05,乙女の香りは花の香り
邪神ゼレウスが知る紅茶の製造工程は大雑把に六段階だ。
第一、良さげな葉をパパっと摘む。
第二、摘んだ葉を日陰に放置して萎れさせる。
第三、適度に萎れた葉を良い感じに揉み潰す。
第四、揉み潰した葉の塊をまぁこんな感じかなーってくらいほぐす。
第五、ほぐしたものを日陰に放置して発酵させる。
第六、発酵させたものを日向に放置して乾燥させる。
細かい雑味が気になる場合は更にもう一工程、「茎や葉くずを手当たり次第に取って捨てる」と言う作業も行う。
ここで取り除かれ損ねた茎が、いわゆる茶柱と言う奴の正体でもある。
今、ゼレウスが小屋の横合いでやっているのは第六工程、日向干し。
邪神霊園は基本的に全域が濃霧に覆われた森だが、例外がある。
いくつか、霧が避けてく不思議なスポットがあるのだ。
ゼレウスがこの場所に小屋を建てたのは、ここがそのスポットだから。
木々も根本から薙ぎ払って拓いたので、日当たりは良好である。
今日も快晴に恵まれている。
絶好の茶葉干し日和だ。
既に小屋横の草原には超希少樹木から切り出された大きな木板が三枚、雑把に敷かれいた。
その上では発酵した茶葉が広げられている。
「うん、完璧完璧ぃ。クハハハ」
自分の仕事を眺め、黒い全身鎧の上から黒マントを羽織った男――否。
全身が黒鉄の皮膚に覆われた裸体の上に黒マントを羽織った邪神、ゼレウスは満足げに頷いた。
彼のテンションに呼応して、黒鉄の皮膚に刻まれた血文字っぽい呪文が薄っすらと淡く発光する。
呪文は彼を構成する大きな要素であり、彼の感情の起伏と密接に関わる。
つまり今の発光は、非常に上機嫌と言う証だ。
「ン千年ぶりに飲む奴が増えたからな、いつもより多めに作っちゃうぜ~」
自分が手間暇をかけて作った紅茶をとても美味そうに飲んでくれる奴がいる。
それを想えば、テンションが上がってしまうのも当然だろう。
「さぁて、気ノリしてる内にもうワンセットいってみよぉか!」
「ふむ、精が出るね」
「ん? おお、ミリーか」
ゼレウスにかけられた少女の声。
声の主は今日から共に暮らす事になった元最高貴族の――
「って、何でおまえ、裸なんだ? 変態趣味か?」
「実質裸マントの君に言われる筋合いは無いと思うのだが?」
ミリー・ポッパーはその幼い肢体を曝け出した状態で、堂々と立っていた。
全裸な上に、足首を酷く挫いていて即席の杖(ウグドラ製)を突いて歩いているが、それでも堂々たる印象を受ける。不遜がこびりついた生意気な表情故だろう。
「つぅかおまえ、水浴びするっつってなかったか?」
ゼレウスの小屋の裏には茶園と、手製の井戸がある。
これまた雑な造りではあるが。
「ああ、だから裸なのさ」
「少しは恥じれよ生娘」
「私の体に恥ずかしい部位などないよ」
普段ミリーがおとなしく服を着ているのは、単純に洒落るのが好きだからだ。それ以上の理由は無い。
故に脱ぐ必要があるならば別段、何も躊躇わない。
着衣と言う行為に装飾以上の意味を感じない。
「尻を揉まれてぎゃあすか騒いでいたのは一体……」
「視線まで咎めるほど狭量ではないだけさ。それに、私の容姿がついつい目を惹いてしまうのは自負する所だからね」
左様で、とゼレウスは雑に流す。
「それよりも、重大な問題が発生した」
「問題? まーた井戸の材料が何だとか造りが雑だとか言い出すつもりか?」
「それについてもだが、優先順位と言うものがある。後回しで良い」
井戸の桶や滑車が当然のようにウグドラ製だったり。
井戸の囲い石が超希少鉱石オリハライトであったり。
そしてそれらの加工が至極雑である事に、これまた頭痛がしたミリーではあるが。
その文句を棚上げしてでも優先すべき問題があった。
それは、
「ここには風呂桶も無ければ、香剤も無いじゃあないか!」
「ああ、風呂桶ね。オレ行水派だから……と、こーざい?」
「湯に溶かして風呂桶に溜め、それに浸かって体臭を取るものだ!」
「香水みてぇなもんか?」
「香水は古き良きものだが、アルコールの気が好かなくてね。私は断然、香剤派なのさ」
「まぁ、どっちにしろウチには無ぇけどな。クハハハ」
「だから! 重大な問題だと! 言っている!」
「テンションすげぇな」
数時間前までトロルに追い詰められて今にも泣き出しそうになっていた小娘とは思えない。
「乙女にはね、花の香りが必要なんだよ!!」
「わからなくもねぇ理屈だが、白昼の草原にて全裸で仁王立ちしてる奴が乙女を語るってどうなんだ?」
「何か問題があるのかい?」
「もうおまえほんとすっげぇな」
ミリーは素で「何を言っているのかちょっとわかんないです」と言う顔をしている。
「あー……そうだなぁ。風呂桶はまぁ、要するに水を溜められるでけぇ箱だろ? そこらのウグドラ? の木をへし折って一・二時間もありゃあ作れるが……香剤ってのはどうやって作るんだ?」
「ウグドラの価値観」
……いや、この緊急時だ。今は良いだろう……とミリーは喉奥から湧き出る異議をぐっと飲み込む。
「香剤の製法についてだが……細かい手順は私も知らないよ」」
「知らねぇのかよ」
「だがまぁ、要は体臭を塗り潰せるフローラルな香りさえあれば良いんだ」
今、優先すべきは細やかな過程よりも結果。
「適当に香りの強い花を磨り潰して混ぜた水で湯を沸かせば、それらしくなるんじゃあないかな?」
「クハハハ、雑かよ」
「君にだけは絶対に言われたくないのだが?」
◆
「やれやれ……風呂ひとつでも大騒ぎだよ、まったく」
「それ、オレの台詞じゃね?」
魔術で起こした火にかけられたウグドラ風呂桶の中、ミリーは湯に浸かり、ふぃーと息を吐いた。
ミリーのその幸せそうな笑顔を、ゼレウスはジトッとした目の呆れ笑いで眺める。
「ふむ。しかし存外に気が利くね、君は」
ミリーは風呂にぷかぷか浮かぶ薄桜色の花弁を一枚つまみあげて、ゼレウスの方へと向けた。
「センボウサクラの花。マイルドでフローラルな香りだけでなく、煎じれば素晴らしい塗り薬にもなる。体臭を消しつつ、足の捻挫にも良い効能がありそうなチョイスだね」
ミリーは使えるものは使うが、基本的に自分以外をあてにしていない。
花の採取をゼレウスに任せはしたが、「どうせ香りがキツいだけの無粋な花でも摘んでくるだろう。まぁそれでも無いよりはマシだ。適度まで希釈して使うとしよう」と期待はしていなかった。
それが、この気の利いたチョイス。
嬉しい誤算に、珍しく年頃の少女っぽい笑顔もこぼれる。
「ああ、それ、やっぱ薬にもなんのか」
ゼレウスはこれまた初耳だったらしい。
「前に魔獣がその花を毟って傷口に擦り付けてんの見た事があってよ。なんとなくそんな気がして採って来たんだ」
「……ちなみに、これも本来は香剤に使うなんてもってのほかな次元の超希少植物だが……まぁ良いさ。今はなんとなく気分が良いからね。文句は言わないよ」
素直に「君の気遣いは嬉しいものだし、ケチを付けるような真似はしないよ」と言えない辺り、ミリーはミリーである。
「しかし……そうだね」
ミリーは心地好さげにフローラル風呂を満喫しつつ、快晴の空を見上げる。
「冷静に考えてみると、私がここで暮らすには……足りないものが多そうだ」
「そりゃあ、無人島の森林スローライフを最高貴族様の生活水準と比べられちゃあなぁ」
「一部は私の以前の生活水準をぶっち切っているがね?」
日々のティータイムに出てくる紅茶の質がとんでもないくらいランクアップした。
その一点だけでも、大抵の不平不満は飲み込めてしまえるレベルだ。
それを踏まえても、足りないものは出てくるだろう。
「まぁ、即席でこれだけの風呂ができあがるんだ。決して過度な期待はしないが……私が今まで出会ってきた者たちの中で、君は最も頼りにできそうだよ」
「クハハ。現金な奴め。褒めたって紅茶くれぇしか出せねぇぞ」
「ふふ、充分過ぎる見返りだね」
こうして、邪神霊園に風呂桶とブロッサムフレーバーな湯が増えた。