タソカレ編
「おーい、入るぞー!」
返事は相変わらず返ってこないが、ひとまず扉に手をかけると「ガチャリ」と音を立て開いた。
「誰かいるかー!?」
昼前で日が高くなってきたとはいえ、光が行き渡らないほど広々とした屋敷は薄暗かった。
来客の声を聞けばどこからともなく現れる執事やメイドの足音も聞こえず、屋敷はしんと静まり返っている。
「え、衛兵さん、誰もいないみたいだがどうする…?」
「中を確認するしかないだろう、上がらせてもらうぞ!」
薄暗く物音一つしない屋敷の雰囲気に怖気づく商人を背後に従え、俺は屋敷に足を踏み入れた。
「しかし広い屋敷だな」
商人の中でもとりわけ稼ぐ者達が集う5番街の一角、小麦商マルティノ邸は、周囲の家々と比較しても1、2を争う豪邸だ。
「やはり様子がおかしいな…」
隣にいるマルティノの商談相手という小太りの男から、マルティノが2日も顔を見せず連絡もよこさないとの通報を受けたのは半刻程前の事だった。俺は衛兵の事務所にいて、さあ昼飯だと三角亭のサンドイッチを齧りかけていたところだった。俺は渋々サンドイッチを包み紙に戻し、リーガ地方から訪れたという小太りの男、旅商人のフーガと共に現場を訪れているわけだ。
「なにがおかしいんです…? 床にホコリひとつ落ちてないし、整然としてよく手入れされた豪邸に見えますが…」
リロイにしがみつくようにして怯えながら背後をついてくるフーガが俺に問いかける。
「それがおかしいんだ。これだけの豪邸がひとりでに綺麗になるはずがないだろう」
これだけの広い屋敷を手入れする使用人の数は一人や二人では足りないはずだ。しかし、門を潜ってから庭を通り抜けて玄関ホールに足を踏み入れ、さらに屋敷の中を歩き回る今に至るまで、人影が全く見当たらない。
「あれ、なんですかね?」
不穏な空気漂う屋敷の玄関を見渡していると、フーガが、玄関ホールを中心に左右に伸びる廊下のうち、左側の廊下に通じる扉の手前を指差した。
薄暗いので見えにくいが、よく見ると扉の手前に何か蝋燭のような白くて細いものが落ちている。
恐る恐る近づき、落ちているものを確認した俺は思わずゴクリと音を立てて唾を飲み込んだ。
「…これは、指だな」
「よよゆ、指!? ひぃぃいいい!」
背中の後ろでバタン! と重たい物が落ちる音がして驚き振り返ると、フーガが失神し床に倒れ込んでいた。
「さーてこれは、面倒な事になってきたな…」
誰もいない屋敷にちぎれた人の指。こんな状況が、面倒な事にならない方がおかしいだろう。
床から拾い上げた女物とみられる指と、床の上で泡をふきながらノビているフーガとを見比べ、俺は一層大きなため息をつきながら途方に暮れるのだった…。