03,ここは自然の宝物庫
邪神霊園は特逸級の危険区域に指定されている巨大な森林地帯だ。
元より所在が無人島と言うのもあるが、仮に陸続きであったとしても、この物騒極まる森を開拓する者はいないだろう。
だが、その森の奥地には――小屋がある。
木々を薙ぎ倒して確保された草原。
結界でも張られているのか、不自然に霧が晴れたその場所に、ぽつんと一軒だけ。
貧相な掘っ立て小屋に見えるが、見る者が見ればわかる。
その小屋に使用されているのは【不朽建材】と名高い超希少樹木、ウグドラの木。
大貴族の屋敷でも特別な書斎の柱一本に使われるかどうかと言う超高級建材で、小屋のすべてが構成されている。
職人が見れば卒倒するだろう、「これほどの素材をふんだんに使ってこんな雑な小屋を作るっておまえ」と。
まぁ、造り手からすれば関係の無い話だ。
何せこの小屋を造った男は「この辺りに生えていた良さ気な木をへし折って小屋の材料にしただけ」だから。
その木が人の界隈でどう言った価値を持っているのかなど、興味も関心も無い。
そんな異質な小屋の中で、貴族令嬢――いや、もう貴族の地位は無いのでこの肩書はおかしいか。
追放令嬢、ミリー・ポッパーは切り株で造られた雑な椅子に座って、愕然と震えていた。
雑な切り株椅子の余りの座り心地の悪さに驚いて顎が外れそう、と言う訳ではない。
確かに驚いているのは事実だが、それではない。
彼女が驚いているのは、目の前に出された不細工な木のコップに注がれた液体。
「……か、確認するよ、邪神ゼレウス。君は言ったね、『うちの裏庭で栽培している茶葉を使っている』と」
「おう、言ったぜ」
テーブルを挟んでミリーと対面する黒鉄の男。
邪神ゼレウス――かつて世界を滅ぼしそうなくらい大暴れした怪物……なのか真偽は不明だが、とにかくそう名乗る者。
全身が黒鉄に覆われているが、鎧を着ている訳ではない。むしろ、彼は今フード付きのマント一枚に全裸だ。全裸と言っても、邪神にはその必要がないのか生殖器にあたるものは存在しておらず、ワイセツ物はチン列していない。合法的全裸だ。
この小屋は彼の家であり、今ミリーに提供され彼自身も風情も何もなくぐびぐび呷っている代物は、彼が淹れた自家製紅茶。
「……………………」
改めて、ミリーは雑な造りの木のコップを持ち、中身を確認する。
液状の宝石――そう表現したくなる薄い黄金色。
紳士的な穏やかさで鼻腔に流入してくる香りは、何かに例えようが無いほどに芳しい。
無理に言うならば、大自然の香り、だろうか。
目を瞑れば深い森の中をイメージする。
だがしかし恐怖や不安は無い。
精霊が優雅に歌い踊る神秘的な森の中に佇んでいる心地になる。
そんな香りだ。
この色を、この香りを、ミリーは過去に一度だけ体験した事がある。
「【ニーラカーナ】……【至上の楽園】を意味する名を与えられた紅茶だよ、これはッ!」
紅茶はあるぞと言われ、「まぁどうせ私の口に合うものは出てくるまい……やれやれ」と諦観していたのに。
差し出されたのは間違い無く。
超超超もう超があと一〇〇個ついても不足感がある超超超(中略)超超超高級逸品!!
ミリーは紅茶を嗜む。
最高貴族の特権をフル活用して、世界各地の高級品を幾度も飲んできた。
そんな彼女でも、一五年の人生で一度しか飲む事ができなかった超超超(中略)超超超最高級紅茶!
一杯分の茶葉の値段で、まさしく山ほどの宝石を買えるような代物ッ!!
それがこのニーラカーナと呼ばれる紅茶だ!
「へー、初耳。道理で美味い訳だ」
そーなんだーと雑に相づちを打ちながら、ゼレウスはぐびぐびと雑にニーラカーナを飲み干す。
そして、これまた雑な木製ティーポットからドバドバとおかわりを注ぐ。
ぞんざいに消費されていくニーラカーナ。
ミリーの目の前でゼレウスが飲み干した量を金銭に換算すれば、立派な一城を建てられるだけの値段はとっくに通り越している。
「ぁ、ぁぁぁああ頭がおかしくなりそうだッ……!」
「小屋に入る前もそう言って騒いでたな」
「当たり前だよ! 何だいこの小屋!? 使われているのすべてウグドラの木だよね!? 見ればわかる! そして王宮でしか見た事無いぞ!? 更にこのテーブルも切り株の椅子も果てはこんな酷い細工のコップとそのポットとは認めたくないくらいに歪な物体も先ほど湯を沸かしていた鍋も! 全部が全部ウグドラから切り出したものだね!?」
信じ難い、本当に信じ難いのだが。
小屋だけでなく、家具も食器も、すべてがウグドラの木を雑に加工したものでこの空間は満ち溢れていた。
中には暇潰しで作ったらしい木彫りの熊(と思われるバケモノ)のインテリアまで。
「火に当てても燃えねぇから鍋にもできて、便利なんだよ、この木。ゆぐどら? だっけ?」
「ウグドラだよ!」
「木の名前なんて知らねぇし」
「知れぇぇぇ!! 使うのならばせめて知れぇぇぇ!! そしてちゃんと造れェェェ!!」
ミリー、渾身のシャウト。
対するゼレウスは「クハハ、なんだなんだ、元気だな」と軽く笑いつつ紅茶をぐびぐび。
「小屋は雨風しのげれば良いし、ポットやコップは中身が零れなけりゃあ良いだろ?」
「雑の極みかい!? この世の雑をすべて凝縮した悪魔なのかな!?」
「邪神だな」
「納得だよ!!」
頭を抱えて身もだえしながらミリーは叫び続ける。
いやもう叫ばずにいられるか。本当に気が狂いそうだ。
「何がどうなっているんだぁぁぁ……ウグドラもニーラカーナも超希少な……ん? 待てよ」
ふと、思い出す。
何故、ウグドラやニーラカーナが超希少なのか。
どちらも、人の手では養殖できない代物だからだ。
なので、市場に出すには野生のものを採るしかないのだが……。
どちらも分布しているのは魔獣が跋扈する特逸級の危険区域ばかり。
調達するには冒険者を大隊規模で駆り出す必要がある。
故に、非常に希少で高額なのだ。
そして――この邪神霊園は、特逸級の危険区域である。
「まさか……産地なのか……!?」
「ん? ああ、おう。ウグなんとかって木はこの辺に生えてたもんで、二ーなんとかって茶葉はもう少し奥まった所で見っけたのを採ってきて、庭に移植栽培してんだ。紅茶は好きだが、一々あそこまで採りに行くの面倒だからな」
「ニーラカーナを栽培って……一体どうやって……」
ニーラカーナの栽培……国を超えた大連合研究所が総力を結集しても成し得なかった偉業だ。
「難しい事はなぁーんも? ただ移植して、水やって、肥料としてオレの飯の一部をばらまいているくらいだぜ」
「飯の一部……と言うと?」
「そこらで仕留めた魔獣の肉片、だな」
「……まさか……魔獣の肉片が鍵なのか……!?」
だとすれば納得はできる。
何故、ニーラカーナの分布は、魔獣が跋扈するような特逸級危険区域ばかりなのか。
魔獣が還った特殊な土壌が無いと生存できない植物なのだと仮定すれば、当然の話だ。
そして、魔獣の肉片もこれまた養殖不能な希少品である。
それを肥料に使おう、だなんて発想はまず出てこないだろう。
「おぉぉおおおお……ぅおおおおおお……!!」
この希少価値がゲシュタルト崩壊した空間が誕生した理由は理解できた。
だがやはりこう……釈然としないと言うか、今まで培ってきた価値観の暴走がミリーの脳細胞を焼き殺していく。
ミリーは頭を抱えたままテーブルに突っ伏して身悶えしてしまう。
しかし、しばらくぐねぐねしていると、なんだか落ち着いてきた。
「ああ……ウグドラのテーブルすごい……なんかすごくセラピー効果ある……」
ただよってくるニーラカーナの香りとの相乗効果もあるだろう。
「クハハハ。良い木だよな。ベッドも一応作ったが、床でもぐっすり寝れるぜ」
「うぅ……もう勘弁してくれ……ウグドラはそんな気易く使える木材ではないはずなんだぁぁぁ……」
「面倒くせぇこだわり持ってんなぁ。つぅか早く飲まねぇと冷めるぞ。ほれ、飲め飲め。じゃんじゃん飲め。おかわりはいくらでもあんぞ」
「うぅ……うううう……いただく……」
素晴らしい紅茶が冷めてしまうのは心苦しい。
と言う訳で、ミリーは頭痛と戦いながらも一口。
「…………ふぅ……」
雑なコップのせいで口当たりはやや減点だが……。
爽やかな空気のように体内を駆け抜けていくこの飲み心地は、間違い無く。
味と判断して良いのかすらわからない。そんな、人類の感覚では解析できない高次元的な刺激が、舌を通して脳に染み込んでいく。
ああ、まるで脳や体を内側から揉み解されていくようだ。
流れる黄金の液体に、疲労が押し流されて、どこかへと消えてしまう。
下手な回復薬よりも回復効果があるだろう。
「……雑な輩による雑な栽培で育てられ、そして雑な処理で淹れられ、雑な器に在っても、このクオリティ……ニーラカーナ……至上の楽園と呼ばれるに相応しい逸品だね……」
「すごく気分良さ気にオレの事をディスり倒したな」
邪神相手に良い度胸してやがるぜ、とゼレウスはただでさえ裂け気味の口角を更に上げる。
「しばらく黙っていてくれないかな……私は今、見ての通り紅茶との対話ですごく忙しいんだ」
「クハハ。そいつぁ失礼。順番待ちって奴だな。そいつと語り終わったら次ぁオレな」
紅茶と静かに語らう生意気で可愛らしい令嬢を眺めつつ、ゼレウスは自分のコップへ雑におかわりを注ぐのだった。