2.幼馴染
体の節々に痛みを感じながら目覚めると、既に太陽は南中の高みにあった。
「ん……」
開け放った南側の窓から陽光が降り注ぎ、キツネ色のフローリングが照り輝いている。覚醒した途端に、むわっとした、男部屋の慣れ親しんだ臭いが鼻を衝いた。
床に直接背中を預けた態勢で、よく熟睡出来るものだと自分でも驚くが、人間は何事にも慣れる生き物だ。また、例によって呑みすぎた筈だが、二日酔いに見舞われることもない。これは昔からの体質だ。
そのまま痛む肩や腰をストレッチしながら起き上がると、視界の内にテレビモニターに張り付き、ごそごそと何か作業している二人の幼馴染を認めた。
「あれ? 大輔は?」
「おぉ、起きたんだ。おはよ~さん。大輔なら外でバット振ってるよ」
尋ねると、竜也が嫌みのない、スポーツマン特有の爽やかな笑顔を向けた。
元銀行マンの平澤竜也は、高校を卒業した後も趣味で陸上を続けるような、根っからのスポーツマンだ。
短髪でシュッとシャープな顔立ち。贅肉のない筋肉質な体。実は弱いメンタル。酒で酔っ払うと一番面倒な奴だが、まぁそこが可愛くもある。
「はぁ? バットって……まさか」
「なんだイサム、お前、心当たりでもあるのか?」
続いて頭を掻きながら呟くと、タカちゃんがテレビの裏から人の良さそうな顔を覗かせた。尾瀬孝好――通称タカちゃん。
彼は大輔の兄にあたる人だ。でも年齢が一つしか離れていない為、昔から僕らと一緒になって遊んでいた。人当たりの良い性格で、僕らの良き兄貴分でもある。
大輔と同じで少し太っているが、顔はSNAPの香取信吾朗に似ている。性格的にもモテそうなもんだが、奥手な所があって恋人は随分前からいない。職業は、今こそ稼働していないが、両親が経営する溶接所の手伝いをしていた。
「心当たりっていうか、昨日二人が寝た後、『隕石を打ち返せる気がする』とか大輔が言いだしてさ」
「ふ~~ん……って、おい待て、隕石をか? どうやって?」
タカちゃんが呆れたような困惑したような顔で尋ねた。まぁ当然だと思う。
「いや知らないけど、なんかブラスターホームランでどうとか」
答えながら立ち上がり、南側の窓から外を覗く。人家の少ない山の端。目の前には県道が走る尾瀬家の敷地内で、大輔が金属製のバッドで素振りをしていた。
暫し唖然とする。まさかブラスターホームランの練習をしている訳でもないよなと、その光景を見ながら考えた。
大輔は地元の車関連の企業で、高校卒業後からラインマンとして働いていた。また中学高校は竜也と同じ陸上部に所属し、砲丸投げの選手として活躍してもいた。その為か、未だに体力だけはある。
体には、でっぷりとした中性脂肪を蓄えているが……。
「そのブラスターホームランってなんなの? ってかタカちゃん、その配線ここじゃない?」
大して興味もなさそうに、竜也が背後から問いかけてくる。竜也はサブカルチャーに対する関心が薄く、小学生の頃もアニメをそんなに見ていなかった。
「お、おぉ悪い。あれだろ? 確かザンブラスターかなんかの技だろ? ちょい竜也、悪いけどこれ持ってて」
それに大輔ほどではないが、サブカルチャーに詳しいタカちゃんが応じる。
「あ~そうそう、そのザンブラスターの技なんだけど……」
返答しようとした僕の言葉は、自然と途切れた。外にいる大輔が素振りを止め、どこか一点を眺めている。気になり、その視線の先を追うと……。
県道を挟んだ反対側。黒髪の女の子が、三人組の外国人と思われる暴漢に追われていた。その子が足を縺れさせ、その場に転倒する。
何というか、よくある光景だ。実際にこれまでも何度か見かけた。
視線を大輔に戻すと、大輔はバッドを持ったまま駆け出していた。
「あ~~~~~~~。なんだ、二人とも、大輔が死んだら困るよね」
大輔の後ろ姿を目で追いながら、あまり感情を込めず、そっけなく尋ねる。
「大輔が死んだらって……あぁ、また女の子助けようとしてるの?」
「ん~~~、どうもそれっぽいな」
竜也の疑問符に、振り返らず応じた。
大輔は昔から妙に正義感が強かった。道徳が麻痺しがちな終末の世でも、暴漢に襲われている女の子を助けようと躍起になっている姿を、これまで何度も見た。
当初は大輔のその姿勢に、眩しい何かを見たような気もする。自分だけで手一杯な状況下で、人を思いやれる姿に。大輔は昔からそういう奴だ。
だが終末を前にして、徐々に悪い方向に変化していく自分の存在は否定し難かった。自分たちに関係のない人間の生き死に、どんどん無関心になっていく。
心を痛めることが多すぎたのかもしれないし、人間なんて、実はその程度のものなのかもしれない。勿論、僕を基準にするつもりはない。ただ、ナチスの強制収容所を生き延びた心理学者も、著作の中で同じようなことを言っていた気がする。
そんな状態であるからこそ、今尚、大輔が女の子を助けようとしている姿を見ても、内心で複雑な思いを抱いてしまう。
――よくやるよな、と。
それは僕だけじゃなく、他の二人にとってもそうだし、殆どの人間にとってそうじゃないかと思う。終末の世界で、下心なしに、人の為に何かをするなど。
でも……だからこそ僕らは、大輔のことを密かに尊敬してもいるのだけど、それを三人とも口には出せないでいる。と、僕は思っている。
「一対三だし、大輔、マジでやばいかもな~」
あまり緊急事態ではないかのように僕は告げた。
暴漢は多分、ブラジル系の外国人だ。車関連の下請けが多い地元では、よく目にした人種。三人の内二人は鉄パイプのような物を持ち、もう一人は女の子の腕を捕えていた。下卑た笑いを浮かべているのが、遠目でも見て取れる。
「でもまぁ、それで死んでもアイツは本望だろ。女の子守って……って、どう竜也? 画面に何か映った?」
タカちゃんの声に、思わず振り返った。
先程から何に苦心しているのかと思えば、二人は昔懐かしのファミコソを取り出し、テレビに配線を繋ごうとしているようだった。
終末が迫りくる状況下でも、電気やガス、水道といった生活インフラは国営の元に機能していた。ゴミの収集や下水処理といった地方行政サービスも、縮小しながら実施されている。テレビやインターネットも通常通り使えた。贅沢こそ言えないが、食料に関しては国による配給制度で賄われていた。
初期には混乱があり、現在も電気使用量などに制限がある。完全には、以前の生活通りとはいかない。しかし、僕らがこうして不自由なく生活をしていられるのも、その裏で自らの職務に忠実たらんとしている人のお陰なんだろう。
その人達にはその人達の、終末を舞台にしたドラマがあるんだろうが……それはまた別の話だ。自らの職務を放棄した僕には、ただ感謝の念しかない。
「ん~~何か一瞬映った気がしたけど、また切れちゃったよ」
竜也の声に思考を現実に戻す。その後も二人は配線をいじったり、カセットをガチャガチャ動かしたり、本体とカセットを繋ぐ個所をフーフー吹いたりした。だがその努力も虚しく、ゲームが始まる気配はない。
「あ~~やっぱダメか。こりゃ大輔呼んでくるしかないな」
「ん? 何で?」
タカちゃんが上げた諦め交じりの声に、竜也が応じる。
「いや、前もファミコソやろうとしたことがあったんだけど、アダプタの接触とかが微妙で、アイツがそこら変、なんか上手いんだよな」
「でもそんなの、適当にガチャガチャやってりゃ動きそうじゃん」
実際にそれから竜也がガチャガチャ動かしたり、アダプタを触ったりしたが、反応は無かった。その様子を僕と無言で眺めていたタカちゃんが一言。
「まぁ、仕方ないから大輔呼んで来ようや。イサムも付き合えよ」
「え? やっぱ僕も?」
結局僕らは、大輔の生命や女の子の尊厳といったものではなく、ファミコソを起動させる為という、ある意味どうでもいい大義名分を掲げ、木製の階段を下りて大輔を助けに行くことにした。