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六月初旬。しとしとと降る雨。
水滴が落ちる音、時計の秒針、薄い紙に叩きつけられる鉛筆の音、静寂に包まれた教室に様々な音が響く。
「……」
俺は周りにいる生徒同様に、机にかじりつき、答案用紙に解答を書き込む。
そう、今は中間テストの真っただ中。俺はこのテストの合計点で成績優秀な速水を倒し、そして人外級の頭脳を持ったりんこを超え、学年一位という成績を納めなければいけない。
そういう約束、もとい暗示を、雫にかけられてしまっているのだ。
試験開始からおよそ四十分。
俺は解答欄をすべて埋め、そして見直し作業に入る。この数週間、りんこにみっちり勉強を見てもらったおかげか、俺はかなりの手ごたえを感じていた。
おそらく平均点は優に超え、八十点程度は確実にとっているはずだ。毎回平均点以下、赤点ギリギリな数学という苦手科目でここまで点数を獲れたのはひとえにりんこのおかげ。
「…………っ」
ジワリと汗があごから垂れ、解答用紙に小さなシミを作る。
…………八十点では足りない。
今回求められているのは平均点を超えた優秀な成績……ではなく、学年一位という結果のみ。
成績優秀な速水に勝てたとしても、ほとんどの科目で満点をとる化け物に勝たなければ意味がないのだ。
一科目でも八十点を獲った時点で、りんこに勝つのは絶望的。
刻々と時計の長針は進み、テストの終わりが近づく。この数週間、勉強を続けてきて俺は理解していた。俺は確実にりんこに勝つことはできないと。
いくら努力しようとも、俺の努力は数週間、幾月も努力してきたりんこや、他の成績上位者に勝つことは不可能なのだ。積み上げてきたものがモノを言う。いくら効率的に努力してきたところで、分母が違う。違いすぎる。
だから、策を用意した。非人道的で、最低な作戦を……。
「…………ふぅ」
俺は小さく息を吐いて、空欄にしておいた名前欄に、鉛筆を走らせる。
『佐々木 凛子』
俺は、自身のテストに、そう名前を書いた。それと同時に、試験終了を知らせるチャイムが鳴り響く。
どっと、汗が流れる。作戦を立案したりんこが、俺が座っている机、その列の一番後ろから解答用紙を集めはじめる。俺たちが建てた作戦は至極簡単。
俺の解答用紙をりんこが書き、りんこの解答用紙を俺が書く。たったそれだけだ。
化け物に勝てるのは化け物だけ。りんこに勝てるのはりんこだけ。そういう理屈。
出席番号一番である俺と、出席番号六番であるりんこは、席が縦に並んでいる。
テストをする際、席順はかならず出席番号順に直され、列の一番後ろの生徒が解答用紙を回収し、そして教壇に立つ教員に解答用紙を渡す。
りんこがテストを回収する際に、俺の解答用紙と自分の解答用紙の順番をすり替えて、結果をすり替える。成功すれば確実に俺のテストの結果は一位になる。他を寄せ付けない、圧倒的な成績で。
しかしながらこの作戦を決行してしまえば、りんこの成績は確実に下がる。
それを承知したうえで、りんこが提案したこの作戦を俺は受け入れた。
りんこが解答用紙を集めながら、どんどん俺の席へ近づいてくる。
俺は走馬灯のように、この作戦を決行するに至った経緯を思い出していた。
* * *
『これしか方法はないんだよあっくん』
俺の部屋、小さなちゃぶ台の手前で、りんこは小声でそう言った。
『でも……それじゃあズルいっていうか……りんこにも迷惑かかるし……』
解答用紙すり替えなんて、言い訳のしようもない不正。立派な悪事。犯罪だ。
渋る俺に、温厚な幼馴染は冷たく言い放つ。
『今更何甘いこと言ってるの?』
『……え?』
『あっくんは悪人なんだよ? 私に催眠術をかけて言いなりにさせている悪人なんだよ? 私の気持ちを知っておきながら、それでも雫ちゃんのために私を利用して、催眠術という鎖で縛ったんだよ? だったらもうためらう必要はないの。悪人は悪人らしく、私と一緒に堕ちるしかないの。自分は悪、欺瞞、嘘つき。そう覚悟を決めて私に催眠術をかけた。そうだよね?』
暗い瞳。りんこは何一つ間違ったことは言っていない。りんこの気持ちを踏みにじり、俺は雫との関係を、催眠術にかかったフリを続けることを選んだ。いまさら偽善者ぶるのは、筋が通らない。
『………………ああ、そうだ』
『だったら手を抜かないで』
『……悪かった』
謝ると、幼馴染は打って変わって笑顔になる。
『謝らなくていいんだよあっくん。あっくんがいくら悪事を働いても、雫ちゃんとは釣り合わない悪人に成り下がったとしても、催眠術にかけられてあなたの言いなりになっている私だけは、あっくんのそばにいるから、隣にいるから』
催眠術にかかっているはずの幼馴染。俺の言いなりになっているはずの幼馴染。
そんな幼馴染は、猛毒に浸された言葉に、俺を漬ける。
『だから安心して堕ちて』
りんこは、満面の笑みだった。
* * *
そして場面は、解答用紙を回収する教室に戻る。
「……」
後ろの席から順々に、解答用紙を受け取るりんこ。
解答用紙をすり替える。言葉にすれば簡単だけど、成功させるのは至難の業だ。
まずは時間。俺から解答用紙を受け取り、教員に渡すまで、およそ四秒。その四秒の間に扱いにくい大きな用紙の順番を入れ替える。
それができたとしても、教員の視線、クラスメイトの視線にすり替えが見つかれば終わりだ。
いくらりんこが優等生で、教員やクラスメイトからそういった疑いの視線が少ないとはいえ、解答用紙をすり替えるといった大きな動きはバレやすい。
本当にすり替えられるのかと何度も聞いたけど、りんこはすり替えられると言い切って聞かなかった。彼女がそこまで言い切るなら信じるほかない。
心臓がドクドクと脈打つ。りんこの細い指が俺の解答用紙に触れた。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ」
「ッ!」
小声でそうつぶやいた瞬間、りんこは教壇の前まで流れるように歩き、そして。
解答用紙を床にばらまいた。
「あ、すみません~」
とぼけた声を上げる幼馴染、クラスメイトは彼女のことを一瞬見つめて、そしてすぐに視線を散らす。解答用紙を落とすことは別段珍しいことではないからだ。
確かに解答用紙を散らせば回収する際に順番を前後させることは可能。背中をクラスメイトに向けることにより、視線をさえぎることもできる。
けれど、教員の視線はごまかすことはできない。現に今、教員の視線はプリントを集めるりんこに釘付けだ。このまま順番を前後させようものなら、確実に不正を看破される……!
どうする気だりんこ……!?
「う~ん、すこしホコリ付いちゃいました」
「ッ!?」
俺は目を疑った。
りんこは、俺の幼馴染は、プリントを拾う動作をしつつも、両腕の内側を胸に押し当て、特大の乳房を強調しているのだ。
普段からおそろしいくらい前に突き出ているロケットおっぱいが強調されれば、そこにはとんでもない重力が発生する(万乳引力の法則)。
「あれは……ミスディレクション……!!」
主にマジシャンが使う技術、観客の注意を別の場所にそらす手法として知られる。右手を大きく前に出し注目してしまうような動作の裏で、死角にある左手で種になる動作を行う。そういった技術だ。
りんこは単純に視線をさえぎるという手法を使うのではなく、視線を奪うという思いもよらない方法でことを成したのだ。
現に俺と教員は、はち切れんばかりのりんこのおっぱいに視線を奪われ、解答用紙をまとめる瞬間を見逃してしまった。
「なんて奴だ……」
りんこが不正を働くと知っていた俺でさえ、彼女の動き、不正の瞬間をとらえることができなかった。
おっぱいしか見えなかった……!!
柔らかな笑みをたたえて、りんこは優雅に教壇から離れる。教員は頬を染めるばかりで、何も気づいている様子はない。まさに完全犯罪。
俺の席の隣を通り過ぎる刹那、りんこは少しかがんで俺の耳元に口を当てる。
「あっくん、おっぱい見すぎ」
「……ご、ごめん」
りんこ、おそろしい子……っ!
俺は情けなく口をあけて、りんこのテクニシャンっぷりに驚くことしかできなかった。
仲が悪すぎる幼馴染が、俺が5年以上ハマっているFPSゲームのフレンドだった件について。
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