてしまった。

 可愛らしい女の子が隣に座っているのに、良い意味で緊張しない。

 今日はじめて話したばかりなのに、妙に気が合う。


「そーいや、名前聞いてなかったな」

「……そういえば、そうだね」

「俺の名前は市ヶ谷碧人。お前は」

「……私は佐々木凛子。君はあおとだから、あっくんだね」

「あっくん?」

「そ、あっくん、かわいいでしょ?」

「まぁなんでもいいけど」


 急にあだ名で呼び合うのは少し気恥ずかしかったけど、悪い気はしなかった。


「私のことは苗字じゃなくて、りんこって呼んでね」

「おう、わかった」

「じゃ、忘れないように名前ここに書いとこっか」


 白い石を手に取って、りんこはにやりと笑う。


「落書きすんのか……?」

「落書きくらいでいまさらビビらないでよ。誘拐犯さん?」

「べ、別にびびってねぇし!」


 カリカリと音をたてて、ドームの壁に落書きをするりんこ。

 ふぅ、と息を吐いて、ランタンで壁を照らし、満足そうに俺に落書きを見せてきた。


「ちょっ! なんで相合い傘なんだよ!」

「別にいいでしょ」


 俺の名前とりんこの名前、それを相合い傘で繋いだ落書き。

 そんな相合い傘を、優しげに見つめて。


「だって私、けっこうあっくんのこと好きだし」


 りんこはそう言った。




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