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「ありがとうございましたぁ〜」
猫撫で声で感謝の気持ちを伝えつつ、サイン会に来てくださったファンの方を見送る。
サイン会が始まってから結構時間がたつけれど、雫は未だ現れない。
「本当に来るんですか……?」
怪訝そうな顔をして、吉沢さんは俺を横目でにらむ。
冷静に考えれば、俺みたいな冴えない男子高校生を催眠術で惚れさせようとする美少女義妹なんて、創作上でもご都合主義すぎて避けるレベルの希少種ヒロイン。
サイン会に来てくださったファンの方々が次々と満足そうに帰っていき、次がおそらく最後の方になるであろうこの状況で、吉沢さんも少し不安になったのだろう。
本当に、そんな拗らせ催眠ヒロインが実在するのか……と。
「安心してください。来ます」
残念ながら、本当に、本っ当に残念ながら……実在してしまうのだ。
「次の方、最後になりまーす」
スタッフの方が、セパレートの隙間からそう言う。
雫は、俺の義妹は、こういった期待(悪い方の)は100%裏切らない……!
うつむきながら、前髪で顔を隠しつつ、上目遣いでセパレートの先を見つめる。
奴は必ずくるッ!
カツ、カツ、カツと、聞き覚えのあるヒールの音が聞こえた。
「……っ」
目を丸くし、息を飲む吉沢さん。
その反応も仕方ないだろう。
セパレートの先から現れたのは、今世紀最大の美少女と言っても過言ではない俺の義妹。
艶やかな黒髪に整った顔立ち、スタイルからファッションまで何もかもが完璧。
あまりに綺麗すぎて、整いすぎて、若干キツイ印象を受けるくらいだ。
「吉沢さん、奴が俺の義妹です」
吉沢さんの細い脚を膝で小突きながら、小声でそう言う。
「妄想は大概にしなさい」
「いや本当ですから」
一欠片の淀みもなく俺の言葉を一刀両断した吉沢さん。まぁ普通は信じられないよな……。
簡易的に区切られた俺のいるスペースに、まるでパリコレのように華麗に歩きながら、雫はやってくる。
高鳴る心臓。手をあてなくても、鼓動の音が聞こえる。
「……っ」
弱気になれば普段の仕草が出てしまう。少しでも隙ができれば、雫はそれを目ざとく見つけて俺の正体を見破るだろう。
見破られれば、看破されれば、その先に待ち受けている地獄のような責め苦は容易に想像できる。
今の俺は、美少女ラノベ作家……。
そう脳味噌に言い聞かせて、ウィッグの先からつま先まで、神経を研ぎ澄ませた。
今まで書いてきた俺のラブコメヒロイン達よ……俺の体に顕現せよ……っ!
「こ、こんにちわぁ〜、今日は私のサイン会に来てくださってありがとぉございますぅ〜」
俺は細心の注意を払いつつ、声をかえて挨拶をぶちかました。
柔らかな笑顔、可愛らしい声音、愛らしく小首を傾げるのも忘れない。
控えめに言って完の璧。
今の俺はどこからどう見ても、美少女ラノベ作家だった。
「……」
そんな擬態完璧な俺を、無言で見つめる雫。
……彼女がどういう反応をするかまったく予測できない。
どんな態度をとられても、表情を崩すことだけは避けなければいけない。
俺はより一層気を引き締めて、笑顔をつくる。
「あ、あの……サインするので本を……」
そろそろと手を伸ばし、雫が大事そうに胸に抱えている本を受け取ろうとする。
けれど雫は依然、宝石のような瞳を丸くしてこちらを見つめるばかりである。
「におい」
「……へっ?」
「においがする」
「……」
いきなり口を開いたと思えば、なにやらよくわからんセリフを吐き散らかす義妹。
におい? どういうことだ?
セパレートに区切られたこの一室は、書籍の新しい匂いがするくらいで、別に特別な匂いはしない。
「えっと、どういうことですかぁ?」
ここで質問して話を広げるのは少々リスクが高いけれど仕方がない。
無理にサイン本を奪い取り雫を早く帰そうとすれば、逆に怪しまれてしまう。
いま俺がしなければいけない動きは、完璧に美少女ラノベ作家を演じきる事。
普通に、自然に、振る舞うこと、ただそれだけなのだ。
そんなマリアナ海溝並みに深い意図のある俺の質問を雫は無言で聞きつつ、ツカツカと俺の方までやってくる。
次の瞬間、彼女は俺のワンピースの襟元を掴んで、首筋に鼻をあてた。
「えっ、ちょっ!?」
「動かないで」
身体中に走る緊張。
あまりに自然な動きだった為、隣にいる吉沢さんも呆気にとられていた。
スンスンと、鼻を鳴らす音を立てる雫。
そして。
「あなたから、お兄ちゃんと同じにおいがする」
と、瞳を暗くしながら、背筋が凍るようなそんなセリフを呟いた。




