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このままじゃ、俺と雫の関係は終わる。雫は罪悪感により心を閉ざし、嘘をついていた俺を軽蔑し、そして自分自身も同じように軽蔑するだろう。
「ッ!」
「ちょ! あっくん!?」
俺はりんこの肩を掴んでそのまま床に押し倒した。
「頼むりんこ……一生のお願いだ……! 催眠術がバレたことを、俺が演技していることを、雫に告げるのをやめてほしい……!」
雫との関係を終わらせたくない。その一心だった。今更情に訴えかけようなんて情けないし都合が良すぎるのはわかっている。それでも、雫が心を開く可能性を、キッカケを失うわけにはいかない。
「…………残念だけど、あっくんが必死になればなるほど、私の口は軽くなる。アナタ達の関係を終わらせたくなる」
「なんでだよ……!」
「あっくんは、なんで雫ちゃんの催眠術があっくんに効かなかったか、理解してる?」
「そんなこと今は関係ないだろ!」
「関係あるよ」
食い気味に、幼馴染はそう言った。瞳は少し濡れて、頬は少し赤くなっている。
圧倒的優位な立場にいるはずのりんこは、なぜか泣きそうになっていた。
「……催眠術が失敗したのは、俺もよくわかってない。……単純に雫が何かミスをして、かからなかっただけだろ」
「違う! 全然違う!」
押さえつけられている彼女は、半ば悲鳴に近いような叫び声をあげた。
「雫ちゃんが催眠術なんて眉唾なものを使おうとしたんだよ? 絶対にかけられる自信があったんだよ。それこそ誰かで実験して入念に準備をしたはず。失敗すればあっくんとの関係は終わるんだから」
「……」
催眠術が失敗した理由。今まで深く考えたことはなかった。
雫がただ手順を間違えただけじゃないのなら、いったい何をもって催眠術は失敗に終わったのか。
りんこに秘密がバレた今、冷静になれない今、まともに考えることすらできなかった。
「私は、あっくんが雫ちゃんに優しくしようとするのが許せない。何があっても、終わらせる」
「……っ! なんでそんな悲しいこと言うんだよ……っ! お前だって、雫の変化には気付いているだろ!? 心を閉ざしていた雫は変わろうとしてるんだ! 催眠術っていう突飛な方法だけど、りんこからすれば醜い欺瞞かもしれないけど、俺はそれでも雫が心の底から笑えるのであれば、騙されたままでもいいんだ!」
打算も何もない、飾りようもない本心だった。
「悲しいこと言うのは、あっくんのほうだよ……」
「っ!」
瞳から、冷たい雫が零れ落ちる。りんこは泣いていた。
「なんで……お前が泣くんだよ……っ」
濡れる瞳を、少しだけ細めて、りんこは言った。
「だって私、結構あっくんのこと好きだし」
何度聞いたかわからない、幼馴染の告白。
なぜりんこは変わろうとする雫を許さないのか、なぜりんこは雫に肩入れする俺を許さないのか。
この状況で、それを理解できないほど、俺は鈍感じゃない。
「ごめん……っ」
そう、告げることしかできなかった。
毎日死ね死ね言ってくる義妹とは対照的に、毎日好き好き言ってくる幼馴染。
だからりんこは、雫を許せなかったのだろう。自分の気持ちに素直になる勇気がない雫を、許せなかったのだ。
自分の気持ちに素直になっても、それを受け止めない俺を、嘘の関係を大切にしようとする俺を、許せなかったのだ。
「あっくん……私も……ちゃんと見てよ……」
流れる涙を、ふくこともせずに、俺に押し倒されている幼馴染は、上体を少し起こす。
「っ……!」
重なる唇。冷たい涙とは反対に、りんこの唇は、火が出るほどに熱い。
押し寄せてきた感情は驚きよりも、底すら見えない罪悪感だった。
「ひどいことばかりしてごめん……けれど、私ももう、静観してられないの……」
吐息がかかるほど近く。悲しそうな声。
「私は終わらせる。……どうしても嫌なら、止めればいい、同じ嘘で、止めればいい」
りんこは催眠術の本を、俺の胸に押し付ける。そしてするりと、俺の拘束を抜けて、何事もなかったように部屋の扉を開けた。
「ずるい女でごめんね……」
閉じる扉の音。甘い香りの残る部屋で、俺は一人うずくまる。
* * *
月明かりが辺りを照らす。深夜二時。
青白いいつもの住宅街。自分の家のすぐ近くにもかかわらず、何故だか知らない土地に来たような、そんな不思議な感覚がした。
「……」
りんこが雫の部屋から持ってきた催眠術の本は、一度戻し、そして再度雫が寝た後、細心の注意を払い持ってきた。
幼いころ、なんども遊びに来ていたりんこの家。玄関のドアノブに手をあてると、静かに音をたてて、扉は開いた。
「やっぱり……鍵がかかっていない……」
そのまま、なるべく足音を立てないように、りんこの部屋に向かう。記憶の断片をたどる。階段を上り、すぐに左手にある部屋。
雫にばらされたくないのであれば、同じ嘘を使って止めればいい。りんこはそう言った。
りんこが残した言葉の意味、俺に渡した催眠術の本、簡単に理解できた。できてしまった。
音をたてないよう、部屋に入る。
暗闇の中、可愛らしい寝息が聞こえた。
同じ嘘。雫が催眠術で俺を縛ったように、りんこは俺に縛らせようとしている。同じ嘘で、催眠術で。
『ばらされたくないのなら、催眠術を使って洗脳してしまえばいい』
りんこはおそらくそう言っていた。簡単な言葉で濁して。
選択を押し付け、あくまで決めるのはあなただと、そういう意図を持たせるために。
窓からかすかにこぼれる月明かり。淡い光の柱は、可愛らしく寝息を立てる幼馴染の顔を照らす。
「りんこ、起きてくれ」
小さくそうつぶやくと、りんこは長い睫毛を揺らし、目を開く。
「……こんばんは、あっくん。やっぱり来たんだね」
「……ここまで全部計算づくだったのか?」
「……もちろん。初めからそのつもりだったよ」
雫は催眠術という魔法で、俺と距離を縮めた。だからりんこも、その魔法を利用しようと画策したのだ。魔法をばらすと脅せば、雫を一番に考える俺がその魔法をもってりんこを言いなりにさせると、この幼馴染は読み、画策し、実行し、そして筋書き通りの展開に持って行ったのだ。
「これで私も、雫ちゃんと一緒」
雫と同じ立場に。すべてを知ったうえで、彼女はそれを選んだ。
「ごめんりんこ……本当にごめん……」
幼馴染の気持ちに、今俺は応えられない。血はつながってないけれど、俺には大切な、妹がいるから。
義妹のために、幼馴染を洗脳する。何の言い訳もできない、俺は最低な男だ。
「いいんだよあっくん」
俺の胸元をつかんで、引き寄せる。
「たくさん苦しんで、最後に私のことを好きになってね」
「……っ」
これだけ好きでいてくれるのに、思いをずっと告げていてくれたのに、俺はそのことごとくを無下にして、そしてそれを清算するために、悲しめたりんこ本人に催眠術をかけようとしている。
良心の叱責に苦しめられようと、俺の目的は初めから一つ。
「雫を、俺は、心の底から笑えるようにしてやりたい。だからりんこ、お前に催眠術をかける」
最低なりに、ごまかさない。本心を告げた。
「うん、いいよ。私をおかしくして」
右手に持った、揺れる五円玉を、りんこは見つめる。
「体の力が抜けてきて……お前は俺の言いなりになる……」
瞳孔が開き、瞳に光が失われる。
「りんこ……俺のために、生きてくれ」
暗示をかけた。かなりアバウトな文言で。
俺はりんこを利用するつもりだ。雫を速水に渡すわけにはいかない。速水に勝つための手伝いを、俺はりんこにさせるつもりだ。だから、りんこのすべてを支配できる暗示にした。
瞳に光が宿る。
「わかった。わたし、あっくんのために生きる」
満面の笑みで、りんこはそう言った。
『毎日死ね死ね言ってくる義妹が、俺が寝ている隙に催眠術で惚れさせようとしてくるんですけど……!』
書籍第一巻、三日後の『9月25日金曜日』発売です。
雫の思い、りんこの行く末、すべて書ききったつもりです!
よろしくお願いします!
WEB版の更新も頑張りますので、評価ブクマ感想よろしくお願いします!




