5.襲来
「さ~~て! あ、よかったら掃除手伝うよ。私、何すればいい?」
香は先程までの雰囲気を引きずることなく、その場に軽やかな性格を与えようと、殊更に明るい声でそう尋ねた。
それから僕は香と二人で、参道や境内、本堂などの掃除を済ませた。いつもなら午前一時から初めて三時半に終わる仕事が、三時少し前には片付いていた。
訪ねてくる度に、香はこうして寺の掃除を手伝ってくれた。その気遣いが恋を経由して来ているのか、今の彼女の人格から直接来ているのかは判然としないが、僕の胸は切なく打たれた。そして、盗み見る彼女はやはり美しかった。
「ふぅ、香のおかげで早く終わったな」
「どう? 結構役に立つでしょ? あっ、この後イサム君はどうするの?」
本堂前。掃除道具を片づけた香が、何かを期待するような目で見てくる。
「ん? あぁ、大輔ん家に戻ろうと思う」
香から視線を外し、頬を掻きながら答えた。
「そういえば、大ちゃん達と毎日遊んでるんだっけ? 家には戻ってないの?」
「遊んでるっていうか、大輔の部屋に入り浸ってるだけだよ。アイツらといると、気楽だし。家には……たまに帰る程度かな。帰っても誰もいないから」
我が家に誰もいないことは、再会した時に話していた。両親には両親の生き方があり、情念がある。そのことを否定しようとは思わない。
「そっか。でも大ちゃん家か……あっ! ねぇ、私も一緒に行っていい?」
「え?」
驚きながら香の顔を見ると、彼女は無邪気に微笑んでいた。
寂しさと並んで、無邪気さが、僕の心をざわつかせるとも知らないで。
「別にいいけど……部屋は汚いし、男四人でダラダラしてるだけだよ」
「あぁ、全然平気。私、ハウスダストアレルギーとかないし、久しぶりに大ちゃん家に行くのとか、想像するだけでも楽しいし!」
『大ちゃ~~ん!』
大ちゃん。先程もそう呼んでいたが、昔から香は大輔のことをそう呼んでいた。そんなことを思い出していると、
「ねっ、行こ?」
香が僕の手を取った。久しぶりに女性と触れたことで僕の胸は高鳴ったが、それが嬉しいのかどうかは分らなかった。
それから二人、徒歩で十分と満たない距離にある大輔の家へと向かう。
気恥ずかしさと危なっかしさもあり、石段を下る前に香とは手を離していた。
「もう、素直じゃないんだから」
苦笑で受け流し、重厚な薬医門を抜け、長い参道から寺の敷地外に出る。
「あっ!? イサム君、見て、見てっ!」
促されて視線を向けた。寺の外、市道を挟んだ向かいには公民館があり、公園が隣接していた。小学生の頃、香と幼馴染の三人を合わせた五人で、よく遊んだ公園だ。終末の世界にも関わらず、小学生くらいの子たちが元気に遊んでいた。
「懐かしいなぁ。この公園で皆で遊んだよね」
「ん……。あぁ、そうだな」
「あっ、そういえばさ――」
昔話に花を咲かせながら尾瀬家に戻ると、大輔は相変わらず敷地内で、何かしらの守護神のようにバットを振り回していた。
「よぉ、大輔。精が出るな、ブラスターホームランは出来そうか?」
「あれ? おぉ、何だ、もうそんな時間か。掃除おわっ……って? えぇ!?」
大輔が手を休め、首にかけたタオルで汗を拭いながら、何気なく僕の方を向く。すると奴の瞳は驚愕に見開かれた。
「やほっ! っていうか大ちゃん、何でバットなんか振ってるの?」
「え? あ、いや……その……お前、香か?」
ちなみに大輔は美人に弱い。勇んで助ける癖に、美人と対面するとしどろもどろになる。愛すべき童貞だ。それは小学校の頃から変わらない。香が痩せて奇麗になると、おどおどしていたことをよく覚えている。
「ふふっ、相変わらずだね。それにしても久しぶり、元気にしてた?」
「え、あ、そ、そうだな。ってか何? お前、何でイサムと一緒なの?」
大輔は混乱しているように、僕と香を交互に見た。古典的かつ、典型的な動揺スタイルを欲しいがままだ。思わず香と顔を見合わせる。そこで彼女はニィと企みを秘めた顔で笑い、僕の右腕を両手で取った。
「え~~? どうしてかなぁ? ねぇ、イサム?」
「君をつけろよ、君を、っていうか腕を取るな、腕を」
「お前ら……仲いいな。って――」
そんなことをしていると、何処か遠くからバタバタと、空気を激しく打つような、小さくも力強い音が聞こえた。条件反射的に僕らは空に視線を向ける。
空の彼方。雲一つない青の中に、一台のヘリコプターの姿が見えた。
「イサム……あれって自衛隊か?」
「え? でも迷彩柄じゃないよ。マスコミか何かじゃない?」
大輔の質問を香が引き取って、代わりに答える。
僕は無言でヘリを眺めた。一時期はマスコミのものと思われるヘリが上空を旋回していたこともあるが、それも絶えて久しい。
三人で呆けたように眺めていると、遥か彼方に認めたヘリコプターの姿が、徐々に大きくなっていく。それに比して、独特のプロペラ音も。
「ねぇ、イサム君。何かアレ、ここら変に着陸するっぽくない?」
「いや、それはさすがに……」
答えあぐねていると、背後で玄関扉の開く音がした。サンダルが地面をパタパタと打つ音に振り向くと、竜也とタカちゃんが此方へ駆けてくる。
「おいおい! なんだよこの音?」
「あれ? おぉ、まさか香!? 髪切った? 久しぶりだな~戻って来てたんだ」
タカちゃんが誰にともなく問いかける一方、竜也は視界の内に香の姿を見出し、そちらの方に驚いているようだった。
「たっちゃん、久しぶり!」
「うわ、たっちゃんって懐かし過ぎだろ。何、元気にしてた?」
「うん、元気してたよ。たっちゃんも元気そうだね」
竜也が香と挨拶を交わしながら近づく。遅れて気づいたタカちゃんは、「マジ!? 香か!?」などと、大げさなリアクションで驚きを露わにしていた。
「お前、また何か変わったなぁ。でも、何だ、前より今の方がいいぞ」
「本当? ありがとう。私も今の自分、結構気に入ってるんだ。でも本当に四人一緒にいるんだね。あっという間に幼馴染五人大集合だ」
「お前は微妙に幼馴染じゃないけどな」
「あはは、酷~い。私もちゃんと人数にいれてよ」
その間にも、ヘリコプターが徐々にこちらに近づいてくる。竜也が僕と大輔と肩を並べると眉を顰め、先程の香と同じような疑問を呈した。
「あのヘリ、地上とかなり近いよね? ここら辺に着陸するのかな?」
その言葉に、再び揃って空を仰ぐ。
「ここら辺に着陸って言っても……なぁ、イサム」
「あぁ、流石にそんなことは……」
だが僕らの予想を裏切り、ヘリは大輔の家の前に延びる県道に着陸した。
その光景に僕らは息を呑む。終末の世界で色んなことに慣れたとはいえ、現実に対し、上手く馴染むことが出来ずにいた。やがてヘリの扉が横に滑り……。
「へ?」と竜也。
「おぉ!?」とタカちゃん。
「え?」は僕。
「はぁ?」と大輔。
ヘリの中からは現れたのは、ざっくりと言ってしまえば中東風の恰好をした初老の男性だった。頭にターバンを巻いている。その男がSP然とした外国人男性二名に先導され、機内から姿を見せる。皆一様に浅黒い肌をしていた。
「え? 何この事態?」
僕らの感想を代表し、香がそう呟く。
当のターバン男は僕たちを認めるとニカッと微笑み、不用心にも近づいてきた。
「ちょ、な、何かくるよ!? イ、イサム君!?」
僕らは慌てふためき、何かしらのリアクションを取ろうと試みた。だが油断なく周囲を確認するスーツ姿の男たち――二人が放つ気迫に苛まれ、その場に縫い付けられたように動けなくなる。
そんな中、ターバン男は僕らの中から大輔を認めると感極まった声を上げ、
「ブラスターホームラン!」
ネイティブとも少し違う発音で叫び、バッドを振る仕草を見せた。害の無い笑みを張り付けながら大輔に歩み寄り、奴の手を両手でしっかりと握る。
「えっと、おいイサム。これって、何の冗談なんだ?」
「いや……僕に聞かれても」
その混乱の最中、続いて日本人と思われるショートカットの女性が機内から姿を現した。いかにも秘書と云った風貌の、スーツ姿のメガネの女性。
年齢不詳な彼女がツカツカと歩み寄ると、大輔に向ってこう尋ねる。
「尾瀬大輔さんに相違ありませんね?」と。