黄昏の騎士の奇妙な物語~タソカレ編 2話
「らっしゃい!」
年季が入り飴色に変色した木製のドアを開け“花と蜜蜂亭“に足を踏み入れるなり、ダミのきいた威勢の良い声が飛びかかってくる。
「相変わらず、店の名前にそぐわない髭面とダミ声だな、ハンク」
「余計なお世話だクソ坊主!」と怒鳴るハンクを尻目に、俺は入り口近くのテーブルに腰を降した。
「いらっしゃいリロイ、久しぶりね!」
「やあエルザ、相変わらずそんな薄着じゃ風邪引くぞ」
「もう! 看板娘を捕まえといて、どうしてそんな素っ気無い態度取っちゃうかな!」
「まあそこがリロイの良いところなんだけどね」と言いながら、薄い肌着に、革製の胸当てと膝丈のスカートを身につけたエルザは、組んだ腕の上で揺れる豊かな胸を見せつけようとしてくる。それを押し返しつつ、俺はメニューを受け取った。
「麦酒を一杯と、蜂蜜酒を一杯くれ」
注文を投げ掛けたが返事が返ってこなかったので見上げると、エルザはむすっとした顔をしてこちらを睨みつけていた。
「久々に顔を見せてくれたと思ったら、あの女と待ち合わせってわけね!」
「馬鹿野郎、仮にも騎士様をあの女呼ばわりするもんじゃないぞ」
「私は野郎じゃないですもーん!」と言ってエルザは機嫌を悪くしたまま、ハンクのいるカウンターへと戻っていった。
様々な穀物が収穫の時期を迎えた王都は、多種多様な種族で溢れかえっている。あちらの机では、今年の大豆は質が悪いと怒気を含んだ声を上げる人族に対し、大豆の栽培を主要な産業としている小鬼族の商人が食ってかかっている。かと思えば、あちらの机では、長い耳の生えた兎の獣人族と、豊かな小麦色の尾をはやした狐の獣人族が肩を組み麦酒を酌み交わしている。
喧喧囂囂とする酒場の様子を眺めながら、エルザの運んできた2杯の酒のうち麦酒の方を半分ほど飲み終えた頃、店の扉が勢いよく開く音がした。
◆◆◆◆◆◆
「ここに来るのは久々だなー!」
扉を開けたのは、1人の華奢なヒト属の少女だった。くすんだ金色の髪は肩のあたりで切り揃えられ幼い印象を与えるが、長い睫毛に縁取られた切れ長の目は少女の身に余る色気を湛えている。店内をひとしきり見回した後俺を見つけるなり、「あっ! エルク久しぶりー!!」と叫び、ドタドタと床を鳴らしながらテーブルまで小走りで駆け寄ってきた。
「あんまり飲食店の中を走り回るもんじゃないぞ、マーガレット」
悪気なく口角を上げてニコニコと微笑む騎士殿に、俺は蜂蜜酒を差し出す。
「さっすがエルク! よく分かってるー!」
マーガレットは俺の手からジョッキを奪いとった勢いのまま口元で杯を傾け始め、あっという間に飲み干してしまった。
「ぷぁっはー!! やっぱりここの蜂蜜酒が1番華やかな香りがするよ!」
少し大きすぎる声で放たれた賛辞はカウンターまで届いたのか、店の奥でハンクが満足気に頷いている。
「花と蜜蜂亭に来るのは久々だからなー。今日はエルクの奢りって事で、沢山食べて飲ませてもらわなきゃだね!」
そう言いながらマーガレットは屈託のない笑みをこちらに投げかけてくる。
「お前な・・・俺の給金はお前の何分の一か知って知って言ってるんだよな・・・」
俺が止めるよりも早く、給仕を呼び止めたマーガレットは料理の注文を始めていた。
「はあ、お手柔らかに頼むぞ」
「了解! 任せといてよ!」
メニューを片っ端から読み上げるマーガレットを横目に、俺はため息をついて残った麦酒を飲み干した。
◆◆◆◆◆◆
半年ぶりの出会いの合間に起こった出来事についてお互いに報告しあう内に、いつの間にかひと時程が過ぎていた。その間、マーガレットは、一言相槌をうってはジョッキを半分ほどのみほすを繰り返し、すでにジョッキ20杯分ほどの蜂蜜酒を飲み干していた。
「あまり飛ばすなよ、酔い潰れても、騎士様を城の中まで送り届けることはできんのだからな」
呆れつつ空になったジョッキを奪い取り、マーガレットから遠ざけるようにして机の上に置く。
「なっはっは! いつまでも女の子扱いしてもらっちゃ困るなあリロイ君、蜂蜜酒なら樽いっぱい飲んだって平気さ!」
マーガレットの顔面は、うっすら赤く色づいた桃の色合いを通り越し、真っ赤に熟れたリンゴに近づきつつある。マーガレットが新たな蜂蜜酒を注文しようとしたときの事だった。
「へー、そんなら俺らと朝までたっぷり飲もうや嬢ちゃん!」
野太い声がしたかと思った次の瞬間、俺の視界には机の木目が広がりっており、遅れて、痛みとともに鈍い衝撃が顔から頭の後ろまで駆け抜けていった。いつのまに囲まれていたのか。俺は後ろから組み伏せられ頭を机に叩きつけられたのだ。
「…っツ! なんだお前ら!?」
俺はやっとの思いで腹の底から声を絞り出し、視線だけを上に向ける。俺とマーガレットを囲む4人の男達がいた。いや、俺の背後にいるやつを勘定に入れれば5人か。
マーガレットは、袖のないベストから丸太のような腕を生やした男に右手を捻りあげられ、こちらもまた身動きが取れなくなっている。
「いやいや、上物のお嬢ちゃんがいたもんだから、つい声をかけたくなってねえ」
マーガレットの腕を掴んでいた髭面の男が、酒臭い吐息とともに答える。喧噪に満たされていた店内はいつの間にか静まり返り、こちらの様子をうかがっているようだ。
その中で、事態を察したのか厨房から慌てて駆け寄ろうとするハンクの姿が視界の端に映った。
「リドル! 後ろから店主が!」
「おっと! 変な動きをする奴がいたらこの嬢ちゃんの腕をへし折るぜ!」
リドルと呼ばれた男は、マーガレットの太腿ほどもある太い腕に血管を浮かび上がらせ、テーブルに拳を叩きつけつつ怒鳴った。リドルは空いたほうの手を腰に回し、腰に吊り下げていたのだろう大鉈を引き抜きながら再び胴間声をあげる。
「まったくよお、昨日は商隊の馬車を襲おうとして返り討ちにあって散々だったが、苦しみに耐え抜いたものにはちゃんと天がおめぐみくださるってこったなあ!」
冗談めかすように放たれたリドルのセリフに、周囲の男たちも下卑た笑い声をあげた。
「おい! お前らがどこの子悪党かは知らねえが、その女に手を出したらタダじゃ済まねえぞ!」
俺は、机に押さえつけられ圧迫される口をなんとか開きながら叫ぶ。
「はあ〜? 何言ってんだお前、そんな状態で何ができるってんだよ!?」
頭を一旦引き上げられたかと思いきや、俺は顔面を机に叩きつけられた。鼻から、温かく粘度の高い液体が流れ出るのを感じる。
「エルク!」
マーガレットは、痛みに声をからしながら俺の名を呼んだ。
「おっと、うごくんじゃねえぜお嬢ちゃん」
「痛いっ・・・!」
リドルがさらに腕をきつくひねり上げたのか、マーガレットが苦痛に満ちた息を漏らす。
「お前さんは俺と一緒にちょっと夜の散歩にでも出かけてもらおうか」
「この男はどうする?」
俺の背後にいる男がリドルに問いかけた。
「追ってこられても面倒だ。そのまま腕の2、3本へし折ってその変に転がしとけや」
俺の背後にいる男が「りょーかい」と声を上げ、俺の腕をさらに捻じ曲げようとしてくる。俺は痛みのあまり机に突っ伏し、うめき声をあげながらここまでかと観念したその時の事である。
「勘違いしてもらっちゃ困るな。腕の2、3本へし折られるのはキミの方さ」
変声期前の少年を思わせる透き通った声が響く。場違いな声が聞こえた次の瞬間、
「ぎっ、ぎゃぁぁああああ」
今度は、リドルの太く濁った叫び声が店中に響き渡った。
「リ、リドル! おい女!! テメェなにしやがった!?」
背後に立つ男の動揺する声が聞こえたと同時に、俺の頭を押さえつけている手の力が緩む。その隙に俺は机から顔を引き剥がし、マーガレットの方に目を向ける。いつの間にかマーガレットは解放されており、彼女の目の前に立つリドルの丸太ほどもある太い腕は、肩から手先に向かって3、4回ほどねじ曲がり、明後日の方向を向いていた。
「安心したまえ、2、3本と言ったけれど実際腕は2本しかないからね。へし折る腕は、もうあと1本におまけしといてあげるよ」
そう言ってクスクスと笑い声を挙げる少年のような声の持ち主の正体は、先ほどまで蜂蜜酒を美味しそうに飲んでいたマーガレットのものであった。
「ちきしょう!! お前ら、ずらかるぞ!! てめえ、覚えていやがれ!!」
リドルは捨て台詞を吐くと、無事だった腕に握りしめた大鉈を振り回して周囲の客を遠ざけ、道を作りながら店外へと慌てて出て行った。状況を飲み込めずに立ち尽くしていた仲間たちも、リドルの後を慌てて追いかけていく。
「やあエルク、到着が遅れてすまないね」
先ほどまで俺の目の前で蜂蜜酒を飲み干していたはずのマーガレットの姿をした誰かは、鼻や口から血を出している俺に、隣のテーブルの上に置いてあった布巾を差し出してくる。
「痛っ・・・黄昏時を過ぎたのにまだ来ないかとは思っていたが、遅かったじゃないかリコリス」
俺は、手渡された布で顔をぬぐいながら話しかける。布巾には結構な量の血がしみ込んでおり、思ったよりも深く傷を負ってしまっているようだ。
「ここ数日、マーガレットは君との久々の再会をいたく楽しみにしていたからね。君との久々の会話もとても楽しそうにしていたものだから、本当はこのまま出番を控えようかと思っていたんだけれどね」
「まったく妬けちゃうよね」と、冗談とも本気ともとれる笑みを浮かべながらリコリスが答えた。
「それで、今日君が用があるのは、麗しのマーガレットだけではなかったのだろう?」
リコリスはひっくり返っていた椅子をもとに戻し、腰掛けながらこちらに声をかけてくる。
リコリスが向ける俺の腹の内を探るかのような視線は、マーガレットの、潤んだ光を湛えた人懐こい瞳と同じものから発せられているとは思えない、不気味さを伴っていた。
リコリスの視線に気圧されていることを悟られぬよう、ジョッキの底に残されていた麦酒を口に含みながら俺も椅子に腰かけなおす。
「実は、ぜひとも黄昏の騎士様の力をお借りしたい。ともすれば、この国と北方とのいざこざにもつながりかねん事件だ」
俺の言葉に興味をそそられたのか、リコリスとなったマーガレットの片眉が少し上がる。
「それは興味深い話だね。さあ、この黄昏の騎士の力を必要とするべき事柄が何なのか、ゆっくり話を聞かせてもらおうか、エルク」
もう少し、可憐な乙女であるマーガレットとの再会を楽しみたかったところなのだが・・・。俺は衛兵に頭を切り替えながら、リコリスに語り始めた。