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情報が解禁しましたので告知させていただきます。
この度、小説家になろうにて掲載中の
『毎日死ね死ね言ってくる義妹が、俺が寝ている隙に催眠術で惚れさせようとしてくるんだけど……!』
が書籍化する運びとなりました!
これもすべて応援してくださった読者様のおかげです
ありがとうございます!
発売日、レーベル、イラストレーターさんの発表などはまだ少し先になりますが、それまでこの催眠義妹を応援してもらえると嬉しいです!
「お兄ちゃんと同じ匂いがする」
雫が発したその一言に、俺の体は縛りつけられたように硬直する。
匂い……!?
そんなのアリかよ……ッ!
女装に関しては吉沢さんにお墨付きを貰えるくらいに高レベル。しかし、匂いに関してはどうだ?
自分の匂いに関してまったくわからないけど、おそらく微かに化粧品の香りがするくらいでほとんど体臭は変わっていないはずだ。
その針の穴のような小さな隙を、雫に突かれた。
いやでも普通ありえねぇだろ……っ!
雫の立っていた場所から俺が座っている長机まで、二メートル以上離れていた。
そんな遠い距離で、匂いを判別するなんてあり得るのか……!?
「ねぇ……なんでアナタからお兄ちゃんの匂いがするの? 答えてよ……」
瞳のハイライトをキャストオフして、雫さんは呟く。
彼女がどこからともなく取り出した高回転ホールソーは、どこかに穴をブチ開けないと気が済まないとばかりに毎秒三千回転の勢いを維持しつつギュインギュインと鳴き声を上げていた。
これはもうダメかもわからんね(暗黒微笑)
雫の人外級の嗅覚は予想外とはいえ、とにかく今ここにある事実は、匂いを嗅ぐというたったそれだけの行為で俺の入念に準備した女装はあっけなく見破られたということだけなのだ。
終わった……。
俺の脳内は、その四文字で埋め尽くされる。
正体がバレてしまった今、もう言い逃れはできない。
俺は一生……自分のサイン会に女装して出演する変態という烙印を押されて生きるしかないのだ……。
これから巻き起こるであろう催眠受難に絶望していると、吉沢さんが静かに口を開く。
「貴方はもしかして、市ヶ谷くんの妹さんですか?」
「……そうよ」
吉沢さんを、にらみつける雫。
ボツを食らわすたびに精神がギリギリ壊れない程度の毒舌を浴びせる人の心がない系編集者と、実の兄を催眠術で惚れさせようとするパイルバンカー系義妹の大怪獣バトル開幕。
控えめに言って今すぐ避難したい。
「まさか貴方がカタイモのファンだとは、世の中わからないものですね」
「……そんなことどうでもいい。早くこのメスからお兄ちゃんの匂いがする理由を説明しなさい」
「バレてしまっては仕方ありません。そうせかさずともきっちり説明しますよ」
致命傷クラスの急所を俺たちは突かれたにも関わらず、吉沢さんは自信満々な様子だ。
……まさか! ここから大逆転を狙う術があるというのか……!?
俺はこくりと喉を鳴らして、人を騙して意のままに操るという点ではとてつもない有能っぷりを発揮する毒舌編集者を見つめる。
「そう……貴方のお察しの通り。ここにいる市野先生は、貴方の兄である市ヶ谷碧人くんとかなり濃い関係だと言っても過言ではないわ」
「おいちょっと待て何言ってんだ」
「やっぱりそうなんだ……」
「えっ……あっ。……えっ?」
頭のおかしいことを言う編集者に思わず素面でつっこんでしまった。けれど、そんな俺の様子を雫は完璧に無視して、間髪入れずに吉沢さんの自供を肯定する。
「お兄ちゃんがこの女に私を会わせようとしない理由……この女からお兄ちゃんの匂いがした理由……全部、そういうことだったのね……」
ぽつぽつと呟く催眠義妹。
そのセリフによって、彼女の脳内に展開される見当違いも甚だしい妄想の一端に、俺は触れた。
雫はおそらく、女装した俺を、女装していない俺の彼女か何かだと勘違いしているのだ。
「私がお兄ちゃんにかけた催眠術は『私のことをこれ以上ないくらい大好きになる』という暗示……つまり、私に嫌われるようなことは死んでも隠そうとする……浮気とか、浮気とか、浮気とか……ね?」
催眠術という絶対に秘密にしなきゃいけないことも呟いてしまう勢いでテンパっているパイルバンカー系義妹は、属性発揮のチャンスと言わんばかりに高速回転するホールソーを俺が座っている長机に押し付ける。
「ひいっ!?」
ギュイイイインッ! と、大きな音をたてつつ木屑を巻き散らかしながら半径1.5センチの大穴を開けた。
摩擦によって焦げたような匂いがサイン会会場を包む。
異音によって駆けつけたスタッフを、吉沢さんは片手で止めつつ、そのまま口を開いた。
「……ふむ。雫さんはひとつ勘違いをしておられますね」
「勘違い……?」
「えぇ。市野先生と市ヶ谷くんは濃い関係、それは否定しませんけど、別に肉体的な関係や恋愛関係があるわけではありません」
まったく淀みなく、吉沢さんは淡々と続けた。
ここまで表情を変えず平気で嘘をつける人を俺は初めて見た。
「じゃあ、お兄ちゃんとこの女は一体どういう関係なのよ……?」
一呼吸おいて、さながら刑事ドラマのワンシーンのように、ドS編集者は言う。
「雫さんの兄、市ヶ谷碧人さんは……ここにいるカタイモの作者、市野先生の取材相手です」
「「へっ……?」」
俺と雫は、文字通り呆気にとられる。
「そうですよね、市野先生?」
「えっ……あっ……いっ!?」
先ほどのセリフの意図に未だ気付けずおろおろしていると、つま先に激痛が走る。
おそらくヒールか何かで思いっきり爪先を踏まれたのだ。
吉沢さんの顔色を伺うと、天使のような笑みを浮かべてこちらを見つめていた。
長机の下では俺の足を貫く勢いでヒールをグリグリしているにも関わらずこの表情……地獄の悪鬼に負けず劣らずの所業である。マジで地獄に落ちてほしい。いや帰ってほしい。
「え、えぇ、そうなんですよ……へへっ」
必死に作り笑いを浮かべてそう答えた。
「取材……? 一体どういうこと?」
「そのままの意味ですよ。カタイモの作者である市野先生は、自身の執筆活動のためにリアルに超美少女義妹を持つ市ヶ谷くんに取材をしていたのです。雫さん、貴方は学校に止まらず市内や県内で噂になるレベルで有名です。そんな貴方に義兄がいると風の噂で知った私たちは、市ヶ谷くんに取材すればもっとリアリティのある小説を生み出せると思った次第です」
吉沢さんのなっがいセリフを聞き入る雫。
てかよくこんな作り話を速攻で思いつくよな。
「そ、それじゃあ……この聖書……いえ、カタイモに書かれているお話は、私とお兄ちゃんがモデルってこと……?」
「えぇそうです」
短時間かつ精巧に作り込まれた設定に、催眠義妹はほぼ完全に信じ込んでいる様子だった。
「何割くらい……?」
「ほぼすべてそうだと言ってもいいですね」
「じゃ、じゃあ! 作中のお兄ちゃんがお酒の入ったチョコレート食べて酔っぱらった時、義妹を好きすぎるあまり義妹のおぱんつを真水に浸して『みどりのしましまおぱんつと水……これが本当のグリーンティーか……』とか言って一気飲みしたのも……っ!」
「それも市ヶ谷くんの経験による描写ですね」
「ふぁっ!?」
想定外のメンタル攻撃に変な声が出てしまった。
まずい……! このままじゃ作中の変態描写をすべて現実の俺が妄想していたことにされてしまう……!
「いや吉沢さんそれはちょっと……」
「……」
無言で俺を見つめる吉沢さん。
「いいんですか?」
そして一言そう言った。
この言葉の意味をわからないほど俺も鈍感じゃない。
ここで取材という設定を否定すれば、もう雫を誤魔化すことはできないだろう。
つまり、吉沢さんはこう言いたいのだ。
『別に否定してもいいですけど、そのかわり貴方の女装は見破られ、ついでに催眠術にかかっていないことがバレてしまいますよ?(満面の笑み)』
「……そ、その通りです、私は市ヶ谷くんに取材をして、その経験談、妄想談を活かしてカタイモを執筆しました……っ」
前髪で大泣きしている顔を隠しつつ、俺はそう答えた。
もう好きにしろ……っ!
生かさず殺さず、吉沢さんのいつものメンタルコントロールに、俺はもう諦めていた。
「作中のお兄ちゃんが義妹を好き過ぎるあまり義妹の使用済み歯ブラシを口に加えるか散々迷った挙句、歯ブラシをお茶につけて飲み干すというまぁまぁグレーゾーンな選択をしたのも……っ!」
「市ヶ谷くんの経験談ですね」
「ぐはぁっ!」
「作中のお兄ちゃんが義妹を好き過ぎるあまり義妹に告白してきたヤンキーをフルボッコにしようとして逆にボコボコにされたシーンも……!」
「市ヶ谷くんの経験談ですね」
「あがあっ!」
「作中のお兄ちゃんが義妹を好き過ぎるあまり寝ている義妹のおふとんに潜り込んで髪の匂いをくんかくんかしたのも……っ!」
「市ヶ谷くんの経験談ですね」
「へぶぅっ!」
作中での主人公の奇行が、俺が現実で実際にしたことにされるという凄まじいメンタル攻撃に、俺の意識は朦朧としていた。
もういっそのこと殺してくれ……っ!
これ以上は耐えられない……っ!
悲痛な面持ちで吉沢さんを見つめると、彼女はこれ以上ないくらいの満面の笑みを浮かべて、雫の言葉に相槌をうっていた。
俺にはわかる。このクソ編集、心の底から楽しんでやがる……っ!
「結論から言いますと、市野先生から市ヶ谷くんの匂いがしたのは、つい先程も新作について打ち合わせしたからなんですよ」
「あ、だからお兄ちゃんはトイレに行くとか言って出てこなかったんですね」
「彼が今どういう状況かは知りませんが、兄として義妹に異常なレベルの愛を抱いていると雫さんに知られれば嫌われてしまうと思って言い出せなかったのでしょう。許してあげてください」
雫は、頬を真っ赤に染めてうつむく。
「そ、そういう理由で私の催眠に抗って、サイン会に行かせないよう駄々をこねたのね……ほ、ほんとにお兄ちゃんはシスコンなんだから……っ!」
小声で呟いた彼女のセリフを聞く限り、サイン会ダブルブッキングの乱はどうやら終戦に向かいそうだ。
身バレも防いで、催眠術に抗ったことも理由付けされ、かつ、雫の好感度も下げない。
俺のメンタルが著しく傷つけられたということをのぞけば、本当に理想的な展開だった。
流石は鬼の編集吉沢。
俺のメンタルへの攻撃も計画の内なら予想以上の効果を発揮しているぞ。マジで早く地獄に帰れ。
「あ、あの、騒いじゃってごめんなさい。そ、それと……私の兄でよければいつでも取材に使ってあげてくださいね」
すっかり機嫌を直した雫は、可愛らしくもじもじしながら本を俺に差し出した。
「はい……ありがとうございます……っ」
ものすごく複雑な気持ちで、本にスラスラとサインを書く。
軽くスキップしながらご機嫌な義妹は、女装した兄にまったく気づくことなく満面の笑みを浮かべて帰っていった。




