植木鉢+不幸=友情?
今回は「まーくん」こと塩見雅宏が主役です。
彼の二面性、腹黒さ、そしてちょっとだけの心境の変化を楽しんでいただけたら幸いです。
SIDE A
梅雨が本格的になった頃に、オレ達の野球部も忙しくなった。甲子園予選のために。
とはいえ、うちの野球部の目標は「目指せ甲子園」ではなく、「二回戦突破」だから、大して強くないし、練習自体もそんなに熱心でもない。
そこそこの進学校だから、三年の先輩達も「終わったら受験勉強やらなきゃなあ」って言っているくらい。本格的な受験勉強に入りたくないから、甲子園予選が続けば良いって感じだから、オレが言うのも何だが、そもそも勝てるはずがない。
予選のくじ引きで、主将の門田先輩のくじ運の良さで、初戦は勝てそうな相手で、その後も強豪校とは三回戦以降にならないと当たらないから、目標が「三回戦まで行くぞ」に変わった。
オレはベンチにも入れないレベルだから、あんまり関係ないけれど。だけど、練習よりは雑用が多くて困る。マネージャーがいないせいもあって、雑用は一年のレギュラー以外の部員がやらなきゃならない。
相賀も、オレと同じ立場だが、先日の一件のせいでオレを避けまくり、最近では部活にも来なくなってしまった。アイツの行動には腹はたつが、智樹に殴られて以来、智輝の姿を見て怯えているのを見ると、ちょっとかわいそうになってくる。オレのことを避けているのも、それが理由なんじゃないかと思う。
「真田!ボール出してくれ!」
三年の先輩に言われ、ボールがたくさん入ったカゴを持って走ると、
「あ!」
案の定、足元の石につま先が引っかかり、ボールをぶちまけた。
「おい。またかよ!」
二年の先輩に怒鳴られるが、
「仕方ないって。不幸体質の真田なんだから。」
オレに頼んだ先輩に笑われた。笑うしかないという方が正しいかもしれない。
みんなでボールを拾って、練習は一時中断。まあ、のんびりとした部活だから、オレがいても大して迷惑をかけていない。あちこちで雑談しながらボールを拾う。誰も急いでいない。顧問もベンチに座り、大あくびをしていた。もちろん、練習を中断させたことに対しては責任を感じている。
で、やっぱり、拾ったボールをカゴに入れようと歩いたら、どこからか転がってきたボールに足を取られて、マンガのようにすっ転んだ。
それを見ていた部員全員が、腹を抱えて笑ったのは言うまでもない。まあ、笑われたことには少々むかつくが、身を挺して笑いを提供したと思えば、まあ、むかつくが、自分を納得させることもできる。
「お前、きちんと足元を見ろよ。」
半笑いで顧問に言われるが、オレだって見ていないわけではないんだが。
「今度は転ぶなよ。」
と先輩に言われた矢先に見事にすっ転んだ時は、笑うしかなかった。
「お前さぁ、そんだけ転ぶけど、ケガは一切ないんだよな。それはある意味、すげえよな。どんだけ身体が丈夫なんだよ。」
と感心されたけれど、まあ確かに身体は丈夫だな。頭に何か当たっても、たんこぶもできないからな。
のんびりとした部活ながらも雑用の仕事はそれなりにたくさんあって、陽が落ちて真っ暗になる頃の帰宅時にはヘトヘトになっていた。
とはいえ、曲がりなりにも進学校なので、日々の勉強やら予習やらで、最近ではいつの間にか机で寝てしまって朝を迎えることもある。
寝不足と疲れはオレの不幸体質に拍車をかけた。
「うわ!てっちゃん!危ないって!」
ぼーっと歩いていたオレを、智樹が慌てて腕を引っ張って止める。
「何だ?智樹?」
「てっちゃん、前!前!」
智輝に言われて前を向くと、中庭に出るところを工事中で、コンクリートがまだ固まっていなかった。
危うく、オレの足跡を残すところだった。色んな意味の。
頭に物が降ってくるのはいつものことながら、さすがに植木鉢が降ってきたのには驚いた。あまりの不幸続きに、智輝とまーくんがオレをガードし始めた。最初は面白半分でやっているのかと思ったが(特に智輝は)かなり真剣にオレを守ろうとしてくれていた。とはいえ、ずっとオレを見張っているわけにはいかないので、不幸は少なくなったもののいつも通りよりは少し多めにあった。特に、部活中と登下校時。
「真田くん。途中からでも一緒に登校する?僕、早起き得意だから、真田くんの朝練に間に合うように起きられるし。」
オレを心配して、まーくんがこんな申し出までしてくれたが、さすがにオレに付き合わせて早起きさせるのは申し訳ないので、丁重に断った。
「あ、オレは無理だわ。朝苦手だし。」
いつも遅刻ぎりぎりになっている智樹は、普段ならへらへら笑って言うところを、本当にすまなそうにオレに詫びるもんだから、調子が狂う。
二人に迷惑をかけてすまないと思い始めた、そんな矢先、
「てっちゃん!あぶない!」
急に智樹に腕を引っ張られ、その反動で後ろにひっくり返った。と、ほぼ同時に足元に植木鉢が落ちて、派手な音をたてて飛び散った。
周りはざわついた。そりゃそうか。植木鉢が落っこちてきたんだからな。
「っあぶね~。」
土が散乱しているのを見て、思わず声が出た。
「ありがとな、智・・・・・・輝?」
振り返って礼を言おうとしたが、その対象の姿はもうここにいなかった。
「あれ?智輝は?」
音に駆けつけて来た人達に声をかけた。
「さっき、すごい勢いで階段を駆け上がっていたよ。」
「うん。なんか、いつもの鈴木くんとは違っていたね。」
「顔、怖かったよ。」
同じクラスの女子が口々に言っているのを聞いて、何だか嫌な予感がした。先日の相賀との一件を思い出した。
「あれ?まーくんは?」
周囲を探すが、いつもならオレか智樹の側にいることが多いまーくんの姿も見えない。
さっきの女子に再度声をかけた。
「まーくん、じゃなくて、塩見を見なかった?」
「塩見くん?塩見くんって、智輝くんとよく一緒にいる小さい子?」
・・・・・・女子は容赦ないな。近くにまーくんが居なくて良かった。背のことは、男にとってはデリケートな問題なんだが。
「その塩見くんって子なら、確か鈴木くんに付いて行ったよ。」
智輝とまーくんが一緒に階段を登って行った?
「まーくんのその時の様子は?」
「別に、普段通りってか、よくわかんないけど。」
「そっか。ありがと。」
どこに行ったのか分からないけれど、普段とは違う智輝には嫌な感じはするが、きっとまーくんがいるなら大丈夫な気がする。
授業開始のチャイムが鳴り、周囲の野次馬も含めて、バタバタとそれぞれの教室に駆け込んで行った。
二人がいない事には心配だけれども、オレも慌てて教室に駆け込んだ。とりあえず、智輝とまーくんの二人のことは、調子を崩して保健室へ行くまーくんと、付き添いで行った智輝ということにしておこう。
教師にそう伝える。
オレは嘘が苦手なんだが。すぐバレるし。
だが、先生は深く追求しないでくれて助かった。嘘は・・・・・・バレている気もするが。
結局、二人はその時間中に戻ってくることはなく、次の授業ぎりぎりになって帰ってきた。
先週行った席替えで、智輝ともまーくんとも席が離れてしまったせいで、何があったのか聞くことはできなかった。
その時間中二人のことが気になったが、今のオレの席からは二人の表情を見ることはできなかった。
「鈴木!こら!お前はまた寝て!起きろ!」
・・・・・・どうやら、智輝はいつも通りのようだ。心配は杞憂のようだ。オレは胸をなでおろした。
授業が終わり、まーくんの方へ行く。と、
「あ、真田くん。お願いがあるんだけど。」
と、いつもよりも小声で声をかけられた。
「なに?」
「あのさ、さっきの授業のね。」
まーくんは辺りを伺うように視線を巡らせ、さらに小声で続けた。
・・・・・・やっぱり、何かあったのか?
「三時間目の授業の、ノートを見せてほしいんだけど。」
「ノート?」
「うん。さっきの時間、鈴木くんとサボってしまったから。」
なんだ、そんなことか。少しほっとした。
まーくんにノートを渡す。
「読みにくかったら、ごめん。」
「ありがとう。助かるよ。」
めずらしくにこっと笑うまーくんに、なんだか少し不安になった。四時間目が終わり、弁当の時間になっても起きない智樹のことも心配だった。
いつもと違う二人に、何か不安を感じた。
「あの、まーくん・・・・・・。」
声をかけたものの、どう聞いていいものやら。
「なに?」
ちょこんと小首を傾げるまーくんに、何も言えなかった。
「あ、いや、その・・・・・・。」
「真田くん?」
「あ、は、は、早く弁当食べなきゃいけないな!」
・・・・・・何やってんだ、オレは!
オレは心の中で頭をかきむしっていた。
「そうだね。」
まーくんはそう言って、ちょこちょこと小走りに自分の机に戻り、オレのノートを置いて、弁当を出し、またちょこちょこと走って戻ってきた。
オレとまーくんは弁当を広げ、何を話すでもなく二人で食べた。いつもより静かな昼食だった。そっか。いつもは智樹が一人で喋って、オレ達に話を振り、笑っていたんだ。
智輝の方を見ると、
「鈴木くん、起きなよ〜。」
クラスで一番可愛いと(男どもの中でランク付けされている)女子が智輝を揺さぶるが、一向に起きる気配はなかった。
・・・・・・ちょっと羨ましい、じゃない、あそこまで寝てしまっている智輝は初めてだ。今までは、どんなに寝ていても、チャイムの音で目を覚ましていたのに。
「まーくん、智輝、変じゃない?」
「鈴木くんはいつも変じゃない。」
「いや、それはそうなんだけど。そういうことじゃなくて。」
時折見せる辛辣なまーくんに、変に動揺してしまう。
まーくんはじっとオレを見て、
「大丈夫だよ、真田くん。心配しなくても。明日からまた元通りだから。」
とにっこり笑われて言われたので、オレはそれ以上何も言えなくなった。笑顔がなんとなく怖かったのもあるけれど。
翌日は甲子園予選の一回戦目。先輩達は「勝てる!」と意気込んでいたものの、結果は惨敗。
敗因は、小雨のせいで、ピッチャーのコントロールが絶不調だったのと、去年までなら楽勝で勝てたはずなのに、今年入ってきた一年(オレと同じなのにな)がかなりの戦力となって、波に乗りまくって、コールドで負けてしまった。
決してオレの不幸体質が招いた敗戦ではない、と思う。
三年生がロッカールームで泣いている姿を見るのは辛かった。オレ達一年は、とりあえず球場の外で待っていた。雨はどんどん強くなってきた。
「三年の先輩さ、今日で引退なんだよな・・・・・・。」
誰かがぼそっとつぶやいた。
「けっこうキツいよな、引退ってさ。」
去年、中学三年生で引退を経験しているオレ達にも、三年生の気持ちは痛いほど分かる。
「終わったら、受験か。」
ほんの半年前の自分たちの受験期を思い出して、皆気分が滅入ってきた。
そんなことを話している間に、三年生がすっきりした表情で帰ってきた。二年生の何人かはまだ目が赤かったが。
球場からは電車に乗っても誰も何も話さず、そのまま高校に戻り、荷物を置いたら解散となった。
三年生が笑顔で帰って行ったのが少しの救いだった。
「オレ達も落ち込んでいるわけにはいかないよな。」
三年生の背中を見送りながら、誰かがポツリという。その言葉でハッとした。
そうだ!一週間後、期末考査だ。
そう言えば、智輝が「夏休みには遊ぼうぜ~!」って言ってたっけ。でも、大丈夫か?赤点とったら補習なんだが。
とりあえず、今日は疲れた。
オレは家に戻って、着替えた途端にものすごい眠気に誘われて、そのままベッドで寝入ってしまった。
翌日からは日常が戻ってきた。
オレの不幸体質は相変わらずだけど、智輝もまーくんも、必要以上にオレをガードすることはなくなった。
きっと、疲れのせいで普段以上に注意力が散漫になっていたから、二人はオレを守ってくれていたんだろう。
何かでお礼をしなくちゃな。
そんなことを考えながらも、期末考査の勉強もあって、まーくんにも智輝にも接する時間が少なくなった。
まあ、夏休みがあるか。
試験期間は部活がなくなるから、その時間を図書館へ行って勉強をする。まーくんを誘ったが、
「僕、塾に行かなきゃいけないから。」
と断られ、智輝を誘うと、
「勉強なんか、かったるくてやらないよ。」
と笑って帰って行った。・・・・・・大丈夫か、あいつ。
智樹の心配をしているほどオレも余裕があるわけじゃないから、一人で図書館で試験勉強をする。自宅だとついつい寝てしまうから。それは高校受験勉強でよく分かった。静かな図書館での勉強は思いの外はかどった。
そして期末考査期間が始まり、連日のテスト後は図書館へ直行という生活に入った。
英語と国語の現国はなんとかいけるだろうが、数学と物理がかなりきつい。
中学の頃から数学と理科は苦手だったんだ。計算が苦手なのか、気をつけているのに計算ミスがある。「苦手なものが分かってるんだから、あとはそこを注意して。」と中一の頃に担任に言われたが、未だ持って直っていない。だから、ほかの教科よりは時間をかけて勉強している。
今回、数学と物理が同じ明日なのは、オレの不幸体質のせいか?でも、最終日だからあとはやるしかない。
試験が終わり、結果が出た。
トップ30の成績が貼り出された廊下には、人だかりが出来ていた。300人中の30位だから、あまり期待はできないが、とりあえずオレもその人だかりに入って自分の名前を探した。
今回の数学は、自分でも少しは自信があるけど・・・・・・と思いながら探すと、12位にまーくんの名前があった。
「まーくん、すごいじゃんか。」
ついつぶやいてしまった。だが、周囲も自分の名前を探していたり、友達の名前を探して騒いでいるから、オレの声は誰にも聞きとがめられることはなかった。
素直にすごいと思える。
「真田!お前ってなかなかすげぇな!」
突然誰かに背中を叩かれ、振り返る。と、一瞬怯んだ表情をしたクラスの奴(・・・・・・名前、何だったっけ)と視線がぶつかる。
「睨むなよ。」
あ、またやっちまった。オレの目つきが悪いせいで、大抵睨んでいると勘違いされてしまう。
「あ、ごめん。」
「ジョークよ、ジョーク。」
ソイツはニヤニヤ笑って言うけれど、一瞬怯んだのはきっと事実だ。顔を見た瞬間に、ソイツの名札を見る。
あ、オレの後ろの席になった近藤だ。名前と顔を覚えるのは苦手なんだよな。
「で、近藤。何?」
「お前ってさ、結構頭良いんだな。」
言われ方には少しむかつくが、一応褒められているから悪くはない。
「真田、29位じゃん。」
顎をしゃくるようにして掲示物を示す。
「え?」
オレが29位?慌てて見る。
・・・・・・確かに、29位にオレの名前があった!
「やっ!……ぐぇ!?」
やった!と言おうとして、声が出なかった。誰かがオレの背後から首に腕を巻きつけてた。こんなことをするのは見なくても分かる。
「智輝!苦しいって!」
「てっちゃ〜ん。」
「何だよ、智輝!暑苦しい!」
暑苦しさと息苦しさから逃れるために振りほどこうとするが、なおもしがみつく智輝。声が半泣きだ。
「てっちゃん、オレ、補習。」
「はぁ?」
「だから、オレ、補習なんだって!」
ようやく拘束が解けて智樹の表情を見た。声だけでなく、顔まで半泣きだった。
「オレの夏休みが〜〜!!」
オレの足元にうずくまり、頭を抱える智樹。
「うわっ。鈴木、ダセェ。」
そばで呟く近藤に、今度は意識して睨む。オレの目つきにビビった近藤はそそくさとその場から逃げて行った。
「だから言ったじゃんか。勉強しとけってさ。」
「オレの夏休みの計画が〜!」
オレの声は、智輝には届かなかった。
喚く智輝の姿を遠巻きに、変なドーナツ化現象がここにできた。そのドーナツの最も遠くにまーくんの姿があった、ような気がした。
オレも離れたかったのに、がっつりオレのズボンを掴んでいる智輝のせいで離れられない。
・・・・・・これもオレの不幸体質のせいなのか?
「オレの夏休み〜〜!」
叫びたいのはオレもだよ、智輝。離してくれ!
SIDE B
俺は群れるのが嫌いだ。一緒にいて、相手の顔色を伺って、何が楽しいんだ?一人じゃ何もできないくせに、集団になった途端に強気になる奴等は憐れみすら覚える。そういう奴等は、自分の行動がエスカレートしやすい。酷いことをしても、自分一人じゃないってことで罪の意識が薄まるんだろう。
女の集団は、あまりのエグさに吐き気がする。奴等の精神攻撃で、人間の内面からボロボロにされる。余りに辛くて、吐き気が止まらず、胃に穴が開きかけたこともある。
男の集団は恐怖心が出てきてしまう。殴られる痛みが、自尊心を傷付けられる心の痛みが、今でも俺を蝕み続ける。
だから、俺は一人でいることを選んだ。なのに、
「まーくん!まーくん!」
俺に「まーくん」なんてあだ名をつけたのはコイツだ。生まれて初めてのあだ名は、最初は恐怖だった。からかわれているんじゃないか、仲良くなったと見せかけてお金をせびるんじゃないか、そう思った。だが、俺の心配はよそに、鈴木と真田はどんどん俺に寄ってきて、今では呼ばれる度に照れ臭いようなむず痒いような変な気分になる。でも、悪くはない。
「まーく〜ん!」
頭の上に腕を乗せられ、その上に顎を載せて、
「いや〜、落ち着くね〜。」
これがなければな。
「鈴木くん、やめてよ。」
毎回言うが、やめた試しがない。
「智輝!いい加減にしろよ。」
急に頭にかかっていた重さがなくなった。鈴木より少し背の高い真田が、鈴木の襟首を掴んで俺から引き剥がしていた。
「まーくん、ごめんなぁ〜。」
鈴木を引きずって俺から少し離して、真田が身体を猫背にして俺に謝る。お前は鈴木の母親か!
デカイ図体で目付きの悪い真田を最初に見た時、アイツには絶対に近寄るまいと思っていた。同じクラスでしかも出席番号が俺の前だと知った時は、どうやってアイツと関わらないようにできるかを考えた。ところが、後ろの席になったコイツの馴れ馴れしさで、真田はただ単にデカイだけで、どちらかといえば人に騙されやすいようなお人好しだということが分かった。で、コイツは人懐っこいというよりは無神経で、あんまり人のことを考えていないようだ。
群れるのが嫌いな俺なのに、なぜだかこの二人というのは嫌じゃない。むしろ最近では居心地の良さを感じることもある。たまにだが。とはいえ、ムカつくことやイラつくことはあるけれど。
四月に初めて会った二人とは、いつもなぜか一緒にいてしまう。最初は出席番号が前後だったせいもあり、週番やら何やらを一緒にしなければならないせいで行動を共にしていたが、席替えをしたはずなのに、また一緒に行動している。最近では、これが当たり前の状態になっている。
ただ、厄介なことに、俺が一人でいたい時にも、二人が、少なくともどちらかが俺の傍にいて一人になれないことか。
ある日、たまたまトイレで一人になった時、中で相賀と鉢合わせした。俺の頭の中で相賀の言葉がフラッシュバックする。
『塩見ってクラスの中で浮いてたらしいぜ』
『クラスの中で嫌われてたっていう方が正しいかな〜』
無意識に拳を握り締めていた。きっと下衆な顔をして俺を見ているんだと思った。奴の顔が見たくなくて、ぎゅっと目を閉じて、奥へ進む。
「・・・・・・お前のせいだからな。」
すれ違いざまに、相賀の小さな声が耳に入った。その声音には覚えがあった。中学の頃、虫の居所の悪い奴等が、俺をサンドバック代わりにする時の苛立ちを隠そうともしない声。俺は、その場で立ちすくんでしまった。振り返ることもできず、頭に中で相賀の声がリピートされていた。
『お前のせいだからな』
『お前のせいだからな』
『お前の――。』
「あれ、まーくん。こんなところで何ぼーっとしてんの?」
背後から能天気な声がして我に返る。
「・・・・・・あ、いや、何でもないよ。」
どれくらいここにいたのか。
鈴木には悟られたくなくて、俺はそそくさとトイレを後にした。相賀の姿がなかったことにそっと胸をなでおろした。
「なあ、まーくん。てっちゃん、最近変じゃない?」
放課後、部活動に行った真田を目で見送った後、鈴木が俺の席のところまでやって来た。
「変って?」
鈴木の言葉で、俺は最近の真田の様子を思い出してみた。
いつもの不幸体質というより、注意力散漫なのが目に付いた。普段からぼーっとしているが、最近ではそれに拍車が掛かっている気がする。
「変、というより、ぼーっとしていることが多い気がするけれど。」
「だよな。オレもそう思うんだ。」
「部活が忙しいんじゃないの?ほら、地区予選がそろそろだし。」
この時期は、どの運動部も忙しい。野球部だけでなく、地区予選があるからだ。・・・・・・コイツも確かサッカー部で、地区予選が近かったはずだけど。
「・・・・・・鈴木くんもサッカー部が忙しいんじゃ?」
「ああ、オレはいいのいいの。オレは自主的に休憩中だから。」
幽霊部員か。
「練習で疲れがたまっているだけなんじゃないの?」
「オレもそう思ってたんだけどな。」
妙に真剣な表情をする鈴木に、少しイラついた。どうせ鈴木の勘違いだろうし、今の時期はどの運動部の部員は疲れた顔をしているじゃないか。試合前なんだから、仕方ないだろう。自分で選んで入っているんだから、多少疲れててぼーっとしたくらいで、わざわざこちらが心配してやる必要もないだろう。
鈴木の話を切り上げるため、「塾があるから。」と切り出そうとした時、
「・・・・・・でもさ。」
神妙な面持ちで話を続けようとする。次の鈴木の言葉で、俺は自分の間違いに気付かされた。
「植木鉢が頭の上から落ちてくるのってさ、疲れとかじゃないよな。」
思わず息を飲んだ。一瞬の差で頭に落なかっただけで、もしも頭に当たっていたらただでは済まない。
「植木鉢が落ちやすいところに置いてあるとも思えないしな・・・・・・。」
鈴木の台詞で、嫌な推測が成り立ってしまう。
「つまり、誰かが故意に植木鉢を落としたってこと、だよね。」
「てっちゃんを狙ったかどうかまではわからないけれどな。」
見えない誰かの悪質な行為に、喉がひりついた。無理やりにでも唾を飲み込む。ゴクリと大きな音がした。周囲の声が聞こえなくなっていた。
「・・・・・・どうするの、鈴木くん。先生に相談?」
自分で言いながら、心の中で即座に否定した。こんなこと、教師に相談したって解決するわけがない。教師に相談してもどうにもならなかったのは身を持って分かっている。
「先生に相談、しても・・・・・・。」
「誰が犯人かを突き止めない限り、多分先生に言ったところで無理だと思う。」
「そう、だよな。」
「もしも真田くんを狙ったと仮定するならば、今回のことだけで済むとは思えない。としたら、できるだけ真田くんを僕たちで守って、犯人が姿を現すのを待つのがいいと思う。」
言いながら自分で驚いた。俺が、真田を守ろうとしている。そして、それを鈴木と一緒にやろうとしている。俺が、他人に関心を持っている、その事実に。
「それがいい!さすがまーくん。頭いいな!」
真剣な表情をくしゃっと崩し、鈴木が俺の頭を小さな子にでもするかのようにぽんぽんと叩いた。
自分の心に、真田のことに、動揺していた俺は思わず、俺を叩く鈴木の手を払い除けてしまった。
鈴木は一瞬目を見開いて俺を見たが、次には心底嬉しそうな表情をした。叩かれて喜んでいるのか?まあ、世の中にはそういう輩もいるからな。
「じゃあ、さっそく明日から二人でてっちゃんを守ろうぜ。」
にこにこと子供のように笑う鈴木に、呆気にとられた俺はつられて笑ってしまった。
「え?何?何?」
笑う俺の顔を覗き見る鈴木に、イラっとして、すぐに笑いは収まった。話を切り返した。
「このことは、真田くんには内緒でやろう。真田くんが気付いていたら、犯人が現れにくいだろうし。」
「てっちゃん、気にするだろうしな。」
驚いた。無神経で人のことなどお構いなしだと思っていた鈴木の意外な一面だった。思いの外、人のことを実は見ているんだな。
そう思った直後、怒りが湧いてきた。俺が嫌がっているのをわざとやっていたんじゃないか?
「・・・・・・まーくん、何か怒ってる?」
珍しく敏い鈴木に、あえてにやりと笑ってやった。
少しは反省しやがれ、この無神経男め!
翌日から、俺と鈴木のどちらかが傍で真田をガードした。俺は人に気付かれないように辺りを注意することができるが、鈴木は辺りをキョロキョロし過ぎて怪しい。
移動教室の際も、不自然なほどにキョロキョロ辺りを見回す鈴木に、自分の席に座ろうとしていた鈴木に、回り道して
「キョロキョロしすぎ。不自然だよ。」
とわざと筆箱を落としてこっそり耳打ちする。なのにコイツときたら大声で、
「え?まじで?」
わざわざ耳打ちした俺の立場がなかった。このバカ!
だが、その後からは周囲に視線を配るのも上手くなって、心配することもなくなった。相変わらず真田は疲れからか、普段以上にぼーっとしているせいで、時々顔や腕に擦り傷を作っていた。さずがに24時間ガードし続けることも、見守り続けることもできないから、その間にどこかでケガをしたらしい。主に、部活や登下校時だろう。
「真田くん。途中からでも一緒に登校する?僕、早起き得意だから、真田くんの朝練に間に合うように起きられるし。」
朝の勉強の時間に家を出れば問題ないし、教室で予習をしておけば大丈夫だし。朝が苦手な鈴木には最初から期待をしていないが、俺の言葉で鈴木が真田に真面目に謝っていたのに対して、真田が驚いていた。いつもふざけてばかりの鈴木だから、無理もない。
だが、俺と鈴木にとっては真剣そのものだった。下手すれば、真田の命にも関わると言っても過言でないからだ。
俺と鈴木の申し出に、真田は丁重に断ってきた。まあ、お人好しの真田だから、もちろんそういうのは想定内だ。だから、いつもよりも一時間家を早めに出て、真田に悟られないように登校時を見張る。「学校で予習をするから。」と母に伝えて、余計な詮索をされないように万全を期す。
だが、下校時は塾があるから俺は無理だ。なので鈴木に下校時は任せた。鈴木がサッカー部に行ってて、帰りが一緒になるのは不自然なことではない。とはいえ、今の鈴木は真田を守ることと犯人探しをすることの二点しか考えていないようだ。今まで以上に授業中に寝ていることが多くなった。きっと、普段使わない気を遣っているからだろう。俺は、人目を気にすることは慣れている。というより、それが普段の俺だ。幸か不幸か。
野球部の試合を明日に控えた日、移動教室で中庭を突っ切ろうとした時だ。上の方で何かが反射した。
と、その時
「てっちゃん!あぶない!」
瞬時に真田の腕を掴んで引っ張る。と、さっきまで真田が立っていたところに土の入った植木鉢が落ちて割れた。周囲で小さな悲鳴が上がる。
俺は先ほど見た光の反射を見上げる。すると、屋上で人影が見えた。
「鈴木!」
俺は顎で階段を指し、階段を上がっていった。今ならまだ間に合う。
「先に行く!」
サボリ魔だが さすがサッカー部員。階段を二段飛ばしで駆け上がり、あっという間に鈴木に抜かれる。俺はというと、息が上がってきた。運動は苦手なんだが、そんなことを言っている場合じゃない。
声が出せず、荒い息で答えた。鈴木はあっという間に見えなくなった。
四階の踊り場まで上がったところで、一旦止まった。息が上がって苦しい。汗が頬を伝うのを手の甲で拭う。その時、三校時の開始のチャイムが鳴った。
ヤバイ。授業が・・・・・・。
チャイムが鳴り終わると、廊下や階段は席をガタガタ鳴らす音がした後、静かになった。
どうしよう。授業に行かなきゃ。でも・・・・・・。
迷っていると、屋上のドアが開く音がした。鈴木が屋上に着いたんだ。
鈴木に任せて、俺は授業に戻るか。今なら、教室に忘れ物をしたとかで、最悪授業遅刻だけで済む。
しかし、鈴木に任せて大丈夫か?あの脳天気男だと、犯人を見つけたところで、犯人に言いくるめられてしまうかもしれない。
「ああ、くそ!真田に一つ貸しだからな!」
意を決して、もう一度気合を入れて階段を駆け上がった。
屋上は六階の上、あと少し。息が上がるけれど、止まるわけにはいかない。ああ、くそ!鈴木のせいだからな!
授業をしている先生にバレるわけにはいかないから、なるべく足音をたてないように。でも、できるだけ急いで。
ようやく屋上へのドアの前までやってきた。重いドアのノブを慎重に回す。鈍い音が出る。できるだけゆっくりと開いた。
梅雨時期には珍しい天気の良い日だ。ドアを開けると眩しい陽の光に、一瞬目がくらんだ。
思わず反対の手で光を遮る。眩しさに目が慣れた頃、目の前には想像もしていなかった光景があった。
俺の前に鈴木が立っていた。真田ほどはデカくないが、それなりに図体のでかい鈴木の影で向こうが見えなかった。
屋上に踏み入れて鈴木の向こうを見ると、そこに誰かが腹を押さえて倒れていた。
「え?」
一瞬、何が起こったのか理解できなかった。が、腹を押さえている男がうめいて身体を動かすと、鈴木が無言で蹴りあげようとしているのを見て、咄嗟に鈴木の腕を掴んだ。
「・・・・・・。」
いつもへらへらしている鈴木とは顔つきが違っていた。無表情で、足元に転がっている男を見下ろしている。
その表情に、俺は凍りついた。中学の時の恐怖が蘇る。身体が、腕が、足が震えていた。でも、逃げ出せなかった。そのまま、ありったけの力を込めて鈴木を男から引き剥がそうと、震える足に力を込める。
足元で男がうめいていた。
これ以上鈴木に攻撃させてはいけない。
俺のどこにこんな力が隠れていたのか。鈴木の腕を引っ張り、じりじりと男との距離を離す。
足元の男が起き上がろうと顔を上げた。そこにいたのは、隣のクラスの相賀だった。その表情は恐怖と痛みでひきつっていた。
相賀が動いたからか、鈴木がまたもや無表情のまま、相賀に向かって行く。せっかく引き離したのに、俺を引きずって距離が縮んでいく。
「鈴木!」
「ひっ!」
喉の奥で空気を飲む音が聞こえた。相賀が後退りする。
俺も恐怖で足がすくみかけた。俺の力では、これ以上鈴木の動きを止められない。
一か八かの賭けに出るしかない。恐怖で押しつぶされそうなりながら、俺は鈴木と相賀の間に立った。
「鈴木!」
両手を広げ、鈴木の前に立ちふさがった。鈴木の拳が上がる。殴られる!俺は咄嗟に目をつむった。
しばらく待った。いや、時間的にはそんなにかかっていないかもしれない。痛みもない。音もない。
「あれ?まーくん?」
緊迫感の欠片もない間抜けな声がする。恐る恐る目を開けた。
そこにはいつものへらへらした鈴木がいた。
「・・・・・・鈴木。」
力が抜けて、その場に座り込んでしまった。決して腰が抜けたわけではない、断じて。
「まーくん、大丈夫かあ?」
相変わらず脳天気な物言いに、少しカチンとくる。だが、背後で相賀が動く音がした。
「塩見・・・・・・。」
情けないか細い声が聞こえた。振り返ると、青ざめた顔で俺を見ている相賀と目が合った。俺と鈴木の顔を交互に見て、ジリジリと後退る。
「塩見・・・・・・。」
もう一度俺を見た。青ざめた顔色が見る見る間に朱が差し、やがて真っ赤になった。
「塩見、お前の、お前のせいなんだからな!」
血走った目で俺を見てまくしたてる相賀に、憐れみすら覚えた。
「お前が!お前が!」
相賀の声に、鈴木が一歩詰め寄る。その動きに、大げさなほどびくっと身体を震わせて口をパクパクさせる。
俺は鈴木の方をちらっと見て、小さく首を振った。鈴木は小さく肩をすくめて、少し離れた階段に腰を下ろした。俺は鈴木をを背にして、相賀に近寄った。殴りかかろうとしても届かない、でも小さな声がぎりぎり聞こえる絶妙な距離まで。そして、うずくまっている相賀を見下ろす。
「塩見・・・・・・。」
きっと俺には勝てると踏んでいるんだろう。俺を見ている瞳には怯えの色が薄まる。確かに、腕力では叶わないだろうな。ふん、まあそれは認めるしかないか。
「どういう了見で真田くんを狙ったのか分かんないけど、キミがやったことは立派な犯罪だから。」
俺の台詞に、相賀はびくっと肩を震わせた。
「な・・・・・・何を。」
「僕が、何の証拠もなしにこんなことを言う訳無いだろう。」
ズボンのポケットから、スマホをちらっと見せる。
「屋上位の高さなら、写真で顔認識できるんだよ。今のスマホの画素数も高いし。」
目を見開いて、相賀が俺を見る。
「キミが真田くんを狙って、植木鉢を落としたのは知っている。証人は僕と鈴木くんの二名。しかも、今回が初めてじゃない。」
相賀の額に汗がにじむ。
「植木鉢がもしも真田くんに当たっていたら、ケガでは済まない。打ちどころが悪けりゃ、死んでたんだよ。」
激昂も興奮もせず、敢えて静かに淡々と語る。この方が効果的だからだ。
「キミ、下手すりゃ殺人犯だ。まあ、当たっていなかったから、殺人未遂。な?立派な犯罪だろ?」
「そ、そんなつもりは・・・・・・。」
潰れたヒキガエルのような声で、相賀は小さく反論した。これを待っていたんだ。俺は心の中でにやりと笑った。
「『そんなつもりはなかった』?そんな言い訳が通用するとでも思っているのか?二回もやっといて?」
「あ、で、でも・・・・・・。」
「『でも』?何?一度でも、事故扱いにはならないのに?二回もとなると、これは計画的犯罪だよな。しかも、殺意が感じられる。悪質な。イタズラなんかじゃ済まされない。」
「あ・・・・・・。」
相賀は小さく口を開けたまま、黙ってしまった。気温も湿度も高い日なのに、顔からは血の気が失せて真っ青になっている。
「この屋上には植木鉢はない。とすれば、誰かがわざわざ持ってきて、誰かを狙ってここから落としたということになる。これは故意だ。事故なんかじゃない。明らかな意図を持って行動した。」
もう相賀は何も言えなかった。
「証拠はそろっている。全てを警察に提出すれば・・・・・・まあ、これ以上は言わなくても分かるよね?」
つい、にっこりと笑ってしまった。だが、それが決定打となり、相賀はがくんとうなだれた。
少しの間、屋上は静寂に包まれた。グラウンドの体育の声が小さく聴こえてくるほどに。
「・・・・・・でも、僕としては穏便に済ませたい。」
相賀の肩がピクっと動き、のろのろと顔を上げ、すがるような目で俺を見た。相手を屈服させたようなこの気持ちはゾクゾクしてくる。口元が緩むのを、必死で押さえ込む。
「そこで提案があるんだが。」
俺はその場で膝をついた。視線の高さを揃えてやる。そして更に小声になって、じっと相賀を見る。相賀は必死に何度も首を縦に振っている。
「15、16で前科者は辛いよな。少年法はあるが、こと殺人未遂では適用されにくいし。」
俺のダメ押しに、更に必死の形相で相賀が首を振る。
「僕と鈴木くんは、今回のことは黙っていよう。その代わり。」
俺は顔を相賀に近付ける。本当はこんな奴の近くになんか行きたくないんだが。だが、俺の計画のためには仕方がない。
俺はさっきよりももっと小声で、でもはっきりと聞こえるように相賀に
「その代わり、鈴木のしたこと、僕の噂、全てを忘れろ。僕たちに二度と絡むな。」
相賀が必死に頷く。
「約束、守ってくれるよね?」
今度は敢えてにっこり笑ってみせた。さっきから相賀は壊れた首振り人形のように、ずっと頷いている。
「もちろん、約束を破ったら、証拠を持って警察へ行く。そしたら、晴れてキミは犯罪者だ。と同時に全てのSNSにキミの顔写真付きで全てを晒す。警察では
少年法を守ってくれるが、SNSではキミに人権はない。キミの罪は白日のもとに晒される。」
真っ青になって首を横に振っている。パクパクと金魚のように口を開け、何かを言おうとしているが、声にならなかった。
「あ、ちなみに。」
もう顔も見たくない。こんなゲス野郎の顔なんか。俺は立ち上がりながら、言葉を続ける。
「仮に、僕のスマホを盗んでも、証拠が消せないから。既にクラウドにデータを送っているから、スマホ以外からでもアクセスできて、すぐに公表できるしね。」
もうこれで大丈夫だろう。俺は鈴木の元へと戻っていった。今度は鈴木を言いくるめなくては。
「鈴木くん。行こう。」
何か言いたそうな鈴木の背中を押して、俺はとりあえず屋上を後にした。そして、六階の男子トイレに鈴木を押し込む。
「まーくん、オレ、ションベン出ないよ。」
・・・・・・全く。すっとぼけた奴だ。
「鈴木くん、ここで相談しておこうよ。」
「ああ、そういうことか。」
さっきの相賀の前にいた鈴木と同一人物なのか、疑いたくなるこの緊張感のなさ。まあ、さっきのはいわゆる「ブチ切れた」状態なんだろう。
「あのね、鈴木くん。」
話かけた途端、鈴木が俺の顔を覗き込むようにじっと見る。そして、へらっと笑う。
「まーくん、さっきみたいにさ『鈴木』でも良いんだよ?」
ぎくっとした。ヤバイ!一瞬、素の自分が出たようだ。
「何のこと?」
「ん~、まあ、俺としては『智輝』って呼んでもらえる方が、しっくりくるんだけどね。」
へらへらとしているくせに、意外と聞いていたのか、コイツ。くそ!俺は心の中で小さく舌打ちした。
この話を長引かせても仕方ないし、きっと言いくるめられないだろう。面倒だ。だが、心のどこかで、ムカつく以外の気持ちがある。認めたくはないが。
ふーっとため息を一つ吐く。そして、できるだけゆっくりと鈴木を見て、できるだけ穏やかに微笑む。
「そうだね。徐々にね。」
肯定も否定もせずに話を終わらせる。こう言えば、相手は自分の良いように勝手に解釈してくれる。案の定、鈴木もしまりのないへらへら顔を俺に向けた。それを合図に、俺は話を進める。
「でね、とりあえず、相賀くんには二度とこんなことをしないように話した。鈴木くんが殴ったり蹴ったことも、周りには話さないよう約束してもらった。」
簡潔に静かに話す。ふんふんと頷きながら聞いている鈴木が、ニヤッと笑った。
「そんなに穏やかに話してたようには見えなかったけどな。」
俺は何も言わずににっこり笑ってみせた。これで悟れよ、脳天気男。
「そういや、スマホを見せたけど、何か撮ってたの?」
俺のズボンの右ポケットを指差す。
「ああ、これ?」
俺は自分のスマホをポケットから出し、カメラ画面を見せる。
「あれ?何にも写ってないじゃん。」
俺のスマホをいじり、写真を探しながら言う鈴木に、俺はふふっと笑った。
「考えてみてよ、鈴木くん。あんな一瞬で、スマホを取り出し、カメラを起動させて、写真撮るようなこと、できる?」
スマホを返してもらい、ポケットにしまう。
「でも、じゃなんで、相賀にスマホを見せたんだ?騙したの?」
「騙しただなんて人聞きの悪い。」
思わず、にやっと笑ってしまった。
「スマホを見せただけ。画素数の話をしただけで、僕は一言も『写真がある』なんて相賀くんに言ってないよ。『証拠がある』とは言ったけれど、それは『写真』だと言ってもいないし。」
鈴木はきょとんとした顔をしている。ああ、もう!鈍い奴だな!
「つまりね、鈴木くん。僕は嘘は一言も言っていないよ。でも、相手が勘違いしやすいように話題を振っただけ。」
「なるほど。」
ようやく分かったようで、鈴木はケラケラと笑う。バカでかい声で笑うものだから、慌てて鈴木の口を手で塞ぐ。そして、人差し指を口に当て、小声で制す。
俺と鈴木はトイレの奥で身を潜ませ、廊下の音を聞く。幸い、誰かが鈴木の声を聞きつけてやってくることはなさそうだ。だが、トイレは意外と音が響きやすい。長居をせずに、簡潔に話を済まさなければ。
「とにかく、相賀くんは二度と真田くんに手出しはしない。だから、鈴木くんもこの話は絶対に黙ってて。じゃないと、鈴木くんのしたことが明るみにでてしまうから。」
「オレのしたこと?」
「うん。僕が行った時には、既に相賀くんが倒れてて、何があったかまでは断言できないけれど、鈴木くんが相賀くんに暴行を働いたことは間違いないと思う。」
「暴行?オレが?」
コイツ、やっぱり覚えていなかったか。
「きっと、我を忘れるほど頭にきちゃったんだろうね。だから覚えていないのかもしれない。でも、事実のようだよ。」
俺の言葉を他人事のように聞いている鈴木に、俺はできるだけ優しく穏やかに小声で話す。
「そう・・・・・・かもしれないな。前にも殴っちゃってたし。てっちゃんに止められたけど。」
初耳だった。
「殴ったって、それはいつのこと?」
鈴木は「ん~?」と言いながら指を顎にあて、宙を見上げた。目をぱちぱちさせて、しばらく思い出そうとしていて、何度か「ん~?」と言った後、
「多分、ゴールデンウィークの後?席替えする前だから。」
首を傾げながら言う。
その時期だとしたら、相賀の行動の変化に合致する。確か、隣の教室で俺のことを真田に話していた時だ。あの場にコイツもいた。そうすると、相賀の挙動不審は真田を見てビビってんのかと思ったけれど、あれは鈴木を見ておびえたのか。そして、それを俺のせいにして、真田のせいにして。
あやふやだったことが俺の中で一本の線になった。要は単なる逆ギレじゃないか、あのゲス野郎。
「とにかく、このことはお互いに忘れよう。もう真田くんも大丈夫だろうし。」
「そう、だな。」
「このことは真田くんには内緒に。」
「そうだよなあ。てっちゃん、ああ見えて気にするタイプだもんな~。」
手を頭の後ろで組み、伸びをする。コイツ、意外と侮れないかもしれない。
その時、三校時の終了を告げるチャイムが鳴った。
俺たちはそそくさとトイレから出て、移動教室の生徒たちに紛れる。そして、そのまま化学教官室に鈴木を引きずりながら向かう。当然教室に戻るルートとは違う廊下を選んでいるから、同じクラスの奴等には会うことはない。
「失礼します。」
汚く薄暗い教官室のドアの前に立って、ノックする。奥の方から「入れ。」
という声がする。
俺と鈴木はドアを開けると、中から薬品とタバコの混ざった独特の臭いがした。
俺はドアの傍で教師を待つ。嫌々やってきている鈴木は俺の後ろでヒマそうに足首を回したり、キョロキョロしている。肘で鈴木の脇腹をつついて、目配せをする。と、一応神妙な顔をして、ごそごそ動くことはやめた。
「葛城先生、すみません。」
奥から葛城が頭をボリボリかきながらやって来る。
教師というよりは、オタクなマッドサイエンティストという方がしっくりくる。ボサボサの頭によれよれの白衣。白衣と言ったが、白い所はほんのわずかで、色んな薬品がかかったのかシミだらけだ。素足にサンダルで、ぺったらぺったら音をさせて近寄ってきた。
「何だ?3組の塩見と鈴木か。」
驚いた。この教師、授業中に他のことをしていても一切注意しないから、生徒に無関心なんだと思っていた。授業だけの付き合いで、俺たちの名前と顔を覚えているなんて思っていなかった。腐っても教師ってことか。
「さっきの三校時の授業ですが・・・・・・。」
「ああ、塩見の体調が悪いとかで、鈴木が保健室に付き添って行ったんだろ?真田から聞いたぞ。」
真田の奴、意外と気が回るじゃないか。
ここは謙虚に、しおらしく謝っておこう。下手に突っ込まれても後が面倒だ。
「・・・・・・そうです。授業に来られず、すみませんでした。」
「まあ、体調が悪かったんだから、仕方ないだろ。体調管理も大事なことだぞ。」
教師らしく注意する葛城に、弱々しく一礼した。一応体調が悪かったわけだから、元気に返事をしてはマズイ。
化学教官室を出て、教室に向かおうとする俺たちの背に
「まあ、血色も良いから、体調管理は行き届いているようだ。次の授業もがんばりなさい。」
と葛城の声がして、すぐにドアが閉まった音がした。
・・・・・・バレていたか、サボりだと。
「まーくん、バレちゃったね。」
鈴木がニヤニヤしながら言うのを、じろりと睨みつけ、教室に戻った。
この後、相賀は俺たちを避け続け、学校を休みがちになった。まあ、自業自得ってことで、同情の余地は微塵もない。約束は守られているようで、俺の話も鈴木のことも誰も知らないようだ。
もちろん、真田を狙う奴もいないから、俺たちの日常は戻ったようだ。真田の不注意からのトラブルは相変わらずだが。
いや、一つだけ、変わったことがあった。
誰よりも夏休みを楽しみにしていた脳天気男の夏休みはほぼ壊滅したことだ。俺の予定も聞かないままに、夏休みの計画を勝手に立てて、その立案者が来れないなんて迷惑極まりない。
まあ、俺の期末の成績が予定よりも低かったから、夏季講習を入れている俺としては、最初から参加する気はなかったけれども。
でも、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、残念に思っている自分がいるのは、きっと思い過ごしだろう。
何せ、俺は群れるのが嫌いなんだから。
お人好しと無神経な二人に、まとわりつかれて迷惑してるんだから。
SIDE C
「鈴木くんって、友達多いよね。」
よく言われる。
「智輝って、何言っても怒んねえしな。」
確かにそうだ。
「チャラいしね。」
そう、なのか?
「ともきん、おもしろいじゃん。」
だろ?
これがオレに対する人からの評価。自分で納得することも多い。
でも、こいつら二人は違う。てっちゃんとまーくん。
高校に入って、出席番号が二つ前と一つ前になった二人。それまでは中学が違うし、入っていた部活も違うから会ったこともなかった。
偶然一緒のクラスになっただけなのに、なぜか居心地が良いんだ、この二人といると。
今までは特別仲のいい友達も、一緒に行動するグループもなかった。無理に作らなくたって、いつもオレの傍には誰かがいたし、誰かが話しかけて、それでみんなが集まってきてわいわいしていた。
中学の時の担任にも、
「鈴木くんはみんなと仲良く出来て良いんですが・・・・・・。」
と三者懇談でまず言われ、その後成績の話になるという話の流れが三年間、担任が変わっても続いていたくらいだ。
でも最近、オレ自身も知らなかったオレを知る機会があった。
どうやらオレはキレるとヤバイらしい。全く覚えていないんだが、まーくんの悪口を言った奴(名前・・・・・・なんだったっけ?)を殴りつけたらしい。
「らしい」っていうのは、オレ自身、殴ったことを覚えていないから。てっちゃんがその場にいてオレを止めたらしい。あとから聞いて、何で右手が痛かったのか理由が分かったというほどだ。
逆に言えば、特別に仲が良い友達っていうものを初めて持ったのかもしれない。他のやつらと話をするのも楽しいし、女の子と話をするのも好きだ。でも、てっちゃんとまーくんの傍にいるのは、そういう「その他大勢」とではないんだよな。誰でもいいってわけじゃなく、「てっちゃん」と「まーくん」じゃなきゃダメっていうか。
「鈴木くん、やめてくれないか?」
オレがまーくんの頭に顎をのせると、大抵そう言われるけれど、振り払われるわけじゃないから、いつもそのまま。だって、高さがちょうどいいんだもん。
「智輝、お前、いいかげんにしろよ。まーくん嫌がってるだろ?」
ガタイがでかくて、目つきの悪いてっちゃんが睨むと、みんな怖がるけれど、
オレは全く怖くない。まるで、小言をいうオカンみたいで笑ってしまう。
「笑ってんなよ、智樹。」
ますますオカンだ。怖がるやつらの気持ちが分からない。
オレの腕の下で、わざとらしいくらいに大きなため息をつくまーくん。大人しくて人当たりが良いようだけど、オレにはそう思えない時もある。それが逆に心地いいんだよな。
それにしても暑いなあ。
汗が顎を伝ってくる。
ったく、一人だからって、冷房切りやがって。
窓を開けているけれど、風が止まっているから涼しくもない。
まーくんは、今頃、冷房がガンガン効いたところで夏期講習か。
てっちゃんは、この炎天下の中で、上手くもない野球の練習か。てっちゃん、野球好きなのに、下手なんだよな。
まーくんの状況はうらやましい。夏期講習じゃなかったらもっといいな。てっちゃんの状況は、全くうらやましくない。炎天下の練習よりは、教室にいる方がまだましか。
「はあ~。あちいよ~。帰りてえよ~。」
オレ以外誰もいない教室で、オレの声が響く。
テキストでぱたぱた扇ぐが、一向に涼しくならない。腕が疲れて、余計に暑苦しい。
「あ~、分かんね~。」
机の上のプリントは白紙のままだ。授業は寝てたから、全く分からない。
何だよ、モルって。モルモットの親戚か!?
・・・・・・自分で言ってて、あまりのくだらなさに、余計に暑さが増した感じがした。
一応教科書はあるが、開く気にもならない。
イスの背もたれにどっかともたれ、イスを前後に揺らす。頭の後ろで手を組んで、
「帰りてえよ~!」
と叫んだところ、突然教室のドアが開く。
「こら、鈴木!さっきからうるさいぞ!」
数学の臼井が怒鳴る。びっくりして転びそうになるのを、すんでで体勢を保った。
「うわ!臼井ティーチャー!突然びびった~!」
「何がびびっただ。真面目にやれ!補習だぞ!」
オレの前までやってきて、腕を組む。数学教師というより体育教師のようなガタイの臼井は、今の時期、見るだけでも暑苦しのに、セリフも暑苦しい。
「だってさ、センセー、分かんね~んだもん。解ける訳ないじゃん。」
すると臼井は、ふうっとため息をついて、オレの教科書を開き、
「ここを見て解け。計算問題は公式に当てはめろ。」
と、指をさして言う。
「センセー、暑くってやる気出ないよ。冷房、つけてくれよ。ね、センセー!頼むよ。」
ダメ元でお願いしてみたら、
「全く、しょーがねえなあ。」
臼井は頭をボリボリかきながら、ポケットからリモコンを取り出し、エアコンを作動させた。
「センセー、ありがと!」
「全く。鈴木、これでがんばれよ。」
窓を閉めるように言って、臼井は教室から出て行った。
これでまた一人になった。
そう。一学期の期末が悪くて、オレの夏休みは補習で消えた。
夏休みは遊ぼうと思っていたのに、オレの計画はパーだ。
だが、オレは諦めちゃいない。絶対に遊んでやる!てっちゃんとまーくんと。
「うっし!とりあえず、このプリントをやるか!」
涼しくなってきた教室で、オレは気合を入れる。夏はまだまだこれからだ。