16,御屋敷拝見
「きゅぅうう……」
目を回して泡を吹き、白亜の巨大猫たちが転がる。
「出力は抑えたが、二・三日は再起不能だぜ。これに懲りたら、誰彼かまわず噛みつくのはやめるんだな、猫すけども」
「……これは……一体、何をどうしたんだい?」
ミリーには、ゼレウスが軽く小突いただけで巨大猫たちが次々と倒れていったようにしか見えなかった。
不可解にもほどがある。
呪術の詳細を詮索するだなんて悪趣味だとは理解している。
しかし、目の前で起きた現象があまりにも不可解すぎて、ついつい口をついて訊いてしまった。
「【永続幻痛経験】。趣味が悪ぃから詳細は省くが、本来は脳みそだけぐちゃぐちゃのジャムみてぇにする呪術だ。そいつを軽めに効かせた。脳みそを直で混ぜられたようなクソ激しい頭痛に襲われて気絶した……って所だな」
「ああ……聞いておいて何だけど、概要だけですら趣味が悪いね……」
「まぁな」
呪術なんて全部が全部そんなもんだ。とゼレウスはうんざりするように首を振りつつも笑って言う。
「でも、見てくれや後遺症を考えれば【四肢粉砕経験】よりはこっちのがマシだろ?」
手足……以前、ミリーを助ける時にトロルに使った四肢を破壊する呪術の事だろう。
「魔獣の後遺症の事を考えてやるのかい?」
「食う奴以外はな。余計な殺生は好みじゃあねぇ」
振るう力は邪神相応のくせに、言う事はいちいち邪神らしくもない。
「ふぅん……あれ? その割に、トロルには容赦が無かったようだが」
猫贔屓、なのだろうか。
「いや、あれでも容赦したんだぜ? ただ、トロルは物理的に四肢をもぐくらいしねぇと止まらねぇからな。脳みそまで筋肉だから多少脳がダメになっても暴れるんだよ。四肢をもいでようやく、再生するまで大人しくさせられるってくらいだ」
「再生って……手足をもいでもまた生えてくるのかい……?」
「ああ、一時間はかからねぇくらいでな」
トロルの恐ろしすぎる新情報に、ミリーはげんなり。
「厄介極まるね」
「ああ。ま、再起不能にするだけなら色々とヤリようはあったけど、あれが一番早くて一番マシだったつぅ事」
何の事なしとあっけらかんに言うゼレウスだが、ミリーは少し複雑な表情になる。
――……呪術とは、己が過去に経験した苦痛を抽出し、それを対象に追体験させる術式形態。
(……つまり……今使った呪術も……)
「おう? なに難しそうな顔してんだ? 次が出てくる前にちゃっちゃと入ろうぜ」
「ん。ああ、わかっているとも」
深く考えた所で、どうする?
それを確認して、誰にどう利益が出る?
この邪神の過去を詳らかにさせる必要性が、どこに在る?
(答えは、何も無い。だのに気にかかるのは、無粋な好奇心でしかないね。呪術とどっこいどっこいの趣味悪だ)
特別な理由や必要性は無いけれど、相手の事がどうにも気になってしまう。
ミリーが思うに、これは野次馬精神でしかない。
……他に該当する概念を、幼い彼女は知らない。
(野次馬的感情だなんて、利も無くただただ俗的だよ)
好奇心の有用性は否定しないが……明確な利が不透明な好奇心は、自分の柄ではない。
ミリーはそう自分で頷いて、屋敷へと向かった。
◆
「古びた書の、すえた匂いがするね」
アリンクリーの書斎が収まっている屋敷内には、由緒ある古書店のような匂いが充満していた。古紙の匂いである。
本好きの中にはこの匂いを愛好する者もいるらしいが……。
別段、ミリーは学習して優秀さに磨きをかけるのが好きなだけで、本自体が好きと言う訳ではない。
なので「カビやコケに近い匂いだ。深呼吸はしたくないね」と言う感想と共に若干、眉を顰める。
書斎に入った訳でも無いのに、何故こんな匂いがするのか。
答えは単純。入ってすぐ、フロントエリアからして書物や紙類が散乱しているのだ。
「アリンクリー女史はどうやら、余り整理整頓が好みではなかったらしいね。だらしなく、そして忙しない人物像が見えるよ」
「ああ、確かに。いつもちんまい体でパタパタしててネズミみてぇだったしな、あのチンチクリン」
「まぁ、誰しもどこかしらに欠点はあるものさ」
ミリーが考えるに、失点を帳消しにして余りある得点の有無こそがその人間の価値だ。
その点で言えば、アリンクリーの得点はこの程度の失点で霞みはしない。
「……ふむ。それにしても」
ミリーはしゃがんで、適当な書類を拾い上げてみる。
普段触っている紙とは質が違う。それに、何千年も前からこうして雑に放置されていただろうに、持ち上げても崩れないし、染み込まされたインクの文字もはっきり読み取れる。
想定を遥かに越える、良好な保存状態だ。
「この屋敷が不朽建材製で内部環境が好く保全されていたのもあるだろうが……紙自体も逸品だね。さすがは神代産か」
一体、このぺら紙一枚でどれだけの歴史的資料価値があるものだろうか。
かつての製紙方法を探るヒントがぎっしり詰まっている代物だ。
ちなみに、記されている内容は……ティーフーズの買い出しメモ、のように見える。
普通に考えればどうでも良い事。
しかし歴史を研究するものからすれば、その普遍的内容にこそ当時の生活内容を知れる意義を見出すのだろう。
ま、ミリーは歴史研究家でもトレジャーハンターの類でもない。
歴史的価値と言うものをないがしろにするつもりはないが、正直、心象的には紙きれ同然である。
と言う訳で特に惜しむ様子も無く書類を床に戻して、ミリーは立ち上がった。
「さて、件の書斎はどこだい?」
「こっちの部屋だぜ」
ゼレウスの後に続いてミリーも移動。
ドアプレートに「アリンクリー以外立ち入り禁止。特に邪神は死ね」と記された部屋に、特に躊躇う事なく入室する。
「……君、本当に嫌われていたんだね」
「おう。さっき話した事に加えて、あのチンチクリンはデケぇ奴はみんな足がもげれば良いとか思っていたクチだからな」
ミリーも小柄な方で、威厳のためにももう少し身長が欲しいと思った事は何度かあるが……他者の足がもげる事を渇望するほどと言うのは理解不能な領域だ。
「それはともかく……ふむ、絵に描いたような書斎に、ものが散乱しているね」
書斎と言えばこんな感じ、と言うイメージそのまま。
それを大胆に散らかせば、大体はこんな感じに仕上がるだろう。
足の踏み場も無いとはこの事か。
「……棚にも床にも、ぎっしりと……これらすべて神代からその直後の文献で、中にはあのアリンクリーの著書の原典も多数……か」
歴史研究家をここにつれてきたら、興奮の余りに爆裂四散してしまうかも知れない。
ミリーも、柄では無いと思いつつ少し興奮してきた。
何せ、ここには魔術の歴史、その冒頭初っ端の第一発目に名を刻む者が研鑽した大半が凝縮されている。
この世で最も偉大とされている魔術師に近付ける可能性が、この空間には秘められているのだ。
常に高みを目指す者として、この興奮を御せるはずもない。
「嬉しそうだな」
「無論だよ、君。ここに連れてきてくれた事に、心から感謝する。ありがとう」
「どういたしまして。にしても、それだったらもっと歳相応にはしゃげば?」
「それはないね。断固として」
「ほーん」
「……何だい、含みのある反応をして」
ミリーは気付いていないようだが、小さな体がそわそわしている。
まるで、待望の玩具を眼前に吊るされた幼子のようだ。
今すぐに飛びついて頬ずりしたいなぁ、と言わんばかりの落ち着きの無さ。
「余計な事は気にすんな。ほれ、物色すんならさっさとしようぜ」
「む、こら。言い方ひとつでも気を付けたまえ。これから行うのは見学と、有用な資料の有効活用を目的とした回収作業だよ」
「へいへい」
と言う訳で、まずミリーが向かったのは書斎の中心。
堂々と設置されたデスクだ。床よりもひと際、書類や本が積まれている。
デスクの周辺にできている書の山は、幾度かの崩落を物語る。
書斎においてデスクが持つ意味は重大だ。
そこに置かれている物品には、他とは何か画されたものがある可能性が高い。
なので、最優先で捜索対象とした。
そして、ミリーの考えは正しかった。
「……これは……」
デスクの真ん中に据えられていた薄い紙束を手に取る。
その表題は――
「『魔文の連結展開による新たな魔術の形』――【陣設魔術】?」