04,邪神さんは人間が好き
最高級の紅茶を嗜みながら、ミリーは思考を整理する。
まずは、ここまでの経緯だ。
ミリー・ポッパーは最高貴族の令嬢であり非常に優れた魔術師。
家柄は王族に次ぐ権威を持つポッパー家。
王族直系に才ある者が生まれなければ、王族へ養子を出す事もある家系だ。
魔術師としての腕前は、王立騎士団団長をして「単身で倒せたら勲章物だ」と言わしめるトロルをまさしく単身で討ち破るほど。
その恵まれた地位と才覚故に、多くの者から恨み妬みを買った。
ミリー自身、己の能力をひけらかす趣味があった事も大きい。
そうして多くの敵を作ったミリーは、罪状をでっちあげられ、大罪人に。
裁判にて即時国外退去を言い渡されてしまう。
即ち、追放処分だ。
そして追放先は、優れた冒険者でも大隊規模の一党で挑むと言われる特逸級危険区域【邪神霊園】。
その昔、邪神ゼレウスと言う怪物が世界を滅ぼしかねない勢いで暴れた跡地。
そこにある霧深い大森林区域だ。
邪神霊園においてミリーはトロルを一体撃破するも、負傷。
だが危険区域はおかまいなしにトロルを追加で差し向けてきた。
絶望の淵まで追い詰められかけた、そんなミリーを救ったのが……。
「ほれ、落ち着いたんならそろそろ髪を拭きな。雪みてぇに綺麗だのに泥で台無しだぜ」
濡らした獣皮らしきものを差し出してきた、黒い鎧手。血黒色の謎文字がずらりと刻まれている。
実はこれ、鎧ではなく黒鉄の地肌。
黒鉄の怪物――邪神ゼレウス。
「…………ありがとう。紅茶についても、先のトロルに関しても」
「お、ようやく礼を言ったな」
ミリーは礼を言うのが余り好きではない。
だが、恩義を感じない訳でもないし、礼儀知らずでもない。
言うべき時は、少々躊躇いはするがちゃんと言うのだ。
「偉いぞ。よし、褒めてやるぜ」
そう言って、ゼレウスはミリーの頭を撫でようと黒い大爪の手を伸ばした。
「無礼か! 隙あらば無礼か!」
ミリーは獣皮の濡れタオルを受け取ったその手で、ゼレウスの手を払い落す。
「はぁ? 尻は良くて頭はダメなのかよ?」
「尻もダメだと叱ったじゃあないかッ!」
この黒鉄の異形が果たして、伝承に登場する邪神ゼレウスと同一なのかは不明だ。
だが、このゼレウスは強い。妙な術で、トロルをあっさりと仕留めてしまう程度には。
「で、いい加減、名乗れるくらいにゃあ思考がまとまったか?」
「……うむ。私はミリー・ポッパー。ここからすれば隣国の、元、最高貴族だよ」
「ふぅん、可愛い名前じゃあねぇの。妙に御上品だと思ったら最高貴族ねぇ。……って、元?」
「下等どもの奸計でね。濡れ衣を着せられて追放されたのさ」
「おや、濡れ衣。んじゃあ濡れタオルは嫌味になっちまったか? クハハハ!」
ゼレウスが冗談めかして笑う。
デリカシーの無さは、肩書に邪の字を冠するに相応しいか。
「しかし、追放か。道理で。おまえみたいな小娘がこんな所にいる訳だ。びっくりしたぜ。散歩してたら人間がいんだもの」
特逸級の危険区域を散歩……つくづく、ミリーの常識は通じないようだ。
まぁ、奇妙な術ひとつでトロルをあっさりと葬れるのだ。
元々、人の常識に当てはめるような存在ではない。
「……確認したいのだが。君は本当に、あの邪神ゼレウスなのかい?」
「邪神でゼレウスつったらオレくらいじゃあねぇの? 大体、オレ以来、邪神が造られたって話も聞かねぇし」
「……造られた?」
「おっと失言。今のは忘れてくれや。どう足掻いても、笑い話にゃあなんねぇ事なんでな」
そう言われると気にはなるが……。
ミリーの根幹は自分第一主義。
誰かの秘密を前傾姿勢で聞き出そうとする手合いではない。
なので、「話す気が無いのなら知らん」とこの話題は追及しない。
話す気のある事だけ答えてもらう。
と言う訳で、質問を続ける。
「邪神ゼレウスは死んだ、と聞いていたが」
その遺体の周りに誕生したのがこの森、邪神霊園のはずだが。
「らしいな。生きているけど」
伝承がどこかでねじ曲がった、と言う事か。
「では、もうひとつ別の質問だが……トロルを倒したあの術は、一体何だ?」
ゼレウスは踏みつけたトロルの四肢を破壊してみせた。
見えない手でねじ繰り回すような破壊跡。
魔力光も魔文も見えなかったので、どの系統のどんな術式なのか判断材料が無い。
「あんな魔術は見た事も聞いた事も無い」
魔術師としての興味からの質問である。
「そりゃあそうだろ。あれ【呪術】だし」
「呪術……?」
ミリーも名前くらいは聞いた事がある。
趣味悪の代名詞として。
「知らねぇ?」
「……『己の苦痛経験を【呪文】として出力し、それを駆使して相手にその苦痛経験を追体験させる術式形態』だったかな?」
「大正解。なーんだ、知ってんじゃん」
「知識では知っているがね」
そう知識だけなら、ミリーも知っている。
「呪術なんて、今ではロストテクノロジーさ。実物は初めて見た」
失われもするだろう。余りにもナンセンス過ぎるのだから。
呪術とは、自分が味わった苦痛を誰かにも体験させる術式形態。
対象を苦しめる事だけに特化している事が既にナンセンス。
生活水準の向上を主目的についでで戦闘に応用できる魔術とは比べるべくもない邪悪な代物だ。
しかも、強い術を撃つためには、それだけ己が凄まじい苦痛を体験する必要がある。
魔術ならば魔力に属性を付加して魔文を刻めば炎が出る。
だが、呪術で炎を出そうとしたら……まず、自らの肉体を炎であぶり、その苦痛の念を呪文に加工しなければならない。
更にあぶる火力も強くしなければ、大した炎は出せない。
「つまり、君の全身にびっしりと刻まれているその血黒の文字は……」
「そ。呪文。邪神相応に禍々しいだろ? 魔術はからきしだが、呪術は専門家つっても良いくらいだと思うぜ」
トロルの四肢を破壊した術――それと、魔術は使えないと言う事は、先ほど紅茶を淹れるため湯をわかそうと起こした火も呪術だとすれば。
それらすべて、ゼレウスが過去に己の身で経験した……と言う事になる。
「……これも、詮索しない方が良いのだろうね。笑い話にはならなそうだ」
「お。察しが良ぃねぇ。ガキのくせに、良い教育を受けてきたんだなぁ」
「元とは言え、最高貴族だからね」
「クハハハ。そう言えば、そうだったな」
髪の泥を拭い取り、ミリーは獣皮の濡れタオルをゼレウスに返却する。
「私が聞きたい事は以上だよ。繰り返しになるが、助けてくれた事に礼を言っておく。まぁ、私ひとりでもどうにか切り抜けられたとは思うが。手間が省けたのは事実だからね。私のためにどうもありがとう。ご苦労様」
「へぇー……そうは見えなかったけどなぁ」
「それは君の眼が節穴なだけさ」
無論、ミリーがプライド的な都合で認めないだけ。
ゼレウスの言う通りである。
「おうおう、邪神相手でもズバズバ言うねぇ。当世の人間事情にゃあ詳しくねぇが、邪神ゼレウスつったら悪名の方が有名なんじゃあねぇの? 少しは恐がったりしねぇもんか? こちとら臆病な人間どもと揉めるのが嫌でこの森に引き籠ってやってんだぜ?」
まぁオレとしちゃあおまえみたいなのの方が好みだがな、とゼレウスは上機嫌に言う。
「ふん。恐がる? 侮らないで欲しいね。私に奉仕した者を疑うほど、私は礼儀知らずではないよ」
最初に、ゼレウスは言っていた。「警戒は無駄だ。オレがその気ならおまえなんぞどうとでもできる」と。
実際、その通りだろう。
だが、ゼレウスからはその気を一切感じない。
どころか、紅茶はともかく頼んでもいないタオルまで用意してくる始末。
禍々しいのは、見てくれと使用する術だけ。
最初からずっと、ゼレウスはミリーを害そうと言う意思が皆無なのだ。
言動や行動、雰囲気、すべてから、好意的な心理が透けて見える。
だからミリーも、こうして落ち着く事ができた。
これはただの当て推量だが……もしかしたらゼレウスは、人間が好きなのかも知れない。
そうでなければ、初対面のミリーを相手にここまで世話を焼いてくれる理由がわからない。
かの邪神が人間好き?
と言う疑問は、まぁ、答えを合わせる術が無いので無視。
大体、ミリーが知る邪神の風聞など、所詮は百聞のウワサでしかなかったのだ。
一見の現実として目の前に在る事象をこそ、真実として捉えるべきだろう。
総括。
無礼で妙ちきりんだとは思うが、警戒に値する相手ではない。
ミリーはそう結論付けた。
だが……素直に「君は信用できると感じた」と言ってやるのも、癪だ。
「まぁ、紅茶を振舞われなければ、もう少し疑心の眼で見ていただろうね」
先ほどの濡れタオルの冗談への軽い意趣返しも込めて「君ではなく紅茶に心を許したのだよ」とミリーは悪戯っぽく笑う。
「クハハ! おいおい、つくづく良い度胸と性格しているぜ、おまえ!」
手を打って笑うゼレウスの全身、刻まれた血黒の呪文が淡く光る。
どうやら、彼のテンションが上がると魔力光に似た光を帯びるらしい。
あの呪文はそれだけ、ゼレウスと言う存在の深く根付いている代物なのだろう。
「紅茶さえ出してくれりゃあ、相手がバケモノの極みみてぇな邪神だろうと構いませんってか?」
「少し違うかな。ただの紅茶ではダメだ。素晴らしい紅茶でなくては。このニーラカーナのように」
ミリーはテーブルの中央に置かれていたポットを取り、自らのコップにおかわりを注ぐ。
「クハハハ……おまえ、生意気だってよく言われるだろ? 可愛いくれぇにふてぶてしい人間だ。悪くねぇ。悪くねぇよ。つぅかもうずっと気に入りっぱなしだぜ!」
ゼレウスの呪文が更に光を増す。
実に楽し気だ。
「よし。落ち着かせて少し話したら島から追い出すつもりだったが、足が治るまでだったら泊めてやっても良いぜ」
「ほう」
存外、悪くない提案だとミリーは思った。
ミリーは国外追放を受けた身だ。
正直、その辺の街に出されたって、ただの無国籍者。
ろくな待遇は受けられない。
魔術の腕でそれなりにのし上がる事はできるだろうが……。
どれだけ優秀でも、無国籍では上流階級には辿り着けまい。
最高貴族だったから知っている。
貴族連中は、成り上がりと言うものを絶対に許さない。
血筋による既得権益を盤石に保証したいからだ。
せいぜい、軍部に入って現場指揮官が関の山。
優雅とは無縁の血生臭い生活を送る事になるだろう。
それに、実力にものを言わせて中途半端に名を売るのも問題だ。
隣国のミリーを好く思わない連中……ミリーが生存し、ささやかながら再起したと連中が知れば。
どんなちょっかいを仕掛けてくるかもわからない。
(まぁ、よその国では憲兵を抱き込むだなんて荒業はさすがにできないだろうし、連中程度の知力で思いつく嫌がらせなどいくらでも捌ける……けど、面倒でしかないよ)
……だが、ここはどうだ?
特逸級の危険区域のど真ん中と言う点を除けば、超(中略)超最高級の紅茶が楽しめて、妙に世話焼きの怪物がいる。
当然、こんな所にちょっかいをかけてこれる人間はそうはいない。
そして唯一の問題点――危険性に関しても、まぁ当面は問題無いだろう。
信頼に足り実力もあるゼレウスがいるから……ではない。冗談でもそうは思わない。
ミリーは自分以外の誰かを護身の勘定には含めない。
ミリーがここを安全と考える理由は単純。
この小屋に来てしばらく経つものの、騒ぎが起きる気配が一切無いからだ。
どうやら、この小屋の周りには魔獣が近寄れない何かしらの仕掛けがあるらしい。
濃霧の森域の中で不自然に霧が晴れるポイント……まぁ、何かあるのは確実。
地形か何かの要因なのかは後々調べるとして。
と言う訳なので、
「足が治るまでと言わず、しばらくいてやっても良いよ? 君も見目麗しい令嬢と共に紅茶を嗜めるのは素敵な心地だろう? 遠慮は要らないぞ?」
「ぷっ、クハハハハ! どこまでもオレ好みな奴だなぁおまえは! よし、親愛の証に頭を撫で回してやる!」
「それはさせるか! この無礼者が!」
「ケチんなケチんな、減るもんでもねぇ」
「減るんだよ! 貴族ポイント的なものがね!」
こうして、追放令嬢と不思議な邪神の共同生活が幕を開けたのだった。