輝石
「ここは、商業区になってるの。さっきのところは工業区。まあ、例外はあるけど、この国ではそういうふうに住み分けがされてるんだ」
「そうなんですか。でも、ここは昨日通りました」
「へぇ、そうなんだ。本当はもっと大きなところもあるんだけど、そこは中流階級以上の人が良く行く場所で、品揃えはいいんだけど……ちょっと高いんだよね」
レニィは苦笑いをする。それにつられて、少年も、なるほど、と頬を吊り上げた。
商業区は、昨日同様とても賑わっていた。髪も肌も目の色も違う多種多様な人種が往来していて、猥雑ながらも、行き交う人々には笑顔が触れていた。その光景を見て、少年の表情も自然と緩む。
暫く進んだところで、少年は思い出す。
「そういえば、昨日、ここでパンと水を貰ったんです」
「そうなんだ! 優しい人が多いからね、ここは」
「ええ、本当にありがたかったです」
話しながら、あの恰幅のいい中年女性を探す。
前方には、天井を覆うアーケードをも貫いて天高く伸びる大樹が見えた。ちょうど昨日休憩していた場所なので、この近くにいるはずだ、と少年は視線を右に左に動かした。すると、
「……あっ! あの人です!」
その姿を視界の中央に捉えた少年は声を上げた。
レニィはその視線の先へと徐行し、ゆっくりとエアリム二型を止める。
どうやら、先日の中年女性は飲食店を経営しているようで、二十人も入ればいっぱいになってしまいそうな小さな店内を忙しそうに駆け回っていた。
少年がレニィに視線を送と、レニィは行ってきなよ、と表情で表す。少年は頷き、店の中へと入っていった。
その間、レニィは輝石と座席の中央辺りにある制御盤を操作し、エアリム二型に鍵をかけた。
「あの……」
声をかけられた恰幅のいい中年女性は勢い良く振り返り、
「いらっしゃい! ……ん? もしかして昨日の……」
「はい、そうです。その節は――」
「なぁんだ! 元気そうじゃないか!」
職業柄だろうか、その女性は声を大にして少年の肩をバンバン叩くという、やや大袈裟な反応を見せた。
「ええ、親切な方に助けて頂いて。それも、あの時貴方が僕を助けて下さったからです」
「何言ってんだい! 困ってる人がいたら助けるもんなんだよ! それより、その人って――」
「私です」
少年の後を追って入店したレニィがひょいっと顔を出す。
「レニィじゃないか!」
どうやら、ふたりは元々知り合いのようだった。
「この子の知り合いだったのかい?」
「いえ、坂の上で倒れていたんです。困ってる人がいたら助けるもの、でしょ?」
「アンタも成長したねえ」
その中年女性は、うんうんと感慨深く頷いた。
「それにしても、最近顔見せに来ないじゃないか。たまには食べに来るもんだよ」
「えへっ、すみません。じゃあ……今日はここで食べていこうかな」
「そうしな、そうしな。ほら、空いてる席に座って。いつものやつでいいかい?」
「はい、お願いします」
「気合入れて作るからね!」
「……いつも通りでいいですよー」
中年女性の勢いに負けるように話を進めたレニィだったが、最後の言葉を言った時には既に彼女は厨房のほうへと歩いていってしまっていた。
その後ろ姿を見ながら目の前の席に座り、レニィは嬉しそうに呟く。
「まったく、変わらないなあ。マーレンおばさんは」
少年はレニィの向かいの席に腰を下ろす。
「知り合いだったんですね」
「ん、まあね。私は知り合い多いから。仕事の関係上ね」
「仕事の関係上……? そう言えば、レニィさんは何をしている方なんですか?」
それは、気になっていたことでもあった。少なくとも店を出して何かを売っているようではなかったし、力仕事をしているようにも見えなかった。昨日は、工業区だという自分が倒れていた場所にいたし、今日は街の人々も忙しくしているようだったので、誰しもが休日というわけではなさそうだ。
いままでに知った情報を整理して考えてみても、おおよそ彼女の職業を推測することができなかった。知り合いが多い、と言うからには色々なところを移動しながらする仕事のようだが。
「そうか、それも言ってなかったね。ここなら、すぐに料理が来るだろうから、食べながら教えるよ。他にも知っておいたほうがいいことも沢山あるからね」
「色々教えてもらって――」
「すみません、とか言わないでよ。マーレンおばさんが言ってたように、困っている人がいたら助けるのが当たり前なんだから」
レニィは明るく笑いかける。
それにつられるように、少年も顔を綻ばす。
「ありがとうございます」
そうして、和やかな雰囲気に包まれた瞬間、レニィは表情を一変させた。口に手を当て、額からは汗が一筋流れる。
「忘れてた……」
「何をですか?」
少年は店内に充満する香ばしい匂いを感じながら、何気なく聞いた。
正面に座るレニィはばつが悪そうに後頭部を掻きながら、顔に苦笑いを浮かべる。
「セレナ……」
「あっ……」
「まあ、セレナならひとりでも大丈夫。……うん、大丈夫」
レニィは自分に言い聞かせるように言葉を並べた。
「セレナさんって、レニィさんの妹さんか何かですか?」
たったいま届いたばかりの、自分の顔ほどの大きさもある肉を綺麗に切り分けながら、少年が訊ねる。
質問を受けたレニィは、いままで見せなかったどこかもの寂しそうな表情を見せる。そして、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「いや、私とセレナは血の繋がりはないの。セレナも私も……孤児だから」
「……そうなんですか」
聞いてはいけないことだったのかもしれない、と少年は俯いた。
思えば、レニィも自分より年上ではあるだろうが、まだまだ若い。そして、セレナに至って小さな子供だ。そんな彼女達がたったふたりで暮らしているというのは、つまりは保護者に当たる人がいない、ということなのだ。
少年はまだこの街ではどのくらいの年齢からひとり立ちするものなのかもわからなかったが、少なくとも、それが普通ではないことはわかった。実際、街を歩く彼らと同年代くらいの人たちは親と一緒に行動している者が殆どだった。ということは、彼女達も――そして、自分も本来ならば大人と一緒に暮らしている筈なのだ。
もしかしたら、どこかに自分を探している親がいるのか、それとも自分も孤児なのか――それを考えると、やはり記憶がないことに対する不安が少しだけ大きくなった。
しかし、レニィは少年が心配するような暗い思考は持ち合わせていないようで、あくまで明るく振舞う。
「君が気に病むことじゃないよ。それに、この街は年々栄えてるとはいえ、まだまだ貧しい家庭も孤児も少なくないんだ」
「そうなんですか。やっぱり僕、この街のこと……いや、こうして懇意にしてくれるレニィさん達のことすら、まだ全然わかってないですね……」
レニィは切り分けた肉を口の中に放り込みながら話す。
「そうだった、まだ色々説明してなかったね」
少年もレニィに倣い、肉を一切れ口に運ぶ。
「はい、教えてください。もっと知っておきたいんです。レニィさんやセレナさん、それにこの街のこと」
「うん、私が教えられる限り教えるよ。まずは……何から説明したらいいかな?」
「えっと……そうですね……」
少年は暫し考え、まず不思議に思っていたことを訊いてみることにした。
「輝石、ってなんなんですか? さっきの乗り物……エアリム二型でしたっけ? あれに付いていた輝石と似たようなものを街の中でも多く見かけたので……」
ここに至る道中で、あの不思議な光る石を多く見かけた。それぞれ大きさ、形、色、などが違い、それぞれ用途も異なるようだった。
「そっか、それから説明したほうがいいかもね。他の地域とか、昔のことはあまり詳しくないけど、少なくとも現在のこの街では当たり前なものだし、知らないと不便なものだからね」
レニィは、もう一度肉を口いっぱいに頬張り、勢いよく水と一緒に飲み込むと、ゆっくりと説明の言葉を並べ始めた。
輝石――それは、人々の生活を豊かにし、文明を発展させた奇跡の石だった。
輝石が発見されたのはもう二百年以上も前のこと。嘗てはそれを奪い合って戦争にまで発展した。やがてその戦争が終焉を迎えると、大規模な採掘により、多くの輝石が発見された。
輝石は自然の力を凝固したような物質であり、それらは全て人の意思によって力を発揮するという性質を持っていた。
殆どの乗り物は、風の輝石で動いているし、他にも発火するもの、冷気を発するもの、音や光を吸収し、発するもの――と、様々な種類が発見されてきた。そして人はそれを機械と組み合わせることで、より便利なものへと昇華させたのだ。
特にこのルスラントという国はその技術が進んでいて、街中の至る所で輝石を使用した機械が稼働している。もし輝石が全て同時に力を失えば、この国の機能は止まるといっても過言ではない。
そう、今やこの『輝石』は世界の全ての動力となっているのだ。