迷える騎士にお導きを
特科警務部隊司令官長であるテオボルト・フォースフィールドは濃いカフェを愛していた。
朝、執務に取り掛かる前には必ず自分で入れたカフェを一杯飲むことが日課になっている。
今日はカップが二つ。
応接室のソファーでくつろぐ客人もフォースフィールドが入れるカフェを好んで飲む数少ない者の一人である。
「お待ちどう様」
「ありがとうございます。この香ばしい匂いを嗅ぐと心が落ち着きますよ」
「お疲れだったね、アストラード君。カスティーリャ総司令官も君の副官の復帰を歓迎してくれているようだし、第一段階は無事に突破したということかな」
フォースフィールドからカップを受け取ったアストラードは一口飲むと表情を和らげた。
「貴方のお陰ですよ。根回ししていただいてありがとうございました」
休職中とは言え二年半も音沙汰がなかった者がいきなり復職するのは少なからず波風が立つ。
シュイリュシュカ自身は貴族である自分が嫌いだと豪語してはいるが、その父親であるルドニコフ子爵は爵位こそ低いが王族からの覚えもめでたい者である。
市井出身者の多い警務騎士団では貴族の特権を使う者は煙たがられているので念には念を入れておいたのだ。
まあ、反対しそうな幹部どもはアストラードがレトレンの内乱で失脚させているので、今の上層部はシュイリュシュカを高く評価している者ばかりである。
ただ一人、元近衛騎士であるカスティーリャ総司令官だけはその胸の内を推し量ることができなかったのでフォースフィールドに頼み根回しをしてもらったというわけだ。
「カスティーリャ総司令官も貴族の傲慢さに嫌気がさしてここに来た口だから、シュイ君の行く末を本気で心配しているんだよ。ここだけの話、総司令官は爵位を辞退こそしてはいるがそれだけの影響力を持っているすごいお人なのさ」
「それは初耳です」
「本人は話したがらないがね…。もう十五年以上前の話だから君が知らないのも当たり前だよ」
十五年以上前ということはアストラードが騎士学校にいた頃かそれよりも前の話なのか。
どちらにせよ近衛騎士にはなんの興味もなかったし、警務騎士団に入ることを目標にしていたアストラードには知る由もないことであった。
「それより、こんなところでゆっくりしていてもいいのかね。君の乙女は今頃困っているんじゃないのかい?」
カスティーリャ総司令官への申告の後、シュイリュシュカは総務部にいる女性将校のビッテンフェルト女史に挨拶に向ったのだ。
あれから20分ほど経過しているのでそろそろ第一特科警務部隊の大部屋に行かなければならない時間である。
「ご馳走になりました。サボると煩い副官が待っていますので失礼しますよ」
最後の一口をくいっと飲み干したアストラードは、勢いよく席を立つ。
「本当、シュイ君が戻ってきてくれてよかったよ。仕事は待ってはくれないからね…観念して真面目に頑張りたまえ」
そそくさと執務室を出て行くアストラードを見ながら、フォースフィールドはその雰囲気がガラリと変わったことを実感した。
『俺が恋に狂っているというのであれば、もう十年以上前から狂ったままですよ』
一年と少し前、アストラードはフォースフィールドにこう言っていた。
レトレンの内乱後、荒れに荒れたアストラードを見咎めたフォースフィールドが彼を執務室に呼び出して事情を聞いたところ、取り繕いもせずに平然と言ってのけたことは記憶に新しい。
元々、気性が激しいアストラードは騎士学校時代から結構な問題児であったが、いざ特務騎士に任命されると手柄の数だけトラブルも増えるという頭を抱えたくなる問題が多発した。
それが緩和されてきたのは確か八年ほど前のことだ。
その頃からアストラードの後ろを付いて回る小柄な女性騎士の姿を頻繁に見るようになる。
そして、あのアストラードに喰いついていくだけの度量と実力を兼ね備えた女性騎士が小隊長となった彼の副官に登りつめるまでそう時間はかからなかった。
余計なトラブルは回避するもののその破天荒振りがなりを潜めることはなかったのだが、その女性騎士は臆することなく上官であるアストラードを諌め、時にはその後始末までしていくかなりできた人物だったのだ。
フォースフィールドがその女性騎士に興味を持ち調べたところ、驚くことに貴族の子女であることが判明した。
貴族がいるとは聞いていたがまさか彼女だとは思いもしなかったフォースフィールドは、その頃に一度アストラードに聞いたことがあった。
あの騎士が貴族と知っているのか、それに相応しい扱いをしているのか、と。
その時のアストラードの返答にはフォースフィールドもそれ以上何も言うことができなかった。
『あれは俺が大切に育て上げた、命よりも大事な副官なんです。騎士として特別扱いなんかしませんよ…もっとも、そんなことしようものなら俺はあいつから毎日始末書を書かされる羽目になります』
その時の顔があまりにもアストラードらしくない優しいものであったので、彼は彼なりに女性騎士を大切にしているのだとわかったからだ。
そして、あの日が訪れた。
アストラードの日常は崩れ去り、まるで復讐でもしているかのように鎮圧部隊の責任者であるユースタスを糾弾し、潰しにかかった。
ユースタスが私腹を肥やしてのさばっているのは周知の事実であったし、理由をつけて失脚させたかった上層部は好機とばかりにアストラードを支援したが、フォースフィールドにはそれが恐ろしかった。
今は大人しくしているアストラードが自分たちに牙を向けるようなことがあれば、多分抑えきれない。
だからフォースフィールドは彼を抑える役目を担う女性騎士ーーーシュイリュシュカを復帰させるための手助けを買って出た。
彼女さえ戻れば、アストラードは正気に戻ると信じて。
だが、アストラードは狂っているという。
それも十年も前から。
シュイリュシュカに執着しすぎで周りが見えていないと指摘したフォースフィールドは、放心したようにソファーに沈み込むアストラードにひどく心を動かされた。
そこまで深い愛なのか。
それほどまでに大切な存在なのか。
『…そうか。命よりも大事な副官という言葉は嘘ではないということか』
『……迎えに行くと約束したんですよ。絶対に迎えに行かなければならないんです』
内乱の地で、アストラードは見事自分の職務を全うした。
その気になればシュイリュシュカを迎えに行くのは容易いことであったはずだが、騎士としてのアストラードは己の我が儘を許さなかったのである。
その事実はフォースフィールドが昔々に失ったものを再び甦らせ、そして新たな決意を促した。
この男こそ、騎士たるに相応しい。
未来の騎士団を背負う者たちを失いたくはない。
そうしてフォースフィールドの協力の下、アストラードは無事に彼の命よりも大事な副官を取り戻したのである。
「それにしても騎士が騎士に対して忠誠を誓うとは…」
大胆過ぎるにもほどがあるし、前代未聞だ。
カスティーリャ総司令官がその現場を見ていたらしいが、自分も是非見たかったとフォースフィールドは少しだけ悔しい思いだった。
第一特科警務部隊に長らく不在であった副官が帰ってきたという知らせは瞬く間に広まった。
半信半疑だった者も、将校の制服に身を包んだ件の副官の姿を確認するや否や歓声をあげて近付いてくる。
その当事者であるシュイリュシュカは現在かつての同僚たちから少々手荒い歓迎を受けている真っ最中であった。
「このまま戻って来ないつもりかと心配してたんだぜ?お前さんがいないと調子狂う奴が山ほどいてよ。これからまた世話になるぜ」
「不義理していてすみませんでした。ロスコー三騎曹もお変わりなくお元気そうで」
「そうでもないぜ?ますます爺さんになっちまったしよ」
つるつる頭にますます磨きがかかったロスコーが自分の頭をつるりと撫でる。
本人曰く禿ではないそうで、毎朝髭と一緒に頭の毛も剃っているとの噂である。
「そうそう、ロスコー先輩もこの間ついに50の大台に乗ってしまったんですよ」
「うるせえライモンド!!てめえはまだケツが青いペーペーだろうが。悔しかったら昇任してみろ」
ロスコーが小太りのライモンドの腹をぎゅっと摘むとライモンドは来年は絶対にがんばりますよと呟いて肩を落としてみせた。
来年は、ということは今年もまただめだったようである。
ヴェルトラント皇国の騎士の階級は細かく設定されており、上から順に
一等騎士将(一騎将)
二等騎士将(二騎将)
三等騎士将(三騎将)
准騎士将(准騎将)
一等騎士佐(一騎佐)
二等騎士佐(二騎佐)
三等騎士佐(三騎佐)
一等騎士尉(一騎尉)
二等騎士尉(二騎尉)
三等騎士尉(三騎尉)
准騎士尉(准騎尉)
一等騎士曹(一騎曹)
二等騎士曹(二騎曹)
三等騎士曹(三騎曹)
一等騎士兵(一騎兵)
二等騎士兵(二騎兵)
三等騎士兵(三騎兵)
准騎士兵(准騎兵)
従騎士
となっている。
シュイリュシュカは三等騎士尉であり、四ヵ月後には二等騎士尉に昇任することが決まっていた。
通常は年に一度の昇任試験を受けて階級を上げていくのであるが、功績が認められると一階級、もしくは二階級特進することがある。
シュイリュシュカはレトレンの内乱での功績が認められたため二階級特進の栄誉を賜ったのだ。
ちなみにアストラードは一等騎士尉であり、ナイト・オブ・オリオールの称号付だ。
「こいつはまた筆記試験で落ちたんだよ。実技は上位だっていうのにもったいない」
シュイリュシュカより少し遅れて入って来たアストラードも苦笑する。
上司としては部下の昇任の面倒をみるのも仕事のうちであるのだが、アストラードは座学を教えることを得意としていない。
「来年は大丈夫ですよ、隊長。シュイが戻ってきたことだし、みっちり教えてもらえばライモンドもいけますよ」
「そうそう、来年はライモンドも結婚するんですから花を持たせてやらないと」
ロスコーの後ろからひょろりとした長身の顔色の悪い男が会話に加わった。
「本当?ライモンド君が結婚?!あ、ジェイクリッド、久しぶり…。貴方大丈夫なの?すごく…なんて言うか不健康だわ」
「ひどい言い草ですね先輩。通常使用ですよ…僕の数代前に吸血鬼がいた名残りですから仕方がないんです」
あまり筋肉の付かない体質だったジェイクリッドは長い手で頭を差し出しながら、言葉に詰まるシュイリュシュカに握手を求めた。
「貴方、先祖返りをしたのね…。そこの隊長だけが原因じゃないみたいでよかった」
心なしか冷んやりしたジェイクリッドの手を握り返しながら、シュイリュシュカはライモンドに視線を向ける。
「おめでとうライモンド君。そういうことなら協力するわ…ビシバシいくから覚悟しなさいよ」
「うへぇ…ご帰還早々それですか…」
ライモンドの情けない声に周りから笑い声があがり場が和んだその時、新たな来客がやってきた。
「シュイリュシュカ!!」
「やっと帰ってきたのね!!」
大部屋の扉を壊さんばかりに勢いよく開け放ち、他の騎士たちを蹴散らしながら駆け込んできた二人の女性騎士にシュイリュシュカの顔が大きく綻ぶ。
「プリシラ、ミッチェル!!」
懐かしい騎士学校の同期たちの姿にシュイリュシュカが駆け寄ろうと一歩を踏み出した時には、既に二人ともがシュイリュシュカに抱きついていた。
「久しぶり…って、何をするの!やんっ!!」
シュイリュシュカの真新しい常装の上から腰に腕を回し、遠慮なくその身体を撫でさするプリシラに周りの男たちはゴクリと喉を鳴らす。
シュイリュシュカが無事復帰し、今日初めて将校服に袖を通すというのでミッチェルと一緒にささやかなお祝いにやってきたプリシラであったが、その姿を見てあんぐりと口を開けてしまった。
今日は二年半ぶりの対面だ。
内乱以降、会わなかった間にプリシラは育児の為休職し、最近戻ってきたばかりだった。
同期として、所属は違えどもこれからは上司と部下として働いていける喜びを、同じく育児休暇から一足先に復帰を果たしていたミッチェルと共に伝えに来たというのに。
二年半ぶりに見るシュイリュシュカはとても痩せてしまっていて、驚くしかなかった。
見た瞬間に、あれと何か違和感を覚え試しに腰に抱きついて見たのだ。
あっけに取られたシュイリュシュカの腰にぎゅっと腕を回す。
「おいおい。そういうことは俺のいないところでやってくれ。目のやり場に困るだろう」
そう言いながらもしっかりと見ているアストラードは何故かニヤニヤしている。
女性同士のじゃれ合いには寛容なようだ。
「はなっ、離してよ〜!」
「もう少し待って、測定中なんだから」
何を測定しようと言うのかわからないシュイリュシュカはプリシラのなすがままになる。
「何、この細い腰は」
プリシラに続き、さわさわと腰を触るミッチェルにシュイリュシュカ顔はみるみるうちに赤く染まっていく。
アストラード以外の男たちはどことなくうらやましそうだ。
「痩せたでしょ。今度は何kg?」
感じた違和感の正体。
こんなにも肋骨が浮き出てるなんて。
一体どれだけ辛い目に合ってきたというのだろうか。
前はもっと血色も良く筋肉も綺麗についていたというのに、手術とリハビリでまるで貴族の子女のようだ。
プリシラが上目遣いにシュイリュシュカを睨むとすぐに目を逸らされた。
「今体重何kg?」
「………」
「何kgなの?」
「50は……すいません40くらいです」
「身長は161cmだよね」
「……はい」
「なんでそんなに減ってるわけ?」
シュイリュシュカは目を逸らしたままだ。
「何をやっているんですか特務長!!」
仕方がないとはいえ、騎士にあるまじき体型になってしまったのはシュイリュシュカの責任である。
しかしプリシラの怒りの矛先はアストラードに向った。
「それでも特務長ですか?いつもの強引さはどこにいったんです?さっさと迎えに行かないから…上司失格です!」
「わ、悪かった」
プリシラのあまりの剣幕にアストラードもつい反省の言葉を口に出す。
未だにミッチェルは細くなってしまったシュイリュシュカの腰をなでさすっている。
そしてシュイリュシュカは非常に居心地が悪そうだった。
「急激な筋力の低下は戻すのが大変なのに…。食事の管理は誰がしているの?」
本気で心配しているのかプリシラはぽろぽろと大粒の涙をこぼす。
「やっぱり、一緒にいるべきだったんだわ。シュイ…ごめんなさい」
「プリシラ、泣かないで。別に怪我は大丈夫だし病気じゃないから」
「じゃあ何でそんなに激痩せしたのよ」
泣きながらシュイリュシュカの腰にしがみつき、むくれるプリシラははっきり言って可愛かった。
とてもじゃないが人妻で、しかも子持ちには見えない。
シュイリュシュカはプリシラの瞳に溜まった涙を手で拭ってやる。
「手術とリハビリ…そんなにきついものだったの?お見舞いに行けなくてごめんね、シュイ」
こちらも涙声のミッチェルの頭を優しくなでるシュイリュシュカもつられて泣きそうになる。
「きついと言えばきつかったんだけど…」
誤魔化すために頬をぽりぽりかきながらシュイリュシュカがちらりとアストラードを見る。
それだけが原因じゃない。
騎士に復帰するなんて思いもしなかったものだから。
騎士として野山を駆け回っていた頃は毎日、何時間も、任務に耐えうる身体作りにひた励んでいたシュイリュシュカであるが、もうそれも必要ないとか思ってしまったのだ。
鍛えられることがなくなった筋肉は衰え、使われなくなった筋肉細胞はその役目を終えた。
それに加え、せめて走れるようにはなりたいとひたすらランニングをし、サーベルくらいは振れるようにしておきたいと素振りを続けた結果、元々少なかった脂肪がさらに少なくなり10kg以上体重が減ってしまったのだ。
なんて言えるわけないですよね…隊長。
ああ、絶対言うなよ。
アストラードがシュイリュシュカを目で牽制する。
「騎士団に戻れないと思ってました」などという情けない理由を感極まるプリシラとミッチェルに知られるわけにはいかない。
シュイリュシュカの副長としての威厳にかかわる一大事でもある。
自分でもちょっと自慢だったしなやかな筋肉が魚の骨よろしく肋骨の浮き出た貧弱な体型になってしまったのだ。
騎士としての自尊心が大いに傷つく。
これからしばらくは新人たちの訓練に紛れ込むのであるが、このままでは尻の青い新人たちに馬鹿にされかねない。
「訓練はいつから始めるの?」
「とりあえず今日の午後からよ」
「たくさん栄養あるものを作ってあげるから、しばらくは一緒にお昼ご飯を食べようね」
これはありがとうと言うべきなのだろうか。
街食堂の娘であるミッチェルの手作りご飯が毎日食べられるのは普通に嬉しい。
「私が組んだ特別訓練をこなして、立派な騎士体型に戻そうね」
前言撤回。
それは嫌です。
「新隊員訓練に参加するし、自分でやるからいいって」
背中に冷や汗を垂らしながら即座に断りを入れる。
プリシラはアストラード並に容赦がない。
「心配しなくても俺がついているからな。お前も忙しいだろう」
プリシラを牽制してくれるのは嬉しいが、この場合はどっちもどっちだ。
第三小隊に所属していた頃、アストラードが提案した『肉体改造計画』の所為でひどい目にあったことがあるシュイリュシュカは首を激しく左右に振る。
見ると元第三小隊の面々も顔を青くしていた。
あれは本気で無理ですから!!
当時誰もがそう思ったが結局アストラードの独断で即決した。
シュイリュシュカはアストラードに負けたくなかったし、何より淡い想いを寄せていたのでいいところを見せたかった。
やっとのことで地獄の特訓に耐えたが、あの頃は二十代前半の全盛期だったからやれたことである。
今思い出しても自分のどこにそれだけの体力が備わっていたかわからないが、汗と涙を流しながら這いつくばっていた自分の姿は不気味としか言いようがなかった。
まあ、そのおかげなのか身体が引き締まり誰もがうらやむ筋肉を手に入れ、結果的には成功した。
が。
二度とやるものですかっ!!
その当時切実に思い、今もその思いは変わっていない。
「シュイの為だからな。頑張ってみるか」
がんばらないでください。
「このまま部下の前に立ちたいの?貴女は色白だから、そのまんま貴女の嫌いな貴族の子女だよ?」
かわいい顔をしてさらりとひどいことを言うプリシラにシュイリュシュカの顔が引きつる。
「俺は年だからな…やりたくても無理だ」
こんな時にだけ器用に年寄り面するロスコーはわざとらしく腰を叩きながら立ち去る。
「あの、僕、用事を思い出したし、もう行くきますね」
同じくひょろっとした体型のジェイクリッドもそそくさと離れていく。
「じゃ副長、久々の再会だし、積もる話もあるでしょう?」
都合よく…というか、命からがら逃げ出した小太りのライモンドは脱兎のごとく廊下に飛び出しどこかに走り去っていった。
こういう時だけ体格に似合わず素早い。
「皆も大変みたいね。さてと、シュイ?」
プリシラがズイッと近づいてくる。
まさか、今から始めるの?
仕事の引継ぎまだなんだけど…。
半分死を覚悟したシュイリュシュカであったが、プリシラの口からは以外な一言が発された。
「騎士団復帰おめでとうって言ってもいいのかな?また一緒だね」
内乱から二年半。
離れ離れになっていたけど、今日からは一緒。
同じ制服に身を包んだ、騎士として。
「またよろしくね。シュイがいてくれるなら、私も心強いわ」
ミッチェルがシュイリュシュカの頭を撫でると、さらさらと絹糸のように金色ね髪がこぼれ落ちる。
「うん、よろしくね。二人とも、何だか随分逞しくなった?」
「そうよー。母は強し、よ」
「子供って可愛いわよ。貴女も早く相手を見つけなさい…まあ、それは心配ないか」
ミッチェルが意味あり気にチラリとアストラードを見ると、それは俺に任せておけとばかりに自身たっぷりの顔をしていた。
「嘘っ、二人とも母親?子供いるの?」
おいて行かれたと茫然と呟くシュイリュシュカの腰をアストラードがさり気なく抱き寄せる。
「近況報告はまた今度な。次は結婚の良さと子供の可愛さをこいつにたっぷり聞かせてやってくれ」
長らく不在だった同期は、どうやらようやくこの男が捕まえたらしいと二人は瞬時に理解する。
「了解しました」
「いつでもお呼びください」
笑を含みながら返事をしたものの、シュイリュシュカには本当に幸せになって欲しいと二人は願うのだった。