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13,邪神イヤーはすごい耳


 三日目の朝。


「………………」


 顔を洗うために井戸で水を汲んだミリー。

 何故か、木桶を覗き込んで呆れ顔を浮かべている。


「……つくづく、この森は……」


 桶の中でぴちゃぴちゃと水を跳ねさせている小さな生き物。

 赤土色の甲殻を纏った、細長い虫……否、エビが二匹


 当然のように希少高級食材、モグラエビ。

 地中と水中、どちらでも生存できるエビだ。

 目が退化しており真っ白。鼻先に数十はくだらない細い髭がもさもさしているのが特徴的。


 おそらく、地中を掘り抜けて、井戸水を引いている自然の地下水路に迷い込んだのだろう。


「………………」


 ミリーは風呂を沸かすための薪として使う枯れ枝を何本か敷いて、その上にモグラエビが入った木桶をセット。


「マナは赤。望むは灯火」


 指先に赤い魔力光を灯して、虚空に魔文を刻む。

 魔文が変形するように噴き出した小さな火が、薪に飛びついて着火。


「丁度いいからこのまま朝食にしてしまおう」


 三日目にして、もうぶっちゃけ野生の高級食材との遭遇に慣れてしまった。

 なので流れる水のようにスムーズに、その命を有り難く頂戴する事にした。


 木桶の中で「あれ? あつい……? あっつ、いやぁぁあっつ!?」と己の窮地に気付いて踊り出した二匹のモグラエビをじーっと眺めていると、


「おう? おまえ、何してんだ? いくらおまえがちっこくても、その桶で風呂ってのは無理があると思うぜ?」

「言われなくてもわかっているよ。都合よく朝食が見つかったから調理しているだけさ」

「朝食……? って、おお? エビかこれ? 髭多いな、きっしょ」

「きしょい言うな。高級食材だぞ」


 まぁ君には高級食材と言うものの有り難みなんて通じないだろうがね、とミリーは付け足す。


「ふぅん……よし、オレが調理を代わってやるよ」

「ん? いや、別に良いよ。そんな事をしなくても、これまた都合よく二匹だ。ケチな真似はしないさ」

「いや、分け前が欲しいから手伝うっつー訳じゃあねぇよ。単純にオレがやってやっから任せなって話だ」

「……はぁ?」


 よく意味がわからないが……まぁ、やると言っているのなら任せるのもありか。


「では、甲羅が綺麗な血黒色になるまで茹でてくれ。そしたら臓器と脚と髭を毟って終わりだ。モグラエビは甲羅も食べられる。と言うか、甲羅にこそ栄養素が詰まっている。尻尾まできちんと食べるのがマナーだよ。……ああ、あとモグラエビは跳ねる力は退化しているが、稀に奇跡のジャンプをするそうだから気を付けたまえよ」

「あいよ。このオレに任せな」



   ◆



「おう。紅茶のおかわりはどうだ?」

「ん。いただこう」

「おう。干し肉をおやつにどうだ?」

「ん。いただこう」

「おう。森でうめぇ果物みつけてきたぞ。ジュースにしてやっからちょっと待ってな」

「ん。いただこう」

「おう以下略」

「ん以下略」




「…………………………」

「おう。見ろよこの虹色の花。髪飾りにしたら、使うか?」

「……ちょっと良いかな?」

「どうした?」

「少し、手厚すぎないかい?」


 初日からまぁまぁな世話焼き具合だったが。

 どうにも昨日の昼辺りから様子がおかしい。


「言っただろ? オレがどれだけ頼りになるか教えてやるってな!」

「……君のやっている事は、頼れる従者と言うよりも便利な子分だよ」

「マジでぇ!?」

「その内、『肩でもお揉みしやしょうか!』とか言い出しそうな勢いだ」

「ぅぐ……次それいこうとしていた……!」

「……………………」


 やれやれ、とミリーは溜息。


「師への奉仕精神は買うがね。君、魔術の練習もきっちりやりたまえよ」


 ミリーが顎で指すのは、テーブル上に広げられた薄い獣皮。

 その表面には希少な性質の泥から作った高級インクで無数の文字が記されていた。

 魔文だ。術式を発動する際に魔力を使って描く文字。


 わざわざインクで記されている理由は単純。

 この魔文は術式を発動させるために記されたものではないし、魔力で刻んだ魔文は数秒程度で消えてしまうから。


 これを指でなぞり、魔文の書き方を指に染み込ませるためにミリーが用意した教材なのだ。


「弟子の本分はそっちだぞ」


 ミリーは自分第一主義。

 自分の矜持や決定にはどこまでも責任を持ち、決して踏みにじる事は無い。

 一度ゼレウスに魔術を教えると宣言した以上。

 それはきっちりと完遂するつもりでいる。


 しかし弟子の教育と言うのは、師だけが一方的に張り切った所で為せる事でもない。

 なので、てきぱきと励んでいただきたいのだ。


「私は必要以上の奉仕を求めたりはしないから安心したまえ。それより、君の場合は自分の事をもう少しきっちりするべきだ」

「そう言わずに何から何まで頼れよー」


 ぶーぶー、とゼレウスは黒鉄の頬をふくらませて不満を主張。


「そうだ、お着替えだって手伝ってやるぜ? おまえのドレス、いちいち着脱が面倒くさそうだし」

「それは悪くない提案だが、今は着替えるつもりはないよ」


 呆れながら、ミリーは念を押すように魔文が記された獣皮を指でトントンと叩く。


「今、強いて頼む事があるとするなら……さっさと魔文の暗記を終えて、次のステップに進んでもらえるかな」

「おう。承知だぜ。なんか他に頼りたい事を思いついたらすぐ言えよ!」

「言われずとも、必要があれば頼むさ」


 別に、ミリーはゼレウスを頼りにしていない訳ではない。

 むしろ頼れる所ではきっちり頼る。

 ただ必要以上には頼らないし、期待もしないと言うだけだ。

 どうにも、ゼレウスはそれが不満らしい。


(まったく……妙に世話焼きだね)


 今まで「意外と人間好きなんだな」と驚きつつもそれだけの理由で納得していたが……。

 ちょっと、それだけでは説明の付かない奉仕具合な気もしてきた。


 人間が好きと言うより……人間に肩入れする理由がある?

 単なる好意とは違う……大切にする、慈愛? とでも言うのだろうか。


 ゼレウスから感じるのは……「守りたい」と言う意思に近い気がする。

 できる限り、その者の障害となるものや不自由を取り除きたいと言う意欲。


 邪神……神術は使えないそうなので厳密には神とは違うのだろうが。

 少なくとも天使や精霊のような、人間より上の存在である事は間違い無い。


 だから人間に対して、庇護欲・保護欲のようなものを抱いている。

 そう考えるのが妥当か。


 例えるなら、親が当然に子を守るような……そんな感情。


(ふっ……親が当然に、子を守る……か)


 凡俗の一般論を、さも自分が経験した事があるかのように語ってしまったな、とミリーは自嘲する。


 ――もしも、私が裁かれたあの狂った法廷で、両親が全力を懸けてくれたなら、何か変わっただろうか。


(……やめだ。仮定法過去イフ・オンリーほど滑稽なものはない)


 ……ずっと昔、ある誘拐事件をきっかけに、確信したはずだ。


 あの人たちは、自分を助けるために労を払ったりはしない。

 この世で最も身近な続柄の者たちですらそうだのに、誰かが助けてくれる事を前提にするのは愚策でしかない。


 困難とは、自力で討ち破るもの。

 窮地とは、自分で切り抜けるもの。


 あの裁判は、それができなかった。それをできる準備を怠った。

 悔やむべきは己の無力。ただその一点のみだ。


「なんか、悩み事か?」

「……藪から棒だね。突然どうして?」

「いや、妙に寂しそうな顔をしていたからよ」

「…………………………」


 ――今の思考で、私が、そんな顔を?


 冗談だろう。


「気のせいでしかないよ。麗人の無表情とはどこか物憂げに見えるものさ」

「そんなもんかぁ?」

「そんなものさ」


 肯定を返して、ミリーはパンパンと手を打つ。


「ほら、手が止まっているぞ」

「あ、おう」

「ついつい眺めたくなる容姿だとは理解できるが、私をじろじろ見ていないで課題に集中したまえ」

「……何かため込んでるもんがあんならよぉ~、この邪神に相談してくれても良いんだぜ?」

「邪神に相談って、ろくな事にならなそうな響きしかないね」

「クハハハ。そいつは確かに、字面だけだとそんな感じだ」


 ゼレウスがけらけらと笑う。

 善意を軽くあしらわれても、ゼレウスは特別気にする素振りを見せない。


 その様子を見て、ミリーはふと気になった。


「……これは、相談と言うよりも質問なのだが」

「お? 何だ何だ? 何でも訊け。何でも答えてやるぜ」

「君は、私と会話していて、不愉快になったりはしないのかい?」

「!」

「以前、ウイッジリー卿……知人の貴族に尋問のような面談を受けた事があってね。そこで指摘された」


 ――「君には、他者をおもんばかる能力が著しく欠如している」、と。

 即ち、他者への配慮が足りていない。「それを直せば周囲からの評価も変わり、もう少し生き易くなるかも知れないぞ」と言う旨の助言もいただいた。


 面談相手の中年貴族はそれなりに功績もある優秀な人物。

 そんな人物の言葉となると、さすがのミリーも多少は気に掛けた。

 ……と言うより。

 何にしても「能力が不足している」と言われたのが非常に気に入らなかったので、無視できなかった。


 ミリーが更に踏み込んだ具体的な助言を求めた所。

 卿いわく「人と話す機会を増やすのが一番だろう」との事。


 それからミリーは、周囲とそれなりに対話の機会を増やすように試みたが……。

 結論から言って、逆効果だったと言う手応えしかない。


 会話を持ちかける度、最終的に相手は「不愉快だ!」と言う旨の言葉を残して去ってしまう。


 ……彼女はそもそも。

 自分の発言のどこがどのように配慮を欠いているのかが、いまいちわかっていなかった。

 更に言えば、下等と見下している連中から好意を向けられたいと言う願望も無い。


 助言を元に動き出してはみたが、まず「他者と仲良くしたい」と言う根本的な意欲がミリーには欠けていたのだ。


「君は、私が何を言っても基本的にちゃらけているだろう。加齢臭の件については多少ショックを受けていたようだったが」

「それ理解してんならむし返さないでくれるか? 今はフローラルだろ?」

「ともかく。君から私に向けて、険悪な気配を感じた覚えがない」


 加齢臭の時も、ゼレウスは落ち込んではいたがミリーに悪感情を抱いている風ではなかった。

 ゼレウスはミリーが何を言っても、不愉快そうな雰囲気は見せない。


 ――私がここに来て他者への配慮を会得した?

 唐突に? 有り得ない。

 結果は経緯と連続するものだ。

 突拍子も無く何か新しいものを獲得するなど絶対に有り得ない。


 だとすれば、ゼレウスの反応はどう説明を付ける?


 別段、今更対人会話術を極めようとも思わない。

 しかし、気にはなったので質問してみた。


「そりゃあ、まぁ……おまえの言葉は確かに、エッジがキツい時はあるけどよ。悪意を感じねぇからな」

「悪意?」

「おう。大体わかんだろ? 悪意のある言葉ってのは、なーんか鼓膜にへばりつく感じがする。こう、泥が耳に入ったみてぇに」

「……よくわからないが……」


 知覚的な悪意の認識。

 それもまた、邪神の特質か。


「悪意が無いと、不愉快には感じないのかい?」

「悪意が無ぇって事は、それが純粋な本音って事だ。そう感じるものを目の当たりにしているって事だ。なら、それでキツい事を言われんのはオレに問題があるんだろ。おまえをどうこうしようって発想は出ねぇさ」


 逆説的に言えば「悪意がある」と感じた時、相手に負の感情を抱き、不愉快になると言う事か。


 ミリーは悪意など抱いた覚えが無い。

 誰かを害そうなどと考えた事は一度も無い。

 法に触れるような行為をしようと思った事も無い。


 時間の無駄だからだ。


 誰かを蹴り落とした所で、自分が上にはいけない。

 法を犯した行為で、地位や名声は得られない。


 ――常に高みへ上り続ける事。


 ミリーの願望に、悪意は不要どころか邪魔でしかないのだ。


 しかし、ゼレウスのような特殊知覚を持たない者との対話において、誤解は付き物。

 多くの人間は、ミリーの言葉に悪意を錯覚したため、不愉快な思いをしてしまったと。


(成程。ウイッジリー卿の言っていた配慮とは、その錯覚をさせないための言葉選び、だったのか)


 ミリーは「悪意の錯覚」と言うキーワードを得た事で、ようやく理解できた。


 確かに、言い方ひとつで印象は変わる。

 珍味の感想についても「ユニークな味がしますね」と「理解に苦しむ味がしますね」とでは、ニュアンスは同じつもりでも印象の正負が大きく変わるのだ。


 ネガティブなニュアンスに誤解される言葉を、そうではない言葉に差し替える事。


 それが、ミリーに求められていた配慮だったのだ。


「つまり、彼の加齢臭を例にあげるならば、『くさい』ではなく『鼻に残る印象的な匂い』と表現すれば良かったのか……」

「おい聞こえてんぞ、その独り言ちり」

「ん? ああ、これはうっかりだ」

「次からは他の例でものを考えてくれよ、まったく……」

「わかった。気を付けよう」


 追放令嬢と邪神の師弟生活三日目。

 師匠の方に、若干の成長が見られた一日だった。


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