そして少女は青年と出会った 2
―――『こちらウーノ。ドゥーエと合流完了。両名共に車内待機中。どうぞ』
―――『こちらチョーカーアルファ。配置についた。どうぞ』
―――『チョーカーブラボー。問題なし。どうぞ』
―――『チョーカーチャーリー。不審者一名確認。現在チャーリー5、6の二名で監視、追跡中。対処は可能』
―――『チャーリーはそのまま続行。状況次第では対処を許可する。ハウスキーパー、状況送れ』
―――『こちらハウスキーパー。ドーベル3、4は共に動きなし。周辺に異常なし』
―――『よし。では現刻をもって犬の尻尾を開始する。各自、抜かるなよ』
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昨晩は、興奮のあまり眠れなかった。
遠足が楽しみな小学生かよ。
PUPPYとの待ち合わせは、ここ鎌ヶ谷駅の西口に十時。そして現在時刻は九時四十五分。周辺には秋穂と同様に、待ち合わせをしているらしき人々が思い思いに時間を潰していた。
ちゃんと見つけてもらえるだろうか。
エアリアル・ファイター5はその内容から、圧倒的に男性プレイヤーが多いという印象を秋穂は持っていた。だから相手も待ち合わせ相手は男だと思って探してしまうんじゃないだろうか。
不安を覚え、何かできないかと睡眠不足の頭で考える。
そうだ、写真を送ろう。
名案だと思った。これなら間違えられないだろう。腕を伸ばしてインカメラを起動する。
今日の服装はマンタ・カスタムと同じ色の黒のジャケット、ボーダーシャツ、そしてデニムのショートパンツ。
画面には少し赤みのかかったボブカットの少女が、ウインクに三本指のピースサインで写っていた。
手振れはしていなかった。
加工もしなかった。
「到着しました」と短い本文と共に送信すれば、数秒の後に送信完了と無事表示されるまで画面を見つめていた。
電波法が改正され、携帯電話の免許制度が終了してから既に十年。昔は携帯電話一つ取るのに、これでもかと言わんばかりに資格をかき集めなければいけなかったらしい。
さて、それでは当時の人々は携帯電話無しにこういう時どうやって連絡を取っていたのだろうか。ほんの十年前だというのに皆目見当もつかなかった。
手に持ったままでいたスマホが振動する。「私ももうすぐ到着します」というメールの着信。その文章を見て一人称に注目し、PUPPYさんはもしかして自分と同じ女性なのだろうかと少しばかり期待する。
それらしき人の姿が見えないかと周辺を見渡すが、一人歩く女性の姿は一つもない。
少し離れたところには、道路脇に駐められている多数のタクシー。一台だけタクシーじゃない自動車が混じっていた。
さらに遠目には、こちらへ向かって歩いてくる東鎌ヶ谷高校制服の男子生徒らしき姿も見える。よもやあれではあるまい。この世のどこにオフ会に学生服を着てくる奴がいるというのか。
そして近くの路地裏からは怒号が聞こえてきたが、それはすぐに静かになった。朝帰りの酔っ払いだろう。ああいう大人にはなるまいと秋穂は思う。
そして秋穂と同年代のカップルが駅から出てきたのを皮切りに、大型連休の後半戦を楽しもうとする人々が溢れてくる。
この中にPUPPYさんがいるのだろうかと、秋穂は体ごと駅側を向いて、出てくる人々の姿を確認していく。
大学生くらいの若い男女のグループ。
駅を出た瞬間に全速力で走りだした、スーツ姿のおじさん。
中学生くらいの女子三人組。
そこから先は出てくる人が多過ぎて、どんな組み合わせなのか把握しきれなくなった。
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―――『こちらチョーカーチャーリー。タチの悪い酔っ払いだった。報告終わり』
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そのまま待つこと数分。駅は電車によって輸入された人々をすっかり吐き出した結果、秋穂はナンパしてきた大学生らしき二人組を一回、三人組を更に一回撃退する羽目になった。
暇人どもめ、という愚痴を一つ。あの中にはいなかったらしいという現実と共に、もしかしてドタキャンされたのではないかという一抹の不安が囁いてくる。秋穂同様に待ち合わせをしていた人たちは、秋穂一人を残し皆いなくなってしまっていた。
約束した時間まで残り五分。そして九時五十三分の次に鎌ヶ谷駅に電車が止まるのは、十時をさらに過ぎること十三分後なのだから。
ちょっとした不安と共に待っている。
「すみません、Akihoさんですか?」
男の声。後ろから話しかけられた。
その言葉に、「は、はい!」と緊張気味に振り向いた。同性じゃなかったか、という若干の期待外れと共にその姿を見る。
ついに、あの伝説のPUPPYとご対面だ。
東鎌ヶ谷高校の男子制服を着ていた。左手には学校指定の鞄を持っていた。
高過ぎず低過ぎずの平均的な身長に、黒髪黒目の凡庸な見た目をしていた。
記憶のどこかに引っかかる香りを感じた。
昨日の昼休み以来に見る顔だった。
東鎌ヶ谷高校1年1組。出席番号は十八番。遅刻と早退の常習犯、南波迫がそこにいた。
「……は?」
なんでここにいるんだこいつ。
心が一気に冷めたのが分かる。
いや、別に南波がどこで何をしようと、それは南波の勝手ではある。
ただしそれには、秋穂に迷惑をかけない範囲で、という条件が付くのだ。
今はPUPPYとの待ち合わせの真っ最中で、なのに普段は教室で誰とも話さないような男が休日に特に仲良くもない異性のクラスメイトに会ったからといって、こんな時に限って普段使っていない甲斐性を出さずともいいではないか。
「何か用?」
だから、かなり無愛想な返事になった。
「いえ、ですから秋穂さんですか?」
何言ってんだ見れば分かるだろ。
というかなんで馴れ馴れしく下の名前で呼んでくるんだ。休みに一人でいるのを見つけたからってナンパのつもりか? まさか陰キャのくせに年下の同級生相手なら上手くいくとでも思っているのか。
自惚れんな。
「だからそうだって言ってるじゃん。一体何よ。あたしこれから大事な用があるんだからアナタの相手してる時間なんてないんだけど」
これだけ言って、少し怯んだ南波の姿が見えたので少し溜飲が下がった。
「すみません。意図が正しく伝わっていないようなので、言い方を変えさせていただきます」
まだ何かあるのか。こんな男の相手をしている間にPUPPYさんとすれ違ったらどうしてくれるんだ。
「はいはい、何よ。早くしてちょうだい」
そういうと、南波はスマホを取り出し、まるで印籠のようにそれを秋穂に見せつけた。
写真が表示されていた。
写真には、マンタ・カスタムと同じ色の黒のジャケットを着た、少し赤みのかかったボブカットの少女が写っていた。
さらに写真の少女はボーダー柄のシャツを着ていて、デニムのショートパンツを履いていて、極め付けにはウインクをしながら三本指のピースサインでポーズをとっていた。
「PUPPYと待ち合わせをしているエアリアル・ファイター5のプレイヤー、Akihoさんですか?」
疑いようがない。秋穂がついさっき、PUPPYに送信した画像に間違いなかった。
脳が現実を拒否しようとする。だが目の前の男は容赦もなしに、言葉で現実を叩きつけてくる。
「南波、改めPUPPYです。今日はよろしくお願いします」
血の気が引くと身体はどうなるのかを、秋穂はその身をもって体験することになった。
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「きゃぁ~~~~~~~~!?」
―――『落ち着けウーノ! 状況を知らせろ!』
「南波君が女の子抱きしめてる~~~~~!」
―――『……ドゥーエ、ウーノは錯乱しているのか? 幻覚を見ているのか?』
「えーと、興奮はしてますけど錯乱はしてないと思います。報告も正しいです」
「ラブホ!! ユーリちゃんユーリちゃん! この辺にラブホあったっけ!?」
「作戦中なんでコールサインで呼んでください先輩」
―――『仮にも教師が教え子の不純異性交遊を想定してんじゃねえよ』
「あのー、報告上げていいですか? 対象はアルファが2、ブラボーが3で先ほど接触しています」
―――『は!? 対象!? 対象を抱きしめてんのかあいつ!? アルファとブラボー! 聞いてただろ報告上げろ!』
「あ、移動するみたいですね。ほら先輩、落ち着いてください。車出しますよ~」
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「大丈夫ですか? さっきは随分と気分が悪そうでしたけど」
「驚きすぎて心臓が一瞬止まっただけだから。もう平気だから」
自分で言っていて、あの時は本当に心臓が止まっていたと秋穂は思う。
あの場で崩れ落ちたのを南波に支えられて、男の腕に抱きしめられているという驚きがなければ、再起動することなく止まったままだったのではないだろうか。
だが、今はそんなことはどうだっていいのだ。重要なことじゃない。
まさか憧れのPUPPYが。
ワールド・トップ・ホルダーのPUPPYが。
多数の最上位陣がプロ・ゲーマーとしてメディア露出をしている中、ただの一度もその姿を見せることが無かった謎の人物PUPPYが。
学校では秋穂の右前の席に座る南波迫だという真実の前では、心臓が一度止まって再度動き出したことくらいは些細なことなのだ。
鎌ヶ谷駅西口から歩くこと数分。喫茶店の中に二人の姿があった。
正面に座る南波からは、これまででも一層強い香水を感じる。駅前での第三種接近遭遇、眩暈で倒れそうになった秋穂が抱き止められた時には、驚き過ぎて香りを利く余裕も残っていなかった。
「まさか南波くんがあのPUPPYさんだなんて……」
「そこまで驚くことですか?」
こんな男に会うのを楽しみにして、睡眠時間を失ったのか。そう考えたら、無性に腹が立ってきた。
憧れの人物が憧れではなくなったことで緊張の糸は緩み、緩んだ糸は眠気の混入を防げなくなり、そして眠気はするすると思考を口から漏らしていく。
「こんな甲斐性なしのろくでなしが世界一だなんて信じられない……。信じたくない……」
「もしかして、私は喧嘩を売られるために呼び出されたんでしょうか?」
「アナタみたいなのがあたしより優れてるってのが認められないだけよ!」
つい大きな声が出てしまった。誤魔化すように顔を背けて心中を吐露する。
「世界で一番強いって話で、実際に戦ったら本当に圧倒的で、だからきっと、中身も立派な人なんだろうなって思ってたのに」
それがサボリの常習犯の陰キャだなんて。
「……立花さんはもしかして、名作や名画を作る人や好成績のスポーツマンは、人間性も高いだろうと期待する類の方ですか?
人生の先輩として忠告させていただきますが、あまり世界に理想を見ないほうがいいと思います」
「こっ、この陰キャァ……!」
いけない。全く尊敬できないとはいえ、仮にも年上相手に暴言を吐いてしまった。
心の中で反省していれば、喫茶店のマスターが注文の品を持ってくる。
南波の元にホットコーヒー。
秋穂の元にアイスティー。
ドアベルが客の来訪を伝えてくる。
気分を落ち着かせるためにまず一口。紅茶のほどよい香りが鼻から抜け、
「あら、南波君に、立花さん? 不思議な組み合わせね」
紅茶そのものは器官に入った。
下手人は市原奈央子二十七歳独身。
「ええと、ごめんね。変なタイミングで話しかけちゃったかな」
「き、気にしないでください……」
そこでようやく、市原の後に女性が一人ついてきているのに気付いた。
見覚えはある。だが、眠気の残っていたところに酸素不足が重なり脳がガス欠を起こす。記憶を掘り出すだけの出力を発揮できない。
「こんにちは~。4組担任の仁熊です~」
思い出せた。市原と同じ社会の担当教師だ。科目が被っているせいで、1組の生徒とはあまり接する機会がない。
「お疲れ様です。お二人は休日出勤ですか?」
南波が相手をする中、秋穂は妙なところを見られてしまったと恐縮してしまう。
この状況を友人に見られると、特に、新聞部のあの友人に見られると致命的に厄介になるとは思っていた。
だが、まず最初に教師に見つかるとは思わなかった。これはこれで据わりが悪いと感じてしまう。
「ああ、違うのよ。仁熊は大学でも後輩でね。職場も同じだしで休みはよく二人で出かけてるの」
「私たちのことは気にしないでください~。デートの邪魔をしたりはしませんので~」
「そっ、そんなんじゃありませんから!」
デートと揶揄され、つい反論してしまったが、言われた二人はどこ吹く風だ。そのまま奥へと進んでしまい、秋穂達からその姿は見えなくなった。