12,中年貴族の考察
とある国の豪奢な王城。
絢爛豪華な風情に、荘厳な佇まい。
国家の中枢、貴人たちが集う場所として実に申し分無い。
そんな王城、中庭に面した回廊を闊歩する二つの影。
ひとつは若者の男性。身なりからして貴人。
ウェーブのかかった黒髪に細い目が特徴的。
若者貴族と肩を並べて歩くのは、彼よりもひと周り以上は年上らしい中年男性。
こちらも身なりからして露骨に貴族。
「本日の中枢貴政院の議題は、昨日に引き続きポッパー家御令嬢の事ですか?」
若者貴族がへらへらと笑いながら訊く。
質問の相手は、隣を歩く同じく中年貴族。
「……ゼーベン卿。表現には気を遣いたまえ。元令嬢だ」
中年貴族が若者貴族の発言を静かに嗜める。
「厳格ですねぇ、ウイッジリー卿」
「当然だ。我々は王より勅命を賜った国家運営の最高機関である。発言ひとつで国の品位を底まで貶める事ができる役職だ」
「……その我々の身内から、極悪な犯罪者が出てしまった訳ですか。そりゃあ大騒ぎですよねぇ」
若者貴族は笑顔のまま「困ったものです」と首を振った。
「………………………………」
中年貴族は何も応えず、カツカツと歩を進めていく。
「まぁ、ウイッジリー卿としても少し安心しましたか?」
若者貴族がそう言うのもまぁ当然。
件のポッパー家元令嬢、ミリー・ポッパーはその態度が度々問題視されていた。
あまりに傲慢で、あまりに人の心を理解していない……と。
生まれをひけらかし、才覚をひけらかし、能力をひけらかし。
あらゆる者たちを見下して笑う悪女だ。
あのままこの国に居座り、政治に食い込む要職に就いていたならば。
きっと後世にて世界五大悪女の六人目に付け足されるような政治的大事件を起こしたに違いない。
そんな風に噂されるような人物だった。
故に、国の行く末を案じる立場にある中年貴族に訊いたのだ。「安心しましたか?」と。
「……………………腑に落ちない」
しかし予想外。
中年貴族の反応は芳しいものではなかった。
少し眉を顰めて、言葉通り何か納得がいっていない表情。
「腑に落ちない……と申されますと?」
「この一件の何もかもが、だ」
「……? 傲慢な令嬢にお似合いの悪趣味な副業が露呈した。ただそれだけの事では?」
ミリー・ポッパーの罪状は違法薬物の密輸及び販売目的での所持。
それも、ただの違法薬物ではない。
それは強い快楽と引き換えに、脳において善悪の判別を司る器官を破壊してしまう後遺症を一〇〇%引き起こす。
善悪と言う指標を失い、悪辣な行為を平然と行うようになる。
付けられた名は【犯罪処方】。
更に厄介な事に……後遺症が残るのは脳だけではない。
接種者の遺伝子そのものが、悪性変質してしまう。
依存者との粘膜接触により、一度も薬物摂取をした事の無い者にすら依存反応が出るようになるのだ。
つまり「依存症が感染する」と言うバカげた悪質性を持つ。
そしてこれはまさしく感染症のように、二次感染・三次感染も発生すると言う。
……何も知らずに依存症を感染された者は正体不明の強烈な禁断症状に襲われ、しかしそれを解消する術など当然心当たりも無く。
最終的に、発狂する。
――ほんの爪の先程度の量で、下手すれば無限に誰かの人生を狂わせていく。
そんな邪悪極まりない代物が、ミリー・ポッパーの私室から大量に押収された。
その前夜に港に持ち込まれた大量の薬物についても、逮捕された密輸業者はミリー・ポッパーが依頼人であると自供。
過去この薬物の所持で逮捕された者の中にも何名か、彼女と繋がりを持っていたと言う旨を供述する者が現れた。
つまりミリー・ポッパーは……犯罪処方の大規模な密売ネットワークの大元、中心人物である――と言う証拠が揃った。
誰しもが、「ああ、あの悪女の事だ。『今日もどこかで自分が売った薬物で誰かが発狂しているのだ』と、紅茶を片手にほくそ笑んでいたに違いない」とすぐに納得した。
しかし、ここに例外が一人。
「確かに。ミリー・ポッパーは大きな問題を抱えていた」
彼女の悪評を聞き及んだ中年貴族は、当然何もしなかった訳ではない。
ミリー・ポッパーを執務室に招き、面談を行った事がある。
「言葉の選び方に著しく配慮が足りない。あれは……人と接する機会の少なさ故だろうな」
ミリー・ポッパーはあまり社交的ではなかった。
大方、日がな一日。部屋に籠って独りで黙々と研鑽に励んでいたためだ。
年頃の娘の癖に、遊ぶ時間すらも惜しんで、何かに呪われたように。
故に、自然と対人経験が少なくなる。
ポッパー家の教育方針により、親族との交流が希薄だった事も要因。
親身になろうとする従者にも恵まれなかった。
そのため、ミリーは対人能力と言うか、人への配慮が薄弱。
思考の基準がほとんど己しかないのだから、当然だ。『他者を理解しようとし、気遣うと言う経験』が、彼女の人生には大きく欠落してしまっている。
「接する者の性根次第では、あれは悪辣の権化にしか感じられないだろう」
「……ウイッジリー卿。その言い方ですと、彼女の本質は悪辣の権化ではない……と言う風に聞こえますが」
「さぁな。そこまで断定はしない。私は人の心を見透かせる訳ではないからな。……だが、ひとつだけ確信している事がある」
中年貴族が彼女との面談にて、確信できたひとつの事実。
「あれが仮に悪党になるとしても、誰かを蹴落として優位を得ようとするような陳腐な悪党にはならない。どこまでも自らを磨き上げて、最終的にはその力で世界征服だのを目論むような大それた悪党になるタイプだ」
中年貴族は、決してミリーを前向きに評価などしていない。
端的に言うと「この娘……いつかクーデターでも起こしかねないな……」と言う印象である。
あの面談の中で中年貴族が量った限りでは。
ミリー・ポッパーは、上昇志向の権化だ。
ただひたすらに上を目指して、己を研鑽し続けている。
そのためのモチベーションとして、己の能力の高さや偉大さをひけらかしているのだ。
そして、愚昧ではない。
他者を下に蹴落とした所で、周囲の価値を下げた所で、自分の価値が上がる訳ではない。
そんな事は当然、理解できているだろう。
むしろあれは、周囲の水準が高ければ高いほどそれを超える事に愉悦を見出すタイプだ。
……であれば、おかしいのではないか?
彼女が何故、あんな悍ましい薬物を密売する理由があった?
そこに、納得のいくロジックが無い。
「異例とも言える判決から執行までの速さも気にかかる。まるで――」
「――まるで、何者かが何かを隠していて、それを探られる前に事を済ませた……と言いたいのですか、ウイッジリー卿」
「……断言はしないがな」
司法の判断は既に下った。
中年貴族は、言を明にしてそれを否定したりはしない。
だが、どうしても拭えぬ違和感がある。
「すべて、私の思い過ごしである事を祈るばかりだ」
「……ほんと、年寄りって勘が良いよなぁ……」
「ん? すまないゼーベン卿。上手く聞き取れなかった」
「いえいえ、ただの独り言ですので。些事です。ウイッジリー卿が気に掛ける事ではありませんよ」