第九話「収束! 大激戦の果てに!」
蠱毒成長中「こんな作品にここまで付き合ってくれてありがとう。あともう少しだけ続きます」
かの事件から二週間が過ぎた。事件の舞台となった都市は、ワルジャーク幹部とエンジェルピーチ、及び正体不明のトランセンデンスこと仮称"赤眼虫"――赤い複眼を持つ昆虫のような外見であることに由来する――による三つ巴の激戦により壊滅的な被害を被ったが、都道府県内外、或いは近隣諸国で活動するアビターや一般のトランセンデンス、或いはオーバーセンスを持たない人々の尽力もあり復興は思いの外早いペースで進んでいった。
然しだからと言って人々の心から惨劇の記憶が消える事はなく、同時に芽生えた怒りや憎悪はそもそもの原因であるワルジャーク、並びに人々を守るべき立場であるにも関わらず被害を拡大させたエンジェルピーチこと桃葉桃知に向けられることになる。
特にアビターでありながら敵に苦戦し追い詰められた挙句、恩人である筈の赤眼虫に対して言い掛かり同然の動機で襲い掛かりワルジャーク以上の被害を出した桃知へのバッシングは凄まじく、通っていた高校は退学、政府によりアビターの資格を剥奪されたばかりか犯罪者として警察に逮捕・投獄され実質社会的に抹殺されたも同然の仕打ちを受けることとなった。勿論それまで数多存在したファンに見捨てられ、数あるファンクラブも残らず解体されたのは言うまでもない。親類縁者からは縁を切られ、想いを寄せていた幼馴染も家族ぐるみでどこかへ逃げてしまいありとあらゆるものを失った彼女の社会復帰は最早絶望的と言う他ないであろう。
反面、赤眼虫と呼ばれるようになったかの化け物男は『街をワルジャークの脅威から救い、恩知らずにも自身に刃を向けた悪党・桃葉桃知にも慈悲を見せた異形の英雄』として人々から崇拝され、彼をこそ真のアビターと見做し実質的に神格化する動きも出始めている。ただ人々の期待に反して、化け物男はあれ以来人前に姿を現していないが。
幹部ダーク・ジャンヌ及びその部下ルージとレドー、また最新型ジャークモンスターであるタコダーゴンを失ったワルジャークは赤眼虫を組織に歯向かう害悪として敵視しており、取り分けダーク・ジャンヌを気にかけていた首領ジャークカイザーは自らの直属舞台として赤眼虫討伐隊を結成。討伐隊に所属していない全構成員や他の組織に対しても『赤眼虫を仕留めた者には望む限りの褒美を与える』との通達を出しある種の賞金首として設定するなど、全力でかの異形を打破せんと策を練り重ねているという話である。
時は遡り事件から数日が過ぎたある日の白昼。事件があった都市の付近にある工場の休憩室にて。
『――調べに対し桃葉容疑者は「あの男は自己中心的で危険思想を持った害悪だから殺さねばならなかった」などと供述しており――』
「そりゃおめーのことだろボケ」
「ほんと、全くその通りよねぇ。何か私生活でも相当素行が悪かったって言うし」
休憩室に据えられたテレビに流れるニュース番組を見ながら毒づく体格のいい青年――服装からして工場の作業員であろう――に、同業者と思しき痩せこけた中年女が相槌を打ちつつ別の番組で聞きかじった情報を話していた。
「そもそもこの時代に高校生がアビター、それもフリーランスつうのがまずオカシイよな。どうせカッコつけてえってんで山登りか何かみてーな感覚でやってたんじゃねーの。そんな奴らが俺らを守るなんてぶっちゃけ有り得ねえって。なあ氏野、お前もそう思うだろ?」
肥満体で坊主頭の中年男は毒づきながら、端の方で黙々と何かの本を読んでいる人物へ話を振る。
「ええ、私としても全く皆さんの仰る通りだと思いますよ。まず赤眼虫に襲い掛かったってのがよくわからねえ。あいつは恩人の筈なんだから『ありがとう、お蔭で助かった。あとはこっちに任せてくれ』ぐらい言ってもいい筈なんですがね……ま、だからと言って得体の知れねえ赤眼虫を信奉する気にもなれませんが」
氏野なるその人物――体格からして二十代の男と思われる――は、夏場だというのに長袖の作業着を着ており、手元には厚手の手袋、顔には包帯を巻いた上にマスクや幅広のサングラスを着用、といった具合に徹底して肌を隠す異様な身なりをしていた。
「そうか? あいつはあいつで中々いいヤツだって思うけどな。まあ確かに怪しいってのも事実だしな……それはそうとして氏野よぉ」
「何でしょう」
「お前、このクソ暑い時期にまでそんな恰好すんなよ。幾らなんでも流石に暑いだろ?」
「いえ、別段これといって暑いとかはないですね……変異が身体の内側にも表れているからでしょうか。然し思えば、私自身が平気でも見てる皆さんが見てて暑いと感じるなら脱いだ方がいいような気も……」
「あぁいや、そんなら別に無理するこたぁねぇぞ。俺らみんなお前の事情は知ってるし」
「そう、ですかね。有り難うございます」
かくして休憩時間は終わり、作業員達は各々の仕事場へ向かうのだった。
そして時は過ぎ同日の夜。工場からそれなりに離れた繁華街の一角にあるインターネットカフェの一室にて。
「ふーっ……今日も大変だったな……だがいい仕事だ。なるべく長続きさせてえもんよ」
椅子に腰掛けた氏野は、パソコンの電源を入れつつ身に着けているものを外していく。左右の手袋を外し、頭に被った帽子やマスク、幅広のサングラスを取り、長袖のポロシャツにインナーのタンクトップまで脱ぎ半裸になると、目や口など必要最低限の部位を除いて隙間なくグルグル巻きにされた包帯を解いていく。
「……と、こんなもんか。外すと外さねえとじゃやっぱ何かと違うな」
そうして露わになったのは、ヒト型でありながらヒトとはかけ離れた化け物の身体であった。
やせ細り起伏の少ない全身を覆うのは緑がかった黒い外骨格。頭は若干円筒形に近く顔はそれなりに平坦。瞼の無い両目は眼球が半分ほど飛び出たような赤い複眼で、唇のない口はほぼ横一直線に耳まで裂け、中に並ぶ歯は太めの針か小さめの釘が並んだかのよう。『耳まで裂けた口』と言っても耳や鼻に当たるものは突起どころか穴の一つ程も見当たらない。ぼさぼさの頭髪と骨格の成り立ちが辛うじて人間らしき存在であることを示していたが、それでも化け物じみた外見に変わりはない。
虫とも人間ともつかない中途半端な異形。それが彼、氏野良夫であった。
「取り敢えず……吉川先生のブログから見ていくか」
氏野良夫という男は元々ただの人間でしかない。特別な家系に生まれたわけでもなければ、類稀なる才能を持ち合わせていたのでもなく、ましてトランセンデンスというわけでもなかった。ただ、風変わりで奇抜な感性や趣味趣向の持ち主ではあり、然しそれでいて心優しく真面目な性格からそれなりの人望はあり、大学卒業後から暫くは有り触れた社会人として平穏に生活していた。
だが彼はある時スケイズに襲われ、一時間と経たないうちにあらゆる掛け替えのないもの――家族や財産、住居から周囲の人々との繋がりまで――を一気に失ってしまう。絶望しきった良夫は遅れて駆け付けたアビターとスケイズとの戦闘に巻き込まれ瀕死の重傷を負ってしまう。そのまま死んだかと思われた良夫は然し奇跡的に生存し、やがて何時の間にか二つのオーバーセンス――"化け物に変身する能力"と"斥力を操作する能力"を手に入れてしまっていることを自覚する。
全てを失い心の荒みきっていた彼が好き勝手にスケイズを狩る根無し草のトランセンデンス――後に赤眼虫と呼ばれ人々に崇拝されることとなる異形の化け物――として堕落した生活を送るようになるのにそう時間はかからなかった。彼は今や変身のオーバーセンスが持つ弊害によって、日に日に身も心も激情と憎悪のままに殺戮を楽しむ化け物となりつつある。元々は『人間から化け物に変身する能力』だったのだが、いつの間にか『人間寄りの化け物から完全な化け物に変身する能力』になっていたのである。ただそれでも人間としての心はまだ残っており、仕事場で元々の性格である『穏やかで真面目な働き者』として振る舞ったり小説やゲームを嗜む程度の余裕は十分にあるが、それも何時まで持続するかわからない。
現に味覚は殆ど機能しないし(唯一辛味のみはまだ感じることができる)、元々恋愛や性にそれほど執着がない性格だったのもあって性欲や生殖器といったものは完全に消え失せていた。感情に関して言えば喜怒哀楽の哀、悲しみの感情はほぼ完全に劣化しており、その代わりに怒りと怨みの感情が台頭しつつある。喜びと楽しみの感情も化け物と化す過程で歪んでおり、怒りや怨み、苛立ちや殺意のままにスケイズ等の不愉快なもの、悪と思うものを徹底的に破壊し爽快感を得る瞬間が今の彼にとっては至福の一時なのであった。
彼の現状は傍目から見ればまさに悲劇であろう。或いは惨劇か。ごく少数、喜劇と解釈する者が居るかもしれない。
だが彼は、氏野良夫は自身の斯様な現状を悲劇とも惨劇とも喜劇とも思ってはいない。
ならば彼にとって、氏野良夫にとって自身の現状とは何か。その答えは実に単純明快だった。
彼にとって現状とは娯楽活劇である。
化け物の狂気に蝕まれた彼は然しそれを前向きに受け入れ、化け物としての生を全力で謳歌し、存在さえ不確かな未知なる結末へ向かって全力で突き進むのだ。
一見無軌道に見えてその実やはり無軌道、されど妙に計画的なようでもある彼の生き様は、正義を掲げるからすれば不愉快であろうし、悪に与する者にとっても目障りで、愚人には理解できず、賢人にしてみれば滑稽であろう。
だがそれでも彼は気にしない。ただ一匹の蝿となり、両の複眼で獲物を見据え、二枚の翅で翔んでいく。
そんな良夫の未来はきっと、闇の中でもすこぶる明るい。
次回、エピローグ「そして新たなる戦いへ!」 お楽しみに!