彼らの日常
Side A
「……またかよ」
よくあることながら、つい口に出てしまった.
溜め息が漏れる。
自販機の前でたたずんで、自販機を睨んだ。
コーヒーを買おうとお金を入れたのに、なんの反応のないままお金だけ吸い込まれてしまったのだ。
「……なんで自販機に寄付せにゃならんのだ。」
自販機を蹴りたい衝動に駆られていたが、ひと欠片の理性で踏みとどまる。
「……はぁ……。」
溜め息を吐き、オレは学校に向かおうとした。けれど、悔しさがこみ上げる。
「……っくそ!」
飲みたかったコーヒーのボタンを拳で殴った。
「……仕方ない、な。」
諦めて学校に向かうことにした。
こんなことはよくあることなのだ。
幼馴染みはオレのことを「不幸体質」だという。
つまづく、犬の糞を踏む、物が頭に落ちてくる、なんてのは最早不幸ではなく、日常茶飯事。
「てっちゃん、ホンマによく生きてるよな〜。」
高校で同じクラスになった友人に、ケラケラ笑われながら言われても、怒りもないほど、オレにとっては日常なのだ。
小銭を落とす、購買で買おうとした物が目の前で売り切れる、なんてこともよくあること。
そんなオレの今までの人生の中での最大の不幸は、高校入試当日だ。
「徹弥、やっぱりどこのバス会社も運休?」
夜勤明けの母が、あくびを噛み殺しながら台所から声をかける。
第一志望高校入試当日。
いつもは降っても積もらない雪が、何年か振りに積もり、交通機関を麻痺させた。
『…線は現在運転を見合わせています。…』
ニュースで女子アナが淡々と交通機関の不通を告げる。速報では、あちこちのバス会社の運休が流れている。
「うん。無理だね。」
「やっぱり、電車もバスも動かないのね。」
母がオレの弁当を作りながら聞く。
ため息をつくが、どうしようもない。
一応、昨晩の天気予報で雪が降りそうだとは聞いていたから、バスで20分かかる距離を歩いて行くことを想定して2時間以上前に家を出ることにしていた。
「大丈夫?気をつけて行きなさいよ?」
「行ってきます!!」
玄関先でオレを見送る母に、照れくさくて顔を見ずに大急ぎで家を出た。
多分、それがいけなかったんだろうな。
家を出たすぐで、慣れない雪道で盛大にすっ転んだ。
水分を多く含んだ雪は、踏みしめるとシャーベット状になり、滑りやすくなっていた。
「道で滑ったら、きっと試験では滑らないから。」
「滑る」「転ぶ」という受験生の禁句ワードに動揺したのか、ぶつぶつ自分に言い聞かせて足を一歩前に出して、足が雪に埋まり、また転ぶ。
頭から雪溜まりに突っ込んで、マフラーの隙間から背中に雪が入って
「っひゃ!」
と叫び声を上げ、雪かきしている人に笑われる。恥ずかしくてその場から逃げようとして、また転ぶ。
何度転んだか数えるのも腹立たしくなった頃、
「あっ!」
転んだ拍子にかばんの中身を道路にぶちまけた。
弁当箱も派手に転がっていく。幸いにも中身はぶちまけなかったが、弁当箱を開けると阿鼻叫喚な風景が展開されることは予想できた。
「っくそ!」
かじかんで感覚がなくなった手でかばんの中身を拾い、無造作にかばんに放り込む。手袋はしているが、既にびしょびしょで、役目を果たしていない。靴の中にも雪が入り込み、靴下も制服もドロドロだった。
(最悪だよ…!)
悔しくて、やるせなくて、このまま帰りたくなった。
(でも、オレはこの高校に行きたいんだよ!)
唇を噛み締め、また一歩踏み出し、高校に向かう。
やっとのことで高校についた時には、頭から足先まで雪まみれの泥まみれのずぶ濡れで、高校の先生が慌ててタオルを持ってきてくれたほどだった。
この時、試験の受付の20分前。
「受験票を見せてください。」
タオルを持ってきた先生に言われ、かばんを開けた。
「……ない!」
人生の中で、「血の気が引く」という言葉を実感したのはこの時だった。
「ない!ない!」
かばんの内側のポケットにいれていたはずの受験票は、ポケットはもとより、参考書の間、別のファイルの中、かばんのあらゆるところを探し、ひっくり返して振ってみたが、受験票は出てこない。
「持ってくるのを忘れたの?」
「いえ、確実に今朝、かばんに入れたんです!」
朝、母に「受験票は入れたの?」と聞かれ、何度も確認したのに……。
「どこかで落としたのかな?」
と聞かれ、思い出したのは転んでかばんの中身をぶちまけたこと。
「…探してきます!」
高校の近くでぶちまけたはずだから、今から行けば間に合う!
オレはダッシュでその場から向かった。
「もし無かったら、再発行するからね!」
高校の先生の声が背中に聞こえたけれど、その時のオレには聞き取る余裕は無かった。
何度も転びながら、他の受験生から笑われながら、オレはさっきの場所にたどり着いた。
辺りを見回す。
だが、雪と同じ真っ白の受験票はなかなか見つからない。
手がかじかんで感覚がなくなるのも構わず、必死で雪をかき分ける。
「ない!ない!」
泣けてきそうだった。人生初のパニック。
雪道を這いずり回って探すオレの肩を誰かが叩く。
「何だよ!」
反射的にその手を払い除け、顔を見た。
「なあ、アンタ。探してるの、これじゃね?」
別の中学の制服を着た男が、オレの目の前に白い紙を突きつける。
その紙には、緊張した表情のオレの写真が…!
「それ!オレの!」
半ばひったくるようにして受験票を受け取り、オレは駆け出した。
(まだ間に合う!受験に間に合う!)
腕時計を見ながら、そして相変わらず転びながら、高校の門が見えた時に、
「あ!」
オレの受験票を拾ってくれた人に、お礼を言うのを忘れていた事に気付き、後ろを振り返ったが、
「……いない…。」
そこにはもう誰も居なかった。
しばらくキョロキョロと目で探したが、見つからなかった。
「……試験が始まるわよ~!」
受付の高校の先生が大声でオレを呼ぶ。
慌てて受験会場に向かった。
こんな大変な思いをして挑んだオレの第一志望は、雪のために試験開始が遅れたにもかかわらず、かじかんだ指が思うように動かなくて得意な国語で時間が足りなかった。藁にもすがりたくて、ポケットに手を突っ込んだ。入れたはずのお守りもなくなっていた。動揺したまま苦手な数学に突入した段階で、夢の砕けた音が聞こえたような気がした。
「…で、第二志望の学校で、それなりに楽しんだから、まあ、良いよな。」
つい口に出てしまった。自分を慰める言葉。でも、今は本当に楽しいんだ。
「…真田くん、何をブツブツ言ってるの?」
「え!?」
ふいに声が聞こえて、キョロキョロするが、見えなかった。
「あげるよ!」
みぞおち辺りに硬い物が当たり、下を向いて、やっと分かった。
「…まーくん!」
「まーくん」こと塩見雅宏が、むくれたように下を向いて、オレに何かを差し出していた。
「ごめん!まーくん!」
オレより30センチ位低い位置にいるまーくん。背が低いことを気にしているのは分かっているのに。
「……いらないのか?」
オレの目の前に突き出したのは、さっき自販機で買おうとしていたコーヒー。
「鈴木くんが、さっきくれたんだけど、僕、このコーヒー飲めないから。」
「あ、いる。」
なんて偶然。
不幸続きだけど、たまに、ほんのたまに、神様が気まぐれでこんな些細な幸運をくれることがある。
「あ、ありがと、まーくん!」
オレにコーヒーを押し付けるように渡してくれたまーくんの背中にお礼を言って、追いかけた。
Side B
「てっちゃん、これ、どういう意味?」
後ろで声がして、俺の前の奴が振り返る。
「だからさ、智輝、今、前で説明してんじゃん。聞けよ。」
「あ、そっか~。」
間の抜けた声が後ろからする。
本当に腹が立つ。
俺を挟んで会話をするなよ!
「でさ、てっちゃん。」
けらけら笑いながら、俺の後ろからまたもや声がする。
後ろの奴―鈴木智輝―が俺を無視しているわけじゃない。
俺の頭の上で会話をしているんだ。
そして、更に腹の立つことに
「まーくん、ごめんな。」
俺のコンプレックスを分かっているのをアピールするかのような真田徹弥のセリフ。
そして、話しやすいように頭を下に向けてやっている俺自身にも腹が立つ。
真田も鈴木も、高校で一緒になり、たまたま同じクラスになった。特別仲が良い訳ではない。たまたま、席が前後になっただけだ。
真田も鈴木も、おそらく俺よりも30センチ高いから、視界が重なりにくいらしく、こんなことがよくある。
「僕の頭の上で会話をするのをやめてくれないか?」
一度、勇気を振り絞って二人に言ってみたが、
「そんなこと、気にすんなよ〜」
と、1番気にして欲しい脳天気バカの鈴木に言われ、
「ごめんな、まーくん。気をつけるよ。」
と、一見良い人だが、本当はあんまり考えていない真田に言われた。
で、結局状況は変わっていないので、俺の勇気は無駄だったわけだ。
俺は無駄な努力はしない。
諦めるほうが楽だ。
そして、無駄な期待もしない。
「まーくん、コレ、あげるよ。」
朝、登校途中で鈴木が言いながら、俺の頭に硬い物を置く。
鈴木の無神経さに、いちいち腹を立てても仕方ないが、置かれた硬いものが頭に当たり、ちょっと痛かったことにはむかついた。
もちろん、顔には出さないが。
「…鈴木くん、なに?」
「さっき、自販機でジュース買ったらさ、何か当たったみたいでさ。」
ペットボトルのジュースを飲みながら、へらへら笑って言う鈴木に、少しずつ苛立ちが募る。
「でも、オレ、コーヒー、あんま好きじゃないんだよね〜」
缶コーヒーを俺の目の前に差し出してきた。
「だから、まーくんにあげるよ〜」
あげると言いつつ、強引に受け取らせ、へらへら笑いながら、前を歩いて行く何とかさんっていう、クラスで1番可愛いって言われている女の子に向かって声をかけて言った。
女の腹黒さや底意地の悪さを知らないおこちゃまな男は、憐れだね。
俺は、心の中で憐れんでやるというより、ほくそ笑んでいた。
自分でも、俺自身の腹黒さには呆れている。
本音を言えば、こんな俺は嫌だ。
でも、こんな俺を作ったのはアイツ等だ。俺は生きていくために俺の中で「俺」を作った。
…朝からこんな憂鬱なことを考えさせた鈴木に腹が立つ。心の中で舌打ちをする。
そして、自分の手の中のモノを見た。
どうしようか…。
俺、コーヒーは無糖以外飲めないんだが、この缶コーヒーは砂糖もミルクもたっぷり入っている。こんな甘いモノを飲んだら、気持ち悪くなってしまう。かと言って、捨ててしまうのはまずい。捨てているのを誰かに見られるとまずい。
…仕方ない。持って帰って捨てるか。
誰にも分からないようにため息をついて、缶コーヒーをカバンにしまおうとしていたら、下駄箱前で真田が佇んでいた。おまけに、何かブツブツつぶやいてて、正直怖い。
こいつ、たまにぼーっとしてるんだよな。
最初、目付きが悪いから睨んでんのかと思ってビビってたら、ただぼーっとしていただけだったことを知ったときの俺の吉本ばりのズッコケは、自分でも笑えてくる。もちろん、心の中での話だが。
しかし、図体のデカイ奴が佇んでいるのって、本当に邪魔なんだよな。
本当に、今日は朝からイライラすることが多い。
デカイ真田を避けて通ろうと足を一歩出した時、昨日のことを思い出した。
放課後。
忘れ物をした物理教室からゆっくり戻って来た時、隣の教室から声が聞こえた。
普段なら、絶対に気に留めないんだが、俺の名前が出て、思わず足が止まってしまった。
「…昨日たまたま塩見と同じクラスだった奴に会ってさ。」
足がすくんで動けなくなった。
「でさ、そいつが言うには、塩見ってクラスの中で浮いてたらしいぜ」
けらけらと笑いながら言う奴の声は聞き覚えがあった。確かに同じクラスになったことはなかった。だが、俺のクラスによくやってきては色々喚いていたうるさい奴だっだ。確か、名前は…相賀。
廊下にも響くバカでかい声で、俺は黙って聞いていた。
「浮いてたってより、クラスの中で嫌われてたっていう方が正しいかな〜」
…っクソ!
無意識の内に拳を握りしめていた。
「…何が言いたいんだ?相賀。」
「だからさ、同じ部活のオレとしては、忠告してやった方が良いかな〜って思ってさ。」
「忠告?」
「そそ、忠告。」
顔を見なくても分かる。ニヤニヤしながら言っているのが。
拳に一層力が入る。
「塩見って奴と、あんま関わんない方が良いんじゃないかな〜ってさ。」
奥歯がぎりっと音をたてた。
こんなカスのために、俺の尊厳が奪われるなんて。
でも、俺の足は一ミリも動こうとしない。
「だってさ、嫌じゃん。嫌われてる奴と仲良くして、巻き込まれたらさ。」
頭の芯から冷えてきた。
「だから、同じ部活のメンバーのよしみでさ、教えてあげよって思ったわけよ。オレ、優しいからさ。」
拳の中で爪が食い込む。身体が凍り付いたように固まってしまった。
「ふ〜ん。そっか。教えてくれて、ありがとな。」
ビクッと身体が震えた。
期待していたわけじゃない。
奴も、相賀と同様の下衆なだけだ。心を許していたわけじゃない。
「オレは自分で友達を選ぶよ。」
「真田?」
「お前みたいなことを言う奴は、信用できない。付き合いは浅いけれど、まーくんの方が信用できる。」
「真田!」
「よく知りもしないでペラペラと話すような奴は、友達でも何でもない。お前がゲスな奴だって教えてくれてありがとな、相賀。」
真田の言葉で氷が溶けたみたいに身体の力が抜けた。へたり込みそうになって踏ん張る。
泣き出しそうになってる自分に腹が立つ。でも、心の中には何か温かいものがこみ上げそうになる。
その時、こちらに近づいてくる足音に気付き、転びそうになりながらその場から逃げた。
背中で、何か鈍い音が聞こえた気がしたけれど、気にしている余裕はなかった。
多分姿は見られていないはず。俺、逃げ足には自信があるから。
昨日のお礼だ。
ちょっと…いや、かなり嬉しかったから。
俺は、真田の方へ近寄っていった。
「…真田くん、何をブツブツ言ってるの?」
Side C
「おーい、トモキン。これ、食うか?」
「あ、いるいる!」
「ねえねえ鈴木くん、昨日言ってたやつってこれのこと?」
「そそ!それそれ。おもしろいんだよな~。」
「おい、智輝、そろそろ行かなきゃ、間に合わないぞ!」
「あ、てっちゃん、待ってくれよ~。」
「あ、鈴木くん、またね~。」
「鈴木~、あとでな~。」
「うん、またね~。」
色々声をかけてくるやつらにまとめて手を振り、てっちゃんを追いかける。
「智輝、急げって!」
小走りで先を急ぐてっちゃんが振り返り、手招きしている。反対の腕の中には、自分とオレの二人分の教科書とかがあるのを見た。
ダッシュでてっちゃんに追いつき、飛びついた。
「てっちゃん、さんきゅ~。」
「わ!バカ!転ぶだろ!」
というが早いか、目の前でてっちゃんは転んだ。もちろん、オレは無問題。
「てっちゃん。だっせぇ~!」
腹を抱えて笑うオレに、
「お前のせいだろうが!」
睨みつけながら言うてっちゃん。
前に「真田って目付き悪いじゃん。お前、怖くないの?」って聞かれたけど、どこが怖いんだ?
「はい、真田くん。」
どこから来たのか、まーくんがオレとてっちゃんの教科書やら筆箱やらを拾って持ってきてくれた。
「さんきゅ~。まーくん。」
受け取ると同時に頭に腕を置く。腕を置くのにこの高さがちょうどいいんだ。
「……鈴木くん、やめてくれよ……。」
優しい言い方をしているが、むくれているのは知っている。それが面白いんだ。
「智輝、時間やばいんだって。磯村が来る前に準備しとかないと!」
週番は、授業の準備もしなくちゃいけないんだが、物理の磯村は5分前に来るから、5校時の予鈴前には準備を終える必要がある。だからてっちゃんは急いでいるんだが。
「ってか、週番はお前なんだから、急げって!」
人のことにこんなに一生懸命になっているてっちゃんはすごいと思う。
「あ!」
てっちゃんが物理室の扉をくぐろうとしたところに、教室名が書かれたプレートが頭に落ちた。
「……っく~!いってぇ!」
それを見たオレは、やっぱり腹を抱えて笑ってしまう。
「って、てっちゃん、ホンマによく生きてるよな~。」
てっちゃんこと真田徹弥は「不幸体質」で、いろんなことが起こる。ある意味生きていることが奇跡なんじゃないかって。
で、対してオレは、結構ラッキーなことがある。
アイスとかくじとか、ちょこちょこ当たるし。拾い物にも幸運があるようだ。例えば、道端に落ちていたお守りを持って入試に行ったら、前の日に見ていたところが出題されて、担任から「無理だよ。」って言われた高校に合格して、「よく受かったね!」ってびっくりされた。
まあ、日頃の行いがいいからね、オレは。
放課後になり、教室で週番日誌をつけていると、ユニフォームを着たてっちゃんが入ってきた。
今日は珍しくアンラッキーだ。もう一人の週番が風邪をひいたとかで休んでるんだからな。
だから、大人しく、日誌を書いているわけだが。いつもは書かない。もう一人が書いてくれるからな。
「智輝。珍しく真面目に書いてるじゃん。」
「てっちゃん。代わる?」
「嫌だよ。オレ、先週だったんだから。」
「っちぇ。冷て~の。」
「バカ言ってんなよ。あと少しだろ。早く書いて、先生んところへ持って行けよ。」
って、そんなこと言いながら、オレが書き終わるのを待ってくれているてっちゃんって、やっぱり優しいんだよな。
「てっちゃん。部活、終わったのか?」
「うん。今日はミーティングだけだったから。」
雨が降っているから、野球部は練習できないもんな。オレは、サッカー部を自主的に休憩しているんだが。
オレが書き終わるのを待っている間に、てっちゃんは着替えていた。律儀にも、丁寧にユニフォームを畳んでバッグに入れている。見かけによらず、生活力があるっていうか、女子力があるっていうか。
「終わったのか?」
ぼーっと見ていたら、怪訝な顔をしているてっちゃんに声をかけられた。
「てっちゃんってさ、無駄に生活力あるよな。」
「はぁ?」
「生活力ってか、女子力?」
「はぁ!?」
「ユニフォーム畳んでさ。そんなん、適当に突っ込んでたら良いじゃん。」
「だって、きれいに畳んでおいておけば、次に着る時に楽だろ?」
「え〜。そんときゃそん時だよ。めんどくさいじゃん。」
「智輝さ、面倒くさがってやらなくて、結局あとで、『しまった〜!』ってなるだろ?」
「あ〜。確かにね〜。」
「だから、先のことを考えて行動するんだよ。」
「でも、まぁ、何とかなるし。」
「……確かにな。いつも、何故か何とかなってるよな。」
てっちゃんはすごいよな。ホントに。オレ、何も考えてねえからな。
「てっちゃんはすげえな。」
「はぁ?」
「真面目に考えて行動してんだよな、いつも。」
「な、何だよ。急に。」
あ、耳が真っ赤になった。
「顔怖いって言われんのにね。」
「顔は関係ないだろ!」
むくれて教室を出ようとしたてっちゃんを追いかけて、オレも日誌とカバンを持って行く。
てっちゃんをからかうと面白いんだよな。すぐむきになるし。でも、根に持たないから、
「てっちゃん、待ってくれよ。一緒に職員室へ行こうぜ。」
って言ったら、ため息ついて待ってくれるんだよな。
職員室に向かおうとしたら、
「あ、真田、真田!」
隣の教室から声をかけられた。
「なんだよ。」
「まあまあ。ちょっと話あんだよ。」
ちらっとこちらを見て、てっちゃんが入っていく。オレも一緒に入っていく。
「なんだよ、相賀。」
小さくため息をついているてっちゃん。相賀ってヤツは気付いていないのか、ニヤニヤしながらこっちを見ている。
……なんか、ヤな感じだ。
「何だよ、相賀。オレ忙しいんだけど?」
「まあまあ。そう邪険にすんなって。」
こいつ、蛇みたいな奴だな。ニヤニヤしてるけど、目が笑っていない。獲物を物色しているみたいな目をてっちゃんに向けている。
「はあ。」
今度は大きく、分かりやすくため息をついた。
何だ、こいつ。
「お前らのために、教えてやろうと思ってさ。お前らが、無事に楽しい高校生活を送るためにもさ。」
「なんだよ、それ。」
「お前らのクラスの奴のことでな。ちょっと情報を入手してさ。」
「……。」
「ほら、情報は共有してこそじゃん。『ほうれんそう』っていうじゃん。」
「『報告・連絡・相談』ってのだな。」
てっちゃんがあからさまにため息をついた。めんどくさがってるのが分かる。
「てっちゃん、行こうぜ。」
オレにしては珍しく気を使って、てっちゃんの背中をつついて小声で言った。
「……とりあえず、聞くだけ聞いておこう。」
オレにも相賀にもそう言う。相賀が更にニヤついてむかつく。
「真田の同じクラスに塩見っているじゃん。」
「まーくんのことか?」
「そう。え~っと、アンタは。」
「オレはてっちゃんと同じクラスの鈴木。」
「ああ、アンタが鈴木か。」
相賀がオレを頭からつま先までジロジロと見る。
何だ、こいつ。
むかついて身体が前に行こうとした途端、てっちゃんの肘がオレの腕に当たる。てっちゃんを見ると、小さく首を振っていたから、とりあえず近くにある机に腰掛けた。
「塩見が何だって?」
「そうそう。塩見のことな。」
相賀のニヤけついた顔を見るのが嫌で、オレはそっぽ向いたまま聞いていた。
「オレさ、塩見と同中でさ。まぁ、一緒のクラスになったことがないんだけど、昨日たまたま塩見と同じクラスだった奴に会ってさ。」
「……。」
「でさ、そいつが言うには、塩見ってクラスの中で浮いてたらしいぜ」
「なっ!?」
声を上げて笑っている相賀にカチンときたが、てっちゃんがオレの腕を掴んだ。そして、オレの前に立ちふさがって、目の前にはてっちゃんの背中と後頭部。
「浮いてたってより、クラスの中で嫌われてたっていう方が正しいかな〜」
「…何が言いたいんだ?相賀。」
てっちゃんの肩が震えているのが見えた。耳がだんだん赤くなっていく。
「だからさ、同じ部活のオレとしては、忠告してやった方が良いかな〜って思ってさ。」
「忠告?」
「そそ、忠告。」
「塩見って奴と、あんま関わんない方が良いんじゃないかな〜ってさ。だから、同じ部活のメンバーのよしみでさ、教えてあげよって思ったわけよ。オレ、優しいからさ。」
「……。」
「だってさ、嫌じゃん。嫌われてる奴と仲良くして、巻き込まれたらさ。」
「……ふ〜ん。そっか。教えてくれて、ありがとな。」
「えっ?」
てっちゃんの言葉に、オレは耳を疑った。
「オレは自分で友達を選ぶよ。」
「真田?」
相賀がきょとんとした表情になった。
「お前みたいなことを言う奴は、信用できない。付き合いは浅いけれど、まーくんの方が信用できる。」
「真田!」
みるみるうちに相賀の顔が真っ赤になっていった。
「よく知りもしないでペラペラと話すような奴は、友達でも何でもない。お前がゲスな奴だって教えてくれてありがとな、相賀。」
「こ…こ…こ…。」
「じゃあな。」
くるりと踵を返して、てっちゃんが教室を出ようとした。オレも一緒に出ようとした背中に
「このヤロ。せっかく教えてやったのに。オレを馬鹿にするなんて。」
先程までのヘラヘラ声とは違う怒りに満ちた声。
振り返ると、怒りで顔を真っ赤にした相賀がてっちゃんを睨んでいた。
「オレを馬鹿にするなんて。絶対に許さない。真田、お前を部活にも学校にもいられなくしてやる!あることないことぶちまけて!」
次の瞬間、オレは自分でも気付かないうちに拳を握り締め、気が付けば、相賀が鼻血を出して倒れていた。
「智輝!」
てっちゃんが慌ててオレを羽交い締めにする。
「な……な……!?」
オレの足元で、相賀が口を金魚みたいにぱくぱくさせていた。
「……オレさ、あんま人を攻撃しないんだけどさ。」
「……。」
「オレ、てっちゃんもまーくんも好きなわけよ。大事なわけよ。」
「……。」
「大事なダチをバカにするようなヤツは、全力で潰す!」
「…っひ!!」
今度は相賀の顔が青ざめていた。色々忙しいヤツだ。
「次は、一発じゃ済まないからな。」
「智輝!分かったから!もう行くぞ!」
羽交い締めにしたまま、てっちゃんがオレを教室から出した。廊下の向こうから、担任が歩いてきた。
「鈴木くん!日誌が遅いから見に来たんだけど。」
「中村先生。これです。」
てっちゃんが日誌を担任に渡す。そっか、担任の名前って中村だったっけ。
「ありがとう、真田くん。」
中村はこっちを見て、
「鈴木くん。今度はもっと早く持ってきてね。」
と言い残し、パタパタと足音をさせて職員室に戻っていった。中村の姿が見えなくなると、
「……っはあ~、焦った~。」
てっちゃんが脱力してその場にへたり込んだ。
「てっちゃん?」
「智輝、お前怒ったら怖いんだな。」
顔をくしゃっとして笑っている。
「そう?」
「うん。びびったよ。」
「オレもびっくりした。」
「ん?」
「オレ、あんなに怒ったこと、今までになかったからさ。」
「そうなのか?」
「うん。」
「お前、怒るとものすごい表情になるのな。」
「ものすごい表情?」
「うん。殺すかと思ったよ。そんな顔だった。」
「まっさか~。んなわけないじゃん。」
「だよな。」
さっきまでの怒りはどこへ行ったのか、オレの頭の中から「相賀」はすっかり消えていた。
翌日。
起きて顔を洗おうとして、右の拳が痛くて、青くなっているのにびっくりした。
「そういや、人殴ったんだっけ。」
洗面所でぼーっとしていると、
「バカ兄貴!そこ、早くどいてよ。」
中二の妹―夏樹―がオレのケツに蹴りを入れる。
「いってぇ!」
最近色気づいたのか、髪のセットに時間がかかるらしい。オレからすれば、違いは全くわからないんだが。
「智輝、早くごはん食べて行きなさいよ!」
「母さん、分かったって!」
「そうだ、バカ兄貴。さっさと行けよ!」
「夏樹、アンタは口が悪い!」
「……へ~い。」
「返事は『はい。』でしょ。」
「…は~い。」
夏樹と母さんの朝からのケンカを聞きながら、朝ごはんをほおばって、家を出る。
「……喉、渇いたな。」
急いでいたせいで、喉が渇いていたことに気付き、自販機を探す。
「お、オレの好きなのがあんじゃん。」
ジュースを買い、取り出し口に手を突っ込むと、ペットボトルの隣に缶の感触があった。
「ん?」
両方取り出す。
「お、ラッキーじゃん。」
やっぱオレって、ラッキーだよな。うん。
でも、コーヒーは正直、あんまり好きじゃない。
「どーすっかなあ。」
缶コーヒーを見ながら歩いていると、目の前にまーくんがさっさか歩いていた。
「まーくん、おっはよお。」
まーくんの頭に腕を置く。
そうそう。この高さがちょうどいいんだ。
「まーくん、コレ、あげるよ。」