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あっくんと作戦の打ち合わせをしてから三十分ほど経った後、私は女子陸上部の部室まで来ていた。
今回の選抜リレー、女子陸上部部長の山中さんには、大会が近いのに無理を言って参加してもらった。
選抜リレーでのパフォーマンスを上げてもらうため、少しでも心証をよくするため、あいさつに行ったほうがいい気がしたのだ。
雫ちゃんの為に頑張るあっくん、すこし嫌な気持ちになるけれど仕方がない。
ここで、あっくんの催眠術にかかった奴隷として恩を売っておけば、彼は罪悪感から私を無下にできなくなる。
「……ッ」
さ、先ほどのほっぺにキスが、その効力の強さを如実に表している。
私はこのまま、あっくんとの催眠術の絆を利用し、距離を縮める。雫ちゃんのように感情に任せた使用はしない。
あっくんの心を、良心を利用し、罪悪感を抱かせ、逆に言いなりにさせる。
「ふふっ」
思わず笑みがこぼれる。あっくんを幸せにできるのは私だけ。
幼いころ、化け物みたいだといじめられる私に、優しく手を差し伸べてくれた彼。
その瞬間から、私はずっとあっくんの為に生きてきたのだ。
雫ちゃんの催眠術というイレギュラーもあったけれど、むしろそれを利用することができた。
選抜リレーでわざと負けて雫ちゃんと速水くんをくっつける展開も魅力的だけど、それではあっくんの関心は雫ちゃんにとられたままで終わってしまう。
必要なのは、ゆっくりと、罪悪感という名の毒に浸すこと。時間さえ経てば、私とあっくんは結ばれる。そのために、今回の無理難題もクリアしなければならないのだ。
女子陸上部の部室の扉をノックしようとした瞬間、背後から声をかけられる。
「あ、りんこちゃん……」
「山中さん、今ちょうどあいさつしようと思ってたんですよ。今回は無理を聞いてもらって本当にすみません」
人懐っこい笑顔でそう切り出す。けれど山中さんの表情は、私の笑顔とは反対で暗い。
「そ……そのことなんだけど……」
「どうかしたんですか……?」
うつむきながら言葉を探す山中さん。その背後、フェンスの裏で、速水君がこちらの様子をうかがっていた。何故か大量の汗をかきながら、満面の笑みで。
「選抜リレー……私、体調くずしちゃって、出られそうにないの……本当にごめんなさい!」
山中さんはそういうと、校舎の方へ走り去った。
急な体調不良。それを信じるほど、私はお人好しじゃない。
「ずいぶん必死なんだね、速水君!」
隠れた気になってた彼に聞こえるよう、大声でそう言う。
私たち、もといあっくんに確実に勝つために、彼は山中さんに何か吹き込んだのだろう。
陸上部のエースである彼なら、山中さんに接触するのも容易なはずだ。
「言いがかりはやめてくれよ佐々木さん。彼女は本当に体調が悪かったんだよ、きっと」
悪びれもせず、物陰から出てくる。
「そうは見えなかったけどね、まるで誰かに脅されてたみたいに怯えてたよ?」
「……先に汚い手を使ったのはそっちだろ? あの陰キャが学年テストで一位を獲れるはずが無い。俺が負けるはずが無いんだ。きっとお前がカンニングでもさせたんだ……!」
少し煽ると、感情にまかせて犯行動機を答える金髪。まったくもって知性に欠ける。
「とにかく、メンバーに欠員が出た以上、代わりの人を探さなきゃだね。それじゃあ速水君、選抜リレーで会おうね」
顔に笑顔を張り付けて、私は速足でその場を去る。
「欠員は、本当に一人だけか……?」
聞き捨てならない言葉、振り向くと。
「……っ」
目を血走らせて、速水君は笑っていた。
「まさか……!」
私はスマホを取り出しながら駆けだす。
「お願い電話に出て……! あっくん……!」
いくら待てども、あっくんが電話に出ることはなかった。
* * *
つめたくて、なまぬるくて、くらい。
ゆっくりと、まぶたをあける。
「……」
視界は、ぼやけていた。俺は……たしか……トイレに行こうとして……。
遠くの方で、誰かの声が聞こえる。
「あっくん! 大丈夫!?」
瞬間。意識が覚醒する。
俺はトイレに行こうとして、そして階段から落ちたんだ。
「……ッ! り、リレーは……!?」
体の節々が痛いけれど、そんなことはどうだっていい。選抜リレーで勝たなければ、雫は……!
「リレー開始まであと十五分だよ……で、でも、そんなことより、あっくん……ッ!」
かすれた視界、涙目になるりんこがかろうじて見えた。自分の体を見ると、体操服の胸元が血だらけになっていた。
鼻が痛い。おそらく、鼻血で汚れたのだろう。
「……ッ!」
体を起こす。痛みはあるが、関節は動くし、意識もだんだんとはっきりしてきた。これなら、走れる。
「りんこ、グラウンドに行くぞ。もう時間がない」
「何言ってるの!? あっくん階段から落ちて気絶してたんだよ!? リレーなんかもうどうでもいい! 早く病院に行かなきゃ!」
取り乱すりんこ。彼女の涙が体操服のズボンにしみ込んだ。
「それに、速水くんに山中さんを懐柔されて、メンバーが一人足りないの……誰か代わりを見つけようとしたんだけど、あっくんを探すのに必死で……」
俺を階段から落とした犯人。山中さんを懐柔した速水。りんこの表情を察するに、これらすべては速水の妨害。リレー開始まで残り十五分。一刻の猶予も許されない。
「りんこ、これを見ろ」
ポケットから、五円玉を取り出し、左右に揺らす。
「俺は、リレーに出て、速水に勝つ。だから……協力してくれ……!」
負けるわけにはいかない。負ければ雫が、速水にいい様にされる。
それだけは絶対に避けなければいけない。五円玉を見つめるりんこ。一瞬目を離して、彼女は歯を食いしばる。
「でも……メンバーがいないんじゃどうしようもないよ……今回の作戦は私と山中さんで差をつけて勝つ予定だった。同じくらい足が速い人なんて……」
「いるだろ……一人……」
「え……?」
「学年テストでは毎回上位に食い込むほど成績優秀で、一年の時の体育祭で陸上部の女子を抜き去るほど運動神経抜群な、りんこと同じくらいの完璧超人が……」
「私に、頼ませるの……?」
「…………頼む、りんこ……」
五円玉を揺らす。もうそれしか方法がない。りんこは、ゆっくりと立ち上がる。
「あっくんは、体操服の上着を着て、なるべく早くグラウンドにきて。服についた血を隠さなきゃ、たぶん走るの止められちゃうよ」
背中を向けて、幼馴染はそう言った。
「ありがとう……」




