6.英雄
「という訳なのですが、お分かり頂けましたでしょうか?」
「は、はぁ? えっと……」
後ろに雑然と立ち並んだ友人に視線を送ると、皆が無言で首を横に振った。それこそ全力でブンブンと。お前らはアニメの世界の住人かと、尋ねたくなる程に。
「……いえ、さっぱり」
「そうですか、ではもう一度説明します」
すると目の前の女性は、本当に同じ説明を、再び一から始めた。
まず彼女はターバン男の秘書であること。ターバン男は中東で原油の輸出や採掘の利権を握る一族の人間であること。それと共に、熱心な宗教家であり、教団内でも大きな力を持っていること。その教団が終末の世という事態に憂いていること。
そこまでは大丈夫だ。色々と大丈夫じゃないが、認識は出来る。
でもその後の話が、全く分からない。
「神の前では全てが平等です。そして、我々一人一人が神と結びついています」
「それが貴女達の宗教観であるということは、理解、もとい認識しました」
気付けば皆を代表し、僕が話を進めることになっていた。こういう嫌な役は、昔から僕に押し付けるんだ、あいつらは。
秘書の女性が満足そうに頷く。
「結構です。そして私たちは、あの隕石を神の御使いだと認定しました」
「隕石が……神の御使い?」
全てが冗談のような現状の中、彼女の言葉を重々しく繰り返す。
残念ながら理解は長期休暇を取っていて、暫くの間、戻って来そうにない。担当者不在のまま会話はなされる。
「そうです。人間を作ったのが神であるのなら、また人間を壊すのも神」
「なるほど。えっとそれで何故、大輔を――」
「なぜ神は、御使いを放たれたか!」
秘書の女性は僕の言葉を遮り、淡々と、しかし力強く言う。
僕の顔は軽く引き攣った。
「それは今、この世界が神の御意志通りではないからです。神の前では、例え我らの預言者であろうと一人の人間に過ぎず、他の信徒と区別はありません。人の上に人を置かない世界、それが我らの世界であり宗教なのです」
「は、はぁ、なるほど……」
相手にも愛想笑いと分かる表情で応じる。宗教に興味のない人間が、宗教の話を熱心にされる時の表情が、僕の顔にありありと表れていた。
秘書の女性は構わず続ける。
「そこで神は、我らを試そうとなさっている」
「はい?」
「つまりは笑いです」
「え~、先程もそうですが、そこに論理の飛躍がありまして、ちょっと私では」
僕がお役所然とした回答をすると、ターバン男が歩み寄り、僕の肩に親しげに手を置いた。視線を向けると、いきなり野球のスイングをして見せる。
直後、何故か爆笑。白い歯をこぼして、もの凄い爆笑。生中東人の生爆笑だ。
「今、主が示された通りです」
秘書の女性が冷静に事態を説明する。だが、その説明が全く分からない。
理解はバカンス中に事故に巻き込まれ、病院に搬送。現在、集中治療室だ。ひょっとして……息絶えるかもしれない。
こんな訳の分からないことを思い浮かべる辺り、いよいよ自身に対する纏まりを失いかけているようだ。慌てて口を開く。
「いや、だからですね――」
「いいですか? 神の前で人が平等であるように、笑いの前でもまた平等なのです」
「は、はい?」
「そこで私たちは、笑って神の御使いを迎えなければなりません。そして示すのです。私たちの世界は、このように平等に溢れていると」
思わず片手で頭を支えた。手術を終えた医師が額に浮かんだ汗を拭いながら、僕に微笑みかける。手術は成功しました、理解は息を吹き返しそうです。
二度目の説明で、言っていることは何となく見えて来た。だがその考えの受け入れを、僕の常識が頑なに拒んでいた。
――笑って隕石を迎える? 何の冗談だ? 終末の日本で流行してるオカルト系の新興宗教だって、もう少し真面なことを言うぞ。
「イサム君。この女の人、ちょっとヤバくない?」
「あ、あぁ、そうかもしれな――」
香が心配してか、僕に近づいて囁く。それに首肯し言葉を返そうとすると、目の前の女性が拳でも握らんが勢いで、高らかに言い放った。
「そして私たちは、ついに救世主を見つけたのです!」
僕はそこに狂信者の姿を見て、思わず一歩後ずさる。「え? きゅ、救世主?」と、香も若干引き気味だ。
そんな凡人の僕らは一顧だにせず、彼女は手の平を大輔へと恭しく掲げた。
「そう! 尾瀬大輔様です!」
「は? 俺?」
その場にいた人間が一斉に視線を向けると、大輔が間の抜けた顔で自分を指した。困惑と疑惑がない交ぜになった冷たい感覚が過ぎ去ると、僕は更に混乱する。
――大輔が……救世主?
「な、なぜ大輔なんですか?」
「はい、我が主がこちらの動画を見た時に、ピンと来られたと仰ったのです」
かろうじて理性を保ちながら尋ねると、秘書の女性が何処からともなくタブレット端末を取り出し、一つの動画を再生した。
目の前に差し出された画面に目を向ける。
「宇宙のバックスクリーンまで飛ばすわよ! ブラスタァァァホーームラン!」
ザンブラスターが、宇宙怪獣から放たれた隕石を打ち返すアニメのワンシーン。それが何故か、
「……え?」
「これ!? 大ちゃんじゃん!?」
落ち着いて眺めてみても、矯めつ眇めつしても、それは香の言う通り大輔だった。ザンブラスターが大輔の姿に代わっていたのだ。無駄に加工の技術が高い。二次元に三次元をぶち込んだにしては、よく出来ている。
音声は従来通り女性のもので、大輔がオカマみたいになっているが……。と、こういうのを得意な奴がいたことを思い出し、悪友どもに疑惑の眼差しを向ける。
「……おい、なんだこれ」
すると「あ」の形に口を漫然と開いていたタカちゃんと竜也が、ゆっくりとお互いの顔を見合った。直後、悪戯がばれた子供のような表情で「うは」と笑う。
「いや~実は竜也と一緒になって、巨大掲示板に『隕石から地球を救う方法を見つけた』って題名のスレを立てたんだよ」
「は? 巨大掲示板に?」
後頭部に片手を添え、照れ顔となって内実を語るタカちゃん。
「おう。それで、『ブラスターホームランで打ち返すんだ』って書いたら……なっ、竜也」
「う、うん。それが結構な反響でさ」
即座に秘書の女性はタブレット端末を操り、その掲示板を僕に掲げて見せてくれた。淀みない所作に、恐縮しながらも内容を確かめる。
『私たちは救世主を見つけました。その名はアホです』
『というかブラスターホームランって何?』
『やべぇな、このままじゃ人類助かっちまうじゃん』
暗い話題が多い中、一縷の希望を感じさせるタイトルに惹かれたのか、はたまたネタをネタとして楽しみに来たのか、様々な書き込みが見られ、コメント数もかなり膨らんでいる様子だった。どうやら“ 何とか速報 “というまとめサイトでも紹介されたらしく、その記事も秘書の女性が画面に表示してくれる。
「で?」
弁解を求めるような目を悪友たちに戻す。だが二人は反省するどころか、功績を讃えられているかのように照れ笑いを浮かべていた。竜也が口を開く。
「いや~~、それで面白くなっちゃったから、大輔がブラスターホームランを練習している所を撮って……。ねっ、タカちゃん」
「おう。それをyourtubeにアップしたら、またまた大反響でさ」
再び秘書の女性がタブレット端末を操る。今度は編集されていない、尾瀬家の敷地内で大輔がバッドを振る、僕らにとって馴染み始めた光景が動画再生された。
そして、ちょっと……というか、かなり変だと思っていた大輔の打法は、コメント欄上で『なよ腰スイング』と呼ばれ、親しまれている(?)ことも判明した。
ひどくもったりしていて、腰が全く入っていない。へっぴり腰に近い状態だ。その上、大層なよなよしている。『なよ腰スイング』の名前のもとにその打法を改めて見ると、思わず吹きそうになる。
やがて動画はインタビューっぽい物に代わり、タオルで汗を拭っている大輔を映し出した。画面下に、「何をしているんですか?」と、テロップが現れる。
「は? あぁ、ブラスターホームランの練習を……」
付き合わなくてもいいのに、それに真面目に応じる大輔。
続いて「隕石を打ち返す自信はありますか?」とテロップは続く。大輔が太い眉毛を僅かに上げる。一呼吸の間を挟んだ後、はにかんで――
「えぇ、まぁ」
動画を見ていた僕と香の口内の空気が「ぶはっ」と破裂する。
大輔の顔は、困難を予想しながらもそれを謙虚にやり遂げてみせる、そんな確信に満ちた、職人的なものだった。場違いが極まっていた。
二人して吹き出していると、ターバン男は僕らの状態に感激した様子で、僕の手を、次には香の手を握った。「生中東人と君も握手」状態を堪能すること暫し。
そんな僕らを満足そうに眺めながら、秘書の女性が確信を深めた表情で告げる。
「コレです。大輔様には人を笑わせる才能があります。どれ程の一流コメディアンにも、そこには作為があります。人を笑わせてやろうと。しかし大輔様には、そういったものがないのです。大真面目にやった行為で、人を笑わせる才能がある」
何を言っているのかは、相変わらずよく分からない。が、幼馴染が微妙な褒め方をされていることだけは分かった。
それから秘書の女性は、大輔のブラスターホームランが「NEVERまとめ」で動画と一緒に記事として纏められていること。「隕石 地球を救う方法」とサーチエンジンで検索すると、その記事が上位表示されることを僕らに明かした。
またその記事をターバン男配下の情報収集部隊が見つけ、休憩時間に笑い転げていた結果、ターバン男の知るところとなったという、至極どうでもいい経緯も。
実際に香が携帯で検索してみると、その記事は本当に上位表示されていた。ゴーゴルも、ヤホー先生も苦笑いだろう。ちなみに記事をまとめたのはタカちゃんで、先に見せられたザンブラスターのアニメを大輔の姿に編集したのも彼だった。
「ははは。いや、楽しくなっちまったからさ、つい」
とはタカちゃんの言葉だ。大輔がブラスターホームランの練習を始めてから二週間も経っていないというのに……世界のスピードに、僕は頭が痛くなった。
「それで、大輔をどうするおつもりですか?」
当人である大輔はポカンとして、事の成り行きについて行けない儘に話は進む。僕がヤケクソ気味に尋ねると、秘書の女性は眼鏡の縁を摘まんで目を光らせた。
「貨幣が意味を失いかけている現在でも、我々には教団という組織と共に、この世の様々な快楽を提供可能な――現実的な力があります。その射程距離は広い。言うならば、終末の世で出来ないことは限りなく少ないのです。そこでありとあらゆる手を駆使し、現存しているメディアを利用して、大輔様を祀り上げるつもりです。この世の救世主として……」
言葉が意味を失った記号的な羅列となり、僕の頭の中でルンバを踊る。
教団。快楽。終末の世。メディア。大輔が救世主。
本当に意味が分からない僕は、どうにでもなれという気持ちで「はぁ」と応じた。その反応を無視し、秘書の人が続ける。
「つまり! 我が教団が上層部をコントロール出来るメディアが、一斉に書き並べるのです。『隕石をブラスターホームランで打ち返す英雄現れる。その名はDAISUKE』そして時にコミカルに、時に酷く真面目な文体で英雄の登場を演出します。それがどういう状態かというと、企業がエイプリルフールに全力でフザけている様子を見たことがあるかと思います。所謂、“公式が病気”というタグです。今後、大輔様にまつわる情報は、すべて公式が病気です!」
そのように一度に捲くし立てられる中、僕はふと想像してみた。
「大輔が……英雄?」
若干肥満体形で、なよ腰スイングで、美人に弱くて、年齢イコール彼女いない歴で。変に純情だから未だ童貞の、二十代後半の大して若くもない男が……。
『人類の英雄、その名はDAISUKE! ブラスターホームランで隕石を打ち返す』
生前のロダンに見せたらインスピレーションを与えそうな、頭を抱える人となって僕は立ち尽くす。いくらなんでも無茶苦茶過ぎる。世も末だと思いながら、そういえば終末であったことを思い出した。いや、しかし、それは何でも……。
「善は急げです。人類に残された時間は残り僅か! 一時も無駄には出来ません。既にヨーロッパ方面の番組やメディアは抑えてあります!」
そこで秘書の女性がこの話のまとめに入るべく、声を張り上げた。
「さぁ大輔様! すぐにヘリにご搭乗下さい!」
「えっと……つまり、俺は何をすればいいんですか?」
当事者である大輔は、分かったような、分からないような顔で尋ねた。むしろそれが当然の反応だ。ここで全てを理解したら、それはもう大輔ではない。
「尾瀬大輔さん、貴方は隕石を打ち返す自信がありますか?」
「はぁ、まぁ……一応は」
その根拠が何処からやってくるのか甚だ疑問だが、大輔は冗談は殆ど言わない。幼馴染だから分かることだ。だから、本気でそう思っているということになる。
「結構! では私たちが、最高のスタジアムを用意します。さぁ、急いでヘリに乗って下さい! 今日から貴方は人類の英雄です!」
僕らを余所に、大輔を主役とした良く分からないドラマが一方的に展開していた。ふと気付けば、ターバン男はSP然とした男性らと共に、ヘリに乗り込もうとしていた。目が合うと白い歯をこぼし、チャーミングに笑う。
反応に困った僕はひとまず笑顔を作ろうと試みる。が、全然上手くいかない。
当事者であり英雄候補であり、客観的に云えば拉致られ中の大輔が、秘書の女性に案内されてヘリへと向かう。
「えっと……じゃあ、ちょっと行ってくるわ」
そして乗り込む直前、コンビニに赴くかの如き気楽さで、実質的に最後となる別れの挨拶をした。扉が閉められ、轟音と共にヘリがふわりと浮く。
そうして汗でビタビタのしもむらTシャツを着替えることもなく、大輔は僕らの前から姿を消した。挨拶を返し忘れていたのに気づいたのは、ヘリが視界から消えるのを呆然と見送った後のことだった。
「ねぇ、大ちゃん拉致されちゃったよ? 本当になんだったの?」
香の問い掛けに応えられる者は、誰一人としていなかった。




