08,食事にしよう・to・night
この小屋に室内用の硝子灯など有りはしない。
夜の光源は竈の炉から漏れる明かりのみだ。
それだけでは暗くてたまらない。
と言う訳でミリーは変質・変形の魔術で芸術的に加工彩色したウグドラの皿に魔術の灯を乗せて、テーブルの中央に設置した。
「しかし……本当、ここで暮らすと価値観が狂いそうだね……」
ミリーが呆れ顔で見つめる先には、ゼレウス。
その無骨な黒鉄の手で、今夜の猟課を掴んでいる。
――夕食にしよう。
と言う事でゼレウスが森に入り、秒で捕まえてきたのは大きなウサギ型の魔獣。
ファグラミラージ……世界九大美食の一角とされ、口の中で溶けていくような食感を覚える柔らかな肉質から【雪肉ウサギ】とも呼ばれる超高級食材だ。
生息地の厄介さは勿論。
ファグラミラージ自体も高い隠密能力や疾風のような逃げ足から捕獲難度がかなり高い魔獣なのだが……。
まぁ、邪神に狙われてはどうしようもないと言う所か。
「こいつはすげぇ美味いぜ」
「知っているよ。好物のひとつだと言ってもいいくらいに」
「クハハ! 気が合うな。オレも好物だからよく食うんだよ。つっても、飽きたら勿体ねーから三日にいっぺんくらい」
「最高貴族ですら月に一度、食べられる機会があるかどうかだった食材を……」
ここは極上の楽園か何かか。
ああ、邪神の霊園だったか。
冒険者とか言う連中が何を好き好んで危険区域に旅立っていくのか。
以前は理解しかねる事だったが、少しわかってきた気がした。
金に余裕の無い連中に取って、危険区域は一攫千金のチャンスが散乱するパラダイスだった訳だ。
リスクの高さにそのチャンスが比例できているかどうかは怪しいが。
「んじゃあ早速、焼くか」
「ちょっと待て弟子。今すぐその手に握ったウグドラの串を下ろせ」
「何でだよ? 腹減ってんだろ?」
「暴力は大嫌いだがさすがに殴って良いか? 腕力強化してから」
「いやマジで何でだよ!? いきなり恐ぇよ!? 目がマジじゃあねぇか!」
今、ミリーが止めなかったらどうなっていたか。
この邪神、ファグラミラージを皮も臓器も取らずに串で丸焼きにしようとしていた。
「良いかい、弟子。私は元とは言え貴族だし、それ以前に今もなお現在進行形で乙女だ」
「おう」
「その乙女が、切りにくいにもほどがある皮付き肉に悪戦苦闘した末に形振り構わず豪快に齧り付いて口元を脂まみれにしたり、糞の詰まったウサギの腸を喜んで啜ると思うのかい?」
「……おまえ、案外似合うんじゃあないか? 異様にたくましいし」
「たくましい事は否定しないが、育ちの良さを考慮したまえと言っている」
「んー……まぁそうだな。配慮が足らなかったか。悪ぃ。んじゃあ捌くわ」
そう言って、ゼレウスは大爪に覆われた指を一本シャキーンと立てると、
「シッッ」
短い掛け声と共に、ミリーの眼ですら追えない速度で腕を振るった。
次の瞬間、まるで蕾が花開くように。
ファグラミラージの毛皮が、ふわり、と広がって剥げ落ちた。
「ふふん。ざっとこんなもんよ」
「……妙に手馴れているね?」
「まぁな。昔はちゃんと解体して食っていたから。臓器を取るのも手馴れたもんだぜ」
「何故、最初からやらないんだい?」
「昔つってもン千年前の話だぜ? 体は覚えちゃあいるが、もう丸ごと焼き食いスタイルで慣れちまっててな。ぶっちゃけ解体するっつぅ選択肢が頭から消えていたぜ。クハハハ!」
「つくづくこの世の雑さをすべて凝縮してじっくり煮込んだ物体の煮凝りめいた存在だね、君は……」
どれくらい昔かすらもはっきりしない神代から、悠久の時を生きてきた邪神。
何事も大雑把な感性なのは、その辺りに由来するのだろうか。
やれやれ。一体、何度こうやって呆れ果てれば良いのやら。
呆れるほどに呆れさせられるものだとミリーは苦笑しかできない。
邪神、邪悪の最たるもの。
そう呼ばれるには相応な雑さかも知れないが。
「まったく……良いかい、ひとつ念を押しておくよ」
「ん? なんだ?」
「君は邪神だが、私の弟子になったんだ。これからはそこを意識して少しずつでも行動を改めてくれたまえ。今の君の雑さは、私の沽券に関わる」
「おまえ、ほんとオレが邪神だって認識した上でズバズバ言うよな」
「伝承に聞く通りの邪神だったのなら魔術の暴力に頼るが、君は言葉が通じるからね」
「クハハ、おまえはおまえで、つくづく良い度胸をしていやがる」
仮にゼレウスが邪神の典型的めいた奴だったとしても、魔術でねじ伏せてみせると。
実際ミリーにそんな実力があるかどうかは置いといて。
どう在ってもゼレウスを対等か、少し下に見る姿勢を揺らがせるつもりは無いと言う事だ。
筋金入りの傲慢令嬢様だ。
それが理由で追放されたくせに、一切、その芯は揺らいでいない。
反省が無いと言うより、反省する必要性を感じていない。
むしろ反省したら負けとすら思っている節がありそうだ。
正しいと信じた事しかしていない……自分は後ろめたい事など一切やっていないと絶対の自信を持っている人間の精神構造である。
――己の正しさを信じ、父である大神の言いつけにすら逆らうような豪快な大英雄を、ゼレウスは知っている。
「ククッ……おまえを見ていると、飽きねぇよ」
「ふふん、優れた存在は見応えがあって当然さ」
ミリーは当然の事だとは言いつつも、どこか誇らしげで嬉しそうな雰囲気。
小さな胸を張ってふんぞり返っている。
「さぁて……んじゃあ、肉を焼くが……どぉせ、焼き方ひとつもあーだこーだ注文があるんだろ?」
「ふふ、早速わかってきたね。優秀な弟子だ。もちろん当然さ。調理は一流以上のシェフに任せてきたから香剤同様に仔細は知らないが……最低限は把握しているよ」
任せたまえ、とミリーは偉そうに仁王立ち。
「まずは下味を付けたい所だが……まぁ、さすがに高望みだね。どうせ塩のひとつまみも無いんだろう?」
「あー、海辺はもうン百年は近寄ってねぇからなぁ」
ここには有り得ないくらいの希少品は山ほどあるが、逆にありふれた代物が無い。
「まともなソースも作れやしないだろう。仕方無い。幸い、素材の味だけでも充分に勝負できる品だ」
「で、どう焼く? 鍋を使うのか?」
「ああ、直火は有り得ない。そして、『ただ焼く』と言う発想は古い」
「おう? まーた妙な事を言い出したな」
「シェフから聞いた話さ」
「受け売りか」
「知識なんてものは大概が受け売りで身に着けていくものさ。学術書を筆頭に書物からの受け売りなんて最たるものだろう? 元は受け売りでも、それを理解して納得できたならば私の知識だよ。……っと、話が逸れたね。戻そう」
肉の焼き方だったね、と確認をして、ミリーは話を続ける。
「肉を普通に焼く、つまり一気に熱を通してしまうと、過剰に水分を失って口当たりが少々悪くなるのさ。実際に『別の調理法』で処理された肉と食べ比べをさせてもらった事があるから、間違いは無いよ。まぁ、あくまで少々。充分に美味で通る味だったがね」
「ほうほう。実際に比べたってんなら確かに間違い無ぇな」
貴族令嬢として鍛えられたミリーの舌ならば、その味覚的感性は信頼できるだろう。
「んで、その別の調理法ってのは?」
「蒸し焼きする」
「ロースト?」
「鍋に水を敷き、蓋をして加熱するのさ」
「煮るのとは違うのか?」
「水の量の違いだよ。肉の下部が少し浸るくらいさ。水を媒介して肉の下部にゆっくり熱を通し、鍋の中に蒸気を充満させて肉全体を蒸し焼きにするんだそうだ。そうする事で水分が過剰に失われず、かつ余分な脂分が水に溶けだし味が洗練される」
「へぇー……でもよ、ちゃんと火が通るのか、それ」
ゼレウスは別に生でも生焼けでも食えるが、ミリーは安全面に問題が生じるだろう。
「レア、と言った具合だね」
肉内部には赤みが残る。
だが、安全性には問題の無い加熱処理、と言う事だ。
「まぁ、レアが好みで無い場合は、普通に焼くのがオススメになるだろう」
「? そこは拘らねぇのか?」
「食の嗜好は個人差が大きいからね。一概に事の正否を付けられない分野だ」
肉をただ焼くのは古いやり方だ、とは断じたが。
それが間違いであるとか、愚策であるとは言わない。
ミリーは最高貴族として他国の食文化にも多く触れてきたので、その辺りは寛容である。
「理論上は最善の調理でも、万人に最良の料理が出来上がるとは限らないものさ」
別に「直火で焼いた肉こそ至高!」と主張する者がいたとしても、ミリーはそれにとやかく言うつもりはない。
無視して隣で蒸し焼き肉を作り、自分は黙々とそちらを食べるだけだ。
「それに、明確な正解が設定されていない分野で、個人的な拘りを横暴に振りかざすのは品が無いよ」
「ほーん……そんなもんか。ま、とにかくものは試しだな」
「待て」
さっさと鍋を準備し始めたゼレウスに、ミリーがストップをかける。
「まだ何かあるのか?」
「野生の獣肉は処理をしないと臭いがキツいと聞く。ひと工夫しよう。貴族の視点からでもかなりの贅沢だが……鍋に敷く水に、ニーラカーナの茶葉を少々足すのはどうだい?」
「ほほう……紅茶で蒸すってか。クハハ、そいつぁ良い! あの香りはオレも大好きだからな」
「入れ過ぎるんじゃあないぞ? あくまで臭み消しだからね?」
「へいへい」
水瓶から鍋に水を敷き、ゼレウスは茶葉をひとつまみ。
「……って、言ったそばから多いな!?」
「ひとつまみだぜ?」
「自分の指……と言うか爪の大きさを考えたまえ! あー、もう良い。細かい部分は私がやる!」
「おう。そっか。んじゃあ頼むわ」
こうして、ミリーとゼレウスは共に夕食を作りにあたったのだった。