09,邪神だってデリケート
――【邪神】を造るのは、簡単だ。
人間を犠牲にすればいい。
一体、何人用意すればいいのかって?
一人だ。一人で充分――いや。
独りだからこそ、邪神は成る。
邪神とは【呪い】の極致だ。
――おれだけこんなのひどいじゃあないか。
――おれだけをこんなめにあわせるなんてひどいじゃあないか。
――どうしておれなんだ。
――なにもわるいことなんてしていないのに。
――どうしてだれもたすけてくれないんだ。
――みんなしんでしまえ。
――こんなせかいほろんじまえ。
――ぜんぶぜんぶぶっこわれちまえ。
新雪のような銀髪が、風に揺れる。
紅蓮のマントが、翻る。
幼げな少女が、笑っている。
「何で、ボクがお兄さんを殺さないといけないの? ヤだよ。大神の言う事なら何でも聞くと思ったら、大間違いさ」
呪いで汚れたオレの手を取り、【あいつ】は一際笑顔を弾けさせて、言ってくれた。
「まずは一緒に、おいしい紅茶でもどうだい?」
◆
「……んぉお?」
ウグドラの木で雑に作った台、その上に羊系魔獣の獣皮を幾重か重ねただけの手製ベッドの上。
自らの寝返りの反動で、ゼレウスは目を覚ました。
藍色の薄闇に染め上げられた天井。見慣れたものだ。
「ン~……珍しいなぁ。昔の夢なんざ」
今日は【あいつ】を思い出す事が多かったから、それが原因かも知れない。とゼレウスはなんとなく納得。
ベッドの上で身を起こして、ゼレウスは隣を見る。
ゼレウスのベッドから少し離した所に設置されたもう一台のベッド。
元はゼレウスお手製の雑ベッド二号を、ある魔術師令嬢が変形・変質の魔術で改造して天蓋カーテン付きゴージャス仕様に変えたもの。
薄いカーテンの奥ですやすやと眠る、小さな影。
ミリーだ。
「クハハ、つくづく良い度胸だよな」
無実の罪で国外追放されて、辿り着いた超絶危険区域のド真ん中。
邪神と同じ屋根の下、大した距離も無く、しっかり眠れるとは。
神経が太いと言うか、もうぶっ壊れているんじゃあないだろうか。
「さぁて、二度寝二度寝。もっかいあいつの夢でも見るべ」
ごろんと転がり、ゼレウスはもう一度眠りに就こうとした。
だが……、
「……ん?」
ぴすっ、と珍妙な音が聞こえた。
断続的に、ミリーの方から聞こえてくる。
「鼻詰まり……? おいおい、やっぱ風邪ひいたか」
だから、昼間の風呂上り、さっさと体を拭けと進言したのに。
「まったく……ガキってのは、いつの時代も世話の焼き甲斐があるったらねぇよ」
ゼレウスは自らが被っていた獣皮の毛布を取って、立ち上がる。
「おい、おまえ。風邪ひいてんだったらこれも使え。春先とは言え、明け方にかけてはまだまだ冷えるから――」
カーテンをめくって、ゼレウスは一瞬、止まった。
「おまえ……泣いてんのか……?」
ゼレウスの問いかけに、ミリーは答えない。眠っているのだ。
だが、枕に埋めたその寝顔、頬には涙が伝っている。
「……………………」
少し考え、ゼレウスはその涙の理由を察した。
「……オレはまた、何も知らねぇくせに……」
――……何が、神経が太いだ。何が、もうぶっ壊れているじゃないかだ。
この少女はただ、自分すら騙すくらいに無理していただけじゃあないか。
自分は優れた人間なのだと。
凡百な少女のように、泣き崩れてしまわないように、ずっとこらえて。
意識が眠りに落ちた今、ようやく塞き止められていたものが解放された。
見事なものだ。
呆れ果てるほどに。
どこまでも徹底している。
これが、この少女の生き方なのだろう。
弱みを誰にも見せようとはしない。
自分自身を含めて、誰にも弱さを認識させない。
自分を圧倒的に優れた人間として演出するために。
自分の感情さえもを騙して、封じ込めて、切り捨ててきたのだ。
その封じられて切り捨てられたものの残滓が、彼女自身の目を盗んで漏出したもの。
それが今、ゼレウスの見ている光景だ。
「頑張り過ぎだ。ガキのくせに」
ゼレウスは、貴族様が負っているものなど知らない。
それでもわかる事はある。
もう、この少女はそんな奇妙なものを背負う必要は無い。
もう、誰もこの少女に貴人としての資質を求めはしない。
……それでも、この少女は続けるのだろう。
自分が自分を見ている限り。
自分が自分に課す貴人の資質を守り続けるのだろう。
「……まるで、【呪い】じゃねぇかよ……」
生まれながらに高い地位を約束され。
生まれながらに強い魔術の才能を持ち。
生まれながらに麗しい容姿に恵まれ。
生まれながらに貴く在れと呪われた。
酷い話も、あったものだ。
「…………………………」
この呪いを解く言葉を、ゼレウスは知らない。
邪神――無数の呪術をその身に刻む、呪の最たる存在であっても。
この悍ましい呪いには、手も足も出せないのだ。
それでもゼレウスは、手を伸ばした。
……この行為は、何の足しにもならない。
何の理由があって、そんな事をしたのかはわからない。
貴く在れと呪われた彼女が起きている間は、決して許さない行為。
自分を含むすべての視線から隠れて泣き震える少女の頭を、静かに撫でる。
大きな爪が決して傷つけぬように、優しく、ゆっくりと。
気品を演出するためによく手入れされた白銀の髪は、シルク製品のような触り心地だった。
「ほんと、すげぇよ。おまえは」
今この時だけでも、この少女を歳相応の子供として、褒めてあげたいと思ったのだ。
「んにゅぅ……」
「ッ」
不意に、ミリーの手が、ゼレウスの手をはしっと掴んだ。
げっ、起きた……!? とゼレウスはひやっとしたが……杞憂に終わる。
ぴすぴすと鼻を詰まらせながらも、寝息はすぅすぅと続いていた。
ミリーの無意識が、切り捨てられてきた少女が、ただその黒く温かな手にすがりついただけだった。
「……やれやれ……びっくりさせやがる」
「……うぅ……す……」
「!」
掴んだゼレウスの手に頬を寄せながら、ミリーが何か寝言をつぶやいている。
――う、す……? ……もしかして、オレの名前でも呼んでんのか?
たった一日で、寝言で名を呼ばれる程度には頼れる者と認識されたのか。
ゼレウスが期待に耳を澄ますと、
途端、ミリーの寝顔は悩まし気に眉をひそめて、
「……う、ぅううう……すごく……臭いこれ……」
◆
翌朝。
「んんっ……ああ、よく寝た。おはよう、弟子……って、あれ?」
起床したミリーがカーテンをめくると……ゼレウスのベッドは空。
随分と早起きなんだな、邪神のくせに(酷い偏見)。
などと適当な事を考えながらミリーは小屋の外に出る。
裏手に回ってみると、
「おや、ここにいたのか……って、君、行水派じゃあなかったのかい?」
朝風呂、と言う奴か。
ゼレウスは風呂桶に入り、フローラルな湯を沸かして浸かっていた。
大柄なゼレウスでも充分足を伸ばせる大きさで作ってあるのに、何故か膝を抱いて。
「うるせぇ……どうせオレは臭ぇよ……」
「はぁ? おいおい……何を朝から拗ねているんだい? 確かに君に近寄ると薄らと加齢臭のようなものが漂ってきたが……」
「か、加齢臭ッ……!?」
師弟生活二日目開始早々。
弟子は何やら心に深い傷を負っていた。