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俺、市ヶ谷碧人の朝は早い。
午前六時三十分には起床し、朝食、お弁当の準備。
雫はコンビニ弁当や購買のパンは何故か嫌って食べないので、毎日俺が彼女の分の弁当を作るのだ。
その準備の合間にも、洗濯物や掃除など、細かい雑事をこなしていく。
母親が仕事で外に出ずっぱりな我が家では、大体の家事を兄である俺がこなしているのだ。
そんな毎日の忙しい朝に、最近、新たな日課ができた。
「クソ兄貴。ちょっとこっちにきて」
「お、おう……」
短針が七の数字を回った頃。
テーブルに朝ご飯を並べていると、眉を吊り上げながらも少し機嫌の良さそうな雫に呼び出された。
そう、俺の新たな日課とは……。
「いい、この五円玉を見なさい。目をそらしたらグーだからね」
「……はい」
雫に催眠術をかけられ、義妹大好きシスコンお兄ちゃんになることだ。
……俺がなにを言ってるか理解できないって?
安心してくれ、俺にも分からない。
「体の力が抜けてきて……貴方は私の言いなりになる……妹が一番大好きなお兄ちゃんになる……」
いつものセリフに、いつもと同じように揺れる五円玉。
「催眠術、成功ね」
フフーンと、自信ありげな笑み浮かべる彼女。
しかしながら俺の意識は、これ以上ないくらいにはっきりしていた。
雫にはじめて催眠術をかけられてからおよそ一週間半。彼女は毎日のように俺に催眠術をかけ、そして顔から火が出るくらいの恥ずかしいお願いをしてくる。
催眠術を解除、俺の記憶を消している状態の時はいつものパイルバンカー系義妹。
催眠術をかけ、俺が妹大好きシスコンお兄ちゃんの時は若干Mな脳内お花畑系義妹に変身する。
まぁここまではいつもの日常だ(狂気)
問題はここから。
最近雫がハマっている、とあるお遊び。
それが俺の豆腐メンタルをぐちゃぐちゃにしてほうれん草と和えて美味しくいただけるレベルの破壊力を有しているのだ(錯乱)
俺が何言ってるか理解できないって?
これからの惨状をみれば、俺の日本語が終わっている理由を理解できると思うので安心してくれ。
雫は、右手に持っていた俺の著書『十二年間片想いしてた彼女が昨日、妹になりました。』をおもむろに開く。
「じゃ、じゃあ今日は二巻の二十七ページをやるわよ……!」
「…………」
「……返事は?」
「……はい」
テーブルに座り、俺の書いたラノベを開きつつ、ウィンナーを俺にあーんする義妹。
「お、お兄ちゃん、私の作った朝ごはん美味しい?」
「あ、あぁ美味しいよ」
「…………ちょっとそこセリフ違う『雫の味がしてとっても美味しいよ』でしょ?」
「し、雫の味がしてとっても美味しいよ」
「もう! 何言ってるのよ! お兄ちゃんのえっち!」
そう……雫が最近ハマっているとあるお遊びとは……。
「じゃあ次は二十八ページね……。アンタからよ、早くセリフ言いなさい」
俺の著書『カタイモ』の、兄と妹のラブラブシーンの再現。
そんなおぞましい、闇のゲームにどっぷりハマっていたのだ。
俺は血反吐を吐きそうになりながらも、自著をみながらセリフを読む。
「……雫はやっぱり料理が上手だなぁ。お兄ちゃん、雫をお嫁さんにもらいたいくらいだよ」
そのセリフを聞いて、うっとりする義妹。
「こ、こんなの誰にでも作れるって……!」
いやこの朝ごはん俺が作ったやつだからね?
さっきあーんしたタコさんウィンナーも俺が丹精込めて焼いたやつだからね?
「ほんとお兄ちゃんはシスコンなんだから! ……で、でも、ついでだし、その……余るから……毎日作ってあげてもいいんだからねっ!」
「……し、雫はツンデレだなぁ」
「ちょっとそこのセリフ違う! やりなおして!」
「し、雫ちゃんマジで天使、愛してる」
「……わ、私も……っ!」
あがぁぁぁああああああああ!!!!!!
死にてぇええええぇええええ!!!!!!
なんだよ! なんなんだよこの状況!!
自分の書いた小説のセリフを読まれるだけでも恥ずかしくて死にたい気持ちになるのに、それをリアル義妹と再現するなんて、拷問もいいところだ!!!!!
「……ほら! 次アンタのセリフ! 早くしなさい!」
雫に急かされる。けれど次のセリフは俺の小説史上最も恥ずかしいセリフ。
死んでも言いたくねぇ……っ!
「…………言えないの? アンタまさか催眠術かかってないの? 死ぬの?」
ナイフをチラつかせる雫。
えっ? 何この状況?
もしかして地獄?
地獄って現世にあったの?
進むも死、退くも死。
俺は奥歯を噛み潰す勢いでくいしばりながら、セリフを口にする。
「ふ、ふぅ、これだけ食べてもお腹いっぱいにならないなぁ……」
「えっ、でも朝ごはんこれだけだし……どうしよう?」
しらじらしく、小首をかしげる雫。
クソうぜぇけど引くぐらい可愛いので困る。
「……ここにあるじゃないか」
「ふぇっ!?」
小説の一節通り、俺は雫を肩に抱いた。
「俺の妹という名の、最高のメインディッシュがさ」
「お、お兄ちゃんらめぇっ! 雫を美味しくいただけるのは夜十時以降の約束でしょ!」
ふぉぁああああああああああああああっっっ!!!!!!!
誰か俺を殺してくれぇええぇえええええええっっっ!!!!!!
てかなんだよこのクッソだせぇセリフはよぉおおおおおおおお!!!!!
これ書いた作者マジで頭イカれてやがるだろぉおおおおおおおお!!!!!
「…………」
いや書いたのめっちゃ俺で草ぁぁぁぁあああああッッッ!!!!
表面上は生温い笑顔で取り繕いつつ、脳内で発狂していると、ピピピッと、スマートフォンのアラームが鳴る。
「チッ、もうこんな時間……そろそろ学校に行かないと遅刻するわね……まぁ朝の部はこれくらいで終わりにしておこうかしら」
朝の部……?
まさか昼の部とか夜の部とか追加されちゃうんですか?
「し、雫、お前本当にこんなラノベ好きなのか……? もうちょっと面白い作品あるだろ……エ◯マンガ先生とかさ……!」
「たしかにエ◯マンガ先生も面白いけど、私はこの作品の情緒に惹かれているの。特にキャラクター、セリフが良いわね。笑えるものからトキめくものまでたくさんあって、読んでて飽きないわ」
「へ、へぇ……そうか……」
「学校のお昼の放送で音読したいくらいよ」
「いやそれだけはやめて」
「……なんでアンタが必死に止めるのよ……」
「あっ、いや、さすがにお昼の放送でラノベはレベル高すぎるかなって……」
「……まぁそうね。この聖書の素晴らしさが分からない愚物共にきかせても意味ないものね」
こいつ……俺のラノベのこと聖書って呼んでんのか……狂ってやがる……。
「……遅刻するからそろそろ準備したほうがいいんじゃないか?」
時刻はいつの間にか八時前、もう家を出ないと遅刻してしまう。
「そうね。それじゃあ催眠を解くわよ。こっちに来なさい」
両手を広げる雫。
俺は手慣れた動きで彼女の前に座る。
「いい? 私が手を叩いた瞬間に、催眠中に起きた出来事はすべて忘れなさい。それと、また私が催眠をかけた時は最初の暗示通り、私のことをこれ以上ないくらい大好きなお兄ちゃんになること、わかったわね?」
「……わかりました」
「あと、何度も言うけど、先週の喫茶店の出来事を地味女に言及されても、何も覚えてないと答えなさい。あと、何を言われても信じないこと。わかった?」
「……わ、わかりました」
パチンと可愛らしい音がなった。
それと同時に、雫は俺をゴミを見るような目でにらみつける。
「……クソ兄貴、何でそんなとこで突っ立ってんの? 邪魔なんですけど」
「……すまん」
肩をあてて、足早にリビングを去る雫。
……この変わり身の速さ、女はみな女優とはよく言ったものだ。
催眠術昼の部に胃をキリキリさせていると、スマートフォンがピロリンと、リズミカルな音をたてる。
俺の担当編集の吉沢さんからメールだ。
『おはようございます。吉沢です。この前話していた最終巻発売記念のサイン会の件ですが、予定通り二週間後、渋谷で行うことが決まりました』
「おぉ! やった!!」
曲がりなりにも9巻まで続いた俺の作品。
最終巻刊行まで応援してくださったファンの為、吉沢さんが数ヶ月前からサイン会を企画していてくれたのだ。
初めての顔出し、初めてのファンとの交流、嬉しいような恥ずかしいような、いろいろな気持ちがない混ぜになって、俺はよくわからないニヤケ顔を晒していた。
「サイン会かぁ……一応サインの練習しとかないとなぁ……」
なんだかんだで伝えそびれて、俺がサイン会を行うまでの作家になっていることを、クラスメイト、友達、親友のりんこ、そして家族の雫でさえ知らない。
「サイン会でバッタリ知り合いとあったりしてな……まぁそんなことないだろうけど」
俺みたいな中堅作家のサイン会に来るということは、『カタイモ』という作品を相当好いてくれているということ。
それこそ雫みたいに購入特典からグッズまで総ナメしている様な猛者しか来ないはずだ。
「えっ……」
驚きのあまり、自らの心の声を、反芻する。
『それこそ雫みたいに購入特典からグッズまで総ナメしている様な猛者しか来ないはずだ』
「…………やばいやばいやばい!」
サイン会には最終巻からの後日談、三万文字の特別冊子が付いてくる。
あのカタイモ狂の雫が参加しない訳がない……!
あのどスケベ義妹小説の作者が俺だと知った雫が、どんな行動をとるか見当もつかない……!
「な、何としてでも阻止するしかねぇっ……!」
散りかけた桜並木を早足で歩きつつ、足りない脳味噌をフル回転させて、俺はサイン会で義妹と鉢合わせない方法を考えるのであった。
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