11,邪神の決意
薄暗い森の中。
分厚い枝葉の天井をすり抜けて僅かに差し込む陽光を受けて、その巨大な球体は翡翠に煌めいていた。
大の大人でも抱えるのに苦労しそうな巨大な宝石……に見えるが。
実はこれ、野菜である。
エメラルドカイランと呼ばれる希少な高級食材だ。
その巨大なエメラルドに見える外の葉は、触れるだけでも有害な猛毒を含み、大砲が直撃しても凹みひとつできない強靭さを誇る。
「見っけ」
そんなエメラルドカイランに近付く大きな影。
黒鉄の全身鎧の上からマントを羽織った大男――否。
呪文が刻まれた黒鉄の皮膚を持つ全裸マントの大男、邪神ゼレウス。
「これ野菜だったんだなー……昔、盾にしてる英雄とかいたからてっきり鉱物の類だと思ってたぜ」
確かによく匂いを嗅いでみりゃあ草だこれ。と、ゼレウスは感心。
……ちなみに、エメラルドカイランの外葉は微弱だがその毒素を周囲に放出している。
常人が間近で匂いを嗅げば卒倒ものだが……さすがは邪神。「青臭さが強ぇな」くらいのリアクションである。
よほどの毒物耐性があるのか。
エメラルドカイランの生存戦略ひとつめである猛毒をものともしない。
「さてと、確か、外側の葉っぱは食えねぇんだよな」
であれば、無理に丸ごと持ち帰る必要も無い。
ゼレウスは黒鉄の拳を振り上げ、全力で振り下ろした。
「!」
毒は敗れたが、エメラルドカイランにも意地がある。
ゼレウスのアームハンマーを受けてもなお、外葉の防御壁は壊れない。
伊達に神代の頃から盾の素材に採用されてはいない。
……もっとも、かなりひしゃげているので、あと四・五発も殴れば壊れるだろうが。
「めんどくせ」
強く殴り過ぎて、肝心の中身に悪影響が出るのも嫌だ。
ゼレウスは指を解き、平手を外葉のドームに添えるようにあてがう。
「要するに、皮だろ。これ」
植物だろうが、生命体が相手ならばゼレウスには物理的暴力以外の武器がある。
「術式起動――【皮膚掘削経験】」
――呪術。
ゼレウスが全身に刻んでいる呪文。
これを起点に発動し「己が経験した苦痛を対象に追体験させる」術式。
火あぶりにされた経験から抽出した呪文なら炎を、氷漬けにされた経験から抽出した呪文なら冷気を放って、相手に浴びせる。
四肢をねじ繰り回されてもぎ取られた経験から抽出した呪文なら、対象の四肢をぐしゃぐしゃに破壊できる。
趣味悪の代名詞とされるものだけあり、ゼレウス自身も余り好きなものではない。
だが、どうせ使わなくたって無くなってくれるものでも無し。
ならば、使い所ではきちんと使っておく。
そして今、ゼレウスがエメラルドカイランにかけた呪術は――
「よし」
ゼレウスの目の前で、翡翠に輝く外葉が粉々に散っていく。
まるで細かい刃物で四方八方から少しずつ削り取られていくように、ひとりでに飛散。
大した時間も無く、外葉は翡翠色の粉の山と化した。
エメラルドカイランの皮膚とも言える外葉が粉々に削り取られた。
「さぁて、中身はぁーっと……あったあった」
エメラルドの粉山を雑に蹴散らして、ゼレウスは目標の代物を発見。
瑞々しくもちもちとした見た目の、肉厚の葉野菜が数枚、寄り集まって生えている。
まるで葉の形をした翡翠のゼリーだ。
微かに吹き抜ける風に煽られただけで、ぷるりんぷるりんと波打つように揺れる。
「ほぉー……面白」
試しに漆黒の爪で軽くつついてみると、ばるんばるんと震える。
野菜と言うには少々奇怪な形質である。
これが、エメラルドカイランの内葉。希少な高級食材の本体。
「ちょいとお試しで」
ゼレウスは内葉の一枚を根本から毟り取り、豪快に齧りついてみた。
「ん」
ゼリーのような見た目のくせに、シャキッと言う軽快な咀嚼音が口内に響き渡る。
まるでキュウリの食感か。
シャクシャクと良い音は鳴るが、歯応えは強過ぎず弱過ぎず。
ほんの少し歯を立てれば弾けるように噛み切れる。
味も、苦みは無し。
ビタミンの豊富さを物語るようなほのかな酸味と、適度な甘味……まるで果肉だ。
総括すると「少し青い匂いのするキュウリっぽい食感の甘さ控えめなイチゴ」……と言う感じだろうか。
恐ろしい猛毒と堅牢さを誇る覆盾の内で凝縮・熟成された、食べられる宝石。
それがこのエメラルドカイラン。
「ふんふん。確かに。ガキに食わせるにゃあ、もってこいのお野菜じゃあねーの」
ミリーがこれを所望したのは苦い野菜が嫌とかそんな理由ではないのだが。
まぁ、邪神だけに邪推と言う奴で、ゼレウスは納得。
(これなら、良い面で食ってくれるに違いねぇ)
紅茶を飲んでいる時も。
昨晩、美味いロースト肉を食した時も。
ミリーは本当に、可愛らしい歳相応の笑顔をみせる。
平時のふてぶてしさを否定する訳ではないが、やはり、あの年頃の小娘にはああ言う顔が一番似合うとゼレウスは思う。
――「自分独りでも生きていける術を確保しておく。これは生きる上で最も重要な事柄だよ」
ふと脳裏を過ぎったのは、先ほどのミリーの言葉。
悲観でも嘆きでも何でもなく。平然と放ったあの言葉。
当然過ぎて絶望する事でもない。
そんな風だった。
最後に頼れるのは自分だけ。
他者なんて、あてにし過ぎてはバカを見る。
それが常識。それが確信的事実。
一〇数年程度しか生きていない少女が、そんな寂しい事を世の理として悟ってしまっている。
「あのガキは、一体、どんな目に遭ってきたんだろうな……」
生まれた時から、あんな風に完成されていた訳ではないだろう。
結果には必ず経緯がある。
何かを経験して、経験し続けて。
肝心な所では誰も手を貸してくれないと理解してしまって。
自分の力だけで何でもどうにかできるようにしなければダメだと確信してしまって。
力を得るための苦労を苦に感じないために己の趣味嗜好すらも歪ませてしまって。
幼気で純真な少女としての自分を斬り捨ててしまった。
――「本当は、何かが起きる前に助けてあげたかった。でも無理だった」
次に過ぎったのは、遥か悠久の昔。
傍らに寄り添ってくれたとある少女の言葉。
……【あいつ】はポロポロと泣きながら、自分を責めて、謝罪を口にした。
別に【あいつ】は何も悪くなかったのに。
ただ【あいつ】の知らない所で起きた悲劇を、止められなかっただけだのに。
誰も【あいつ】を責める事など有り得ないような話だったのに。
「……あん時の【あいつ】は、こんな気分だった訳だ」
どう足掻いても手が届かなかった。
自分ではどうする事もできなかった悲劇がある。
その事実が、たまらなく悔しいのだ。
万事万能な大神を目指すかのような高慢な考えかも知れない。
だとしても、悔しいのは仕方無いじゃあないか。
「……よし」
この気持ちを、どう処理すれば良いのか。
答えは既に、見せてもらっている。
――ここまでにさせれば良い。
これ以上、あのガキが不幸になる事をオレが許さない。
間に合わなかったのだとしても、その奪われた幸福を取り返してみせる。
取り返せないほどに壊れてしまったのなら、絶対に、代わりの幸福を見つけてみせる。
そうやって、必ず、悲劇の渦中から、不幸の底から助け出してみせる。
何故、そこまでするのか?
そうしたいだけだ。
幸い、邪神の身には膨大な時間があるのだ。
定命の生き物は、その限られた生涯の中でやれる事に限りがある。
やりたい事を取捨選択しなくては、何もかも中途半端に終わってしまう。
だがゼレウスには時間と言う制限が無く、やりたい事を取捨選択していく必要が無い。
直感的にやりたいと思った事を、やらない理由が何も無い。
それに、先ほどミリーの前で宣言した「絶対にオレを頼らせてやる」と言う決意とも目標地点が合致している。
「クハハハ、覚悟しやがれよ。邪神の本気、みせてやるぜ!」
手始めに、このエメラルドカイランだ。
「山ほど採取して持って帰ってやるッ!」
なお、本当に山を作れるほどに持って帰り「まずは、ありがとう。ご苦労様。そして食い切れるか! と言うか君、必要以上の乱獲は環境破壊に繋がるんだぞ!?」と叱られる事になる。